☆1-19☆ 登録試験 ②
コンラッドは静かに右手を上げる。
「第一段階。基本命令確認」
その合図と同時に、演習場の六か所へ青い光柱が立ち上がる。均等に配置されたそれは、召喚存在の配置訓練用に設計された標準フォーメーションだった。
「召喚存在を、指定位置へ移動させてください」
「よし。全員、光ってる場所に移動してくれ」
しかし、その言葉に反応して動く者はいなかった。風だけが演習場を静かに通り抜け、張り詰めた空気をわずかに揺らしていく。ノエルの制服の裾だけが、行き場を失ったように小さく揺れていた。
「……聞こえなかった?」
『聞こえた』
『どこへ行けばいい?』
ソルとルナが六本の光柱を見渡しながら首を傾げる。
「空いてるところでいい」
ノエルの返答はあまりに単純だった。召喚存在たちの反応は一斉に分岐する。
《配置基準が不明》
《前衛・後衛の指定を要求》
一号機は冷静に状況を整理し、二号機はその場で警戒姿勢を維持したまま動かない。
《遠距離機体を前方へ配置される可能性を懸念。各地点の地質および魔力密度を測定中》
三号機は床へ降下し、即座に環境解析を開始して、四号機は無言のままノエルの背後へ移動する。
《最も安全な位置を要求》
「ただ立つだけだぞ!」
《役割に応じた配置が望ましい》
《曖昧な命令》
《情報不足》
《怖い》
「全員、個性が強すぎるだろ!」
ノエルの叫びが演習場に響くと、観客席から小さな笑いが漏れた。コンラッドはその様子を穏やかに見つめながら記録用紙へ、ペンを走らせていた。
「命令明確度、不足」
「これで減点されるのか!?」
「召喚士の曖昧な命令は、実戦では事故に直結するからね」
「立つ場所を決めるだけだろ!」
「だからこそだ。“立つ場所を決めるだけ”という認識のままでは、戦場では通用しない」
「……はい」
納得しきれてはいないが、それでも理解しようとする表情だった。召喚存在たちは依然として動かず、命令の曖昧さがそのまま“停止”という形で現れている。
「一号機は前の左、二号機は後ろの右、三号機は後ろの左、四号機は前の右」
一見すると単純な配置指示だったが、問題が発生する。一号機と四号機が、同じ方向へ進み始めてしまったのである。
《前方左へ移動》
《前方右へ移動》
両機はそれぞれ宣言しながらも、結果的に同一の光柱へ向かっていた。
「左右が逆だ!」
ノエルが叫ぶ。
《契約者視点か、機体視点か指定なし》
二号機が冷静に補足する。
「俺から見てだ!」
《後付け条件》
「面倒くさい!」
ノエルは頭を抱えた。
さらに三号機が途中で停止する。
《質問。後方とは観客席側か北側か》
「観客席側!」
《了解》
ようやく動き出した三号機だったが、その進路上には二号機がいた。
《進路妨害》
《三号機が当機の移動線へ侵入》
《二号機が迂回すべき》
《当機の方が先に移動開始》
《先行権の規定なし》
《衝突危険》
「喧嘩をするな!」
ノエルが叫んだ瞬間、四号機が慌てて二機の間へ割り込む。
《止まって。危ない》
その結果、二号機と三号機が同時に四号機へ接触し、さらに一号機も進路を修正して戻ってきたことで、四体は中央で絡み合うような形となった。金属同士がぶつかり合う重い衝突音が訓練場に響き渡る中、ノエルはその光景を見て、ゆっくりと両手で顔を覆った。
「もう帰っていい?」
「試験開始から三分ですわ。早すぎます」
観客席からアイリスの冷静な声が飛ぶ。
「俺の精神はもう寮のベッドに帰った」
『肉体も帰りたい』
『妾たちも寝たい』
ソルとルナがノエルの髪を撫でながら同意する。
「君たちは何もしていないだろう!」
アルベルトの鋭いツッコミが飛ぶ。
その横でフィンは腹を抱えて笑っていた。
「古代の守護機兵って、もっと無口で怖いものだと思ってた!」
「怖いよ……いろんな意味で」
シャスールは淡々と結論だけを述べた。
