第16-01話
宿舎の食堂は沈痛な空気に充ち満ちていた。
チーム全員、顔を付き合わせては溜息を吐き出すのみでマトモな会話なんか交わされない。まるで通夜のような……そんな不謹慎な単語がぴったりなほど、場の空気は重苦しかった。まるでこの部屋に重力場でも発生したかのように肩が、頭が重い。場の雰囲気というものは人間の体調に少なからず影響を与えるんだな。逆に言えば、人間というのは場に流されやすい生き物であるということも。
「えー、とりあえず入院して検査するということになり、あー、今のところは小康状態というか心配するに及ばないというか、その~」
お飾りの顧問、こんな時でもなければ存在感を示せない平粟さんが何かもごもごと口を動かしているが、俺たちの耳には当然届いていない。俺たちは……只悲観に暮れるだけだった。目の前に並べられた料理を溜息で冷ますが如く。
俺の目の前で倒れたカベ。
今までの疲労が溜まっていることは想像に難くないし、キャプテンとしての重責、俺のピッチングの組み立てに心血を注ぐが故の心労、そして長い斗いに於けるそれら全ての蓄積……俺などとは比較にならないくらいの重圧と疲労を受けてしまったが為に……倒れた。せめて俺が自分でピッチングを組み立てる事が出来れば、少しは楽になれたのかな……などと出来もしない妄想をしてみる。
自分の正座している足下から上に視線を移すと、他のみんなも同じように項垂うなだれていた。チームの精神的・実力的な支柱。新チームになってから実質一人で五塚を支えてきたカベの離脱は、あらゆる意味での痛手だった。そして俺にとっては、今まで連れ添ってくれた恋女房を失ったに等しい。いや、それでもまだ生易しい表現の方だ。俺の半身と言っても良いだろう。或いは、故事を借りるなら『水魚の交わり』か。
しかし、カベ。お前がそんなに参っていたなんて考えも付かなかった。俺はカベを勝手にスーパーマンか人造人間の類だと決めつけてしまっていったのだ。近頃、カベが具合が悪そうにしていたにも関わらず、『カベが大丈夫だと言うのだから大丈夫だ』と、他の面倒を撥ね付けるかのように、自分で何かを確かめようともせずに、全て他人任せカベ任せで負担を強いてしまった……際限のない後悔のスパイラルが俺を苛む。
もちろん後悔したところでカベが今すぐ全快する道理もないが、考えずには居られない。つくづく、俺という人間はカベ抜きには成立しないんだな。
平粟さんの何だかの発声は終り、畳敷きに敷いた座布団の上に腰を下ろして静寂が訪れると、殊更やるせない空気の密度が上昇する。居たたまれなくなった俺はつい、
「じゃあ、明日の事を話そうか」
と、聞きようによっては薄情に過ぎるとも取れる発言をしてしまった。
心の片隅には『俺も三年なんだから、少しはチームを導くようなことを言っても差し支えはないはずだ』という思い上がりに近いものがあった事は否めない。自分自身がチームのためにどれだけのことをしてきたかという基本的な事も忘れて。『加藤があんなに冷たい奴だとは思わなかった』『調子に乗ってるんじゃないのか』『明らかに誰かさんに引っ張ってもらってた癖にデカい口叩きゃがる』と反発されやしないかと思わず冷や汗をかきそうになったが、
「そうだ。真壁の事は心配だが、俺たちには明日があるんだからな」
と、影屋が俺の意図を酌んでくれたかのような嬉しい一言を投げかけてくれた。そう、影屋も三年、チームメイトや後輩の心配をするのは俺だけじゃない。
「全くだ。明日という日は明日しかない。今はそれに備えよう」
浦永。
「何ぁに、真壁の居なくなった分は俺らで何とかするさ」
愛沢。
「そう。野球は全員でやるもんなんだぜ?真壁が抜けても人数が足りなくなる訳じゃなし」
尾曽。
「それなら、せめて真壁に心配掛けないよう、良い報告を見舞いに持って行ってやれるよう努力しようじゃねぇか」
黒沢。
