転生少女の回顧⑭
「何かな?」
そう問うたのは王子だった。一介のメイドが頭を上げ、王子と視線を交えるなどあってはならないことだ。私は反射的に頭を下げようとして思い止まる。
思考だけが時間を止めているようだった。一瞬の間に様々な考えが頭を駆け抜ける。
これは一か八かの賭けだ。わかっている。しかし、ここでそれに乗らなければ次のチャンスがいつ訪れるかなどわからない。もしかしたら永遠に来ないかもしれない。しかし、失敗してもまたチャンスは完全に潰えてしまう。
こんな賭け普段なら絶対にしなかっただろう。それでもしたのは、焦りからか動揺からかそれとも失敗しても良いと心のどこかで思っていたからか。答えの出ぬまま私は言葉を紡いだ。
「聖女様はただ息抜きがされたかっただけではないのでしょうか?」
騎士達の驚くような視線を感じる。当然だ。私だってこんなことを言う奴がいたら正気を疑うだろう。一介のメイドが王子に楯突くような発言をするなんて。
王子の視線が凍ったのがわかった。震えそうになる。しかし、足に力を入れてなんとか耐える。
「そうだろうね。でも、だからってそれを許して聖女の身に何かあっては困るんだよ」
無礼だ、と切り捨てられる覚悟の発言だった。しかし、王子は内心どう思っているのであれ、私の言葉に言葉を返した。
まだ賭けは失敗していないことを確信して私はさらに言葉を紡いだ。
「確かに、その通りでございます。けれど、それが聖女様になんの関係があるのでしょうか?聖女様はこの世界の方ではございません。この世界を救う義理など少しもないのです。こちらの勝手な事情で呼び出し、勝手な事情で役目を押し付け、勝手な事情で縛り付けているに過ぎません。それなのに、今回のこの対応はあまりにも横暴が過ぎるのではありませんか?」
「では、お前は聖女の今回の行動を見逃せと?聖女を失えば未来のない我々にとって今回のことは大事だ。無事だったから良い。しかし、次回もこうとは限らない。そうなった場合、誰がどう責任をとると言うんだ。人類が滅ぶ。責任など取りようもないほどの大事件だ」
ついに王子から笑顔が消えた。普段なら私の行動を止めに入らなければならない騎士も王子の威圧感のためか動けずにいる。
私も少しでも油断すれば崩れ落ちそうになる。けれど、崩れ落ちることは許されない。私の過去が許してくれない。
「聖女様の罰は今ので十分ではありませんか。聖女様は異世界の方。ご様子を見る限り異世界では普通の身分の方であったのでしょう。そんな方に突然聖女としての自覚を持ち行動しろと言うのはあまりにも横暴というものではありませんか?罰も時には必要でしょう。しかし、その罰はなんのために与えるのでしょうか?今回であれば聖女様に立場をご自覚したいただく、それが目的ではないのですか?そうであるのであれば、もう既に聖女様はご自分のされたことの過ちを理解しておいでです。もう二度と同じようなことはされないでしょう。それにも関わらず、罰を与えるというのであれば、それはもう聖女様に苦痛を与えると言う目的が含まれていると思わざる得えません。」
「今回は見逃せと。お前はそう言いたいのか」
「いいえ。もちろん、聖女様を一人にされた方々も大きな問題がございます。罰は与えなくてはならないでしょう。しかし、行き過ぎているのでは、と言いたいのです。彼らにとっても、聖女様にとっても」
王子に楯突くような発言。普段なら決してこんなことはしない。けれど、今この発言は必要だった。
このまま何も言わないで去れば、私は王子にとっても聖女にとってもただ偶然に聖女を見つけたメイドであり、なんの印象も残らない。もう次に聖女と繋がる機会などそうそうないだろう。
だから、私は今回彼らの中に私という存在を印象付けねばならなかった。
