第14-01話
「やっと到着か……新幹線って言っても以外に時間が掛かるもんだな」
「そりゃそうだろ、何百キロ離れてると思ってるんだ」
カベは素っ気なくそう言うと、すぐに旅館の仲居さん達に話を付けに行ってしまった。やれやれ、気遣いが出来るというのも割と損なことなのかも知れないな。
わいわいと荷物を放り出し大して美味くない茶を飲みながら、畳の上に寝転んで長旅の疲れを癒すチームメイト達を見るにつけ益々その思いが強くなっていった。
ここは、我々五塚高校の宿舎となった甲子園近くの旅館・波風荘だ。なにぶんチーム自体は選手・マネージャー・付き添いを含めて20人も居ない小所帯だから、旅館自体はこんな小さめの場所でも済むんだが、他の有名私立校の場合は宿泊費などはどうなってるんだろうか。
とにかく俺等は弱小県立高だけに予算が厳しく、費用の半分程度は取りあえずは手弁当ということになってしまっている。それでも、県議会かなんかで特別予算が出たとかなんとか。それに高野連側からも補助費のような物が出ると聞いたし……そこら辺は大人の事情なワケだし、こうして宿を取ってもらっている時点で大方の問題は解決済みだという事なんだろう。
考えてみれば、祝勝会の席でカベが色々と動き回っていたのはこの時のためだったのかも知れない。そう考えると、俺よりも世間での立ち振る舞いが数段上だな、ということを実感すると同時に少しは見習わなければいけないんだろうな、と反省する気持ちも少々抱かないでもない。
さて。
長旅の疲れがお茶一杯で癒えるはずもないが、このまま和むわけにも行くまい。何しろこの後の練習の都合をどう付けるかに掛かっているが……肝心のカベは何処にも見えなかった。仕方がないから、再び自分の荷物を枕代わりに横になると、周囲の喧噪がウソのように耳に届かなくなりあっさりと眠りに落ちて行きそうになる……のを必死で堪えた。
また風邪がぶり返したら大変だからな。
俺はあの後、注意していたにも関わらず真理から風邪を貰ってしまっていた。調子がおかしくなったのはあいつが本格的に寝込んだ後。因果関係には事欠かなかっただけに、真理にその事を悟らせないようにするのが一苦労だったぞ。
もしバレたら、『私の看病をしたが為に風邪を引かせちゃった……』と気に病むに決まってるんだ。これは真理は関係ない、俺が勝手にやって、体調管理の甘さから勝手に風邪を引いたに過ぎないんだから。……といっても、真理は絶対に気にするだろうから、出来るだけ奴の前では平然と振る舞っていたが……上手く隠し通せたかどうかは定かではない。セキが出そうになる度に真理の目の届かないところに隠れなきゃならなかったぞ。
取りあえず医者に診て貰い、なるたけ気付かれないように安静にしているのはもちろん栄養ドリンクを飲んだり、民間療法を試したり……それこそ色々様々な方法を試した結果、僅か2日で熱が引き動けるようになって、こうして甲子園にやって来たというわけだ。
それにしても、熱が出ている間は辛かった……県予選での連投に付く連投で確実に体力を消耗していたからか、熱は8度を超えて危険領域にまで踏み込んできやがったし、足元はフラつくわメシも喉を通らないわでそりゃあもう酷い有様だったさ。
しかし、真理の看病は俺が勝手にやった事だ。それで真理に余計な負い目を感じさせるわけには到底行かない。何とか根性で最悪の状態は乗り切ったが……甲子園開幕まであと数日、組み合わせにも因るが、早く身体を本調子に戻さない事には始まらない。何とか後の日程での初戦を迎えたいところなのだが。
「聖」
「んぁ?」
カベが話を終えたらしく、相変わらず少しだけ不機嫌そうな顔で、畳をぎしぎし軋ませながら俺の方に歩いてきた。見ると、カベの日本人としては規格外の体格っぷりを示すように、足元の畳が少し沈んでいる。
「今日の練習についてなんだが」
生真面目なカベらしく、宿に到着したその日なのに口から出てくるのはもう練習の心配だ。ま、この所は『県予選の疲れを癒す』名目で練習が殆ど出来ていなかったからな……チームを纏める立場の人間としてはムリもないか。
