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第32話 襷の役目

「あれ、また冠さんだ。メールだけど」


 冠 貞一から亜朱沙へのメールには、貞世があの後で更に思い出したように呟いた『うわ言』を動画撮影したけど、メールでは添付ファイルは受け付けてもらえない。どうしたら送れるか、と言うものだった。公用メールはランサムウェア対策で添付ファイルを禁じられているので、亜朱沙はプライベートスマホからSNSのQRコードを送信し、SNS上にアップしてもらう事にした。


 間もなく届いた動画は、まさに貞世が梓の背中に負ぶわれた時の会話の記憶だった。


+++


「すまんねぇ梓ちゃん、オレ、重いべ?」

「いえいえ、おばあちゃん、軽いです。平気ですよ」

「オレ、今はもう走れんけど、若《わけ》ぇ頃は競争部だったんよ」

「競争部?」

「そうさぁ。100m走とか走っとった。学校で一番だったべ。一人で毎日、山さ走って練習したさ」

「へぇ、凄いですね」


 まるで藪さんみたいだ…。梓は感心した。


「それがもう足も動がねぐなって、お嬢ぢゃんに負ぶってもらうなんて情げねぁー」

「大丈夫ですよ。練習すればまた走れるようになりますよ。私もこの襷をもらって練習して走れるようになったんですから」

「でもオレ、途中で辞めだから」

「え? どうしたんですか?」


 背中の老婆が少し重くなる。


「オレ、晴れ舞台の試合さ出られながった。ふざげでらった他の子がオレにぶづがって、転んで足、捻挫したのよ」

「えー?」

「オレの代わりに、二番のめんこい子が出で、それが速がった。オレはそれ僻《ひが》んでな、その子さ悪さして競争部は辞めさへられぢまった。その子はなんも悪ぐねども、オレがその子さ嫉妬したのよ。今思えば見苦しいごどだんだども、その時ぁ悔しかったべ。オレの晴れ舞台だったすけ」


 何十年ぶりの老婆の懺悔の言葉。なんだか似てるな、去年の私と。お婆ちゃん、藪さんみたいに襷を受け取れなかったんだ。折角山の中で練習していたのに。それを長い間、ずっと悔やんでいるんだ。


 だったら代わりに私が渡せばいいんじゃない、この襷を。藪さんはこの襷で遊んでたって竹内君は言ってたけど、きっとそうじゃない。藪さんなら、いつか体育館の裏で見たように何かの練習をしていたに違いない。見えないところでの努力。そんな藪さんのひたむきな思いや汗が滲んだ襷、これを繋ぐ。そうしたら、もしも、もしも私がいなくなったとしても、この襷は繋がれる。残り時間は10分。勝負はきっと五分五分だ。


 だけど…、私が逃げ切ったら、後で理由《わけ》を話して返してもらおうっと。

 やっぱり宝物だもん。


 梓は老婆を負ぶいながらこっそり『てへぺろ』をした。


+++


 動画は貞世の『まあ、元気なお嬢ぢゃんだべ』で終わった。


 亜朱沙とともに貞世の話を聞き終わった駿は呟いた。


「あのおばあちゃんって陸上部だったのか。競争部って呼ぶ学校、今でもあるもんね」


 それを聞いて亜朱沙は確信した。


「やっぱり梓は単純に襷を繋いだのよ。魔法で助けるとか助かるとか、そんな話じゃない。元スプリンターのおばあちゃんに普通に襷を繋いだのよ」

「え?」

「明日に向かって走りましょう! って」

「はい?」

「でも、きっとそこにはいろんな想いが隠れていると思う。だって時間を遡って繋ぐようなものでしょ。梓、もう時間がないって判って、もしものことを考えて願《がん》をかけたのかも。誰かに繋いで! って」


 亜朱沙は手の中の襷を握り締めた。冠 貞一さんも、この襷を保管していた理由は『何かが繋がれたから』とか言っていた。今度はあたしがおばあちゃんから受け取った。だから梓、ここからはあたしが繋ぐよ!


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