ここに来て、三年生部員の言葉が頼もしかった。俺は一人じゃない。五塚は俺一人で動いてるチームじゃない、当たり前だけど。こんな気の良い奴らばっかりなんだ。……そして、こんなに気の良い奴らと野球をやれるのもあと僅か。そう思ったら不意に鼻の奥がつーんとしてきやがった。近年感じた事のない、何度経験しても慣れない感覚だ。なるべくさりげなく目を拭うが、上手くできたかどうかは自信が無い。多分、俺の目は赤く充血していただろうから。
「ぞ、ぞうとぎばっだらそ、そうと決まったら」
いかんな、このままだと俺の沽券に関わる。後ろを向いて盛大に洟をかんだ。寸前に引っこ抜いたちり紙がぐっしょりになるくらいに。でも、オーヴァーにやったことが幸いしたらしくみんなに大受け、上手い具合に肩の力が抜けたようだ。黒沢の言うとおり、カベの元に吉報を持って行けるように努力しなくちゃ。
「明日の布陣を決めておこう……と思ったけど」
「???」
全員首を捻る。
「その前に、食事が冷めないうちに頂こうか。それが礼儀ってもんだ」
覚悟を決めたら、急に腹が減って来やがった。宿舎の人もせっかく作ってくれた事だし、美味い物は美味い内、暖かい内に喰うのが礼儀、そして道義だろう。ちなみに今日のメニューはすき焼きだった。一人一人に固形燃料の土鍋が付いているアレだ。しかし……大した予算も出ていないはずなのに、脂が程よく乗っているそこそこの肉が用意してあるような。ま、俺たちには気にしなくて良いことだろう。
「加藤の言い分もごもっともだな。それでは頂こうか」
黒沢が両手を合わせると同時に、みんなが一斉にそれに倣った。黒沢は意外とチームに対して影響力を持っていたんだな。……俺という奴は、チーム全体の結束・構成に関して無知も良いところだったようだ。カベが心血注いだ結果これだけの纏まりが出来ているとしたら……カベが抜けた事による影響がいかほどの物か。みんなそれに気がついてはいるけど決しておくびにも出さない。一端『カベが居てくれればなぁ』などと弱音を吐いたが最後、それが俺たちの心が折れる瞬間というのを良く理解しているからだろう。
食べ盛りに相応しく、五塚の部員一同は黙々と夕飯を掻き込み始めた。今まではどちらかというと、次戦への過剰な意識からか恐る恐るの食事だったような気もするが、ここまで来れば決勝戦の結果がどちらに転ぼうが、最低でも『準優勝の栄誉』を手にできる安堵は大きいようだ。
最高で『優勝』、最低で『準優勝』。
二つは一字違いで大違い。どちらも全国で一校しか手にすることの出来ない偉業なれど、『無敗の王者』と『敗者』と、意味合いが天と地ほども違う。でも、今俺はこう思っていた、『ここまで来れば、みんなと一緒に死力を尽くした体験とは代えられない』と。そう自分を納得させられれば、心にずいぶんと余裕ができる事も学んだばかりだ。それでいい。今野球をやっている悦びを噛みしめようと。多くの高校球児……球児どころか、全国民が注視する大舞台で華やかに舞える至福を。
明日は……全国高等学校野球選手権大会決勝戦。
全国から参加した四千校の頂点を決める試合である。
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腹が減っては戦は出来ぬ、腹が膨れすぎても戦は出来ぬ……とばかりに、喰ってすぐに眠気が襲ってきたがそれを何とかはね除けて作戦会議へ。顧問の平粟さんはというと……後は若い人たちに任せたとばかりに一っ風呂浴びに行ってしまった。ま、こんな場面では当事者たる皆が居ればそれでいい。
「さて……明日についてだけど」
最初に、明日の起床時間や球場入りなどを簡単に説明しておいてから主題に入る。進行役は良く通る声でまとめ役でもある黒沢に任せた。
「捕手には藤間、これは規定だ」
「意義なーし」
全員が諸手を挙げて賛成した。藤間も、もちろん俺も。藤間とカベ以外に捕手経験者が居なかったから当然といえば当然だが、もしこの二人が何らかのアクシデントで抜けたときはどうするつもりだったんだろう。しかも今はカベが抜け、事実上捕手は一人。リスクが更に増大している事になる。
藤間とはサイン交換の練習をあまりしていないが、あいつもキャッチャーだ、すぐに慣れるだろう……というより、早く慣れて俺を導いて欲しいものだが。
