プロローグ
◆プロローグ
ミサイルの雨が降り注いだ。
弾道に榴弾が搭載されたミサイルの威力を極限まで発揮させるため、地面に着弾する数十メートル上空の所で爆発した。
生み出された巨大な破壊力と轟音は、鼓膜どころか鉄筋コンクリートで出来た建造物を紙クズのように原型が分からないほど粉砕……いや、消し去った。
運良く爆発に巻き込まれなかった場所では、人々は蜘蛛の巣を散らすように逃げ惑っていた。
街のあちらこちらから煙と火の手が上がっているが、誰も消化活動などしていない。そんな余裕や意味が無いからだ。
人々は本能に導かれるまま、安全な場所を求めて無我夢中で駆けていく。
人が大群の後を付いて行くのは、何かしらの安心感があるのか、人の群れはより膨らんでいった。
しかし、混乱と困惑した人間が集まればパニックは広がり、より冷静さを失わせてしまう。
人が人の波に飲み混まれ、倒れてしまった人間を踏みつけては我先へと進みいく。
ただ、死にたくはなかった。
まだ、生きていたかった。
中には途中で諦めて足を止めて、これまでの素晴らしかった日々を振り返る者もいたが、それは少数だった。
人間は、どんな事があっても生きていかなければならない宿命を背負った生物なのだ。
だから抗っていた。この絶体絶命の時でも。
けれど、そんな人間の宿命を知る由も無く――生きることを求めた人々の頭上へと、ミサイルは次々と落下していき、全てを消滅させていった。
***
「ま、まってよ。お兄ちゃん」
「ティア、早く来なさい」
非常灯の青白い明かりで照らされた薄暗く細長い廊下を“ティア”と呼ばれた少女と、その少女から“お兄ちゃん”と呼ばれた青年が足早に駆けていく。
華奢な身体にあどけなさが残るティアの顔は不安と恐怖で青ざめていた。
一方、整った顔立ちの青年は険しい表情を浮かべていたが、ティアの方に顔を向けると、不安を少しでも拭いさるように優しく微笑んだ。
青年は研究者を示す白衣を羽織り、右肩にはショルダーボックスをかけていた。
ティアは自分より二倍ほど身長がある青年の白い背中を見つつ、後を必死に追いかけていた。自分の短い足では青年の長い足の歩幅に差が生じて、徐々に離されていく。その距離を縮めるために、必死になってせかせかと足を動かした。
二人がいる場所は、最先端の科学と技術の元に建設された研究所の地下研究室へと続く廊下だった。
二人の足音と共に辺りは揺れて、天井から埃がパラパラと落ちてくる。二人が走った振動では無い。天から降り注ぐ数多のミサイルによる爆撃のものだった。
「お兄ちゃん。ここ……大丈夫なの?」
「ああ、大丈夫だ。ここ(地下研究室)は地上から三百メートルも深い所だから、ちょっとやそっとのミサイルぐらいでは……」
――ズッドッッーン!
言葉の途中で一際大きな衝撃音と振動が奔る。
衝撃による揺れでティアがバランスを崩して倒れそうになったが、すかさず青年が手を差し出しティアの身体を支えた。
「大丈夫か、ティア?」
「う、うん……」とゆっくりと頷いた。
青年は辺りの状態を確認をしつつ、逸早く目的の場所に行かなければならないと判断し、ティアの手を引っ張って先へと進み行く。
地上はミサイルの爆撃によって、ライフラインは破壊されている。その所為で、電力給源は真っ当に機能せずにいたが、研究所には独自開発した発電機が設置されていた。
その発電機のエネルギーの元は“放射能”。空気中に散布されている僅かな放射能を汲み取り、電気に変換させる技術が実装されていた。
「電力に関しては、これから訪れる世界ならば問題無いはず。それに……ここの耐震強度は、核ミサイルが打ち込まれるの事態を想定して作られている。ここが壊れない限りは、電力が止まることは無い……」
心配事が思わず青年の口から漏れていた。
それを耳にしたティアは、ギュッと握る力が入る。
「どうし……」
ティアの愛らしい瞳に物憂げな陰が映っていることに気付いた。
「大丈夫だよ。さっきも言っただろう。ここはちょっとやそっとの爆弾とかや衝撃じゃ壊れないよ。ここに居れば安全だ」
今、自分が出来る限りの笑顔で返した。だが、その笑顔はティアの瞳を介して、何ともぎこちない表情で映っているのが見えた。
青年は空いている手をぎゅっと強く握りしめ、自分の不安な気持ちを押し固めた。改めて現状を整理し、再確認する。
建物の崩壊は心配無い。崩壊しない限り電気の消失も無い。地上が今どんな状況になっているかなんて、どうでも良い。
案じるのは、握っている手から小さく震えているのが伝わるティアの身と……ティアの未来のことだった。
青年とティアの足が止まる。
二人の目の前には、まるで壁と一体化したようなシンプルな扉があった。
青年は肩にかけていたショルダーボックスを地面に置き、白衣の内ポケットから一枚のカード―ID認証カード―を取り出した。それを扉のすぐ近くの壁に設置されていたカードスキャナーに通す。
それだけでは扉のロックは解除されない。そこで青年は続けて、スキャナーの隣にあるディスプレイに表示されている数字キーを手馴れた動きで押していき、最後に黄色いキーを押した。
――ピィーーー!