訓練場には、金属が絡み合う乾いた音と、ノエルの小さなため息だけが静かに響いている。ノエルは四体の前へ立ち、指を一本ずつ向けながら、混乱した状況を整理し役割を明確にするための最低限の指示を、順に落ち着いて与えていった。
「一号機。俺から見て左前、盾を外側へ向けて立て」
《了解》
「二号機。俺から見て右後方、武器は下ろしたまま」
《合理的》
「三号機。左後方、調査は後回し」
《質問を一件保留》
「保留で頼む!」
《了解》
「四号機。右前、何か危険を感じたら防御態勢を取っていい」
《了解。安心》
指示が終わると、四体はそれぞれの位置へと滑らかに移動し、ノエルの意図通りの配置を一切の無駄なく形成した。陣形は整い、続いてソルとルナもまた、それぞれ指定された小さな光柱へと静かに浮かび上がり、安定した位置へと収まる。そうして空間全体は、ようやく一つの“形”として落ち着いた。
「できた!」
「移動しただけだ」
ノエルは満足げに拳を握ったが、アルベルトの冷静な声が、すかさず飛んできた。
「達成感を奪うな!」
ノエルは反論するが、アルベルトは一切動じない。 そのやり取りを横目に、アイリスは小さく頷いた。
「先ほどよりは明確な命令でした」
「褒められた!」
「基礎中の基礎、出来て当然のことです」
「上げてすぐ落とすな!」
ノエルの抗議はいつもの調子だが、空気はわずかに引き締まっている。
コンラッドは記録板に印をつけた。
「第一段階は合格」
その言葉が告げられた瞬間、ノエルは思わず小さく拳を握った。
「やった」
だが、安堵する間もなく、コンラッドは次の課題を告げた。
「次は魔力維持試験だ」
「…嫌な予感しかしないんだけど」
「六体すべてを顕現させた状態で、五分間維持してもらう」
その説明に、ノエルは一度瞬きをした。
理解が追いつかず、言葉の意味を頭の中でゆっくりと噛み砕く。
「今も出てるよな?」
「出ているね」
コンラッドは平然と答えた。ノエルはその言葉を受けて改めて周囲を見回したが、確かにソルとルナを含む召喚体はすでに顕現状態にある。しかし、問題はそこではなかった。
「残り何分?」
「これから五分だよ」
「…今までの時間は?」
「準備時間だね!」
一瞬の沈黙ののち、ノエルは声を張り上げた。
「詐欺だ!」
だがコンラッドは動じることなく、静かに魔導時計のスイッチを押す。
「はい、開始」
ノエルの右手に刻まれた契約紋は、準備に手間取った影響か、次第にその光を強めていった。また意識を向けるほどに、ソル、ルナ、そして古代守護機兵へと繋がる複数の契約経路へ魔力が静かに流れ込んでいくのが感じられる。それでも最初の一分間は、特に異常は見られなかった。
「意外といける」
『とても余裕』
『お菓子食べたい』
ソルが頷き、ルナも普段と変わらない様子で佇んでいた。
二分ほど経つと、ノエルの額にじわりと汗が浮かんだ。体内から魔力が少しずつ抜けていく感覚があり、ソルとルナだけに魔力を供給していた時とは、明らかに消耗の速度が違っていた。
四体の古代守護機兵は、巨体を維持するだけでも大量の魔力を必要とする。さらにノエルは魔力量こそ多いものの、魔力操作を苦手としていた。魔法を使う時や魔力を放出する際、必要な量だけを調整できず、常に全力で放ってしまう。
「まだ二分です」
ローザが淡々と告げる。
「言わなくていい!」
「残り時間の確認は必要です」
「聞くと長く感じるんだよ!」
三分後、ノエルの膝がわずかに震え始めた。ソルとルナの身体も不安定に揺らぎ、一瞬だけ光の粒へと崩れかける。さらに、四体の魔力核も不規則に明滅し、明らかに供給が追いついていなかった。
《供給魔力の低下を確認》
《契約者の魔力残量、急速減少。魔力量は完璧。しかし、無計画に六体を同時顕現させたこと、魔力操作が極端に不得手であることが原因と推定》
三号機と二号機が淡々と報告を重ねる。
「頑張ってるんだから応援しろよ!それにお前は魔力を消費させている方だからな!」
《事実を指摘》
「少しは申し訳なさそうにしろ!」
《感情表現機能は限定的》
