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第7話 喰らう

 翌朝、加護の奥で何かが脈打っていた。


 心臓の鼓動とは違う。もっと深い場所で、もっとゆっくりと。体の芯に埋め込まれた異物が、自分の一部になろうとしている——そんな感覚。


 寝台に座ったまま、意識を加護に向けた。「内なる蔵」の中を覗くように。


 いつもの収納空間がある。干し肉、硬パン、水袋、ボーンウォーカーの魔核。加護の中にしまったものが、ぼんやりと感じ取れる。それは前と変わらない。


 変わったのは、その奥だ。


 収納空間の底に、暗い水たまりのようなものがある。前はなかった。あの爆発の後からだ。少女の——レフィの力の一部。紫がかった、冷たい熱を持った何か。


呼吸するようにゆっくりと脈打っている。


 加護の中のそれに手を伸ばすように意識的に触れようとした。


 ——跳ねた。


 手のひらに、びりっ、と痺れが走った。実際の手ではないがそう感じた。水たまりの表面が波立って、俺の意識を弾いた。


 まだ触れるな、と言われたような気がした。


「……いったいお前は何なんだよ」


 足元の影が、微かに揺れた。レフィが起きたのか。顔は出てこない。気配だけがある。


 ため息をついて立ち上がった。体は昨日より楽だ。痛みは残っているけれど、動ける。


 今日、やるべきことは二つある。


 ギルドに27階層の調査報告を出すこと。そして——もう一度、27階層に行くこと。


          


 ギルドの受付で、エレナさんが目を丸くした。


「ノア君、あの依頼を受けたの? 27階層の調査」


「はい。行ってきました」


「鉄級なのに一人で?」


「……はい」


 エレナさんが口をぱくぱくさせたが、すぐに報告書の用紙を取り出してくれた。


 記入していく。環境、魔物——ペンが止まったのは、異常音の欄だった。


 あれはレフィの呼吸だ。だが「少女がいました」とは書けない。


「……発生源は特定できず。ノクスの濃度変化に伴う共鳴現象の可能性」


 嘘ではない。全部を言っていないだけだ。


 エレナさんが報告書を受け取り、頷いた。


「うん、形式的には問題ないわ。——はい、銀貨2枚」


 銀貨2枚。手のひらに乗った小さな銀の円盤が、ずしりと重い。銅貨にして20枚。薬草採取の二日半分。


 ……助かった。これで今月の仕送りが作れる。


「ノア君。27階層、また行くつもり?」


「はい。素材も少し取れたので」


「行くときは本当に気をつけてね」


「大丈夫ですよ」


 エレナさんが何か言いたそうにしていたけれど、俺は会釈をして受付を離れた。


          


 二度目の27階層は、最初の時より早く着いた。


 道を覚えたのもあるけれど、やはり体が前より良く動く。25階層から26階層にかけてのノクスの圧迫感も、前回ほどではない。慣れたのか、体質が変わったのか。


 27階層に足を踏み入れると、闇の空気が肌を包んだ。重くない。やはり、ここでは体が楽に感じる。


 足元の影が、ぞるり、と広がった。


 レフィの顔が浮かび上がる。薄紫の瞳がきょろきょろと周囲を見回している。


「……ここ」


 声が出た。掠れているけれど、昨日より少しだけはっきりしている。


「そう。お前がいたところ」


「……知ってる」


 知ってるのか。まあ、そうだろう。ここで何年——何十年、何百年かは分からないけれど——過ごしていたのだから。


 レフィの視線が一方向に固定された。奥の方を見ている。


「……そっちに、いっぱいある」


「いっぱい? 何が」


「……骨」


 ボーンウォーカーのことだろう。レフィはこの階層の魔物の配置を知っているらしい。


「案内してくれるのか?」


 こくり。影の中で頷く気配。


 ……便利だな。


          


