☆1-17☆学院内部に潜む影
講堂から生徒たちが退出した後、複数の教師たちは壊れた測定器の周囲へと集まり、状態の確認と原因の検証を行っていた。焦げ跡の残る装置や歪んだ魔力回路を前に、誰もが無言で状況を整理している。
一方、ノエルとアルベルトは少し離れた位置で、数人の教師と共に待機していた。直接の作業には加わらず、結果報告を待つ形である。
「爆発しなくてよかったな」
ノエルが軽い調子で呟くと、その言葉にアルベルトは深くため息をついた。
「君はもう少し危機感を持て」
低く抑えた声には、呆れと疲労が混じっている。
「今度から測定器には触らない」
「そういう事ではない!」
ノエルの決意は根本的な解決にはなっていなかったため、アルベルトの声がわずかに強くなる。そのやり取りを聞いていたソルとルナが、淡々と補足するように言った。
『触ると壊れる』
『ノエルの特技』
「特技に追加するな!」
ノエルのツッコミが響き渡る。
その間にも測定器の検証を進めていたアドモンは、装置の下部を慎重に開き、その内部構造を覗き込んだ。中には精密に組まれた魔導回路と複数の記録結晶が整然と配置されており、本来であれば単純な測定装置であるはずのそれは、想定以上に複雑な構造をしていた。アドモンは眼鏡に小さな拡大術式を展開し、回路の一つひとつを丁寧に追いながら確認していく。その表情からはいつもの軽い調子は消え、錬金術師としての鋭い集中だけが浮かんでいた。
やがて彼は、小さく息を吐いた。
「おかしいな…これは単なる装置の故障じゃない」
その声には、普段の柔らかさはなく、明確な違和感と警戒が滲んでいた。周囲の空気がわずかに張り詰める中、コンラッドが静かに問いかけた。
「何が見つかった?」
「正規の制御回路とは別に、もう一つ……外部から組み込まれた術式が存在している」
アドモンは細い針状の魔導器具を慎重に差し込み、空間の奥から淡い紫色の光を引きずり出した。
「……糸だ」
アドモンは目を細める。それは髪の毛よりもさらに細い、魔力で編まれた観測用の“糸”だった。だが、その大半は途中で焼き切れ、断片的に千切れたまま途切れていた。
「観測術式だな」
アミュの表情が一気に引き締まる。
「学院の記録装置には繋がっていない。つまり誰かが観測結果を横取りしようとした痕跡だ」
それに続いて、レオンが腕を組み、低い声で問いかけた。
「対象は誰だ?」
アドモンは残滓を丁寧に解析しながら答える。
「起動条件が設定されている。特定の“称号”に反応する仕組みだ」
その視線が、ゆっくりとノエルへ向く。
「召喚系統の称号……」
「俺?」
ノエルが思わず聞き返す。
「おそらく君だ。妖精王二体との契約を観測するために仕込まれていた可能性が高い」
ヒストリアは記録用紙に高速で書き込みながら、術式の解析を進めていたが、途中でわずかな違和感に気づき、手を止めた。彼女は目を細め、再度術式と照合するように視線を走らせる。
「…この術式は情報を送信する前に破綻していますね。ノエル君の契約魔力が逆流して、観測経路そのものに流れ込んでいます」
「じゃあ……向こうは?」
レオンの問いにアドモンは表情を曇らせたまま答えた。
「もし術者がその経路に接続していたなら、無事では済まない……腕か手に、深刻な魔力損傷を負っている可能性が高い」
コンラッドは講堂の出口へと視線を向けた。先ほど退出していった新入生たち、その後に続いた在校生、教師陣、そして来賓たち、この術式を仕込んだ者は、あの中に紛れている。
「いつ仕込まれた?」
ディオーネの問いは短く、しかし重く響いた。
その一言で、その場の空気は一瞬にして張り詰める。
「昨日の最終点検後です」
アドモンが即座に答えた。冷静な口調だったが、その視線は鋭く一点を見据えていた。
「昨夜から今朝の間ですね」
アミュは静かに目を閉じ、学院全体を覆う結界の記録へと意識を沈めた。空間に流れる魔力の痕跡を一つずつ辿るように、慎重に確認していく。数秒の沈黙ののち、彼はゆっくりと目を開いた。
「外部からの侵入記録はありません」
その言葉に、室内の緊張が一層張り詰める。ディオーネはゆっくりと息を吐き、重く沈んだ空気を受け止めるように目を細めた。その沈黙を引き継ぐように、コンラッドが静かに、しかし確信を込めて言葉を続けた。
「つまり…学院内にいる誰かが、細工したということですね」
空気が一気に冷えた。教師たちの表情から、普段の柔らかさがすっと消え去る。