『妾は申し訳ない』
『ほんの少し』
ソルがノエルの頬にそっと触れ、ルナも反対側から同じように触れる。
「少しなのか…」
四分後、ノエルの視界はすでに霞み始めていた。足元は揺れているように不安定で、現実感が薄れていく。呼吸は浅く、乱れ、冷や汗が止まらない。全身の熱とは裏腹に、指先だけが冷たくなっていく感覚があった。
心臓だけが異様な速さで脈打ち、身体の限界を無視して動き続けている。
「ノエル!」
アルベルトが思わず立ち上がった。
「もう止めろ!」
「あと一分……」
「倒れてからでは遅い!」
「これくらい、やれる」
ノエルはかすれた声でそう呟き、それでも踏みとどまろうとしていた。歯を食いしばる。これは自分が選んだ契約だ。六体と契約した以上、それを維持することすらできないのなら、召喚士として失格ではないか──その焦りが、さらに判断を鈍らせていく。
《魔力枯渇域へ接近。契約者保護規定に基づき、解除を要求》
一号機が冷静に告げる。
「俺は大丈夫だ」
《大丈夫ではない》
《顔色が悪い》
二号機と三号機が間髪入れずに反論する。観測データはすでに警告域を超えていた。
《心拍数上昇、発汗、魔力循環異常。危険。即時撤退推奨…怖い、倒れる、解除して》
四号機は慌ただしく腕を動かし、強い警告を繰り返した。後半の言葉はもはや理性的な分析ではなく、緊急避難を促す叫びに近いものだった。それでもノエルは前を見据えたまま、止めなかった。
「あと少しだ!」
ノエルは無理やり魔力を絞り出した。契約紋が強く、強く光を放つ。その瞬間、胸の奥がすっと空白になるような感覚が走り、足から力が抜け、そのまま身体が前へ傾く。
『『ノエル!』』
ソルとルナが同時に叫び、四体の姿が大きく揺らいだ。アルベルトが思わず駆け出しかける。
だが、ノエルが地面に倒れ込むよりも先に、レオンがその身体を片腕でしっかりと受け止めた。
「無茶しすぎ」
「まだ……五分」
「四分三十八秒」
コンラッドが魔導時計を止めた。
「魔力維持試験は不合格」
「あと二十二秒……」
「倒れるまで耐える試験じゃない」
ノエルはレオンに支えられたまま、荒い呼吸を繰り返していた。胸の奥が焼けるように重く、視界の端がわずかに揺れている。
四体の召喚機体は半透明のまま宙に浮かび、完全には消えきらずに不安定な状態で残留していた。魔力の供給が途切れかけている証拠だった。
ソルとルナが小さな身体のままノエルの胸元へと縋りつく。
『苦しい?』
『痛い?』
いつもより僅かに震えた声だった。普段の淡々とした調子とは違い、明らかに動揺が滲んでいる。ノエルは息を整えながら、無理に笑顔を浮かべた。
「少し休めば平気」
『嘘』
『顔が白い』
短く、しかし確信を持った否定だった。同時に、召喚機体たちの方でも異常な処理が続いていた。
《契約者の魔力消費を抑制》
《常時六体顕現は非効率》
一号機が膝をつくように姿勢を崩し、二号機がそれを補うように補足処理を走らせる。
《供給量の分散方式を再検討》
《生体治療機能なし。修復できない、怖い》
三号機は淡々と記録を続けているが、その文面には明らかに通常とは異なる揺らぎが混じっていた。
四号機は巨大な両手を落ち着きなく動かし、どう対処すべきか判断できないまま空間を漂っている。
ノエルはその様子を見上げ、かすかに息を吐いた。
「心配してくれてるのか」
《契約者の損傷は重大、怖い》
即答だった。感情というより、事実の報告に近いそれでも、確かに“恐怖”という単語が含まれている。ノエルは一瞬だけ目を細め、それから小さく頷いた。
「そっか」
ノエルは弱く笑った。その表情を見たレオンは、わずかに目を細める。どこかで見覚えのある顔だった。ダークブラウンの髪、幼さの残る顔立ち、中性的な声。そのすべてが記憶の奥底に引っかかるような既視感を呼び起こすが、まだ思い出すには至らなかった。
「魔力回復薬です。一度に飲まず、三回に分けて服用してください」