ちらりと藤間を見ると、あいつは目を逸らしやがった。どういうつもりなんだ。俺とバッテリーを組むのが嫌なのか?そういえば、あいつに厳しい言葉を掛けたこともあったっけ。それで怖がられてるんだろうか。俺のようなチビの部類に入る人間を何故怖がる。もっとも、藤間も根っからの体育会系だから威圧感どうのこうのの話というより、潜在的に上級生への尊敬と畏怖がすり込まれていると見た方が正しいかもな。
「そして、空いたライトに尾曽を戻す。つまり去年までの外野の布陣に戻る訳だが……意義は?」
「意義なーし」
これも満票で即決。甲子園での出場経験が短い愛沢がどこまで環境とグラウンドの特色に慣れてくれるか分からないが、これまで正左翼手を務めてきた経験に託そう。折角の甲子園なのに一年生に出番をやれないで申し訳ないが、現時点では一年の内の誰もが愛沢を超える守備をしていない。
藤間が本格的にスターティングラインナップに名を連ねてから、本職でない藤間に配慮して彼を比較的負担の少ないライトに置き、元はライトの尾曽に俊足による守備範囲を期待してセンターを、そして元センターの黒沢にはレフトを護ってもらっていた。藤間が捕手を務めることによりライトが空き、結局外野は去年県大会終了後から今年新入生が入るまでの一時的な布陣に戻ったわけだ。勝手知ったるといえばその通りだが、やはりカベが居ないのは……いや、今はそんな泣き言を言っても考えても仕方がないんだ。仕方がないとは分かっていても厳しい。そもそも、勝ち負けにこだわらなくても俺の持ち味を引き出してくれるのはカベしか居ないのだ。そう信じ込んでいるのも問題大有りなのだろうが、とにかく明日は藤間に託す。それしかない。
「んで、だ」
ここからが本題といえる。
「スター軍団の横浜学院に対してどう立ち向かうか、だけど……」
司会進行が妙に板に付いている黒沢がちらりと藤間に目をやってから行った。藤間の冷静な戦力分析に期待しているのか。
「何か意見がある奴は」
しばらく見回すが……誰も意見などあるはずがない。俺たちは今の今まで相手校の分析を一度もせずに勝ち上がってきたし、第一偵察に人員を割く余裕もない。オマケに、今更何をやっても無駄などころか逆効果だとさえ思っている節さえある。有力校は様々な方法かつ綿密な情報収集を行った上で試合に臨むであろうこの時代、俺たちのプリミティヴな作戦とも言えない割り切りは、それ自体が誇りとなるほどでもあった。
「じゃあ、基本に忠実にって事だな、真壁の口癖じゃないが」
カベの奴、俺がロードワークに出てる間はそんな当たり前の事を言ってたのか……と思うよりも早く、みんなが沈黙してしまった。せっかく忘れかけていたのに自分の失言で場を沈ませてしまった黒沢は、咳払いを一つ盛大にやってから
「と、とにかく」
立ち上がり、これまた大仰に拳を握りしめた。正直に申し上げると暑苦しいが、オーバーアクションで場の空気を振り払う意図は酌めた。
「明日で最後だ。みんな」
一同の顔を見渡し、
「悔いの無いようにプレイしよう」
と、今までに見たこともないような爽やかな笑顔で言ってのけた。黒沢は体格に違わず顔も厳いかついから、その笑顔とのギャップに思わず吹き出しそうになった。みんなも同じ。しかし、黒沢は茶化されたのを怒るどころか、狙ってやっていたとでも言わんばかりに更ににんまりと笑い、
「五塚~、ファイト!」
「お~う!」
一度もやったことのない掛け声でも声が揃った。
表面だけの空元気ということも考えられるが、それでもチームメイトの顔はとても晴れやかだった。大一番は明日なのに、まるで今さっき全てのカタが付いたような……そうか、きっと決勝戦まで来たことでみんなの腹は決まっているんだな。そうと判れば何も言うまい。俺も掛け声に乗り、拳をまっすぐ上に突き上げ喝采した。
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その夜。