 レフィの導きで、効率よくボーンウォーカーを見つけることができた。


 一体目を倒す。前回と同じ要領で、首の骨を斬って崩す。手際は少し良くなった。


 骨の山から魔核を取り出す。指先ほどの紫の結晶。


 ——その瞬間、手のひらが熱くなった。


 加護が反応している。あの時から感じていた脈動が、急に速くなった。


 魔核を持つ手が震える。手のひらの中で、結晶の表面が——溶けている。


 紫の光が指の隙間から漏れた。結晶が液体のように形を失い、手のひらの中に沈んでいく。皮膚の中に。肉の中に。骨の中に。


 温かい。


 手のひらから腕へ、腕から肩へ、肩から胸へ。温かいものが流れていく。川のように、ゆっくりと体の内側を巡っていく。


 気持ちいい。


 それが最初の感想だった。体の隅々まで温かいものが染み渡っていく。疲れた筋肉がほどけるような、渇いた喉に水が流れるような。


「——っ」


 声にならない声が漏れた。気持ちいいのに怖い。その二つが同時に来る。


 これは何だ。何が起きている。手のひらの上にあった魔核が消えた。加護の中に入ったのか。いや、加護の中の収納空間にしまったのとは感覚が全然違う。


 しまったのではない。


 喰ったのだ。


 加護が、魔核を喰った。


 手のひらを見た。何もない。魔核の欠片すら残っていない。ただ手のひらの中心が、微かに紫に色づいている。数秒で消えた。


 体の中で、何かが定着していくのを感じた。温かさが引いた後に、わずかに体が軽くなっている。ほんの少し。気のせいかもしれない程度に。でも、確かに感じる。


 足元の影から、レフィの瞳がこちらを見上げていた。


「……食べた?」


「食べた、のか? これ」


「……うん。食べた」


 レフィは当然のことのように言った。何を驚いているのか分からない、という顔で。


          


 二体目のボーンウォーカーを倒して、魔核を手に取った。


 また、同じことが起きた。


 結晶が手のひらの中で溶けて、体に沈んでいく。温かさが流れる。気持ちいい。怖い。その二つの感情が同時に来る。


 三体目、四体目も同じく吸収していく。


 四つ目の魔核を喰った後、体の変化がはっきり分かるようになっていた。


 さっきより明らかに走り出しの一歩が大きい。腕の力も増している。さっき倒した四体目のボーンウォーカーは、一撃で頭蓋を砕けた。最初の頃は二撃、三撃かかっていたのに。


 手のひらを見た。自分の手だ。でも、昨日までの手じゃない。


「……強くなってる」


 声に出して、初めて実感した。


 それだけじゃない。暗闇の中の視界がさらに広がっている。遠くの残骸の輪郭がくっきり見える。ノクスの流れが——見えるのとは違い、感じ取れる。空気の中にノクスがどう流れているか、どこが濃くてどこが薄いか、肌で分かる。


 全部、魔核を喰ったことで得たものだ。


 探索者証を確認した。数字がまた動いている。昨日の変化どころではない。喰うたびに跳ね上がっている。加護の欄の見慣れない記号の横に、新しい表示が増えていた。何を意味しているのかは分からないが、魔核を喰うたびに増えている。


 加護の奥の暗い水たまりが、少しだけ深くなっている。喰った魔核のぶんだけ。


「お前、これ知ってたのか」


 足元のレフィに聞いた。


「……ん」


「なんで教えてくれなかったんだ」


「……聞かれなかった」


 そういう問題じゃない気がするけれど、こいつの返答はいつもこの調子だ。


 手のひらを開いて、閉じた。握った拳に、昨日までなかった力がある。小さい。まだ微々たるものだ。でも確かに、俺は強くなっている。


 二年間、銅貨8枚の底で這いずっていた俺に、初めて違う景色が見えている。


 怖さは消えない。この力が何なのか、どこに行き着くのか分からない。でも——。


 もう一体、倒しに行こう。


 灰色の荒野を、俺は歩き出した。足元の影が、静かについてくる。

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