第85話 黒田如水
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「ほら。来てやったぞ?」
開口一番、そんなことを告げる娘をまじまじと見返して、黒田如水は一瞬の驚きののち、全てを悟って息を吐き出したのだった。
「む、なんだその反応は。もう少し驚けばいいのに」
「……いえ。十分に驚いておりますよ」
苦い笑みを返しつつ、如水はその招かれざる客を自らの草庵へと迎え入れる。
「何も無いところですが」
「……確かに質素だな?」
「茶など点てましょう」
「そういえば、お前がわたしに茶を点ててくれたことなど無かったな」
「……当時はさほど興味もなかったもので」
お互い自己紹介すらしていない。
にも関わらず、如水には相手が誰なのか分かっていたし、相手の娘もこちらのことをよく弁えているようだった。
その娘は未だ十にも満たぬような童の類であったが、その人にはあり得ない大きな耳や、獣の尻尾、そして同色の髪など、如水にある人物を彷彿とさせるに十分な容姿であったといっていい。
「孝高、老けたな?」
「……色葉様はお変わりなく」
自然と、その名が口から出た。
その瞬間、娘が嬉しそうな笑みを浮かべる。
もっともそれは十かそこらの童がみせる可愛いものではなく、不吉を感じずにはおれない――そういう類の笑みであったが。
それもまた、馴染みのものであった。
むしろ懐かしいくらいである。
「むしろ、お若くなられましたか。それと、今は黒田如水と名乗っております」
「すなわち水の如し、ねえ。全てが水泡が消え去るように去っていった挙句、最後に残ったのがわたしでは、思うところもあるんじゃないのか?」
「さて……」
「――どうしてわたしを避けていた?」
不意に、色葉は斬り込んできた。
「……これは異なことを。私が貴女様と会うのはこれが初めてのはず。それを避けていたなどとは」
「わたしを色葉と呼んでおきながら、今さらそんなことを言うのか?」
「信じるには、荒唐無稽な話でありますゆえ」
色葉が揶揄するのは、何となく分かる。
長政を通じ、その存在を伝えてきたというのに、如水はそれを知らぬ振りで今まできたからだ。
如水の知る色葉ならば、なるほど不満を覚えることだろう。
その結果、いずれ今日のような日が来ることも、想像に難く無かったといっていい。
「半信半疑、だったか?」
それは切ないな、とつぶやく色葉に、如水は沸き起こる心境を抑え込むのに苦心する。
「まあ無理も無い話だけど」
「……関ヶ原では我が愚息をそそのかし、東軍に勝利をもたらしたのは色葉様の仕業でしょう。意趣返しのおつもりでしたか」
「ん、わかったか」
また色葉は笑う。
「だが長政の名誉のために言っておくが、あれはわたしが口出しせずとも、きっと同じことをしたぞ? その程度には認めてやるんだな。それが分かっていて敢えて口出ししたのはちょっとした保険の意味合いと、そしてお前への分かり易い伝言になると思ってな」
「伝言、でありますか」
「うん。お前が本当に天下を狙っていたのなら、関ヶ原の戦い……というか、東軍と西軍の戦いは長引くに越したことは無かったはずだ。ところが息子の活躍であっさり結果が出てしまっては、野心を成就させる時間もあったものではない。いい皮肉になると思ったんだが」
そこまで口にして、しかし色葉は笑みを引っ込めて小さく唸ってみせた。
「だが思い違いだったようだ。《《今回の》》関ヶ原の戦いは、確かに本戦は一日で結果が出たが、その後も石田三成はかなり粘ったからな。正直家康が勝つかどうか、怪しかっただろう。つまり時間はあったんだ」
にも関わらず、お前は必要以上には動かなかった、と色葉は言う。
それが解せない、とも。
「――正直、どういうつもりだったんだ? お前が九州で挙兵したのは、天下を目指す意図があったのか。それともあくまで家康の為に西軍と戦ったのか」
今さらのように野心の有無を問われ。如水は首を横に振る。
「……分かっておられるでしょうに」
「ふん。やはりその気は無かったのか。つまらん奴め」