解錠音が鳴り響くと、扉が開かれた。
その奥にも幾重に閉ざされた扉があったが、それらの扉も自動的に次々と開いていく。二人は開かれた先へとしばらく進む入ると広い空間に出た。
そこには、仰々しいまでに機械機器が部屋の隅々に敷き詰められていた。中でも、部屋の中央に設置されている“カプセルポッド”が、ティアの目を引いた。
「あれは……」
部屋の中を物珍しそうに見渡すティアをよそに、青年はそそくさと部屋の機械を制御しているメインコンピューターの前に立ち、慣れた手つきで操作するとモニターに映し出された文章を思わず口にする。
「安全装置解除……ポッド内の気温、生命維持機能も正常に動作しているな。それとメイン制御機能、サブ制御機能、全てオールグリーン……。よし、どうやら問題は無いみたいだな……」
独り言を漏らすと共に、目の前の装置が問題なく動作していることに安堵の息を漏らし、ふとティアの方に目を向ける。
ティアはカプセルポッドの元に近づいていき、恐る恐ると触れた。
「ティア!」
突然の呼びかけにティアは思わず身体をビクっと震わせると、すぐさまにポッドから手を離し、萎縮して青年の方に顔を向けた。
「ご、ごめんなさい……」
普段から無闇に器具や機器に触ってはダメだと注意していたからだ。
「あ、ティア。それに触っていたから、注意したんじゃないんだ。その、なんだ。とりあえず、ご飯にしよう」
「まだ、お腹空いてない……」
「空いてなくてもご飯にしよう。食べられる時に食べておかないと、いざっという時に食事は出来ないからな」
青年は持ってきたボックスの蓋を開き、中から密封された小袋と液体が入ったドリンクボトルを取り出すと、ティアに手渡した。
ティアは、小袋の封を切り中身を取り出す。それはスティック状のソフトクッキーのような固形食で、黙々とモグモグと食べ始めた。
ソフトクッキーはバター風味で、薄い塩味がアクセントとなり、極端に不味くは無い。だが、保存食のクッキーの宿命なのか水気が無く、パサパサしているので喉通りが悪い。そこで一緒に手渡されたドリンクを飲んで流し込もうかとするが、そのドリンクは独特な味だった。
特に甘いという訳ではないが、かといって不味い訳ではないが、そう何リットルも飲めるほど好ましい味ではなかった。
舌に残るザラついた薬のような未体験の味に戸惑い、いつも飲んでいる“イチゴハニー牛乳”のクリーミーで口の中にイチゴとハチミツの甘美が広がる味とは雲泥の差だった。
これを食べなきゃいけないのかと、嫌々に口から遠ざけて、自分と同じくクッキーを食べている青年の方をチラリと目で訴えかけたが、
「我慢して食べなさい」
優しくも厳しい口調で注意されてしまった。その言葉に従い黙って、クッキーを口の中へと頬張っていく。
我慢しながらモソモソと食べるティアの姿がとても愛らしかった。微笑ましく眺めていると、その光景が突然ぼやけた。
青年の瞳に涙が浮かんでいたのだ。
咄嗟に右手で自分の顔面を覆い隠し、涙をティアに気付かれないようにした。あまりにも不自然な行動だったのだろう。ティアは手と口の動きを止め、青年の方を見る。
「な、なんでもないよ。ティア……。ちょっと……食べ物が、喉に詰まって、ね……」
震える声を噛み殺し、平静を装っていると……ティアは、自分が飲んでいたドリンクボトルを青年へと手渡した。
「あ、ありがとう。ティア……」
そっと受け取り、ドリンクを一気に飲み干すが、それがいけなかった。呼吸器官に引っかかり咳き込んでしまった。
「お、お兄ちゃん!」
「だ、大丈夫、だよ。ちょっと慌ててね……」
些細なことでも、ティアに心配をかけたくはなかった。青年はティアの気遣いを優しく受け止め、すぐに平然な態度を取った。
ふと視線を自分達の前に並べられた質素で素っ気の無い食事を見つめると、なぜか惨めな思いと申し訳なさで、また涙が溢れそうになる。再び右手で顔を覆い隠し、
『泣くな……堪えろ……』
と、そう自分に言い聞かせた。
なぜなら青年は知っていた。覚悟していたのだ。
これがティアとの“最後の晩餐”だと―――――