学院の生徒を狙う者、測定結果を盗もうとする者──その存在がすでに内部へ入り込んでいるという事実だけが、重く場に落ちた。
ディオーネは静かに目を細める。その表情は穏やかでありながら、内側には雷光のような鋭い警戒心が潜んでいる。
「生徒へは知らせぬ」
低く落ち着いた声が、部屋の空気を引き締めた。
「混乱を避けるためですか?」
アミュが即座に問い返す。
「うむ。それもあるが……同時に、相手を逃がさぬためでもある」
その言葉に、レオンの表情から軽い笑みが消えた。
「なら、警備記録は全部洗う。夜間に講堂へ近づいた奴も含めてな」
レオンの言葉の後にアドモンが淡々と続ける。
「僕は測定器に残った魔力痕を解析するよ。完全に消されているけれど、逆流の瞬間に微細な魔力は残るはずだ」
「私は術式の年代と系統を調べますね。現代王国式ではない。暗号化の構造も異常に複雑なので」
ヒストリアの声には、知的好奇心と同時に明確な緊張が混じっていた。
それぞれが役割を確認し、動き出そうとしたその時──
「コンラッド」
ディオーネが静かに呼ぶ。
「はい」
「一年生をよく見ておれ」
一瞬、室内の空気がわずかに張り詰め、コンラッドは目を細めた。
「新入生の中にいる可能性があると?」
「断定はせん。だがな………可能性を捨てるな、ということじゃ」
ノエルは教師たちの会話を聞きながら、カティアの青白い顔を思い出していた。入学式の日に緊張していると言っていたことや、食事もあまり取れていなかったこと。
それらを思い返しながらも、ノエルは無意識に思考を打ち消す。
(いや……ただの体調不良だよな)
それ以上深く考えようとする前に、その思考は静かに途切れていった。
「ノエル」
ディオーネはノエルへ視線を向ける。
「今日表示された文字については、内密にしておくのじゃ」
「でも、講堂にいた全員が見てたぞ」
「ほんの一瞬のことじゃ。測定器の誤作動ということにしておこう。……いや、それだけでは少々苦しいか。そうじゃな、昨夜“六体の召喚獣”と契約したことだけは明かしておくとするか。そうすれば、皆の意識をそちらへ向けられるじゃろう」
ディオーネの言葉に、アドモンが頷く。
「そういう扱いにしておくのが妥当ですね」
場の空気が一度落ち着いたところで、ノエルが改めて問いかけた。
「あの…神性適合って?」
その言葉に、教師陣は一瞬だけ互いに視線を交わし、最終的にヒストリアが説明役を引き受けた。
「神、あるいは神性を帯びた存在の力と適合する素質のことよ」
「俺にそんなものがあるのか?」
「現時点では断定できないわ。測定器の誤作動の可能性もあるし、あなたが契約している妖精王の力を“神性”として誤認した可能性もある」
『妾たちは妖精王』
『神ではない』
「って二人は言ってるけど…」
「本人たちが否定しても、測定上の分類は別よ」
ヒストリアは二人を興味深そうに見つめた。
「詳しく調べたいわね」
『絶対嫌』
『解剖されそう』
「しないわよ………生きているうちは」
『怖い』
『逃げる』
「冗談よ」
「先生、その顔で言うと冗談に聞こえない」
ノエルが突っ込み、その横でコンラッドが深く息を吐いた。
「ヒストリア先生。生徒と召喚獣を怖がらせないでください」
「知的好奇心よ」
「抑えてください」
場の空気は、緊張と脱力が入り混じったまま静かに収束する。ディオーネはそこで、ぱん、と軽く両手を合わせる。乾いた音が講堂に響いた瞬間、それを合図にしたかのように室内の空気は一気に引き締まり、全員の視線が自然と学院長へと集まった。
「この後の予定は変更せぬ。午後からは、ノエルは早朝に話した通り、召喚獣の正式登録試験を行う」
淡々とした宣言に、アルベルトがすぐに反応する。
「いいんですか? 内部に侵入者がいる可能性があるのですよ」
その声には、明確な警戒が滲んでいた。学院内に敵が潜んでいる可能性がある以上、その判断は常識的には危険に思える。しかしディオーネの態度は一切揺らがなかった。
「だからこそじゃ。その方が、相手も動く」
「それはノエルを…囮にするつもりですか?」
アルベルトの声には明確な怒気が混じっていた。標的はノエルだと、誰もが理解している。だからこそ、感情が先に立ち、理性が追いつくよりも早く、怒りだけが膨れ上がっていく。だがディオーネはその視線を避けることなく、真正面から受け止めたまま静かに立っていた。
「生徒を囮にはせぬ。動かせるのは、教師だけじゃ」