尿意を覚え、寝ぼけた頭ながらも隣に寝ているカベに触れないようにしてゆっくりと床から上半身を起こす。その直後、自分の隣、昨日までカベが床を敷き眠っていたスペースが、障子の明かり取りから差し込む月明かりに照らされ、畳の模様の明暗を際だたせている事実に直面した。その明暗の規則正しさが却って曲げようのない現実をクローズアップさせて俺に突きつけている。
カベは今頃、病院のベッドの上でゆっくりと休んでいるんだろうか。あの太い、『丸太のような』という形容が相応しい腕に点滴の針が刺さっていたりするのだろうか。カベは、俺と同じ月明かりを見ているのだろうか。
…………
いかんいかん、寝起きの癖に一端目が覚めるとそんなことの想像力だけ余計に働いてしまう自分が憎らしい。
立ち上がって障子を開けると、
「ぅわ」
思わず声を上げてしまうような光景が。
「よ、よう」
「何だ、加藤も眠れなかったのか?」
「俺たちは、その……なぁ?」
愛沢が誰に聞くでもなく同意を求めた。
ひー、ふー、みー……何と、俺とカベ以外の野球部全員が板敷きの廊下に座り、脚を庭に投げ出してぶらぶらさせていた。十二人の野郎どもが煌々とした月明かりを浴びて整然と座っている様は、どう好意的に解釈しても神々しいとは取られないだろうな。多くの場合は……気色悪いというか。
でも。
でも、だ。
彼らの気持ちは分かる。だから、俺も横に並んで座った。これでむさ苦しい男どもが連なる異様な光景が十三人に更新された。
緊張から眠れないという事もあるだろうけど、一番は……きっとこの時間が終わってしまうのが恐いんだ。何しろあと一試合。夏の甲子園決勝まで来たのだから国体にお呼ばれされることも確実だとは思うが、当面は後一試合。このチームで試合をやるのも後一試合。そう考えると、誰が彼らの心境をけなしたり茶化したりすることが出来ようか。比較するのも大げさかも知れないが、同期の桜が戦場に赴くまでの間を慈しむような。
この瞬間、本当の意味でチームが一つに纏まったのだと思う。チームの結束に心血を注いでいたであろうカベがこの場に加わっていないのが心底惜しまれた。
その後、全員で何を話すでもなく飽くことなく月を眺めていたかったが、明日に差し支えると困るので適当なところで床に入り直す。でも、この時間を共有できたのは大きかった。心が一つになればきっと実力をフルに発揮できる。確証も立証も今は出来ないけど、そう思えた。
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翌朝。
箝口令を敷いていた訳でもないが、スポーツ新聞の一面は当然の如く
『五塚・真壁、ベンチ裏で倒れる!』
だった。
現在の高校球児の体調管理には細心を期しているとはいえ、倒れるまで放っておいたという大会運営方面への問題は大きかったらしい。しかし俺が気にしているのは、各種マスコミが格好のネタとばかりに俺たちを悲劇のチームと喧伝しやしないかということだ。あいつらはどうしたってヒーローなんかを作りたがるし、そういう構図を作った方が報道しやすいから、大黒柱を失った好投手対薄幸の超天才!なんて煽りは格別に美味しい・・・・に違いない。みんなの前でこの紙面を畳の上で広げてやったら、一様に苦虫を噛み潰したような表情になったっけ。一市民として楽しむには罪は無かったが、いざ当事者になってみるといささかやり過ぎで作為的という気がしないでもない。
さて、食事時にみんなの顔を見回してみると……昨日の結束と、ある種の覚悟は何処へやら、いかにも『緊張してます』といった風情に頬が引きつっていたり箸を持つ手が小刻みに震えていたり……幸いな事にそういった症状が出ているのは一年生部員だけで、今大会のほぼ全ての試合に出場し、更には去年の県大会決勝という大舞台をも経験している二・三年生は平然とした面持ちでメシを喰っていた。これなら一安心かな。しかし一年は……入学後四ヶ月でいきなり甲子園に来てしまって、しかも決勝戦のベンチに座ることになるとは思わなかっただろう。去年は県大会決勝にまで駒を進めたとはいえ、まさか今年はそれ以上の快進撃をするとは想像しにくかったに違いない。
