第13-12話
「まったく、だから言ったじゃねぇか、お前はあんまり丈夫じゃないんだから、体調には気を付けろって」
「ごめんなさい……昨日の昼間頃まではあんまり感じなかったから……」
真理はしゅんとした顔で、大きくはだけたパジャマの胸元から体温計を取り出した。見守る俺に対してやや身体を捻っているのはせめてもの恥じらいからだろうか、背骨の突起が浮き出た華奢な首筋が見えているだけだ。
デジタルの体温計が示した数字はというと、
「……37度3分、だな。完全に風邪ってワケだ」
「あうぅ……」
そう、真理は昨日花火見物から帰ってすぐに『頭が痛い』とか何とか言い出して寝込んでしまったのだ。あの時風邪気味だったのは紛れもない事実で、本当だったら大丈夫どころではない体調だったらしいのに……
「というわけで、お前は今日は一日寝ていること」
「ふぁいはい……」
真理の元気がないとこっちも寂しいが、何しろ俺には甲子園に行き、仲間のためにもカベのためにもベストのピッチングを披露するという義務がある。万が一にも風邪を移されてしまっては困るんだ。でもなぁ……
「お兄ちゃん、あんまり私の部屋に来ない方が良いよ」
こんな殊勝な事を弱々しい口調で言われてみろよ、とても構わずにはいられないぞ。
オマケに今日は朝から姉さんも居ない。用事があって、真理が起きたときには既に家にいなかった。結局は俺が看病せざるを得ないわけだ。
今日は軽めの練習もあるようだが、軽めにやるくらいなら全てを吹っ飛ばして休養に充てた方がマシだな……ということで、自主休養を自らに科しているという次第。
「……努力する。取りあえず医者には行った方が良いんじゃないか?市販の薬なんて症状を和らげる位にしか効かないし。車出してやるから、早く着替えろ」
「でも、風邪が伝染うつったら困るよ?」
「大丈夫だ、俺がそんなにヤワじゃないのは知ってるだろ?精神的にはいざ知らず、少なくとも肉体的にはな。それに、ヘタに長引かれてコンコンやってる方がよっぽど迷惑だ」
ちょっと言い方がキツかったかな、と心配したが、特にこれということはなかったらしい。
「……分った。じゃあちょっと待っててね」
真理は夢現ゆめうつつ状態なのか、ベッドから上半身を起こしただけでバンザイの格好になり、パジャマの上を脱ごうとした。
「こらこら!出て行くからちょっと待ってろ!」
「ふぁい……」
分かっているのかいないのかそれも定かではないが、とにかく俺は真理の方を見ることも出来ずに部屋を飛び出し、後ろ手にドアを閉めた。いつぞやとは逆で、今度は俺が部屋を飛び出すハメになろうとは。
しかし表面上……というか言葉遣いそのものは元気っぽいんだけど、明らかに声の張りがないのは気になる。可愛らしい……所謂『アニメ声』ってヤツか……声だけに、不調は容易に判別できる形で耳に入ってくるからな。
夏なのに、厚手のカーディガンを着て後部座席に座っている真理をバックミラーで確認する。時折咳き込む姿はいかにも儚い。それにしても夏風邪で困ってしまうのは冷房の調節だ。暑いからと言って冷房をかけ過ぎればもちろん身体に触るし、かといって暑いのを我慢するのもまた発熱で消耗した身体にはこたえるだろう。となれば、中を取ってウィンドゥをフルオープンで走るしかない。道が順調に流れている間は十分に涼しいし、医者までもそう遠くないからこれで何とか凌げるだろう。
ちらちらと後続車両を気にする振りをしながら真理を気遣う。真理は目を閉じ、涼を自然風に求めていた。その光景が何となく美しく見えて……また、弱った身体から発散される儚さも拍車をかけているんだろう。人の身体から滲み出る精気……みたいなものが確実に弱いからな。
そもそも7度5分行かない風邪で随分と弱るというのもいかにも体力がないが、まあコレばかりは仕方がないか。
「真理」
信号で停止したついでに言葉をかける。じっと目を閉じていたので不安になってしまった。そんなに酷い風邪ではないと分ってはいても気になる。ほら……お年寄りがぐっすり眠っているときに思わず呼吸の有無を確認しちゃった……みたいな。不謹慎だろうけど、俺は田舎にじいちゃんと住んでいるときは思わずやっちゃったからなぁ。
「なあに?」
