「結婚しましょう」
「あと長くても一年です」
そう僕に言ってきたのは、お抱えの医師。
しかも深刻な顔で、余命宣言。
僕の夢は、即位してこの国のために尽くして、少しでも多くの人々の生活を幸せなものにすること。
一年ではとうてい不可能だ。
「……そうか」
第一王子に生まれて、当然のように王位を目指していた僕には、あまりにも衝撃的な言葉だった。その時の僕は、生きる目的を失って、すべてのことへの興味も失っていた。
父や母、弟や幼なじみがとても心配していて、あれやこれやと世話を焼いてくれていたが、まったく覚えていない。
目の前が真っ暗で、未来を暗示しているようだった。
彼女に出会ったのはそんな時だった。
終わりに近づいているせいか、僕は他人のいのちのきらめきが見えるようになっていた。
同じ年頃くらいの若者は、まぶしいくらい輝いている。きっと僕もそのはずだったのに。
足元があやしい高齢者は、もうすぐ消えそうなほど弱々しく光る。きっと僕もこうなのだろう。
そう思いながらぼんやりと、人々をながめていた。
するとひとりだけ。ひとりだけ、若いのにいのちの輝きが薄い彼女がいた。
もしかすると彼女も僕と同じなのか。目が吸い寄せられて、気づいたら声をかけていた。足を止めた彼女はとても綺麗なのに、感情の起伏がほとんど見当たらない。
僕の言葉を待ってくれている彼女に、あっと思った。
なにを言えばいいんだろう。女性にいきなり声をかけたのははじめてで、輝きが弱いですね、なんていきなり言うのはさすがにおかしい。
ぐるぐる考えていれば、最近どこかで聞いたのか結婚や婚約という言葉が浮かんだ。
もういいや、と口にした言葉が、僕の人生を変えた。
「一目惚れしました。結婚しよう!」
なにを口走ったのだろうともちろん後悔した。
彼女は何かを呟いていたけれど、すぐに立ち去ったから、肯定の言葉ではなかっただろう。当たり前だ。
でも、不思議と嫌な思いはしなかった。
こんな言葉なんて、一生に一度しか言わないと思っていた。そして、一生に一人の相手にだけに言うだろうと。
でももうその一生は終わりそうだ。
そう思ったら、もういいかと思った。やれるところまでやってみようか、と自然と思えた。ようやく、前向きになれた瞬間だった。
言ってしまったのなら、開き直ってさらに言ってしまえ。
そう思って彼女の家を訪問し、
「結婚しよう!」
「婚約者がいる方とはムリです」
あっさり断られた。同時に驚いた。
自分に婚約者がいるなんて知らなかった。
話を聞けば、相手は幼なじみ。そういえば、幼なじみと一緒に家族が話していた気がするが、覚えていなかった。
幼なじみは弟と想い合っていたし、てっきり婚約しているのだと思っていた。まちがいなく王位を継げない僕に、婚約者なんて必要ない。
婚約者がいる人がムリなら、話は簡単だ。
「じゃあ、婚約解消してこよう」
僕の状態を知っている父に伝えれば、あっさり婚約は解消された。幼なじみは自然と弟の婚約者に収まった。
みんなにどうしたのかと聞かれて、そのまま彼女が婚約者がいる人はムリだと言っていたと伝えると、嬉しそうな顔をしていたのが印象に残っている。
婚約解消ができたので、改めて彼女に会いに行く。
「結婚しよう!」
「よく知らない人とはできないです」
彼女は少し難しい顔をしていた。
「じゃあ、よく知ってもらおう」
正直言ってよく知ってもらう方法なんてわからなかった。ただ日常を見てもらえればよいかと、彼女を僕の執務室まで連れて行った。
しばらくさぼっていたけれど、その頃はちゃんと王子の役目を果たしていた。彼女が見ていると思うと、自然と頑張れた。
この時、僕の余命の話は一部にしか知らせておらず、いきなりの婚約解消や彼女がそばにいることを、いぶかしげに思っているものも多かった。たまには牽制も兼ねて、彼女を紹介した。
「僕の奥さん」
「違います」
「じゃあ、結婚しよう」
「しません」
そのやりとりが楽しくて、何度も何度も求婚した。彼女は何度も何度も断ってくれる。
それに付き合ってくれるだけで満足だったのに、彼女はそばに立ってばかりいられないと、僕の手伝いをはじめてくれた。とても優秀だった。
そうやって日々を過ごしているうちに、時間はあっという間に過ぎていった。相変わらずのやりとりに、僕の方が少し変わった。
本当に彼女と結婚できたらなあ、と思いはじめたのだ。
言葉が先か、気持ちが先かわからない。もともと未来のない僕が、未来のある言葉を口にすることで生きる気力にしていたと思っていた。言葉だけで、現実味がないと思っていた。
だけど少し、欲が出た。
それを知ってか知らずか、よく話すようになった彼女が語ってくれた。
「私の夢は、静かな田舎で農業でもしてゆっくり過ごして、そんなに苦しまないで、家族に囲まれて幸せだったなあって人生を終えることなんです」
そうか、という相槌はかすれていたかもしれない。
彼女の夢はとても未来があって、僕が叶えてあげられそうになかった。
最初に見た彼女の薄い輝きは、未来のために抑えてられているだけだった。彼女はきっと生命力が高くて、長い間どんどんといのちがきらめくのだ。
現にそのとき、彼女のいのちはとても明るくふんわりと輝いていたから。
どん、と体が重くなった。呼吸が急につらくなった。