その後も、みんなは大なり小なり緊張しているのか、黙々と荷物を整えたりグラブの手入れをしたりして……まるでこれからどっかへ殴り込みにでも行くような気配だった。事実上、俺らは目上の横浜学院に無謀なる殴り込みをしに行く形ではあるんだけれども。
「加藤さん」
「ん?おお、悪い」
俺と綿密なサイン合わせをしている藤間が、怪訝そうな顔で見つめている。
「心配すんな、別にカベのことを考えてた訳じゃねぇ」
俺とカベの結びつきの強さをよく知っているだろう藤間のことだ、心配なのは判るが、俺が考え込んだからって原因が全てそっちにあるかのように決めつけるのは……いや、そう思って当然なのか。
「いえ、そういう訳じゃ……」
「判ってるよ、俺がカベにおんぶにだっこ状態なのは。それより、サインをもっと教えてくれ」
実は、今までのようなフラッシュサインがいつまで持つか心許ないから、一応俺からのブロックサインの真似事を教わっては居るのだが……難しいな、こりゃ。
「加藤さん、やはりフラッシュで行きましょう。サインの解読に時間と労力を割くよりは良いと思いますが」
藤間は、俺がブロックを教えてくれと頭を垂れた時も否定的だったなぁ。ひょっとして、俺の記憶力が大したことがないのがどこからか漏れてるのか?……具体的に言えば学校のテストの点数とかな。テストの点数が直接記憶力や頭の良さに結びつくとは思っていないが、密接に関わっていることは確かだろう。何が言いたいかというとだな……全教科芳しくない点数の俺が言う事だ、大体知れてるってもんさ。
「そりゃそうだけど……ほら、俺にも一応投手としてのプライドが、な?第一、相手は横浜学院、ほいでもって中心人物は伊東光だ。どんな策を弄してくるか知れたもんじゃないからな……例えばサイン盗みとか」
そこまで口にした瞬間、藤間の身体がすくみ上がった。
「そ、そうですね……さ、さすがにそこまではしてこないと思うんですけど」
「……ま、如何に伊東の奴がいけ好かなくて腹黒なナルシスト野郎だとしても、アスリートとしての心構えは本物らしいからな、確かにそうだろう。俺が悪かったかな」
と、今までの俺なら考えにくいことを言ってみる。決勝戦まで来たことで、ある種のBUSHIDOが宿っていたり……するのか?
しかし、何故か藤間は何かに怯えたまま固まっている。そういえば藤間って、伊東の前に出たときに面識のある素振りをしていたな。過去にどういった関係だったか知らないが、その怯え方は少々過剰で異常に見えた。
「ま、まあ、奇妙な奴だから、な」
慰めとも付かない事を言ってみたが、変化なし。しかしその後、藤間は顔を上げ
「実は……」
と実に真剣な眼差しで俺を見つめた。何だ何だ、愛の告白か!?と本気で疑って掛ったのも束の間、
「やっぱり、いいです」
と気の抜けた声。思わせぶりにしといてそりゃないだろ……と言いたくもなったが、誰しも苦い過去や合わない人間は居るものだ。本人が言わない以上、俺が根掘り葉掘り聞く問題じゃない。
「何でも良いから、言ってみろ」
しかし、俺はその時どういう心境の変化か、少しだけ脚を踏み込んでみたくなった。見て見ぬふりをするのは簡単だけど、ひょっとしてお節介気味にでも一歩踏み込むことで、相手が躊躇している状態に手を差し伸べてやれるのでは……と思ったんだ、きっと。自分でもこの行動が意外に思っているくらいなんだから確証はない。
「……」
「……」
そのまましばらく無言でいた二人だが、
「おーい、加藤、藤間、そろそろ行く時間だぞぉ」
愛沢が声を掛けてきた。もうそんな時間かと時計を見ると、藤間が何も言わずに立ち上がった。……ま、言いたくないならそれで良し。こうやって、少しでも次の機会に話してくれる手助けになればと納得させ、俺も立ち上がった。
いよいよ、か。
あと少しだけ移動すればそこは決戦の地。決戦の時。……こう大仰に思っているってことは、俺もそこそこに追い詰められてるってことでもあるんだろうな。
とにかく、俺たちの夏、最終章は今幕が開いた。
残り少ない夏の筈なのに、未だに衰えを見えない日差しに照らされたみんなの日焼け顔は、この阪神圏滞在で更に黒さを増すと同時にたくましさにも磨きがかかっていた。