案の定、元気のない答えが返ってきて少しだけほっとする。本気で心配をしていなかった分、安堵も少しだけ。
「何か食いたいものはあるか?」
「そういえば、朝から何も食べてないからお腹すいちゃったな」
「食欲があるんなら結構なことだ、治りも早いだろ。帰りに何か食っていくか?」
「うん……あ、やっぱり家で食べたい。お兄ちゃんの作ってくれるお粥、それもダシの効いた中華風がいいな」
「粥か?お安いご用だけど、別にどっかの店で食っていったって……」
「食欲はあるけど、念のため消化が良いものを。それに風邪を引いてるのにお店に入ったら迷惑かも知れないでしょ?」
ファミレスかなんかでコンコンやりながら食事をしている真理を、冷ややかな目つきで見やる他人の姿を想像して納得した。
「ま、確かにそうだな」
風邪を引いていても真理は真理。自分なりにきちんと気を遣っているのだ、と思うと、とことん他人の気持ちを考えられる人間なんだなとあらためて感服した。一体どれだけ丁寧に教育を施されたら真理のような人間が出来上がるのだろうか。どちらかというと育ちの悪い俺は、ただただ育った環境の違いを痛感させられてしまった。
家に帰って、真理をベッドに寝かしつけてから粥の調理に掛かる。食欲があるというなら、粥は粥でもやや濃いめで充分食べられるだろう。塩分で味付けをするのではなく、希望通りダシを効かせて味を調える。丁度、昨日の夕飯は生春巻きをやったばっかりだから、冷蔵庫に数尾残っていたエビをプリプリに茹で、豪快に具として鍋の中に放り込み煮込んでOKだ。味見をしてみるが……
旨いな、こりゃ……病人に食わすにゃ勿体ない位だ。
思いの外旨く出来すぎてしまったが為に、味見と称してここで召し上がりたくなっちまう誘惑を何とか堪え、土鍋に粥を入れて真理に持って行ってやる。
しかし。
面倒臭いから、とドアをノックせずに開けたのが悪かった。だって、どうせ寝ていると思ったから。でも、扉の向こうにいたのは……
「……」
「……」
お互いにしばらくの間無言で見つめ合う。まるで、その状況が全く現実離れしている事を認め合っているように。
……要するに、真理のお着替えシーンに遭遇しちまったのだ。
パジャマの下は履いていたが、上半身は淡いピンクのブラ一丁。最近はぐっと女っぽい体つきになってきたと思ったのは、あくまで真理個人の成長具合としてだけで、世間一般から見たらもっと肉を付けた方が良い部類に入る。肋骨とか浮き気味だし。
「ご、ごめん……」
気まずい思いで、冷や汗をかきながら扉を閉めて廊下に戻る。てっきり罵声か悲鳴が飛んでくるものとばかり思い身をこわばらせていたが、意外にもその類の大声は発せられなかった。
ややあって、
「いいよ~」
と、何とも気味の悪いくらい柔らかい声で合法的な侵入のお許しが出た。再び恐怖のドアを開けると、
「……」
真理は少しだけ顔を紅くしてベッドの布団から上半身を起こしていた。どうやら、怒ってはいならしい。所在なさげにパジャマの裾を直したりなんかしている。
気まずい雰囲気の中、取りあえずテーブルに盆を置いて真理の表情を窺ってみるが、やっぱり特に怒気の様なものは感じられない。てっきり枕かなんかでぼこぼこにされるとばっかり思っていたから、いささか拍子抜けの感は拭えないけど……
とりあえず、
「その、さっきは、ごめんな」
自分でも素直すぎると思うくらい素直に謝っておく。それ位の真っ直ぐな誠意でないと、真っ直ぐな人間の真理には届かない。しかし。
「ううん、鍵をかけてなかったから……私の方こそ、お兄ちゃんに嫌な思いさせちゃってごめんなさい」
「嫌な思いなんて……」
とんでもございません、素晴らしいものを拝見しました、と、真理の妙に穏和な態度に安心したのか柄にもなく軽口が出そうになって慌てて口を噤む。ここでの『嫌な思い』というのは、多分自分の不注意によってこういう事態を巻き起こし、そして俺に余計な心労を掛けてしまった……ということだろうか。いかにも真理らしい考え方ではあるが、こっちが逆に恐縮しちまう。
「ま、まあ気にしてないんならそれでいいや。それより粥が冷めちまうぞ、とっとと食ってとっとと薬飲んで寝ろ」
「うん……」
真理は、ややとろんとした目つきのまま俺の差し出した盆からレンゲを手に取り、そして……何故か動きが止まった。