青年は、心の中に溢れた思いを、ティアに微塵も感じさせないようにと極力平静さを装う。ティアが我慢して食べるのと同じように、青年も我慢したのだった。
ティアから視線を逸らすように、部屋の中央に設置されている“ポッド”に視線を移した。
先ほどティアが興味津々と眺めていたものは、“冷凍睡眠装置”であった。
冷凍睡眠装置とは――人体を低温状態に保ち、人体の老化を防ぐ長時間睡眠装置。
冷凍睡眠には、“冷凍タイプ”と“冬眠タイプ”の二つのタイプがある。
冷凍タイプは、人間を完全凍結させて冷凍保存するものである。完全凍結することによって、人体の老化を完全に止めることが出来る。しかし、冷凍保存と言っても、そう簡単なものではない。冷凍タイプには大きな問題があった。
完全に凍結した後、解凍する時に素体(人体)を“傷付けず生きたまま解凍”するのは難しいのである。その難しさは、言うならば死者を甦えさせると同義なのだ。
それは何故か?
生物は、小さな“細胞”が集まって構築して成り立っているのは周知の事実。そして生物の身体の七割は水分で構成されている。この細胞と水が問題なのだ。
水を凍らせると水の体積が膨張してしまう。この膨張によって細胞が傷ついてしまい、細胞が壊死してしまうのだ。
例えば、冷凍していた豚肉などを自然解凍すると、赤い液体(血液)が滴っているだろう。それは細胞が欠損して血液が流れしまっているのである。
科学が発達した現在でも、この問題は解決出来ず、冷凍タイプの技術は確立出来ていなかった。
そこで冬眠タイプである。
冬眠タイプは、凍らない程度の低い温度で保存し、代謝活動を低下させる方法である。
つまり老化を完全に止めることは出来ないが、老化の進行を遅くすることが可能なのだ。
そもそも老化とは何か?
細胞は劣化して壊れていき、新しい細胞が生まれる。この新しく生まれた細胞は前のと比べて劣化してしまっているのだ。簡単に言えば、これが老化の要因になるのだ。
冬眠タイプの冷凍睡眠装置とは、細胞の成長と劣化を抑制し、人体を長期保存させる。要は、細胞の成長と劣化を防げば良いのだ。
では、その為には、どうするか?
人間もとより地球上の生物にとって必要な物質である“酸素”。
この酸素が、生物が生きる上、そして成長する上で必要な物質である。この酸素を摂取しなければ生きてはいない。
酸素を、まったく摂取しないことは無理だが、摂取する量を減らすことが出来れば、成長の抑制が理論的に可能なのだ。
それと合わせて、心臓の心拍数も重要になる。
心臓は摂取した酸素を赤血球で身体全体に送る機能を持った臓器であり、心臓の鼓動(心拍)は、酸素を身体全体に送り込んでいるためのものである。亀やゾウなどの長寿の動物は、この心拍数が少ない。冬眠タイプの真髄はそこにある。
摂取する酸素の量や心拍数は少なければ少ないほど、老化を極力抑えられるということなのだ。
機械によって、温度、酸素の量、心拍数を制御し、低温状態を保つことによって長期保存を可能にした。
冬眠タイプは冷凍タイプよりも比較的容易で、科学的根拠があるため実現可能と永く提唱されて研究が進んでいた。
青年の目の前に立ち並ぶ仰々しい機器類は、つい二ヶ月程前に完成したばかりの冷凍睡眠装置なのだ。
もちろん、この装置でモルモットや人体実験は行っている。その結果、冷凍睡眠装置で一年過ごせば、身体……細胞の成長速度は一日ほどに抑制できた。
実験後の検体は、後遺症も無く普通に生活を送ることができたようだ。しかし本来なら、もっと沢山の検証実験が必要だった。
もしかしたら、コールドスリープから一年後には、検体に何かしらの後遺症が発症していたかも知れない。だが、それを検証する時間は無かった。
今、自分の頭上でミサイルが降り注ぐ戦争が始まったからだ。人類全面戦争が。
検証実験は途中で中止になってしまったが、一定の成果を達成していたので、冷凍睡眠装置は完成とされた。だが、完全に安心・安全とは言えない。
青年が物静かに心の奥底で“これからの覚悟”を決めていると、やっとティアが素っ気無い食事を終えていた。
