第94話:記憶の欠片
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凪が退院して数日後、生徒会に顔を出すと、みんなが笑顔で迎えてくれた。
「凪、もう体は大丈夫なのか?」
浩樹が心配そうに凪の様子を伺うと、凪は元気をアピールした。
「この通りです。もう今日からバンバン働けますよ」
「そうか、ではこの書類を理事長のところへ頼む」
横から帯刀が現れ、書類を渡すと浩樹は帯刀を睨み付けて凪から書類を取り上げた。
「今日ぐらい休ませてやれよ。可哀想だろが!」
「書類は口実だ。理事長に挨拶に行かせた方がいいだろう?」
言われて浩樹は身動ぎした。
確かに理事長に凪の元気な姿を見せるべきである。
凪が入院している間、理事長は彼女をとても心配していた。だが、理事長としての立場で一生徒の見舞いに行くわけにはいかないと『晃』の感情を殺して、ついに見舞いに行く事はなかった。
浩樹はおずおずと凪に書類を返した。
「……凪。すまんが行ってくれるか?」
「勿論です」
凪はにこやかにそう笑うと、書類を受け取り、理事長室へ向かった。
☆
「失礼します」
理事長室の扉をノックして中に入ると、理事長は席を立って凪を出迎えた。
「樹神さん。身体の方はもう大丈夫なのかい?」
心配そうにシーグリーンの瞳を揺らめかしながら凪に近付くと、書類を受け取って彼女の顔色を伺った。
「骨はまだくっついてはいないのでコルセットは必要ですが、もう大丈夫ですよ」
凪は正直にそう答えると、「ご心配をお掛けし、すみませんでした」と謝った。
「いや、学園内でこのような事が起きたのは俺の責任だ。寧ろこちらが謝るべきだ。
本当に申し訳なかった」
理事長が頭を下げたものだから凪は慌てて頭をあげるようにお願いした。
「いや、そういうわけにもいかない」
(ど、どうしよう)
困り果てた凪はなんとか顔をあげてもらう方法はないかと考え、周囲をキョロキョロと見回した。
すると窓の外にある桜の木に目が止まった。
「あ、み、見てください!」
若干吃ってしまったが、仕方がない。
凪はその勢いのまま窓の方へ移動し、桜の木を見るように促した。
「ああ、桜の木にもう蕾がついてるね」
春はもうすぐだと知らせるかのように膨らむ蕾を見ながら凪は頷いた。
「もう少しで一年が経つんですね」
「早いもんだ。この一年で樹神さんもだいぶ立派になったね」
「そ、そんな事ないです」
凪は慌てて否定して身を仰け反らした。
「危ない!」
凪の身体が窓の外にぐらつき、慌てて理事長は彼女を抱き寄せた。
そのおかげで凪は窓から落ちずに済み、理事長の腕の中で安堵の溜息を洩らした。
「大丈夫かい?」
「すみません。あたしったらそそっかしく……て……」
痛みを堪えながらもう大丈夫だと顔を上げると、心配そうな理事長と目が合った。
その瞬間視界が揺れ、凪は白昼夢の世界に引きずり込まれていった。
凪の視線の先、そこには血の海が出来ていた。
その上でぐったりと横たわる栗色の髪の少年。
血の海は彼の身体から産み出されている。
凪は駆け寄って彼の身体を揺すった。
「お兄ちゃん!!死んじゃいやだ!!お兄ちゃん!!」
覆面の男に縛られた凪は、お兄ちゃんが助けに来てくれたお蔭で助かった。だが、お兄ちゃんは凪の代わりに刺されてしまったのだ。
「凪……お兄ちゃんのここを両手で押さえて……」
今にも意識を無くしそうな状態で、お兄ちゃんはナイフで刺されて出来た穴を手で塞ぎながら凪に頼んだ。
「いやだ!こわいよ……血がでてる。そんなことしたらお兄ちゃん死んじゃうよ……」
とんでもないお願いに凪は、首を激しく振りながら拒否した。
「凪がやってくれな、きゃ……助けがくるま、えにお兄ちゃん、し、死んじゃうよ。いい子だから俺を助けて……」
「死んじゃう」と言われ、凪は泣きながらお兄ちゃんの傷口を両手で押さえた。
手の隙間から溢れ出てくる血の温もりに震えながら涙をボロボロ流し続ける。
「……いい子だ。でも、力足りな……お兄ちゃん、力入らないんだ。凪……手に体重が全部か、かるくらい、押さえて……」
凪は何度も頷きながら全体重を手にかけた。
痛むのか顔が歪み、凪は体重をかけるのを止めようとしたが、お兄ちゃんがそれを拒んだ為、再び体重をかけ直した。
お兄ちゃんは「それでいい」と笑うと、そのまま目を閉じた。
そこで凪は眩い光に包まれ、意識が再び現実に帰ってきた。
「凪、凪!?」
我に返ると、目の前心配そうに自分を見ている理事長の視線とぶつかった。
「あ……」
「凪っ……こ、樹神さん、大丈夫なのかい?」
「理事……え?あ、すみません!あたしったら」
凪は驚いて理事長から離れると、醜態を晒した事を詫びた。
「いや、どうか気にしないで。
そんな事より、本当に大丈夫なのかい?もしや、何か後遺症が出たんじゃ……」
「いえ、時々急に昔の事を思い出すんです。
じゃなくて、あの、本当に具合が悪いわけではないのでどうか、お気にならさないで下さい」
(昔の事を……)
理事長の瞳が苦しそうに揺らいだのを見て、疑われたと捉えたのが凪はもう一度否定した。
「本当に具合が悪いわけではないので安心して下さい」
それでも理事長の表情は苦痛に歪んだままだった。
(ダメだ。信じてもらえない)
凪は困り果て、どうするべきか悩んだ結果、話を打ちきりにして生徒会室に戻る事にした。
「理事長さん。あたし、そろそろ生徒会に戻ります。忙しいのに長居してしまい申し訳ございませんでした」
理事長はそのまま彼女を見送り、長い溜息を洩らした。
「……そろそろ打ち明けなければならない時が来てしまったか」
そう呟き、理事長は打ち明けた後の凪の反応を想像し、苦痛そうに再び溜息を洩らした。