相変わらずの暴言ではあったが、それすらを懐かしく思い、如水はつい苦く笑ってしまった。
「む。何で笑う?」
「もし色葉様が――……。いえ、何でもありませぬ」
「もし、何だ? 気になるから続きを言え」
「戯言の類でありますれば」
「いいから言え」
半ば脅しにかかった色葉の前に、結局のところ為すすべなど無く。
しばしの瞑目ののち、ぽつりと如水は語ったのだった。
「もし本能寺での変事が無かったならば、と。そう、詮無きことを考えたのです」
「――――」
そこで、色葉から表情が消えた。
この話題は危険であると、如水も本能的に分かっていたといえる。
そして同時に、ここに色葉が来た以上、決して避けられない話題であろうということも。
「ああ、わたしも聞きたかった」
案の定、色葉は話題に乗ってくる。
だがその可憐な声は、酷く冷たい。
そして、
「あれに、お前は関わっていたのか?」
単刀直入に、色葉はそれを問うてきたのだった。
「……あれは、明智様が為されたことでしょう」
「ん、それは分かっている。が、何故あれが謀反したのか、はっきりしたところが未だに分からない」
「動機が無い、と?」
「いや? 動機ならばいくらでも考え付く。あり過ぎて逆に困るくらいだ。正直なところ、あれが本能寺で誰かを殺すのは、もはや避けようも無い宿命的な呪いの類じゃないかとさえ思っている」
「……?」
色葉の言に、逆に如水は首を傾げることになった。
予想と違う色葉の心境の吐露に、やや戸惑ったとさえいえる。
「――ん、ああ。今の言葉に気にするな。お前には分からない理由によるものだからな。で、どうなんだ? あの後速やかに光秀を討った秀吉の元にいたお前ならば、知っていることもあるんじゃないのか?」
「……色葉様は、私を疑っておいでか」
「無関係とは思っていない」
本能寺の変の後、もっともうまく立ち回り、最大の利益を得たのは羽柴秀吉だ。
そしてそうなるように誰かが仕向けたと、色葉は考えているのだろう。
「――あまり構えるな。別に犯人が分かったところで、どうこうするつもりもない。文句は言うがな。例えお前が全てお膳立てして、あの結果を出したというのなら、素直に負けを認めてお前を賞賛してもいい。なかなかの手際だったと」
「……何故です? 私は太閤殿下を天下人に押し上げるために、あの変事を最大限利用しました。色葉様の遺された朝倉家も滅ぼしたのです。それで恨みに思わぬと仰せられても、にわかに信じがたいものがあります。――私は、色葉様から受けた恩を仇で返したと言ってもいいのですぞ」
色葉は有岡城から如水を救ってくれた。
その理由は好意からというわけではなかったが、それでも命を助けられたことには変わりない。
あの時、色葉は如水を家臣に望み、そして如水はそれを断っている。
それ以降、文句を言いつつも色葉は何度も何度も如水を勧誘していたが、結局最後までそれに応えることは無かった。
それどころか、最後は確かにその色葉の死を願ったのである。
そして望み通り、本能寺の変が起きたのだ。
「利用した、ねえ……。その口ぶりからすると、やはり完全に首謀者、というわけでは無さそうだな。やはり貞宗の読み通りか」
ふむ、と色葉は考え込む。
「とにかく話せ。さっきも言ったが、それでどうこうするつもりはない。単に区切りをつけておきたいだけの話だ。生前のわたしの、な」
「……本当に、貴女様は色葉様なのですな」
「何を今さら。この容姿を見て見間違えるなんて、耄碌のし過ぎというものだぞ?」
朝倉色葉が蘇ったかもしれないこと。
関ヶ原の折、長政からの連絡を受けた如水は愕然とし、積極的な九州制覇を途中で止めてしまうほどの衝撃を受けた。
信じるにはあまりに荒唐無稽ではあったが、この世の中には思わぬことも多くあることを、その人生でも学んでいた如水は色葉の復活に関し、実はほとんど疑っていなかったといっていい。
そして当時の自分がその可能性を失念していたことこそ、全ての間違いだったとすら思ったものだった。
如水は溜息のようなものを吐き出しつつ、静かに頷く。
「……畏まりました。当時の私が望んだこと、実際にしたこと……つまびらかにお話いたす」