ティアに食べさせたのは、ただの保存食では無い。
長期睡眠に備えて、必要なカロリーと栄養が豊富に含まれている特別栄養食品。一欠けらだけでも何万カロリーもあり、身体の隅々にバランス良くカロリーと栄養を蓄えられる優れものなのである。
摂取カロリーの許容量を大幅に超えてしまうが、熊などが冬眠に入る前準備として、大量の食事を行い、脂肪を蓄えるのと同じ事である。これで百年以上の長期睡眠が可能となる。
青年の心も頭の中も不安で一杯だった。少ない検証実験、ましてや九歳になったばかりのティアが耐えられるかどうか。
理論的に大丈夫だとしても、確信を持って大丈夫だと言えない。だけど、失敗する可能性よりも、戦争が終わって、平和になっているであろう未来の可能性を信じた。いや、信じるしかなかった。それが今の青年の支えとなり、決心の決め手だった。
「ティア……」
自分の名を呼ばれると、ティアは青年の方を向いた。あどけなく幼さが残るティアの顔を見るだけで、青年の心は柔らかくほぐれた。
だからティアの前では、青は優しく微笑むことが出来た。そして、これから自分が言わなければならない覚悟が出来た。
「これから、あのポッドの中で眠るんだ」
何処かに避難をしなければいけないのに、なぜここで眠らないといけないのかと、ティアは首を傾げた。
ティアのそんな態度に、青年はあえて説明をする。
「ティア……。この戦争はすぐには終わらない。いや戦い自体は早く終るかも知れないが……その後は、人が生きることが難しい冬の時代が来てしまう……氷河期のように。
それを乗り越えるために、この冷凍睡眠装置で長く眠って乗り過ごさなければいけない。だけど、この冷凍睡眠装置は、すっごく頑丈に出来ているから、ここで戦争が終わるまで眠っていれば、何処よりも安全だよ」
ティアは少し首を傾げつつも、青年の話しにある程度は理解を示した。これに入らなければいけないのかと納得したが、ふと疑問に思った。
「お兄ちゃんは入らないの?」
青年は少し戸惑ってしまったが、それをティアに気取られないように、冷静にいつもの優しい表情を取り繕う。
「残念だけど、あのポッドは一人専用なんだ。それに……」
稼働実績がある冷凍睡眠ポッドは、この一つしか無かった。青年はそれを口にしようとしたが即座に口を閉じた。
要らぬ事を言って、ティアにこれ以上の不安を与えたくは無かったからだ。
「心配はいらないよ。お兄ちゃんは別のポッドに入るから」
「本当?」
「ああ。だから、ティアは安心してあのポッドに入って、戦争が終わるまでゆっくり眠ると良いよ」
話しを終え、青年はティアをポッドに入れる準備を始める。肌に特殊なクリームを塗り、ウェットスーツのような身体にフィットする服を着せていく。
冷凍睡眠への準備は完了し、ティアをポッドの内部へと誘導した。ポッドの中は狭く、閉塞感と圧迫感で不安がティアに押しかかってくる。
「お兄ちゃん、なんだか恐いよ……」
「大丈夫だよ……お兄ちゃんが側にいるから」
「本当に、これで寝ないとダメなの?」
「ああ。これで寝ないと冷凍睡眠が出来ないからね、我慢してくれよ」
ティアはむくれてしまい、気分を害しているようだ。
少しでも安心させたい青年は、いつもティアに言い聞かせるための魔法の言葉を口にした。
「そ、そうだティア。ちゃんと眠ってくれるのなら、何でもお願いを叶えてあげるよ」
「お願い?」
「ああ、そうだよ」
「だったら、お兄ちゃん。私が起きたら、あの本を一緒に読んでくれる?」
「本?」
「お兄ちゃんが私の誕生日にプレゼントしてくれた本」
「ああ、あの騎士様が出てくる物語の」
ティアが言う本は、青年が去年ティアの八歳の誕生日にプレゼントとして贈ったものだった。
とある騎士が、捕らわれのお姫様を救いだす……よくある騎士物語だが、ティアにとってはとてもお気に入りの本だった。