「お兄ちゃん」
「ん?」
見れば、
「……」
「……」
目を閉じ、口を開けてじっとしている。所謂『あ~ん』状態。
「何をやってるんだ、お前は」
「あいっへ何って?」
「だから、そんな風に口を開けて何を期待しているんだい?と訊いている」
「鈍いなぁ、『あ~ん』と言ったら食べさせてくれなくちゃ」
「ば……何で俺がそんなこっ恥ずかしい事をっ!」
「私、病人」
にんまりした顔で自分を指さしている。……明らかに『健全な』病人のする事じゃないな。
「えっ、病人?どこどこ?」
「意地悪ぅ」
わざとらしくきょろきょろすると、真理は口を尖らせて抗議した。その顔も……どうしようもなく愛らしい。
「分ったよ、ほれ」
仕方なく粥を掬ってやり、口にもっていく。
「あーん、は?」
「あのな」
「んふふ。これ以上やるとお兄ちゃん怒っちゃうから」
ぱく、とレンゲを頬張る。が、
「あひゅ、あひゅひゅ……」
余程熱かったのか、はふはふと口の中で一生懸命冷ます。そういえば真理はやや猫舌気味だった。ひょっとして……『正しい看病道』に乗っ取るなら、粥を掬った後に『ふーふー』して適温に調節しなきゃいけないんじゃないのか?それこそ恥ずかしいの局地だぞ。
でも……
「はふはふ」
未だに熱そうに粥を冷ましている真理を見ると、それもやむなしかな……と諦めざるを得ない。それに……一応コイツは病人だ。ふーふーするのだって結構体力を消耗しそうだし……と考えるのはあくまで言い訳で、今まで世話になった分少しくらいはこうして面倒を見てやりたいと思う。これからしばらくは家を離れるのだし、この時くらい真理と一緒に居るのもいいか……なんて事も考えてみたり……ま、要するに楽しいんだな、この状況が。
「ほら、冷ましてやるからちゃんと寝てろ」
「うん……」
窘たしなめると、素直にタオルケットを肩まで掛けて大人しくなった。
よし、恥ずかしいが……行くぞ。
おもむろにレンゲで粥を掬いッ!そして、ふーふーだッ!
ふーっ、ふーっ……
「……」
「……」
「な、何でじっと見てるんだよ」
「ん~ん」
ゆっくり首を振るけど……気になるな。まあいい。さあ食せ妹よッ!
しゅばっと勢いよくレンゲを差し出す。
かちん。
「痛っ!お兄ちゃん、どうしてよそ見してるの?歯にレンゲが当たっちゃったよぅ……」
「あ、悪い……」
恥ずかしくて直視できないんだ、ごめん。
「分ったから……ほ、ほら、あ~ん」
「あ~……んむ」もぐもぐ。
しばらく無言で咀嚼したあと、
「美味しい……」
と、今更ながらに感心したようにしんみりと漏らした。そして二、三口噛みしめて嚥下した後、俺に向き直り
「やっぱりお兄ちゃんの作る料理は何でも美味しいなっ」
とにっこり。そう、この笑顔を見たいが為というのが料理を作ってやる理由の一つだったんだっけな。今となってはそれが当たり前すぎて忘れかけていたが。
「だろ?」
入念にダシを取ってあるから、味付けそのものは薄口、つまり塩胡椒など調味料の類の投入量は少なめでも、味覚からの入力としては疲労した体を十二分に満足させられるものだと自分でも思う。
「美味かったらもっと食え。ほれ、あーん」
「うんっ!あ~ん……あ、あひゅいってふぁ」
「あ、悪い」
今更ながら料理の腕を誉められるのが嬉しくて、ついつい『ふーふー』してやるのを忘れてしまった。つまり俺の料理の腕を誉めると、真理の口の中が火傷だらけになるってワケだな。所謂『風が吹くと桶屋が儲かる』的な……全然違うか。
と言うわけで、俺には看病した経験も看病された経験も全然無いので具体的にどんなことをすればいいのか……ともかく、メシを食わせて薬を飲ませて寝かしつけるところまではなんとか上手く行った。
「真理、何か食いたいものはあるか?」
「え……」
氷枕まで用意してやってるから、ハタ目には完全に床に伏している重病人の様相を呈している真理。タオルケットの上からでも判る小さな身体のシルエットを見ていると、どんなお願いでも聞き届けてやりたくなってしまう。本当に可愛い子は特だ。
「ちょっと外に出る用があるから、何かあったら買ってきてやる」
「……」
真理はちょっと考えてから、
「プリンが食べたいな、ミルク味のやつ」