その一言で、アルベルトは短く息を吐き、張り詰めていた肩の力をゆっくりと抜く。完全に納得したわけではない。だが、それでも学院長の判断には一定の信頼を置いていた。
その空気の隙間を埋めるように、コンラッドが静かに口を開いた。
「ノエル君の周囲には、気づかれぬ形で教師を配置するよ。君たちは普段通り過ごしてくれればいい」
その言葉に、ノエルがすぐ反応する。
「普段通りって言われても、まだ二日目だぞ」
そもそも学院生活に慣れていないため、「普段通り」と言われてもその基準が曖昧だった。コンラッドはそんな様子を見て、小さく笑った。
「確かに。では、君らしく過ごして」
「問題を起こすって意味に聞こえるんだけど」
「起こさないでね」
『無理難題』『ノエルはトラブルメーカー』
ソルとルナがほぼ同時に呟く。
「俺より先に否定するな!」
ノエルの叫びが講堂に響く中、そのやり取りを横目に、教師陣はそれぞれ静かに持ち場へと散っていった。調査は継続され、警戒体制も維持されたままだが、その動きはあくまで自然に、日常の延長であるかのように整えられていく。
ノエルとアルベルトは教室へ戻るよう指示され、そのまま並んで歩き出した。
しばらくの間、二人の間には言葉がなかった。足音だけが廊下に響き、やけに長く感じられる沈黙が続き、やがてアルベルトが小さく息を吐くようにして口を開いた。
「狙われている自覚を持て」
「持ってる」
「本当に?」
「一人で行動するなってことだろ」
「そうだ」
「じゃあ、アルベルトがずっと一緒にいてくれる?」
その瞬間、アルベルトの足が止まった。
「な、なぜそういう言い方をする!」
「だって同室だし、同じクラスだし」
『常に一緒』
『つまり仲良しコンビ』
「違う!」
アルベルトの叫びが廊下に響き渡り、ノエルは耳を押さえながら小さくため息をついた。
「寝不足なのに元気だな」
「誰のせいだ!」
☆
教室に戻ると、各授業についての説明が行われていた。紙をめくる音と教師の声だけが響く。ノエルは何度も眠りかけ、そのたびにアルベルトとアイリスから小さく肘で突かれては目を覚ます。本人は必死に耐えているつもりだったが、机に突っ伏す寸前の姿勢を何度も繰り返していた。
一方で、カティアは教室の後方に静かに座っていた。右腕を机の下へ隠し、誰にも気づかれないようにしている。
魔力の逆流による傷は、予想より深かった。黒い亀裂は肘の近くまで広がり、魔力を少しでも動かすたびに針を刺されるような鋭い痛みが走る。
治療室へ行けば、術式による負傷だと気づかれる可能性がある。そうなれば、金糸雀挽歌の存在が露見するのは時間の問題だ。隙を見て自分で治療するしかない。
だけど休憩時間、ノエルはカティアの机へと歩み寄った。足音に気づいた瞬間、カティアは反射的に右腕を後ろへ隠す。
「カティア」
「どうしました?」
カティアは何事もなかったかのように微笑んでいたが、その表情にはどこか硬さが残っていた。
「朝より顔色悪いぞ」
「大丈夫です」
「それ、朝から何回目だ?」
「本当に、大丈夫です」
言葉は丁寧だったが、その奥にはどこか急かされているような響きが混じっていた。ノエルは、その違和感に気づき、わずかに眉をひそめる。
「手、見せて」
そう言ってノエルが自然に手を伸ばした、その瞬間、カティアは反射的に椅子を引き、距離を取るように身を引いた。
「触らないでください!」
思った以上に強い声が出て、教室の空気は一瞬で凍りついた。誰もが動きを止めて二人を見つめ、ノエルも驚いたように目を見開く。
「……ごめんなさい」
「あ、いや、俺こそ…勝手に触ろうとした。悪かった」
責めるでもなく、問い詰めるでもない。ただ自分の行動を静かに認め、申し訳なさそうに謝るだけだった。その落ち着いた態度が、かえってカティアの胸を強く締めつけた。
「でも、本当に具合が悪いなら先生に言えよ」
「はい」
「無理して倒れるなよ」
それだけ告げると、ノエルは何事もなかったかのように席へ戻った。
カティアは小さく俯く。
(……怒鳴ってしまった……ただ心配してくれただけなのに)
本来なら、任務対象として割り切るべき相手に、余計な感情を抱くべきではない。それなのに胸の奥に残っているのは、嫌われたかもしれないという不安だった。その考えが浮かんだこと自体に、カティアは自分で動揺する。
(私は何を恐れているの……あの子にどう思われようと、任務には関係ないはず……関係ないはずなのに……!)