暦を見れば、彼女とはじめて会った季節を一周して少し過ぎていた。忘れかけていた余命一年が脳裏を過ぎる。
病魔は、ちゃんと僕の身体をむしばんでくれていたようだ。
彼女に体調が悪いと気づかせないように、危ない時こそ「結婚しよう」と本気で言った。
具合が悪くなるほど、断ってくれと必死で願った。
いつものようにうっすら笑顔で断ってくれた彼女は気づいていなくて、よかったと思うことの繰り返し。
さすがに、限界はきた。
倒れた僕を見つけた時に彼女が取り乱すのをはじめて見たし、ベッドから動けなくなっても、つきっきりでそばにいてくれた。
僕の余命のことは弟と幼なじみが説明したらしく、彼女はすべてを知っているのに黙々と看病をした。
ここにきて、ようやく申し訳なさが心に生まれた。
いのちが短いと知っていて、結婚しようなどと大声上げて、彼女を自分勝手に巻き込んでしまった。
もう、とても「結婚しよう」なんて言えない。
病室は静かなものだった。もう先が見えなくなってきたところで、ようやく彼女がか細い声で呟いた。
「どうして、結婚しようと言わないのですか」
僕は少し笑って、返事をした。
「今言うと、はい、と言われそうだから」
すると、彼女の瞳から涙がぽたぽたとこぼれはじめた。泣いたところなんて今まで見たことがなくて、僕はぼうぜんと見つめる。
涙もぬぐわず、彼女はそうですか、と言って続けた。
「今言われない限り、はい、と一生言いません」
ああ、どうしようと、僕は頭を悩ませた。一生で一番、悩んだかもしれない。
彼女は覚悟を示してくれている。応えなければ。でも、もう僕は。それでいいのか。とても嬉しいけれど。
ぐちゃぐちゃなまま、でも言いなれた言葉はすっと出る。
「結婚しよう」
前向きに誘っているのに、うかがいをたてるような弱々しい言い方になってしまった。
だけど彼女はうなずいて、
「はい」
泣き笑いのような顔をした。
ああ、もう、今体を動かせないのがもどかしい。だったらもう、回復するしかないじゃないか。
今までのマイナス思考がどこかに飛んでいって、自然と微笑みが浮かぶ。
「簡単にいかせてくれないね」
君のためなら、僕は死のふちからでも生還してみせる。
そうして奇跡的に復活した僕は、彼女をもうひと泣きさせて、医師に次はないと言われ、結婚式の日を迎えた。
森の教会でひっそりと、と思っていたら周りが盛り上げてくれて、僕もびっくりの規模になった。その分みんなが祝福してくれて、彼女がとても嬉しそうだった。その日の彼女は、今までで一番輝いていたと思う。
父も母も、弟も幼なじみも今日を迎えられるとは、と泣いていた。彼女のためにもっと生きるよ、と言えばさらに泣かれた。
こうして、彼女は奥さんになった。
さっそく僕は父に直談判して、田舎の領地をもらった。さらに、弟にも話を通して、王子の身分をすべて捨てた。
身分は父も弟もとてもしぶっていたけれど、死にかけた第一王子などいても困らせるだけで、これから奥さんの夢を叶えるにはいらないものだ。それに、これで奥さんの夫しか立場がなくなるのは満足だった。
予想どおり静かな広い領地に連れて行くと、奥さんは大喜びした。ここでずっとゆっくり暮らそう、と言えば涙ぐんでいた。
僕の夢は、奥さんの夢を叶えること。奥さんのために生きる。そのために、少しでも長く生きなければならない。
「結婚しよう」
「もうしていますよ」
くすぐったそうに奥さんが笑う。その穏やかな顔がとてもあたたかくて、ずっとそばで見ていたくなるから、僕は何度でも言った。その顔を見ると嬉しくなるんだとは、ずっと奥さんに秘密にして言わなかった。
そうやって毎日生きた。朝、昼、晩と奥さんがいるだけで、生きる活力はわいてくる。
子どもができたと言われた時は、とにかく嬉しさが募って、その子が生まれるまで頑張ろうと強く思った。生まれた子どもは奥さんにそっくりでかわいらしく、この世で逢えた奇跡に感動した。
奥さんはそうやって僕たちの家族を五人授けてくれた。家族に囲まれるのが奥さんの夢ではあったけれど、おそらく僕に生きる未来を与えてくれたのだと思う。
危ない時もあったけれど、奥さんと手を取り合って乗り越えて、身体に思い出とともに時を刻んでいくのは夢のよう。こうやって一緒に奥さんの夢を叶えていくのだ。
それでも、覚悟はできていなかった。
***
もう動けない、握る手も冷たい。
いのちのきらめきはもうすぐに消えそう。
いつかの僕と同じ状況の奥さんは、ほんとうに穏やかに最期に向かっていた。困ったように微笑んで、僕を見てくる。
奥さんの夢は、静かな田舎で農業でもしてゆっくり過ごして、そんなに苦しまないで、家族に囲まれて幸せだったなあって人生を終えること。
僕は家族として、奥さんを見送らなければいけない。
とてもつらい。子どもたちも泣いている。あと彼女の夢はこれだけといっても、今までの思い出がよみがえって、手を離したくない。
でも、奥さんは満足そうな優しい顔をしている。
「……次も」
奥さんが呟いた言葉を、一字一句逃すものかと耳を近づけた。
奥さんは小さく笑って、ゆっくり目を閉じながら、僕だけに聞こえる声で言った。
「――――」
ああ、彼女が先に。
届け届けと、手を握って何度もうなずいた。
来世で、たとえ君が何者であろうとも、また僕から君へ。
僕は、一生に何度も繰り返した言葉を口にした。