「分った、他には?」
「お粥を結構食べちゃったからやめとく」
「……そっか。じゃあ、大人しく寝てるんだぞ」
真理はタオルケットから出した手を返事代わりに笑顔でひらひら振った。それを認めてから部屋を出、ドアをなるべく静かに閉める。
ふう。
さて、どこで時間を潰すかな。
本当は用など無い。ただ、真理の欲しいものを買いに行ってやるだけだ。あまりに早く帰ったのでは気遣いがバレてしまうが、そもそもそんな事を気にする方も素直じゃないとは重々承知しているんだけど。
暑い中を歩くのもかったるいとは思いながらも、あれこれ考え事をしながらぶらぶら歩く。が、やっぱり暑くて敵わない。紙パックのアイスコーヒーでも飲もうとコンビニへ。すると。
「加藤くんっ」
丁度入り口付近のコピー機を使っていた河村蛍子とバッタリ顔が合ってしまった。正直に言ってあまり顔を合わせたくない相手ではあったが、無視してしまうと余計に不自然なので足を止める。
「河村……どうしてここに?」
「どうしてって……ここ、あたしん家ちの近所だよ?居たっておかしくないでしょう?」
あまりにきょとんとした河村の物言いに、如何に自分がぼーっとして歩いてきたかと思うと、少々ぞっとする。事故らなくてよかったぜ。
周りを見れば、確かに前に車で降ろしてやった場所の近くだ。河村の普段着に近い服装を見ても、ここは彼女の家の近所らしい。あの時は家の真ん前まで送ることはなかったから、結局住所は分らないままだ。そして、俺も知る必要はない。河村の方も、あえて俺に教えようとはしないだろう。俺たちの関係はとうに精算されているのだから。
「どうしたの?心ここにあらずって感じだけど、何か考え事?」
「ああ……ちょっと、な」
「ふーん……野球のこと?」
興味があるんだか無いんだか、河村はコピーした紙の束をコピー機の上でとんとんと揃えながら聞いてくる。ちらっとその紙を見ると、どうやら夏休みの宿題関係の印刷物らしかった。
そういえば今更ながらに思い出したが、河村は一年生だったんだっけな。自分より二歳年下の生徒の中に埋もれて同じ勉強をしている、その心境はどんなものだろうか。全く想像が出来ない。……ま、俺も当時は下手をすれば一年生をもう一度やらなければならない様な成績だったから、寸前で味わうところだったんだけど。
「それもあるけど……」
一瞬、真理の事を話そうかどうか迷ったが……結局、
「実は、疲れからか真理のヤツが風邪引いちまってさ」
話すことにした。二人は友達なんだからこれ位知らせたって罰ばちは当たるまい。
「え、ほんとに?何だ、そうならそうと早く言ってくれればいいのに。私が応援団に誘ったことでもあるし」
早く言ってくれれば……と言われても、真理が風邪引いたから看病に来てくれ、と泣きつけとでも言うのか?しかし河村が勧誘したとは驚いた。そこまでする意図がいまいち分らないが……ただ単純に、自分の通っている学校の応援をしたいだけだったんだろうか。
「今からお見舞いに行っても良いかなぁ?」
「え……ま、構わないだろ。真理だって一人じゃ心細いだろうしな」
「じゃあ、差し入れ持って行ってあげなくちゃ。ちょっと待ってて、何か買ってくるから」
気を遣うなよ、と言うが早いか、河村はすっと冷蔵の品が並ぶ棚に向かった。ひょっとして、わざと聞こえないふりをしただけかも知れなかったが、まあいいか。
そういえば、俺もプリンを買っていってやるつもりだったんだっけ。河村の後に続き、無言で白い容器のミルクプリンを手に取った。
「加藤くんも何か食べるの?」
まるでおごってくれるかのような口調だった。
「いや、これは俺が真理に買っていってやらなくちゃいけないものだからな。お前に差し入れにされちゃあ敵わん」
「……ふ~ん」
「な、何だよ」
「意外と良いお兄さんしてるじゃない」
前にも誰かさんに言われた台詞だ。要するに、普段の俺を見ているとマトモに兄貴をやっているようには見られないということだろう。
「意外と、はかなり余計だが……そう見えるんなら仕方がねぇや」
くす、と笑う河村。ホントにもう、コイツには敵わないよな、何もかも。
「でも、そういうことならお見舞いにいくのは止めたわ」
「何で」
「だって……折角お兄ちゃん度を上げるチャンスじゃない」