俺はカベの喋っている内容を何となく聞き流していた。……聞き流していたといえば聞こえは悪いが、何となく頭にその内容が入っていかない。ここ数日はメシをまともに食って居らず、脳に当分が入ってない所為だろうか。
「おい聖、ちゃんと聞いてる……んん?」
あまりのいい加減な返答に、流石に不信感を抱いたらしい。怪訝そうな顔をした後でおもむろに俺の額に掌を這わす。真理なら良いが、男にやられるとちょっとどころかかなり恥ずかしい。オマケにカベの掌はマメだらけでがさがさ。かなり痛い。幸いなことに、他のチームメイトはこっちに一切注意を払っていなかった。
「お前、まさか……!」
「し~っ!」
Bequiet。人差し指を唇に当て、必死にカベの言葉を遮る。
「余計な心配を掛けたくねぇんだ」
「そんなこと言ったってお前……」
「苦情は今は聞きたく無ぇ。どうせ悪いのは俺なんだから……それより、ヘタに知られて動揺されたり心配されるのが一番困る」
「……」
カベは眉をひそめたまま、どうしたものかと思案しているようだ。
「とにかく、ヤマ・・は超えた。あともう少しで治るから、せめて籤引きで『アタリ』を引いてきてくれよ」
これからカベが組み合わせ抽選を引く訳だが、ハズレ……つまり全日程初日と、アタリ……一回戦の最後の組では、出番の日にちに一週間近く幅が出る。上手く後の方の日程を引けば……コンディションを整える余裕は充分ある。
「……仕方のないヤツだな。そういえば、真理ちゃんが風邪を引いたとか言ってたが、大方看病しついでに伝染うつされでもしたんだろう」
「ノーコメントだ。それに、間違っても真理にその事を言うなよ。あいつは勘が鋭いんだか鋭くないんだか判らんが、恐らくこういう事は確実に感づかれると思う」
「分ってるさ……せいぜい大人しくしておけよ。今日から早速全体練習をしようかと思っていたが、チームメイトらにはお前の疲労がまだ回復してない……とでも言っておくさ」
「感謝する」
カベは振り返り、去り際に小さく手を挙げた。随分と物分かりが良くて助かる。逆に言うと、体調管理や何か、そして試合に至るまでの経緯は全て俺に一任されているということでもある。カベが関与する部分はあくまで練習と試合でのリードだけ。俺が万全の体調でマウンドに立つのは最早当然である、そう暗に言いつけられているも同じ。それはそれで責任をひしひしと感じる。
立ち上がってから軽く伸びをする。
どう考えても万全には程遠いが、今はただ休んで体力の全てを取り戻すことに集中するしかないらしい。家の中のように派手に民間療法をするわけにも行かないし、結局は医者から貰ってきた薬をこっそり飲んで大人しくしているしか術はないか。
その内に、練習場の都合がついたらしくみんなはユニフォームに着替えて出かけてゆく。そんな近場にアップの出来る場所があるとは意外だったが、俺はもちろんそれには参加せず床に寝転がったままだ。これが他のチームなら『何だ、あいつはサボりか』とでも陰口を叩かれるところだが……カベから聞いた話に因れば、俺がどんな行動を取ろうが他のチームメイトは『俺等とは次元が違うんだから』と思い込んでしまっているらしく不満にも思わないのだそうだ。特に俺は県予選を一人で投げ抜いたという難事業を達成した後だし、そもそもが俺がいなければ甲子園にさえ出場できなかったのは明白と思われているわけで……
つまり、俺が積極的にチームの和を乱すようなマネさえしなければ、大抵のことは『一流選手にありがちな特殊な調整方法』と認識してくれるらしいのだ。有り難いことだ。
その恩恵を受けないわけには行かず、ただひたすらに寝転がる……のも退屈だ。特権調整が許されているとはいえ、皆は練習に出かけているのだ。俗に『練習を一日休むと、それを取り戻すのに三日練習しなければならない』と言われるが、だったらこの一週間まともに投げていない俺はどうなるのだろうか。それを考え出すとキリがないから、とにかく今は少しでもしっかり休めようと横になったまま目を閉じる。すると、新幹線の車中でも始終寝っぱなしだったにも関わらず、意外に素直に眠りに落ちていった。ま、基本的に俺は寝坊助さんだからな……
