#06 元気に、おいしく、いただきます!
それは唐突に異変として俺たちの前に現れた。
ずしん、と大きな足音と震動。
前方からやってくる、上半身が剥き出しのトウモロコシの群れ。
剥かれた皮がまるでスカートのようだ。
「ナルキさん、トウモロコシです」
「見ればわかるけど……なんで、彼女たちは頬の辺りが赤いの?」
「恥ずかしいのでしょうね。脱がされて」
人間の、主に女の子にしか使いたくないワードをトウモロコシには使いたくなかった。
「脱がされちゃったんですよ」
「2度も言わなくていいよ」
胸元を隠して走ってくる、一昔前のギャグ漫画のお色気シーンみたいだ。
「あれは倒さなくていいの?」
「カレーにいれますか?」
「いれないけど」
そうやって必要な物しか獲らないのは、自然界に対しては優しさだろうが、この異世界で暮らす俺たちにとってはどうなのだろうか。
レシピノートがあればどんな食材でも、品質を保ったまま保存できるじゃないか。
「でも、それより来ましたよ、本命」
「いなかったんじゃないの?」
ハヅキは俺に刀を渡して、自分は傍観者よろしく、俺の後ろにリュウカと一緒に避難している。
「いい豚のエサはトウモロコシですからね。お腹を空かせてやってきたのでしょう」
ダンジョンに入る前は、豚は陳列棚に並んでいなかったが、どうやら今はいるらしい。
「この現象を入荷と言います」
「そうだと思ったよ」
この食材がどこから来ているのか知らないが、この土の中が畑と言うのならば、それを狙う動物が来たっておかしくない。
「ナルキ、私豚はどう殺せばいいかわからないんだけど、殺せる?」
「ニワトリを絞めるところしか見たことないな」
田舎の家はなぜかニワトリがあちらこちらにいたから、結構慣れ親しんでいる。最初はトラウマだったけど。
俺を追いまして、頭を突いたニワトリはおいしいからあげになった。
食物連鎖ってそういうことなんだろう。
「豚はとりあえず殺しちゃえば大丈夫です。レシピノートの中で処理もできますから」
「便利だな」
「異世界ですから、なかなか大型動物の加工までは手が回りませんからね」
「大型?」
俺とハヅキの声が揃った。
その言葉の真相を聞き出す前に、曲がり角の向こうから現れたのは、通路を塞ぐ巨大な豚。
「……豚だな」
「豚だね」
「限りなく豚だな」
「ありえないほど豚だね」
綺麗なピンク色の体をしていて、丸々と太っている。
「どうすんの、これ!」
ぶひ、と鼻を鳴らした巨大な豚が突進してくるが、今度のリュウカは笑っている。
「ここはどこだかお忘れですか?」
「異世界だろ」
「異世界は異世界でも、別の名称があるじゃないですか」
「カッティングボード?」
「そうです」
俺が言うと怒る癖に、同性のハヅキにまな板と言われても怒らないらしい。
「ここはまな板の上です! 刃物を手にしたナルキさんは、料理人です!」
「だから、なに!?」
震動が大きくなる。
頭上や壁から、黒い土が、パラパラと落ちる。
「まな板の上にのせられた食材は料理人には絶対に敵いません!」
「まな板の上の食材」
うなぎやフグのような調理するのに、特殊な技術や免許が必要な食材ならまだしも、豚肉なんて一人暮らしの俺だって、豚バラを買ってきて卵と一緒に炒めたり、焼肉のタレで味付けして焼いてご飯のおかずにする。
「人間は動物には勝てませんが、食材には勝てます! 今までだって、そうでしょう?」
ニンジン、たまねぎ、じゃがいも。
「苦手な食材には誰もが怯むかもしれませんが、克服をした時、それをおいしくいただけるのが人間です!」
そうだ。
怖いと思った野菜の化け物たちも、倒してしまえばただの食材だ。
怖いと思うから怖い。
苦手と思うから苦手。
アレルギーや宗教が関係していない限り、人間は大抵のものが食べられるようにできている。
「だから、食材の命を奪う時、私たち人間にできることは一つです!」
昔、庭にいたニワトリをじいちゃんが捕まえて、暴れるニワトリの首を簡単に捻った。
あれはトラウマだ。
でも、そうやって生きている命を奪うことで、俺たちはおいしい食事を食べられて、生きることができる。
人間と動物。
人間が偉いというのは人間のエゴだが、好き嫌いをして、奪った食材の命を無駄にするのは、農家の人たちに謝る前に、野菜や動物に謝らなければいけない。
人間と同じように生きているんだから!
