第27話 老婆
亜朱沙は職場に戻って、集めたデータを整理し始めた。梓の功績をまとめて、北端中学に提出するつもりだ。梓の名誉を回復させたい。役場の職務とは言えないが、危機管理の要素が含まれている。現地でヒアリングした行政側の現状レポートと並行して亜朱沙は梓の行動記録をまとめ始めた。
二日後、妙子から亜朱沙にメールが入った。梓が背負った老婆の名前が判ったと言う。しかしそれ以上はこれからリサーチするとの事だった。亜朱沙の心は高ぶる。また一つ、梓の功績が積み上がる。結果が伴わなくてもいい。亜朱沙はその週末に妙子の元を訪れると返信した。
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「軽トラを運転していた人の息子さんが覚えていたのよ。お父さんがお婆さんと小さな子どもを荷台に積んで逃げて来たってね。たまたま息子さんは市のスポーツセンターにお勤めでね、あそこって高台にあるからお父さんもそこを目指したみたい。お婆さんがね、襷を掛けてたから覚えてるんだって」
「襷 … ですか?」
綿木家のリビングで、コーヒーを頂きながら亜朱沙は聞き返した。
「そうなの。空色って言ったかな」
「どういう意味なんでしょう」
「判らないわね。そのお婆さんが襷をまだ持っていてくれたら何か判るかも知れないけど、でも襷が無かったら、このお婆さんには辿りつかなかったと思うのよ。私も避難する時には、何か目立つものを身につけなきゃって思ったわよ」
目印の為に、家族に言われて付けていたのかも知れない。これは避難時のアイディアだな。亜朱沙は思った。
「で、そのお婆さんとはお会いできるのでしょうか? 梓が背負っていたとしたら、きっと梓と喋ってると思うんです」
「大丈夫よ。明日、朝から伺うって言ってあるから」
「助かります」
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翌朝、レンタカーで二人は出掛けた。老婆の名前は、冠 貞世。市街地に新たに建てられた貞世の息子の家に同居していた。玄関にはその息子である 冠 貞一が出迎えてくれた。
「おはようございます。突然お邪魔して申し訳ありません」
亜朱沙は名刺と手土産を手渡す。
「お気遣い頂き、却って申し訳ありません」
初老の貞一は礼儀正しく対応する。
「母はほぼ寝たきりなんで、介護ベッドの上で失礼なんですが・・・」
案内されたのは、貞世がいつもいる部屋だろう。大きなベッドと片隅にポータブルトイレが置いてある。貞世は入って来た二人の女性に不安気な視線を向けた。
「おばあちゃん、おはようございます」
亜朱沙が声を掛けると、貞世はふがふがと答える。ちょっと何を言っているのか判らない。
「母さん! わざわざ遠くから来て下さったんだよ。ほら、震災で助けてもらった時の話を聞きたいんだって。女の子に負ぶってもらったんだろ? その話」
貞一が耳元で話してくれる。しかし貞世の反応は今一つだった。妙子も貞世に近づいて、
「冠さんを助けてくれた中学生のことを伺いたいのです。私は、駒切中学の教師でしたし、こちらの人は、その子の前の中学の同級生だったので、その女の子のことを知りたいんです」
はて? どうしましたかな。 貞世は首を傾げる。
幾度か質問を変えてみたが貞世の反応は変らない。貞一は申し訳なさそうに
「最近、急に進んじゃってね。僕のことも判ってるのか判ってないのか判らんのですよ」
と苦笑いした。亜朱沙はあれを聞いてみようと思った。
「おばあちゃん! 空色の襷は普段からしていたんですか?」
貞世は無反応だったが、貞一が反応した。
「そうそう。あれは取ってあるんですよ。ウチのものじゃなくて、どこで付けたのかよく判んないのですがね。ちょっと待って下さい」
貞一は部屋を出て、すぐに戻って来た。
「これなんです。駅伝用の襷に見えるので、何かが繋がれたのかなって無下にできなくて」
亜朱沙と妙子の前に拡げられた襷は空色だった。そしてそこには『川端市立北端中学校』と書かれていた。
亜朱沙に衝撃が走った。
こ、これ… 覚えている。北端中学陸上部の襷だ。それがなんでここに? 梓が持ってたの? なんで梓が陸上部の襷を?
亜朱沙には全く理解不能な事実だった。
「そちらの学校のものですかね。調べようと思いながらそのままになっていまして、もしそうなら是非里帰りさせてあげて下さい。こっちでは十分役目を果たしてくれたので」
昔、部活の時に遊んでいた古い襷。亜朱沙は震える手で空色の襷を取った。きっと、意味がある。あたしとも繋がっている。亜朱沙は、お婆さんを介して、梓から襷を繋がれた気がした。




