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逃亡のその後

 菜の花が咲く丘に登ると、眼下に海沿いの街が見えました。

 

「わあっ」


 思わず、はしたない声を上げてしまいます。

 やはり馬車を降りて歩いたのは正解でした。まっすぐ街に入ってしまっていたら、青い海の煌めきと、カラフルな煉瓦の街並み、そして菜の花を同時に視界に入れることはできませんもの。


 さてさて。

 可憐なお花たちには申し訳ないのですが、避ける隙間もございませんので、上にちょっとお尻を失礼しまして。旅行鞄の中からスケッチブックを取り出します。


 短い杖の端をきゅっと引っ張りますと、中から細いパレットと筆のセットが出てきます。

 旅用の絵描き道具です。

 パレットはえんどう豆のさやのような形をしておりまして、豆が入る部分に、乾いた色が一つ一つ置かれており、小瓶に入れた水に筆をちょんと浸して絵の具を溶けば、すぐに使えます。


 絵を描き始めたのは、いつの頃だったかしら。

 プロの絵描きさんには到底敵いませんけれど、私の絵もこれでなかなか見られるものですのよ?


「――うおっ」


 膝の上で夢中に筆を動かしていると、ある時に変な声が聞こえました。

 十歳くらいの少女が私の絵を覗いて、驚いたようです。彼女の手籠にはいっぱいの菜の花が摘まれていました。眼下の街の子なのでしょう。


「うまー。おねーさん絵描きの人?」

「あら、褒めてくださってありがとう。そうよ、私は旅の絵描き。あなたは何をしているところ?」

「あたしは花を摘みに来ただけだよ。サラダに入れるの」

「いいアイディアね」

「食べたければおいでよ。うち、宿屋だからさ」

「それは素敵」


 摘みたての食材を振る舞ってくれるお宿なら、きっと良いところでしょう。宿探しの手間が省けましたわ。

 喜んでいると、少女はきょろきょろと周りを見ます。

 

「お連れさんは?」

「いませんよ。一人旅なの」

「へえ? 一人で何しに来たの? 観光?」

「そうとも言えるわね。私は世界中の美しいものを描く旅をしているの」

「へえ! おねーさん世界中を周ってるの? じゃあ、他にも絵がいっぱいあるんだね? 見せて見せて!」


 どうやら、私の絵を気に入ってくれたようです。

 ふふ。大きなおめめを輝かせて、可愛いけれど残念ね。旅はまだ始まったばかりで、絵は一枚しかないのです。


「ごめんなさいね。私の絵は他になくて、今はこれしかないの」


 私はポケットから折り畳んでいた絵を取り出し、少女に見せてあげました。

 夜の川に虹がかかり、白い妖精が水面を飛んでいる、あの絵です。色鉛筆を使って急いで模写したものですから、あまり上手ではありません。

 彼女はなんとも言えない顔をしていました。


「この場所を、あなたはご存知ない?」

「あたしが? 知るわけないじゃん。っていうか、おねーさん知らないわけ? おねーさんが描いた絵なんでしょ?」

「いいえ、違うわ。その元になった絵は、私のおばあ様が描かれたの。私もこの場所に行ってみたいのだけど、どこだかわからないのよ」

「おねーさんのおばーさんに聞けばいいじゃない」

「もう聞けないわ。おばあ様は、私があなたくらいの年の頃に亡くなってしまわれたのよ」


「・・・死ぬ前に教えてくれなかったの?」

「ええ。これっぽっちも」

「意地悪ばーさんだね」

「いいえ、逆よ。おばあ様は、私に道を示してくださったのよ」


 大好きな、大好きなおばあ様。

 彼女はもともと、隣の国の貴族令嬢でした。それがある日、狭い世界に耐え切れなくて、紙と筆を持って飛び出したのです。

 世界中を廻って、絵を描いて、たくさんの人に出会って――けれど、最後の最後は家に連れ戻されて、おじい様のもとへ嫁ぎました。


 おばあ様は幼い私に、よく旅のお話を聞かせてくださいました。


 あの頃の私の人生は、興味もない習い事で時間を潰し、死に向かって淡々と生きていくだけの、取るに足りないもので。


 けれど、おばあ様のお話の中では、人生とは、あらゆる宝石を散りばめた輝き、何物にも代えがたい、希少な時間の集合体であったのです。


 おばあ様はまだまだ旅をしたかったのでしょう。きっと、足をお悪くされていなければ、年老いてしまったその時にも外へ飛び出されていたに違いありません。

 それができないかわりに、彼女は私に旅の知恵を授けてくださいました。そして、私が一番気に入っていたあの絵を描いた場所だけは、最期まで謎にしたまま世を去られました。


 見たければ己の足で辿り着きなさい、ということです。


 目的地がわからなければ、たくさんの寄り道をすることができるのです。

 これ以上のプレゼントをいただける機会は、生涯ないと断言いたします。


 それから私は色々なことを考えました。

 旅に出るために、何をしなければならないのか。


 お父様たちは、おばあ様のことを頭のおかしい老女だと嘲っていました。

 私がおばあ様のお部屋に入り浸り、おばあ様のように絵に夢中になることを、決して好ましいとは思っておられませんでした。

 旅に出たいなどと迂闊に申したら、二度と外へ出られないように閉じ込められてしまうことが、容易に想像できました。

 なぜなら私は価値ある人間でしたから。


 王宮や世間にとっての私の価値は、侯爵令嬢であること。

 我が家にとっての私の価値は、王太子の婚約者であること。

 

 ですから、この二つの価値を同時に失う必要があったのです。


 一切は、うまくゆきました。

 もはや私には、路傍の石ほどの価値もありません。

 我が身がどうなろうと、誰も気にかけないの。なんて自由なことでしょう!


 厄介者を連れ戻そうなどとは誰も夢にも思いません。皆に疎まれて、私は存分に私の夢を追ってゆけるの。

 こんなにも胸躍る人生は、きっと他にないはずです。




 記念すべき初めての一枚を描き上げ、私は律儀に待ってくださっていた少女の案内で、ようやく街に向かいます。

 その道すがらに、彼女がぽつりと教えてくれました。


「そういえばねえ、今日はなんだか、騎士様みたいな人たちが街に来てんだよね」

「騎士様みたいな?」

「馬に乗って剣持っててさ、深緑色のマントしてるの」

「あら、そのマントの色なら、王都の兵士かもしれませんね。こんなところに来るなんて、何かあったのかしら?」

「知らなーい」


 彼女はあまり興味がないようです。

 かくいう私も、さほど気に留めませんでした。

 彼らにどんな理由があっても、例えば国家転覆を企む凶悪犯を追ってきたなどのスリリングな事情があったとしても、関係ありませんので。


 ちんちくりん頭の淑女もどきが、まさか王太子の元婚約者だなどと彼らに気づかれるはずもありませんし、仮に気づかれたからといって、どうだと言うのでしょう。

 私にご用のある方は、この世の内にはないのです。


 さあ余計なことは気にせずに。

 どうか世界に幸あれと願いつつ、悪女らしいふてぶてしさで、自由と放埓の人生を謳歌して参りましょう。






 ―――実はこの後に、誰しもに用済みと思われていた我が身が、どうしたって殺気しか感じられないお方に激しく求められ、追われることになるのですけれど。


 果たして私は捕まったのか、逃げ切ったのか。


 お後は次の、お楽しみ。

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