20 それを売るなんてとんでもない?
シグリッドが正体を明かしてから半月ほどが経過したが、彼の態度は何一つ変わらない。
トーマスとの間に大きな秘密が生まれたことなど忘れたかのように、今日も村人たちに交じって汗を流している。
開拓の汗を拭いながら笑う若者たちはその背中を追い、ゼイニークはぶつくさと毒づきながらもかつてないほど精力的に手を動かしている。王都を追われたマチルダは村の女たちと時折ぶつかりながらも、持ち前の勝気さで手仕事に食らいついていた。
「あー! 今日もたっくさん働いたねー。なんだか前より実がふっくらしてきた気がしない? 俺の愛情にコフィも応えてくれてんのかな?」
屈託なく笑うシグリッドにトーマスは苦笑を返す。
一日の作業を終えた夕食後、領主の屋敷の談話室にはシグリッド、トーマス、ゼイニーク、マチルダの姿があった。ここで食後のコフィを囲み、その日の進捗や明日の予定を話すのがいつしか日課になっていた。
「屋内型のカフェも作りたいよね。チラシを作って、内装もそれっぽくしてー。うわぁ、やることが沢山だ。ケーキやスコーンも提供したいし、食器もこだわりたいなぁ」
「一つひとつ順を追って片付けていくしかございますまい。まずは優先順位を決めましょう」
「となると、やっぱりコフィの改良が最優先かな。今はたまに外から人が来るくらいだから、その一回のチャンスで、ハートと胃袋を鷲掴みにしないとね!」
口調こそ軽いもののシグリッドの瞳に宿る情熱は本物だった。その熱に当てられるように、停滞していた村の空気は確実に熱を帯び始めている。
だが、理想が高まれば高まるほど無視できない現実が影を落とすもので。
「……しかしシグリッド様。建物の改装にしろ新たな道具や材料を仕入れるにしろ、当然ながら相応の『資金』が必要となります。いくらゼイニーク殿が村人を締め付けて小銭を貯め込んでいたとはいえ、この規模の計画には到底足りるとは思えません」
トーマスの冷静な指摘に、古びた帳簿をめくっていたゼイニークも「ぐぬぬ……」と渋い顔で頷いた。
「言葉に棘を感じますが……この村の財政状況が芳しくないのは事実でしょうな」
「それなんだけどさ。みんなあんなに働いてたのに、なんでずっと貧乏なままだったの?」
椅子の上で胡座をかいて首をかしげるシグリッド。村人たちに聞かれでもしたら傲慢とも受け取られかねない発言であるが、中身はこの世界の知識に乏しい紫呉らしい質問である。
「王都から遠く離れた小領地は、鉱山や港、有力な特産でもなければ富を蓄えるのは難しいものです。やはり人も富も、王都に集中しますから。ましてやアラピカで採れるものはほとんどが自分たちで食べる分だけの作物。余剰を売ろうにも、王都まで運べば輸送費の方が嵩みます」
「さらにこの村、シアソレイユの中でも辺境に位置しております。アラピカは王家の直轄地とはいえ、軍事的な要衝でもなければ大きな税収もない。言葉を選ばなければ……王家から見ても重要度は限りなく低い、ただ人里があるだけの場所なのですよ。だから王都から回される維持費も、村を存続させる最低限に留められておりました」
トーマスとゼイニークの説明にふんふんとシグリッドは耳を傾け、「なるほどねー」と難しい顔で頷いた。
「……念のために申し上げておきますが、私の前の代はもっとひどい有様でございましたからね。財務を理解しない者が領主に据えられていたおかげで慢性的な赤字続き。村人のなかには子どもを身売りに出さなければならぬ者もいたほどです」
子どもの身売りという言葉にシグリッドの表情から笑みが消えた。しばらく何かを噛みしめるように黙り込み、それからゼイニークへ視線を向ける。
「……それを、ゼイニークさんが立て直したんだ?」
「そうですとも! 私が着任してからは商人を通じて他国からコフィの苗を取り寄せ、眠気覚ましの薬として売ることで領地の収支をどうにか立て直したのです。……まあ、軌道に乗ったのもここ数年の話。村人たちの暮らしを改善するところまでは至りませんでしたがね。彼らは私を『村の乏しい蓄えを搾り取る豚』だと思っておるようですが……ふん、あやつらに何がわかると言うのです」
ゼイニークは不貞腐れたように鼻を鳴らす。
「村の人たちはガリガリだったんでしょ? それなのにあんたがそんなにぶくぶく太ってんだから、そりゃ反発もしたくなるでしょ」