「何だその新しいパラメータは」
「とにかく、私はお邪魔虫って事」
止めるといった割には、ヨーグルトやらジュースやらを手に取っている。そしてレジに向かう寸前に俺とすれ違い、
「あ」
手からプリンを毟っていきやがった。
「おい……」
「気にしないで。これはあたしからの……」
河村はそこで一旦言葉を選ぶように視線を泳がせ、
「暑中見舞いってところかな」
と、にっこりと笑って宣言した。
「ただいま」
と、玄関で独りごちていても仕方がないのでとっとと真理の部屋へ。今度はしっかりとノックをして、入室許可をいただいてから中に入る。
「ほら、お望みのもんだ」
ビニール袋からプリンとプラ製のスプーンを渡してやると、真理は大層嬉しそうに
「早速いただきま~す」
とフタを剥がしてからぴたっと動きを止めた。嫌な予感がするな、と思った次の瞬間。こちらを期待の籠もった目で見た。
「……分ったよ、今のお前は病人だったんだっけな」
「話が早くて助かります」
「まったく……午前中は大人しかったのに」
何がどう助かるのか理解に苦しむが、熱の所為でおかしくなってるんだと思わなければこのハイテンションは到底理解できない。
「あ~ん」
「あ~ん」
ハタ目から見ると相当『アレ』なバカップルに見えるかも知れないが、要するに今は俺達二人だけということを常に頭に叩き込んでいれば良いのだ。
「美味しいっ」
「だろ?ほら、もう一口」
意外に食欲があるから、安心して食べさせてやっていたが……そろそろプリンの容器が空になろうというとき。
「はあ……」
「……?」
真理の瞳があらぬ方向を向いていたのに気がついた。もしやと思い、額に手を当ててみると……
「見ろ、はしゃぎすぎるから熱が上がっちまってるじゃないか。きちんと寝てろ」
プリンを奪い取り、強引に寝かせてやる。真理はそこで初めて自分が病人であることに気がついたかのように
「そうだったね、あんまりはしゃぐとお兄ちゃんに悪いし……」
と、大人しくタオルケットを自ら掛けて横になった。
「待ってろ、氷嚢ひょうのうを持ってきてやるから」
腰を浮かしかけたところで、
「お兄ちゃん」
今までとはトーンの違う声。具合が口調に現れる位に悪くなったのか、と恐る恐る振り返ってみると……特に何のことはない。熱のある人間特有の……まあ真理はいつもそうなんだけど……潤んだ瞳で俺を見つめている。
「どうした?」
優しく語りかけて顔を近づけると、潤んでいた瞳から一気に雫がこぼれ落ちた。
「ど、どうしたんだよ、辛いのか?」
「ううん」
頭痛がするかも知れないのに、盛大に頭を振って否定。
「お兄ちゃん、優しいなって……」
……優しい。
俺が?
「お兄ちゃんがこんなに優しいんだったら、ずっと風邪引いてるのも悪くないかな」
自分の言葉に照れたのか、真理はタオルケットを鼻の下辺りまで引っ張った。恥ずかしがっては居ても俺の反応は気になるらしく、次の言葉を待っている。
……しかし、俺が優しい、か。
そんな事はないんだけどな。優しい人間だったら……
「バカ言ってるなよ。さっきも言ったけど、ずっと風邪引かれてるとこっちが迷惑するんだからな」
元より自分が素直じゃないのは分っているが、言われたとおりに俺が優しい人間であるのなら、いい加減、もう少しだけ、それなりの言葉をかけてやれれば尚良いんだろうけどな。しかし俺はといえば、
真理に背を向けて立ち上がり
「それに」
あまつさえ、
「俺は優しい人間なんかじゃない。決してな」
余計な一言を吐いてしまうのだ。
真理がどんな反応をしているか、気にはなるのだが恐くて見る事も出来ない。
本当に優しい人間だったら、『あの時』『あの女ひと』を傷付けずに済んだかも知れなかった。俺の優しさなど苟且の上辺だけ。だから、今優しいなどと言われても戸惑うだけだ。
田舎に置いてきた俺の最大の暗部。それを今年振り切りに行こうと思っているのに……今からこれでは先が思いやられるというものだ。
部屋のドアを後ろ手に閉め、それに寄り掛かって大きな溜息を一つつく。
……真理、その時は俺の力になってくれるよな?
勝手な独りよがり、そして俺の願望でしかないかも知れない思いは何処までも俺の心を締め付け続けるのだった。