しかし、その本はティアの手元には無かった。今回の騒動で、慌てて此処に避難してきたため、自分の部屋に置き忘れてしまっていたからだ。今から取りに戻ろうとしても来た通路は耐圧シャッターなどで閉ざされており、戻るのは不可能の状況だった。そもそも、青年とティアが暮らしていた家は既に破壊されていることだろう。
青年は“叶わぬ願い”だと認識しつつも、ティアのために答えた。
「解った。良い子にして寝たら、ちゃんと読んであげるよ」
「本当? 約束だよ」
「ああ、約束だ……ティア様」
わざわざ様付けで呼んだのは、ティアは先ほどの本(姫と騎士の物語)に影響されて、自分のことをお姫様のように振る舞うのが好きだった。青年はティアを喜ばせるために、よくお姫様扱いをしてあげていた。
ふと青年の瞳に涙がこみ上げてくる。しかし、ティアの前で泣くものかと堪え、いつもの冷静の表情を浮かべて、溢れる感情を押さえ込んだ。
「だ、だから……ほら眠りなさい。たまには、騎士のお願いも聞き入れて欲しいな……」
「はーい」
無邪気な声で返事すると、ティアは言う通りに静かに目を瞑った。
青年はそれを見届けて、コンピューターの前に行き設置されているキーボタンを押した。ポッドの扉がゆっくりと閉じていき、ポッドは完全に密封された。
他の各種設定を行い、青年は最後の実行キーを確信と確実をもって押した。
冷たい空気がポッドの中に充満していく。ティアは思わず身震いをしてしまうが、すぐに気持良くなっていった。まるで暖かい木漏れ日を浴びてお昼寝をするかのように心地良い環境となり、ティアは深い眠りへと誘われていった。
モニターに映し出される測定値は正常値を指しており、他のシステム状態もオールグリーン(正常)だった。ティアが完全なコールドスリープ状態に入ったことを確認した。
青年は、ここに来て初めて安堵の息を吐いた。
ポッドの中からは外の音は完全に遮断されて聞こえない。だから思いのままに口を開いた。
「ティア……。ここ(研究所施設)が破壊されたとしても、ポッド内に備え付けられている予備電力バッテリーで、電力は百年近く持つことが出来る。それにこの近辺に核爆発が起きたとしても、耐えられる……はずの設計となっている。そして、外の環境がある程度、良くなっていれば自動的にスリープが解除されるはずだ……その時まで……」
ポッドの中で安らかな顔で眠るティアの顔が滲んで霞んだ。それは青年の瞳から、今まで我慢してきたものが溢れ出ていたからである。
「ティア……。あの本を読む、約束は守ることが出来ないけど……。ティアが目を覚めた時、世界が平和になっていることを、約束しよう……」
そう一言を口にした後、青年は唐突に机を強く叩いた。
悔しかった――
苦しかった――
悲しかった――
そんな行き場のない思いの丈を、机にぶつけたのであった。
「ごめんな……ティア。そのポッドは、それ一つしかないんだ……。ごめんな……一緒にいられなくて……。だけど……おまえだけでも…ティアだけでも……生きて欲しいんだ……」
涙混じりの声が虚しく響く。
本当はティアと共に生きていたかった。ティアを冷凍睡眠させずに、ここでずっと救助されるまで避難する考えもあった。
しかし、それはティアにとって幸せでは無いと判断したのである。そもそも、自分たちが生きている間に救助なんて来ない可能性の方が高かった。
ならば、二人で死を選ぶという選択肢もあった。だが、見殺しに出来なかった。未来へ生きるたちの手段(装置)があるのなら、それにすがりたかった。
その未来が、その世界が―――
青年は両膝を地面に着き、胸の前で手を組んだ。神にへと祈りをするように願った。
ティアが目覚める時が、世界がティアにとって、平和な世界であることを―――
***
暫くして、地上では眩しい光が走った。その後すぐに、人類史上最も大きな爆発と衝撃が地球を襲った。
地球を三分の一も覆うキノコ雲が吹き上がり、濁った闇に包まれた。やがて、黒い雨が降り注ぎ、大地や海……この世の命あるモノたちを汚していった。
この日を境に、世界は変わった。
世界から全てのミサイルが消えて、数々のものも消え去った。
そして―――
この世界で生きていた者たちが、大きく変わっていくことになった。