マチルダの茶々にゼイニークは顔を真っ赤にさせたが、これといった反論も見つからなかったのか、彼はさりげなく「そういえば……」と話題を変えた。
「近々私が懇意にしている商人が到着するはずですが、あやつは足元を見るのが得意な悪徳商人。村のなけなしの蓄えなど、あっという間に巻き上げられてしまいますぞ」
「あ、それなんだけどさ。あれって売れないかな?」
シグリッドが視線を向けた先には——。
部屋の隅には大ぶりの鉢植えの陰に隠れるように、両腕で抱えられそうなくらいの豪華な箱が所在なさげに置かれていた。
「あれは陛下からせめてもの餞別にと持たされた魔道具ではございませんか! それを売り飛ばそうだなんて、とんでもないどころの話ではありませんよ」
王都を出る折、国王から個人的な餞別として正式に下賜された保冷の魔道具。中にはバナニーニバナーガがこれでもかと詰め込まれていた代物である。王宮の倉に眠っていた旧式の品とはいえ現存数は少なく、流通に乗ることがほとんど無い代物であるが——。
「いや、だってあれさ。俺たちじゃ魔力を補充できないんでしょ? 一回使ったら終わりの箱を置物にしておくより、扱える人に売った方がよくない?」
そう。魔道具を使うのには膨大な魔力が必要なのである。内部に蓄えられていた魔力も尽きた今となっては、ただの装飾が豪華な物入れにしかなっていない。正直に言えばトーマスも軽く存在を忘れていたくらいではあるのだが——。
「そうではございますが。魔道具というものは持つだけで箔が付くではありませんか」
「箔なんかつけたってお腹が膨れるわけでもないし、貴重なものってことは高値で売れるってことでしょ?」
「ま、まあ……好事家や研究者であれば喉から手が出るほど欲しがるものでしょうな」
かつてのシグリッドであれば、持つだけで箔が付くと聞けば決して手放さなかったはずだ。
だが、中身の紫呉はまるで使い古した鍋を扱うかのような軽さで宝物を売り飛ばそうとしている。
「せっかくくれたものなんだし、置物にするより役立てた方がいいじゃん。置いておいてもしゃーないんだから、パーッとこの村のために使っちゃおうよ。それで村が元気になったらおとーさんも文句ないっしょ?」
貴重品を惜しげもなく村へ差し出そうとするシグリッドに、トーマスは内心で盛大に呆れ返る。一方のゼイニークは信じられないものを見る目で魔道具と主人の顔を交互に見比べていた。
「……確かに売ればそれなりの金にはなりましょう。ですが、この村のために手放すだなんて……」
「いやぁ、今はカフェ作りたいからさ。とりあえずその商人さんから必要なものを買い揃えたいよね」
ゼイニークは魔道具をしばらく眺めた後に、かつての悪徳領主らしい不敵な笑みを浮かべた。
「シグリッド様。金が手に入るからといってあの商人にぼったくられるのは我慢なりませぬ。交渉はこの元財政官の私にお任せを。あやつの鼻を明かしてやりますぞ」
「おっ、頼もしいね! よろしく、ゼイニークさん!」
闘志を燃やす二人を尻目に、マチルダがそっとトーマスに耳打ちをする。
「私が言うのもなんですけど。王様、いくらなんでも親馬鹿すぎません?」
「……今は亡き王妃様とのお約束だったのです。シグリッド様を必ず王に据えると。それが果たせぬこととなったので……せめてもの餞別のつもりだったのでしょうな」
誰のせいで、とはあえて口にしなかったが、マチルダは神妙な顔でシグリッドを見つめている。
「あの人は、王になんかなりたくないって言ってましたけれどね」
「それは……シグリッド様が、でございますか?」
「そう。まだ王都にいた頃のシグリッドさま。『王位なんて面倒なものは弟に押し付けてやればいい』って口癖のように言ってましたよ」
それは初耳であった。あの性格からして、自分が王位を継いで当然であると思っていても不思議ではなかったのに。
「まるで別人みたい。……そう思いませんか、トーマス様」
……確かに。以前のシグリッドなら、この魔道具を売って得た金がどれほどあろうと「たったこれだけか」と吐き捨てるか、あるいは自身の享楽のために使い切っていただろう。村のために笑顔で差し出すことなどあり得なかったはずだ。
だが、中身が入れ替わったからだなんて口が裂けても言えるはずがない。
影の差した瞳が、トーマスの表情を逃さぬようじっと見つめている。
トーマスは素知らぬ顔で「環境は人を変えますからな」と、それを受け流した。