その矛盾だけが、静かに心を乱していた。
教室の入口では、シャスールがその様子を静かに見ていた。一年B組の彼は、フィンと共にノエルたちの様子を見に来ていたところだった。金色の瞳に刻まれた魔法陣のような紋様が、わずかに揺らぐ。視線の先にあるのはカティアの右腕で、制服の下に隠された魔力損傷の痕跡は、測定器が示したものと同質の微かな残滓を確かに残していた。
シャスールはすでに何かに気づいていたが、それを口にすることはなく、静かに視線を逸らした。
「シャスール、どうした?」
フィンが不思議そうに声をかける。
「何でもない」
「カティアを見てた?」
「見てない」
「いや、今見てただろ」
「見てない」
「絶対見てたぞ」
「秘密」
「またそれかよ」
フィンは肩をすくめて呆れたように笑う。
シャスールはそれ以上は何も答えず、そのまま教室へと歩を進めた。ノエルたちのいる方へ向かいながらも、その表情はいつも通り穏やかで、何を考えているのか分からない静けさを保っていた。
☆
昼休みを告げる鐘が鳴った。
午前の授業が終わると、張り詰めていた教室の空気は一気に緩み、生徒たちは食堂や中庭へと散っていく。賑やかな足音と笑い声が廊下へ広がり、学院は昼の喧騒へと切り替わっていった。
その中で、ノエルは机に突っ伏したまま微動だにしない。完全に力を抜き、昼休みという時間を「休息専用」として正しく使い切る構えで、静かに脱力していた。
「昼食へ行くぞ」
アルベルトが声をかけるが、ノエルは顔を上げる気配すらない。
「寝る……昼休みは休むためにある」
「食事も取れ」
返される正論に、ノエルはわずかに眉を動かすだけだった。そのとき、肩の上にいたソルとルナが動く。
『甘い物』
『昼食』
二人はノエルの髪を軽く引っ張る。
「痛い…」
『起きて』
『午後から登録試験もある』
「そうだった」
ようやく思い出したように、ノエルはゆっくりと顔を上げた。眠気の残る目を瞬かせながら、重い身体を起こす。
午後から召喚獣の正式登録試験を行う──昨晩というより、ほとんど早朝に学院長、アミュ、コンラッドから告げられたその言葉が、今になってようやく頭の中で形を成した。
本来この試験は、契約した召喚獣の安全性と能力を確認するためのものであり、学院の管理下で正式に運用可能かどうかを判断する重要な手続きだ。対象となるのは、ソルとルナ。そして昨夜、暫定契約を結んだ四体の古代守護機兵。計六体の召喚獣が、今日正式に学院の管理下で評価されることになっていた。
「本当に四体とも登録するのか?」
アルベルトが呆れたように尋ねる。
「しないと駄目らしい」
「地上へ連れてこられるのか?」
「学院長たちが良い方法を考えたって」
『一号機は真面目で二号機は嫌味』
『三号機は質問が多くて四号機は怖がる』
「地上へ出した瞬間、騒ぎになりそうだな。俺は静かな学院生活を送りたいだけなのに」
ノエルは深く溜め息をついた。その場にいる全員の視線が、なぜか一斉に彼へと集まっている。アイリス、アルベルト、カティア、さらにB組から昼食の誘いに来ていたフィンとシャスール、そして肩の上に乗るソルとルナ。
『無理』
『諦めて』
ソルとルナの言葉に全員が無言で頷く。
「何で全員、同意する顔なんだよ!」
ノエルは眠気混じりに立ち上がり、鞄を肩にかけた。
「試験会場はどこって言ってたっけ?」
「学院北棟の召喚演習場だ。…その前にまずは昼食だ。後、召喚演習場には僕も同行する」
「何で?」
「監視役だ!」
『保護者』
『付き添い』
「違う!」
ノエルはソルとルナを肩に乗せ、いつものメンバーと共に昼食へと向かった。