演習場に入ってきたアドモンは、小瓶を手に取りながら説明を始めた。中には緑色の粘度のある液体が揺れており、その見た目はとても飲み物とは思えず、誰もが思わず顔をしかめるような代物だった。
「なんか色が……これ、苦い?」
ノエルが顔をしかめながら小瓶を見つめると、アドモンは満面の笑みで首を横に振った。
「いえ、非常に甘いですよ」
「いや、見た目はどう見ても苦そうなんだけど」
『ノエルの料理よりは遥かに安全』
『命の危険はない』
ソルとルナの淡々とした補足が追い打ちをかける。ノエルは納得しきれないまま、小瓶を受け取った。
「……本当にこれ飲まないとダメなのか」
「治療ですからね」
アドモンは当然のように頷く。
逃げ道はない。ノエルは一度だけ深く息を吐き、覚悟を決めて小瓶を傾けた。
「──っ、苦っ!」
次の瞬間、顔が一気に歪む。喉を通った途端、舌の上に強烈な苦味が広がり、思考が一瞬止まるほどだった。
「だから一気に飲まないでくださいと言いましたのに」
「苦くないって言っただろ!」
「ふふ、よく効く薬は苦くて飲みにくいものですよ」
満面の笑みを浮かべるアドモンをノエルは涙目のまま、恨めしそうに睨みつけた。
だが薬の効果は言葉通り高く、温かな魔力が体内へとゆっくり広がっていく。まるで、空になった器に少しずつ水が注がれていくような感覚だった。完全に回復したわけではないが、それでも立ち上がる程度の力は確かに戻っていた。その光景を、観客席からアルベルトが強く拳を握りしめながら、食い入るように見つめていた。
「だから言ったのに!無理をするなと!」
「ノエルさんは自分の限界を理解していませんわ」
アルベルトは心配を滲ませた低い声で言い、アイリスも厳しい表情のまま続けた。彼女の手は膝の上で固く握られていた。
「昨日まで六体を同時に維持した経験がなかったんだ。仕方ない部分もあるだろ」
「仕方ないで済ませれば、また倒れる。限界を知るのも訓練」
フィンは不安そうに言い、シャスールは静かに、しかし揺るがない声でそれに答えた。
その隣で、カティアは右腕を抱えるように座っていた。袖の下では、今朝の称号測定器から逆流した魔力によって生じた傷が再び熱を帯び始めている。ノエルの六つの契約経路が活性化した影響で、腕に残留していた異質な魔力が共鳴していたのだ。痛みは確かにある。だがそれ以上に、ノエルが倒れた瞬間に胸を走った焦りの正体が、カティアには理解できなかった。
観察対象は一時的に動けなくなっただけであり、死亡したわけではない。
本来であれば弱点を把握できる好機であり、冷静に判断すべき状況だった。
しかしカティアは、その理屈を理解しながらも、無意識に自分の手を強く握りしめていた。
「カティア?」
フィンが彼女の異変に気づき、顔を覗き込む。
「顔色が悪いぞ」
「え?」
「大丈夫か?」
問いかけに、カティアは一拍遅れて反応し、右腕を隠すようにして立ち上がった。
「少し気分が悪くて」
「保健室へ行くか?」
フィンが心配そうに言葉を続けると、アイリスもまた心配する表情でその様子を見つめた。
「今朝よりも顔色が悪いですわ。一人で大丈夫ですか?保健室まで付き添いましょうか?」
その言葉に、カティアは小さく首を振る。
「大丈夫ですよ。心配かけてすみません」
「そうですか……無理はなさらないでくださいませ」
カティアは小さく頭を下げ、その場を離れた。去り際、彼女は一度だけ演習場へ視線を向ける。そこではノエルが騒がしく動き回っていた。
「水!」
「薬が身体に浸透するまであともう少し待ってくださいね」
「口の中が死ぬ!」
『蜂蜜を飲めば中和される』
『ノエルと妾たちの分の蜂蜜を早く頂戴』
ノエルの周囲は相変わらず騒がしく、緊張感とは程遠い光景が広がっていた。無防備で、どこか危うさを孕みながらも、眩しいほどに輝いて見えるその空気に、カティアは静かに目を伏せる。
やがて彼女はその光景からそっと視線を逸らし、何も言わずに観客席を後にした。




