第98話:大切な人
凪のその行動に気が付いたマスターは、巧く隠しきれなかった感情に軽く咳払いをして誤魔化すとその表情を消し去った。
そしてニッコリと微笑んで、帯刀の背中を叩いた。
「そうか!そうなのか!!
ついに恭ちゃんがそうなるとは!俺は嬉しい!嬉しいぞ!!」
「健一さん!」
帯刀は、凪を目の端に捉えながら焦ったようにマスターの名を呼ぶが、彼は止まらない。
「恭ちゃんの事だから、もしかしたらこの先も一生俺だけかと心配したが、本当に良かった!」
「誤解を招く言い回しをしないで下さい!」
マスターは帯刀を完全に無視したまま、テンション上げた状態で続ける。
「ハッ!て、事は俺は邪魔だな。俺は雪掻きでもしてくるからごゆっくり」
そう言いながら、テラスへ向かうと意味ありげに笑った。
「おっと、そうそう、此処は健全な喫茶店だからな。あ~んな事やこ~んな事はしちゃダメだぞ?」
「するわけないでしょう!?エロオヤジが!!」
「さあ、どうだかね?」
「~~~~っ!!」
顔を真っ赤にさせて帯刀はマスターにおしぼりを投げ付けたが、彼は一足早くテラスへと逃げて行った。
(信じられない)
凪は目の前で繰り広げられていた光景を呆然として見ていた。
(あの帯刀先輩に勝てる相手がいるなんて……有り得ない)
帯刀は「全く、あの人は」とブツブツ呟きながら椅子に腰掛けると、奇跡を見たような表情の凪と目が合い嫌そうに念を押した。
「他言無用だ」
「言ったところで誰にも信じてもらえません」
帯刀を焦らせ、顔を赤らめさせる事が出来る人物がいるなんて言ったら間違いなく『夢』扱いか、凪の願望だと言われる。
「あの人、健一さんは、親父のトコで昔メイクアーティストをしていたんだ。
俺は昔、色々世話になったから彼には頭が上がらん」
「メイクアーティスト?ということは、先輩がやってくれていたメイクって……」
「あぁ。健一さんが教えてくれた」
入学パーティの頃からずっと疑問に感じていた事がここでようやく解り、凪は納得したように頷いた。
帯刀は凪が「なるほど」と手を叩くのに微笑しながらコーヒーを凪に渡した。
「少し冷えるが、いいものを見せてやる」
(いいもの?)
帯刀は閉じられていた重そうな板窓を開けると、凪を手招きで呼んだ。
凪はそれに従い窓辺に行くと、そこに広がる景色に心を奪われた。
「ぅわあ……素敵!」
「綺麗だろう?」
嬉しそうにそう聞く帯刀に頷きながら、凪は「ホゥ」と吐息を洩らした。
銀世界の中で太陽の光を受けて、宝石のように輝く青い湖。
所々で靄がかかっているのに輝きを失わない美しい湖は、幻想的な美しさと人を寄せ付けない神々しさがある。
「この湖は一年を通して水温が氷点下になる事がない。だから冬の間だけは外気より水温の方が高い為、湯気のように靄がかかる」
説明されれば至極現実的な原理なのだが、自然の作り出す最上の美しさに凪は寒さを忘れて見惚れていた。
すると、帯刀が凪の肩に毛布を掛けてから椅子に座って凪を見詰めた。
(今なら答えてくれるかな?)
凪は普段の帯刀からは予想もつかないほどの柔和な微笑みを見て、椅子に座り直してもう一度聞いてみた。
「あの、今日は何故此処に?」
「デートだ」
「あ、そうなんですか?
て、えっ!?デ、デ、デデートォッ!?」
あまりにもさらっと帯刀が言うものだからスルーしそうになったが、そのとんでもないセリフに凪は顔を紅潮させて思いきり慌てふためいた。




