第79話 平家の酒宴(後編)
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語られる内容が内容なだけに、その酒宴は実にしめやかなものであった。
しかしわたしが所望し、それに応えて饗された酒は、なるほど格別である。
「直隆、隆基。お前たちも飲め。これならいけるぞ?」
「ですが」
「貞宗みたいにつまらんことは言うなよ? お前たちの分もある以上、飲み干すは礼儀だ」
「……されば」
半ばわたしに脅迫される形で、二人はそれを飲み干した。
大変よろしい。
「……それを呑める時点で、源氏に非ず、人に非ず、といったところであるな」
おもむろにそんなことを言ってきたのは、教経だった。
「確かにわたしにしろ、直隆らにしろ、源氏に縁は無いな」
この酒が本当に源氏に縁の者の魂を溶かしこんだものであるのならば、源氏の者にとっては自らの血を飲むようなものである。
耐えがたいと思うことだろう。
わたしは元より源氏ではなく、また魂を食べることもあって、何の抵抗もないどころか、むしろ新たな発見に驚いていたくらいである。
魂を酒に付け込んで摂取するなど、考えたことも無かった。
しかしこれがなかなかにいい。
今度やってみようかな、とつい舌なめずりをしてしまったくらいである。
「朝倉といっておったが……本当に何者なのか」
またその問いか。
まあ気になるのは分かるが。
「そうだな。良いものを聞かせてもらったし、多少は答えておくか」
未だに敵愾心は残っているものの、教経のわたしへの態度もかなり軟化してきている。
知盛や海御前あたりに言われた結果なのか、心からのものなのかは知らないが。
「お前たちの時代でいうと……ええと、どうなるんだったかな」
この世界にぽっと出たわたしとは違い、わたしが称する朝倉氏自体は、連綿と続いてきた一族である。
どこまで本当かはともかくとして、一説では孝徳帝の孫である表米親王、いわゆる日下部表米に始まる日下部氏が、朝倉氏の始まりと言っていい。
この日下部氏の後裔とされる氏族はいくつか存在するが、その一つが朝倉氏なのだ。
そしてその本貫は但馬国養父郡朝倉であり、平安時代の末期に日下部宗高がその朝倉の地にて朝倉氏を称したのが始まりで、その家祖は朝倉宗高、ということになるらしい。
これがいわゆる但馬朝倉氏で、そこからさらに分かれたのが、越前朝倉氏だ。
その初代である朝倉広景は南北朝時代の人物であり、ちょうど鎌倉時代が終わって室町時代に移行する狭間の頃である。
この広景が足利一門の斯波高経に仕え、高経が越前国守護に任じられた際に従って越前国の移り住み、ここに土着したのが始まりなのだ。
一応の設定上、生前のわたしの父親ということになっている朝倉義景は、広景から数えて実に十一代目の当主、ということになる。
朝倉家はわたしの死後に大名家としては滅んだものの、血筋というか、名跡は残っている。
十二代目が義景の従兄弟であった朝倉景鏡で、十三代目がわたしの夫であった朝倉晴景。そして十四代目となるのが、その嫡男である朝倉秀景、ということになるのだろう。
もっとも今では越前との縁は切れ、摂津の地にあるのだから、摂津朝倉氏の初代が秀景、ということになるのだろうか。
もっともわたしは義景の娘を詐称しているので、正確には義景や景鏡の代でその血筋は途絶えている。
名跡は残ったがな。
話が逸れた。
「……朝倉氏はお前たち平家方として、当時は尽力したはずだぞ?」
「とんと知らぬ」
まったくこれだから脳筋は。
「イヤ……確カニ貴殿の仰ル通リ。高清殿ハ我ラニ合力下サッタ」
お、知盛の方はちゃんと覚えているのか。
「おかげでそのことを幕府に罰せられて、高清は所領を没収されたそうだぞ」
高清というのは、家祖である朝倉宗高の子である。
「ソレハ……申シ訳ナイ仕儀デアル」
「色々しがらみはあったんだろうが、自ら決めた結果だろう。気に病む必要はない。それに高清は個人的な武勇でもって功を上げ、所領を回復しているからな」
ちなみにこの朝倉高清は、壇ノ浦の戦いで自害を潔しとせずに但馬の地に潜伏した平盛嗣の追捕の命を、頼朝から受けている。
平盛嗣も平家方にあって、その父・平盛俊と共に勇猛果敢で知られた勇将であったという。
こうして見ると、柔弱とされた平家にも歴史に名を残す武将がいたのは確かであり、しかしそれが後世にあまり伝わっていないのは、まさに敗軍の将ゆえだろう。
残念なことである。
ちなみにその平盛嗣にしても、平盛俊にしても、恐らくこの場にはいないはずだ。
盛嗣は結局捕らえられて鎌倉にて斬首されているし、盛俊はかの一ノ谷の戦いにあって勇戦したが、最期は騙し討ちにあって討死した。
どちらも怨霊になっていてもおかしくないのであるが、この手の亡霊はどうもその終焉の地に縛られるらしい。
地縛霊、とでもいうのか。
ゆえにここには、壇ノ浦で死した者どもしか集えないのだろう。
あの平家の棟梁たる平清盛などはその最期、供養を望まずただ頼朝の首のみを望み、悶絶死したという。
供養を拒否したのは成仏する気が無い、ということでもあり、まさに怨霊化していても不思議ではない壮絶な最期だったはずだ。
そんな清盛も、捜せばどこかにいるのかもしれないな。
「さて、わたしが何者か、だったな? ならば語ってやろう。今ほどの礼も兼ねてな」
祇園精舎の鐘の声
諸行無常の響きあり
沙羅双樹の花の色
盛者必衰の理をあらわす
おごれる者久しからず
ただ春の夜の夢のごとし
猛き人もついには滅びぬ
ひとえに風の前の塵に同じ
『平家物語』の冒頭の一説であるが、誰が耳にしても分かるほどの美文である。
そしてその意味も実に分かり易い。
しかしこれは、ある意味で鎮魂と慰霊の念も込められているという。
だからこそこの亡霊どもは、琵琶法師に自らの滅びの物語を語り聞かせ、慰めとしているのかもしれない。
「なに、よくある話だ。別に笑ってくれても構わんぞ?」
こうして。
わたしもまた、自身の話を語って聞かせたのである。
平家の怨霊相手に、まったく何の因果なんだろうな。