しかし、これは賭けでもある。印象はついただろう。しかし、ただの身の程を弁えぬメイドと切り捨てられたらそれで終わりだ。辿る運命は今回聖女を一人にした彼らと同じ、いや下手をすればそれ以上に悪いものとなる。
体が震えそうになる。それでも、怯えを見せぬように私は平然とした顔をして見せた。
それに、私は何も策なくこんなことをした訳ではない。私には切り札がある。私自身にはなんの力も権力もないが、それにはある。それは私の幼い頃の拾い物。
「……フィリア!」
それは馴染みのある声だった。この世界で私を一番苦しめて、そして安心させる声。
王子の背後に視線を向ける。そこには見慣れた赤い瞳があった。
「……リオン?」
私の最大の切り札がそこに居た。いつもと同じように一見表情はない。しかし、付き合いの長い人間が見れば焦っている様子なのは一目瞭然だ。
何故、ここに居るのかと私は驚く。切り札にはしていたけれど、こんなに早い登場までは予期していない。
リオンはこちらに来るとそっと王子と私の間に体を滑り込ませた。王子は一瞬その青の瞳を丸くした後、すぐに笑みを浮かべた表情に戻る。
「……フィリア。ああ、なるほど。君が、そうなのか」
「殿下。彼女がどうかされたのでしょうか?」
一人納得したように頷く王子にリオンがそう問うた。突然の乱入。しかし、王子は気分を害した雰囲気を見せない。
「ああ、少し僕の発言に対して意見があったみたいでね。どうにも、強気な姿勢を見せるからどうしてなのかと思ったら、なるほど。君がフィリアか。我が国を代表する魔法使いユーリスの養い子であり、その後継ぎであるリオンの幼馴染みとは」
「……」
私にはなんの力もないけれど私の養父であるユーリス、そして幼馴染みであるリオンは大きな権力と力を持つ。
この国で最も力のある魔法使いの二人。そんな二人と密接な関係を持つ私を害すれば、ユーリスは良い顔をしないであろうし、リオンは黙ってはいないだろう。たとえ立場が上の王子であろうと、二人を敵に回すのは得策ではない。
人の権力を笠に着る。姑息な手段極まりないが、利用できるものを利用して何が悪いのか。王子が生まれながらにして持つ権力を利用するように、私も利用できるものを使っているだけだ。
「……そうだね。ここは、素直にその言葉を受け入れてみても良いかもしれない」
そう言ったのは王子だった。先程までの冷たい空気はない。
「彼女の言葉にも一理ある。まあ、それでもだいぶ甘い措置だとは思うけれど、彼らの解雇は取り消しても良いよ。彼女の勇気と強かさ、それから我らが聖女様の今後の成長への期待に免じて」
「っ!本当ですか!?」
そう声を上げたのは沙夜だった。その目は見開き、安堵に笑みを浮かべる。、
「うん。ただ、今後は自分の行いに責任を持つこと。いいね?」
「はい!」
沙夜の言葉と共に私もほっと息を吐く。どうやら、私にもお咎めはないらしい。
これも全てリオンのおかげだ。しかし、何故ここにリオンが来てくれたのかはわからない。リオンの力は利用しようとしたけれど、それは後で幼馴染みと発覚してお咎めを少しでも軽くしようという考えだった。リオンにこうして庇われることまで想定してはいなかった。
聖女が行方不明と聞いて仕事を抜け出してきたのだろう。王子は足早に帰っていった。それを見送った後に、私はリオンに声をかけようとしたところで……
「あ、あのっ!ありがとうございました!!」
そう沙夜に頭を下げられた。私はその反応に慌てて頭を上げるように言う。
前の私の時の同級生と言えど今や立場は雲泥の差。この世界で上下関係の有無は理解しているつもりだ。今回王子に逆らうのだって、目的が無ければ決してやらなかった。