次の日。
俺は実に一週間ぶりくらいにキャッチボールを始めようとしていた。場所は……甲子園その地だ。大会が始まる前の、出場選手の顔見せといった方が近いかも知れない練習の時間だが、マスコミはここぞとばかりに有力選手を写真のフレームに修めている。
我が五塚の他には二、三校が同時にグラウンドでストレッチなりキャッチボールなりをしていた。場所の広さの関係もあるから本格的なノックなど出来ようはずもない。その点からも、さながら連関係者にお見せするための競馬のパドック状態である。
しかしまあ……あちこちでフラッシュが焚かれビデオカメラが回り、せわしない事この上ない。ちょっとテレビで見知ったような顔なら、一挙手一投足余さずフィルムに収めなければ気が済まないかのように見受けられる。
ま、俺もそこそこの有力選手なら顔を知っている辺り、少しは研究熱心であるとは言えるのかな。知ったからといってどうにでもなるわけではないが……例えばアマチュアの投手がプロに入団するとする。オープン戦での初登板時にふと後ろを見ると、バックで守っているのが今までテレビの野球中継でしか見ていなかった選手だったのでもの凄い違和感を感じた……みたいなもんか。
さて、俺の知名度はというと……これが結構バカにならない。スポーツ新聞のものらしき腕章を付けた記者や、高価たかそうな業務用ビデオカメラを持った人物が俺を取り囲んでいる。俺も多少は有名になったのかな、などと思いきや。
俺を取り囲んでいた連中が、民族大移動の如く一気にダグアウト側に向かって突進していった。何事かと目を懲らしてみると……
その理由が分った。
伊東光率いる横浜学院さまのご入場の様子だ。ご丁寧に伊東自身が先頭に立ちグラブをばんばん叩きながら後の選手を引き連れてやがる。自分が主役と思っている当り、自意識過剰なのかそれともそれが当然だと思っていて疑わないのか。
伊東は球場内をきょろきょろした挙げ句誰かを見付けて……もちろん俺の方を見て近寄ってきた。ニヤニヤと嫌らしい笑みを浮かべて、ゆっくり、ゆっくり。芝居が掛かった動作にヘドが出そうだ。しかも気に入らないのは、今まで他の選手の写真をばちばち撮っていたマスコミ連中がぞろぞろと金魚のフンのように伊東の後をついて回っていることだ。
伊東は、キャッチボールを止めて見ている俺をめがけて一直線に歩み寄ってくる。
だがカベは
「聖、何やってる。とっとと投げろ、男に色目を使っているヒマがあるんならな」
と至極真っ当な理由で俺を叱咤した。そうだったな、己の的は己、そんな基本的な事を忘れてどうするつもりだったんだろう……と思っても、キツい目線で睨み付けられても平然としていられるほど、俺は残念ながら大人しくはない。
キャッチボールを続けている間にも、僅かなスキを窺って伊東を見る……と、いつの間にか間近に来ていて少しだけ驚いた。いくらアップシューズとはいえ、足音を消してくるとは……忍者か、お前は。いくら俺との対面を劇的にしたいからってそりゃ無ぇだろ。ひょっとしてお茶目なのかも知れないが……
「久し振りだね、加藤『クン』」
……
「加藤『クン』」
「カベ、そういえば抽選日って何時だったっけ?」
「加藤っ!」
見上げると、伊東が胡乱な瞳にちょっとだけ炎を滾らせて俺を呼んでいた。
「……最初の二回は呼び捨てだったのに、三回目で地が出たか?」
「そっちが反応しないからだろう!」
普段は完全ベビーフェイスで通しているらしい伊東の、珍しいであろうやや激高気味の物言いに、マスコミがここぞとばかりに画を撮りまくっている。
「第一、『君』のイントネーションが変だから俺の名前を呼んでいるとは気がつかなかったぜ」