「ごめん、豚。俺たち、お前をおいしく食べるよ!」
両手で刀を構えて、俺は自ら豚に立ち向かう。
☆ ★ ☆ ★ ☆
目当ての食材を手に入れた俺たちは、ダンジョンから抜け出した。
「とまあ、こんな感じでダンジョン攻略をしていきます」
スーパーのような建物の外に出て、以前リュウカが住んでいた町へと戻りながら、リュウカが今日の総括といわんばかりにまとめだした。
「疲れた……農家って大変なんだな」
「昔のお百姓さんはお米や野菜を育てて、お肉を食べるために物々交換とかしてたんだよね。そう考えると、どっちも大変だね」
今はお金というわかりやすいものもあるし、物流も日本各地へと広がっているから、北海道の八百屋と農家の娘であるハヅキを見ても、それが当たり前のように思っていた。
しかし、現実はこういう苦労があって、みんなの食卓に並ぶ。
とんでもない人の苦労があってこそだ。
「って、こんな命の危機に瀕するような苦労があって堪るか!」
「突然どうしました、ナルキさん」
「いや、どこから突っ込むべきかわからなくて、もう叫ぶしかなかったんだよ」
「そんなことより、帰ってカレーですよ。私とハヅキさんで作りますから」
ダンジョンに入る前に作戦会議をした民家に入って、2人は揃って背中を向けて台所に立つ。
「ハヅキさん、お上手ですね」
「ところでさ、米とかあるのか?」
「ありますよ、日本人にお米は欠かせませんから!」
そこを力説されても……。
「あ……」
「どうした、ハヅキ? 指でも切ったか?」
じゃがいも相手に、あんな大立ち回りしていたハヅキがミスをするとは思えないんだが。
「ルー、あるの?」
カレーにおいてルーがどれぐらい大事かといえば……アホな答えになるが一番大事である。
ご飯がなければ、マリー・アントワネットよろしく、パンでもナンでも食べればいいが、カレーにルーがなければ、水煮だ。
「盲点でした」
「リュウカ、盲点多すぎだよ!」
「私、少し行って買ってくるよ」
「どこに?」
「元の世界」
「……そんな簡単に帰れるの?」
「帰れますよ、来た時と同じぐらい簡単に。でも……」
簡単に帰れるのなら、俺たちがダンジョンに挑む理由は果たしてどこにあったのだろうか。
「私の持つ鍵は、東京です。ハヅキさんの北海道に繋がる出口の鍵は、ハヅキさんを連れて来た人が持ってると思うのですが」
「ニンジンに追われて、逃げちゃいました」
「なんて無責任なやつだ」
「ニンジン嫌いだったんだよ」
そんな理由で、女の子を1人、見知らぬ異世界に置いてきていいのだろうか。
この世界の根本は、好き嫌いをなくすである。それなのに酷いことをすつやつだ。
「ハヅキ、東京から北海道まで帰る飛行機代、あるか?」
「あるわけないじゃん」
「あるわけないよな」
北海道でも都会ならまだしも、田舎というより山なのだから、個人でお金なんて使うことがほとんどない。
東京人は携帯に財布を常備しているが、あの山間の集落のような場所に、そんな習慣はない。
「いいよ、俺がルー買ってくる。どうやって戻ればいいんだ?」
「これで異世界の扉、開けますよ。この鍵をさせば、どこのドアでも、内開き、外開き関係なしに異世界の行き来できます」
しかし出入りする場所は登録してある場所で決まっている、とのこと。
「じゃあ、行ってくるから、2人は準備続けておいて」
「うん、あと福神漬けもお願い。赤いの」
「はいはい」
不動産屋があった、あの商店街にスーパーなんかあっただろうか。
そんなことを考えつつ、どれぐらいの時間が経過しているのかもわからない、元の世界へと、俺は一度戻ることになった。
☆ ★ ☆ ★ ☆
「ただいま……むっちゃ暑かった」
「おかえりなさい」
ルーを渡して、俺は小鉢に福神漬けを開けた。
女の子2人が料理をする後姿を眺めながら、俺は「はあ」とため息を吐く。
「どうしました?」
「後ろからみれば、2人とも女の子だな、と」
「ナルキさん、私、人肉は初めて食べます」
「包丁を向けるな、冗談だから」
「さ、カレーできたよ」
少し前から漂うカレーの匂い。
アパートで作ろうものなら、換気扇から外に出たカレーの匂いでご近所さん全員に「あの家、今夜はカレーだ」とばれるレベル。
リュウカがご飯をよそい、ハヅキが具沢山のカレーをご飯の半分にかける。
2人が俺の待つ食卓のテーブルへと運んでくる。
銀色の大きめのスプーン。
用意された赤い福神漬け。
白い湯気を立ち上らせ、スパイスの香りが鼻腔を擽るカレーの匂い。
「せーの!」
「いただきますっ!」
普通では味わえない苦労をして作ったカレーの味は、どんな言葉を持ってしても表現できないぐらいの、おいしさだった。
終わり