「私は何も……!でしゃばった真似をしてしまい大変申し訳ございません!!」
私は大きく頭を下げる。今度は沙夜が慌て始めた。
沙夜の姿は別れた頃と年が変わらなく見える。それならば彼女の中ではあの日からそこまで時間が経ってはいないのかもしれない。ただの女子高生であった彼女は周囲のこういった反応に慣れてはいないのだろう。
ーーならば。
私はそっと顔を上げる。意識して表情を作った。少し眉を下げて、言う。
「……ただ、少し聖女様がお可哀想に思えて……。私も貧しい出で、そこを運良く地位あるお方に拾っていただいたものですから。たいへん有り難く、その方には感謝してもしきれないのですけれど、突然変わった立場に戸惑いは覚えました。聖女様も異世界では普通の方だったのでしょう?聖女様がその頃の私のようで、つい、口を出してしまったのです」
私は再度頭を下げながらもチラリと沙夜を伺う。聖女は目を丸くして、そして目を潤ませた。
孤独な世界で異世界人が理解者を得る。それは確実に異世界人の心に響くだろう、そう思った。それは予想通りで、沙夜は貯めた涙を溢した。
「せっ、聖女様……!」
慌てたように、イヴァンは聖女に駆け寄る。私も、驚いたように目を丸くして見せた。
「あ、あの!お気に障ったことを言ってしまったのなら大変申し訳ございません!!」
そう言えば、沙夜は違うんですと掠れた声で言った。
「わ、私、不安で!私は本当に普通の女の子なんです……!なのに、知らない世界で突然聖女なんて敬われて!わけ、わかんなくて……!帰りたくても、帰れないし!誰も私の気持ちに気づいてくれなくて」
沙夜は泣きながら私に近づくとそっと私の手を握った。その手は震えている。
ふと私は昔のことを思い出した。変わってしまった姿。帰りたくても帰れない。誰も私を知らない世界。
私には母がいた。でも、彼女は私の話は信じてくれなかった。
私はとても心細かった。母が居ながら孤独を感じていた。誰も私を理解してくれないのだと思った。だから、沙夜の気持ちはよくわかる。
わかった上でその気持ちを利用したのだから。
「ありがとう、ございます……!」
泣きながら私の手を握る沙夜。戸惑っているふりをしながらも冷静に彼女を見る。
思った以上に上手くいった。沙夜と接点のない私はなんとか彼女に良い印象を持たせ接点を持てたら良いくらいの考えで口を出したのだけれど、王子からのなんのお咎めもなしで、しかもこの好感触。ハイリスクでありながらあまり利益はないと思っていたが、そうではなかったようだ。
もう少し彼女に何か声をかけておこうか、そう思った時だった。
「フィリア」
沙夜につかまれていた手を大きな手が包んだ。そっとそれは私と沙夜の繋がりをとる。
「……リオン?」
今まで黙っていたリオンの突然の行動にどうかしたのかと私はリオンを見上げる。読みにくいけれど、読み慣れたリオンの表情。しかし、微かな戸惑いしか感じることはできなかった。
しばしの沈黙。それを破ったのはそれまでずっと黙っていたイヴァンだった。
「聖女様、戻りましょう」
「え、でも……」
沙夜がこちらを見ている。まだ私と居たいと考えているようだ。私もここでもっと彼女と親睦を深めておきたいけれど……。
私は沙夜に笑顔を向けてお辞儀する。これ以上のでしゃばりはさすがに止めておいた方が良いだろう。それにリオンの様子も少し気にかかる。
沙夜との接点は充分にできたはずだ。今回はこれで離れるのが得策だろう。
何か物言いたげな沙夜だったが、先程の王子の言葉も響いているのだろう。それ以上は言わず去っていく。
去り際に「また!」と沙夜に言われた。それだけで、私は今回の大成功を悟る。リオンと私しか居なくなったその場で私は笑みを溢そうとして……
「フィリア」
再度リオンに名前を呼ばれた。