「き、君の方を向いて呼んでいるんだから、気付かなかったというのもおかしな話だろう。明らかにボクを無視していたんじゃないのか?」
ぷ。ボクだって。まあ、これから先マスコミを味方に付けなきゃならない伊東だから、良い子ちゃんのイメージは重要なんだろうな。
「さあね。それに、伊東『クン』から比べたら、俺なんて引き立て役の脇役以外の何物でもないだろ?まさか俺を名指しするとは思えなかったんでね」
わざと『クン』の部分の奇妙なイントネーションを真似てやると、見る間に伊東の頭に血が上るのが分る。何故って、どちらかというと端正な顔立ちの顔が真っ赤に紅潮しているのだから。
それでも、俺に掴みかからないところを見るとそれなりの自制心は持っているらしい。もっとも、こんなところでケンカするようなアホが名門高校で四番を張れるとは思いもしないが。
「聖せ~い!何やってる!遊んでないでさっさとボールを投げろ!」
カベの一言がヤツの怒りの炎に油を注ぐ。カベは、俺と伊東との芝居の掛かったやりとりを『下らない』と言っているに等しいのだ。冷静な顔をしてキツい事を言うなぁ……いや、カベにしてみれば当たり前のことを言っているに過ぎないのかもな。
しかし伊東も負けてはいない。
「加藤クン、調子はどうだい?あの日から少しは上達したようだけどね」
自分が唯一打ち克ったあの日の事を持ち出してきやがった。『あの日』とは、もちろん俺が散々に打たれて放棄試合せざるを得なくなったあの忌まわしいクソ試合の事だ。
俺はといえば、情けないことにその試合が決して浅くはない傷痕として残っているらしく、その言葉を聞いた瞬間に身体が一瞬だけ硬直した。
そして、フラッシュバック。
伊東に、バックスクリーンまで完璧に打球を持って行かれたあの投球。忘れもしない、忘れられない。思い出すと吐き気まで催してくるかのようだ。只でさえ今の体調が完全ではないというのに。
俺の異変を感じ取った伊東はしてやったりとばかりに、そして自分がさも俺の上の立場に立ったかのように、唇の端を醜く歪めながら鼻で笑う。……本当に、コイツは悪玉ヒールをやっていた方が余程サマになると思う。根本的に悪玉の遺伝子が身体に組み込まれているとしか思えない。それでも今まで善玉ベビーフェイスを貫き通してきた辺り、詐欺師としてだったらスジがいいんじゃねぇか?
「まあ、せいぜい対決を楽しみにしておくよ。君もそうだろうけど、ボクも相当練習を積み重ねて来たんだから」
じゃあ、と軽く手を掲げて、一方的に言いたいことだけ言って場を立ち去る伊東。ああいうのをコミュニケーション不全っていうのかね?伊東の後を金魚のフンみたいにぞろぞろついて行くマスコミ連中の姿を見るにつけ、あんた等は騙されてるんだけどなと忠告してやりたくなる。
一度は動揺しかけた俺の心も、よくよく見てみれば滑稽なほどの伊東の所作にいつしかそれを忘れていた。心の中でツバを吐いてから、イマイチ力の入らない身体でボールをカベに投げ返すと……
「お、おい、カベ、顔色が悪くないか?」
端正な、ややエラの張った顔面が見るからに土気色をしている。何千球もカベの顔を……まあ顔色という意味もあるが……見続けてボールを放ってきた俺だ、顔色くらいすぐに分る。
「何でもない、お前の……気のせいだ」
と、口調だけはいつもの通り冷静に言い放ち、ボールを軽くしごいてから返球する振りをした。
「どうした、さっさと構えろよ」
「……ああ」
どうにも腑に落ちないが、冷静なカベがそう言うのだ。自らにも他人にも厳しいカベのことだから、自身の体調管理などは俺が心配する以前のことなんだろう。
返ってきたボールは、自らの健在を象徴するが如く殆ど全力投球、盗塁阻止時の二塁への送球かと思わんばかりに俺のグラブを鳴らすキツい一球だった。
……だから、そんな強い球を投げられたら痛いでしょっ!
グラブを取り、手を振って痛さを堪えていると……幽かにカベが微笑んだような気がした。今までそんな笑い方をしなかったカベだけに……何だか理由の知らない胸騒ぎが収まらなかった。




