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プロローグ 血だらけの笑顔

 剣が、通らない。


 折れた剣を振った男の刃が、レイスの体をすり抜けた。手応えがない。当たり前だ。半透明の死霊に物理攻撃は通じない。信仰魔法なら祓える——けれどこの闇の中では、信仰魔法の出力が落ちる。


 盾の男が叫んだ。「下がれ! カーラ、魔法を——」


「出ない! もう、出ないのよ!」


 女が壁にへたり込んでいる。魔力切れだ。三人とも血だらけで、三人とも限界で、三人の周りをレイスが八体、ゆっくりと囲んでいた。


 知っている三人だった。


 俺は闇の中を全力で走っていた。


 レイスの群れに突っ込んだ。右手を伸ばして、一番近い一体の体に指を突っ込む。


 剣は要らない。


 加護が開いた。手のひらから中身が吸い込まれていく。レイスの体が歪んで、縮んで——跡形もなく消えた。


「——は?」


 盾の男が声を漏らした。剣でも魔法でも倒せなかった死霊が、素手で触られて消滅した。そりゃ驚く。俺だって最初は驚いた。


 二体目を掴んで、喰った。三体目。追いかけて、触って、吸い取る。技術も何もない。ただ掴んで喰うだけ。我ながら滅茶苦茶だ。


 四体目で手が紫色に光り始めた。五体目で指先の感覚がなくなった。体の中が冷たいもので膨れていく。六体目、七体目——八体目を消した時には、膝が笑っていた。体がぱんぱんで、視界の端が紫に滲んでいる。目が光ってる。俺の目が。


 ——全部消えた。あの三人を囲んでいたレイスが、一体残らず。


 折れた剣の男がこっちを見ていた。口を開けたまま固まっている。


 そこまでは、良かった。


 地鳴りがした。


 通路の奥から出てきたのは、黒い鎧の骸骨だ。2メートル。眼窩に紫の炎。右手の朽ちた大剣は、俺の体より大きい。


 デスナイト。上級魔物。銅級パーティ三つ束ねても勝てるか怪しい相手。


 足が竦んだ。27階のノクスの圧が楽に感じるほどの重さだ。骸骨が一歩踏み出しただけで膝が折れそうになる。逃げろ、と体の全部が叫んでいた。


 俺は——つい最近まで薬草を摘んでいた鉄級の冒険者だ。こんな化け物と戦う人生の予定はなかった。


 足元の影が、裾を引いた。ちょん、と一回。


 ——分かってる。


 体の中にはさっきレイス八体分から喰ったものが溢れている。使い方なんか知らない。制御もできない。


 でも後ろに、まだ立てない三人がいる。


 両手を前に出した。教わったことのない構え。格好なんかつかない。


 溢れるなら——出す。


 闇が両手から弾けた。


 黒い衝撃波が通路を奔って、デスナイトの巨体を正面から叩いた。足元の石板が放射状に砕け、左右の壁が抉れた。二メートルの骸骨がよろめいて、膝をついた。


 一瞬。それで十分だった。


 背後から風が抜けた。足音はなかった。銀色の線が二本、俺の横を走り抜けて——骸骨の胸の鎧の隙間に吸い込まれた。


 紫水晶が砕ける音。


 デスナイトが、崩れた。


 それから俺も崩れた。膝から落ちて、手をついて、口の中の鉄の味を噛みしめた。指がまだ紫に光っている。立てない。


 でも前を見た。


 折れた剣の男がこっちを見ていた。何も言えない顔で。


 知っている顔だ。銅貨4枚で俺を荷物持ちに使っていた男。


 ——だから何だって話だ。


「大丈夫ですか」


 血だらけの顔で笑った。多分ひどい笑い方だ。


「良かった。間に合って」


 


 ——これは、もう少しだけ先の話だ。


 始まりは掲示板の右上。日焼けした羊皮紙。報酬は銀貨2枚。


 誰も手を出さない依頼を、俺が取った。それだけの話だ。

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