第78話 平家の酒宴(前編)
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「……やれやれ」
ようやく極度の緊張から解放された木村重成は、未だに命があることに安堵しつつ、囲炉裏の火を眺めるばかりであった。
「まこと、ご苦労であったな」
そう労ってくれるのは、景成である。
「もう夜も更ける。早く寝てはどうか」
「い、いえ……。その、なかなか寝付けず……」
「千代保などはぐっすり眠っているがな」
苦笑する景成に、重成も同じものを返した。
海岸での一戦のこと。
色葉が首を突っ込んだことで否応なく巻き込まれたおぞましき者たちとの斬り合いは、どうにかこれを制することに成功した。
実際には色葉が敵の猛将の首を落とし、これをもって交渉に持ち込んだことで、互いに刃を引くことになったのだ。
「図らずも初陣となったわけだが。眠れぬのならば、感想でも聞こうか?」
「……何のお役にも立てませんでした」
「はは。初陣とはそういうものだ。生き残ることこそを、自らの役目と心得ておけば良い」
事実その通りかもしれないが、重成は結局一体も討ち取ることはできなかった。
ひたすら周囲に守られるだけで終わってしまったのである。
武芸にはかなり時を割き、精進してきたつもりであったというのに、これでは、である。
それに加えてもう一つ。
あの色葉――千姫は何なのだろう。
以前から只者ではないとは薄々感じていたことが、ついに眼前に現実となって現れたようなものだった。
年の頃は重成よりも下であるというのに、あの異常としか言いようのない強さ。
戦場慣れした雰囲気。
あれはただの傲慢に為せるものではないだろう。
「……山崎様はご存知だったのですか? 千姫様の、あのお姿……」
「――ああ。あれがかの方の本来のお姿であろう。一応内緒ということにはなっておるが、ご本人がさほど隠す気も無さそうであるから、そなたには語っておこう。姫様はあのような可憐なお姿ではあるが、その中身はそこいらの妖どもすら太刀打ちできぬほどの、何か途方も無い存在であられる。まあ、頭で理解しようと思わぬことだな」
「はあ」
「何者かと問われても、正直それがしも分からぬよ。あの方は、あの方であってあの方以外にあり得ない、とまあ、そんなところだ」
「……さっぱりです」
「さもありなん」
眉間に皺を寄せる重成を見て、景成は呵々と笑う。
「では一つだけこの名を覚えておくが良い。朝倉色葉様。これがかの方の本当のお名前ゆえな」
「朝倉……色葉、様?」
「さよう」
朝倉といえば、重成が真っ先に思いつくのは豊臣家中における重臣、朝倉秀景である。
確かかつてこの日ノ本を席巻した朝倉家の生き残りで、秀吉の養子となったことで豊臣家に入った者のはずだ。
まだ若いが人望があり、戦上手でもあり、かの関ヶ原では密かに参戦して東軍相手に奮戦したという。
秀頼の信頼厚く、大野治長に次ぐ重臣といっていい。
「それがしは、その色葉様とはいささか縁があってな」
「それは、どのような……?」
「……ふむ」
そこで景成は少々考え込んで見せた。
現状、色葉一行は予定通り……というにはあまりに遅れたものの、文字ヶ関村にたどり着いて、近くの寺にて一夜の宿を得るに至った。
この辺りの交渉をうまく取り持ってくれたのが、成実である。
隣国の伊達家の家名は意外に効果があったし、お布施と称した成実が手渡した金銭の効果も大いにあったことだろう。
そういうわけで宿を得た一行は、どうにか骨休めすることができた。
が、実際にはかなりばたばたしていたといっていい。
図らずも助けることになった細川家の一行とも連絡を取り合い、彼らは近くの門司城に入ったとのことで、明日には一度会って正式に今回のことについて話すことにもなっている。
是非とも礼がしたいとは、細川忠利の言であるらしい。
向こうには景成の同門である佐々木小次郎もいたことで、こちらの身の上も証明され、話は好意的に進んだのだ。
それはいい。
いいのだが……肝心の色葉がここにいない。
ちょっと酒を酌み交わしてくる、とか事も無げに言い放って、酒宴に出かけてしまったのだ。
しかも向かったのは門司城ではなく、先ほど刃を交えた亡霊たちを相手に、である。
もはや呆れるしかないとは、このことだろう。
景成らは一応止めたが聞くはずも無い。
世にもおぞまじき酒宴に向かったのは色葉だけではなく、直隆と隆基もこれに同行した。
朱葉と直澄も同行を望んでいたが、色葉の命により残って一行の護衛を命じられたこともあり、是非も無しといった感じであった。
この二人がいる以上、余程の事態でも無い限り、問題は起きないだろう。
寝ずの番も、直澄が引き受けてくれている。
景成としても今日はさすがに疲労したし、休みたくはあったのだが、結局主が戻ってくるまで眠れないであろうと思っていた。
別段、色葉に命じられたわけではない。
ただの性分である。
もしくは呪いの類であるか。
ともあれ、そういう事情で時間はあるのだ。
「良かろう。ならばこの場を借りて、語っておこうか。なに、この世の理に洩れず、盛者必衰の話であろうよ」
そうして景成は語る。
朝倉家の盛衰を。
/色葉
事前の約束通り、寺に迎えが来たのでわたしはそれに案内されるがまま、酒宴の場に赴くことになった。
案内してくれたのは、これまたおぞましき落ち武者の亡霊である。
が、名は知れなかったものの、ただの雑兵、というわけではなさそうだった。
平家一門の者か。
それなりの者を寄越したのは、わたしへの敬意の表れであろうと、勝手に好意的に解釈しておく。
同行者は直隆と隆基だ。
一人で行くと言ったのだが、全員に反対されて、渋々この二人をつけることになった。
どちらも亡者であるからして、おあつらえ向きと言えば、そうなのだが。
案内されたのは、門司城を越え、更には海を越えた先にある大層立派な館であった。
わたしが渡った海は、まさに壇ノ浦に違いない。
未来でいうところの関門トンネルが通っている辺りだ。
ここは向こう岸までが本当に近く、その日は海も不気味に静まり返っていたこともあって、難なく対岸に辿りつくことができたのである。
「――色葉様。お気をつけ下され。得も言われぬ妖気が漂っておりまする」
などと警戒を促してくれるのは、直隆だ。
隆基なども、すでに臨戦態勢である。
酒盛りに来たはずなのに、これだ。
だから一人で来たかったのだが。
「心配無用だ。この程度……というには脅威だが、盛大に出迎えてくれるというのだから、こちらはその饗応を愉しめばいい」
呑気なわたしに、二人は相変わらずですなと、苦笑を返してくれた。
「――コチラデゴザイマス」
亡者に案内された先。
「ふむ」
さてわたしの知識が確かならば、この辺りには阿弥陀寺という寺が存在したはずである。
いわゆる安徳天皇御影堂があるところだ。
が、どう見ても豪華絢爛な館と化している。
完全に化かされてしまっているが、今は化かされたままの方がいいだろう。
現実は、墓所以外の何者でも無いのだろうから。
そしてその館には、数多くの者たちが待ち構えていた。
というかうじゃうじゃいるな、これ。
鎧姿の者は無く、まるで平安時代の貴族の一幕を目の前に現したような、そんなきらびやかな感じだ。
多くの公家のような者に加え、女官らしきものも少なくない。
これら全て、壇ノ浦で没した平家一門の霊なのだろう。
おぞましいことこの上無いが、わたしにしてみれば、平家一門の総力をあげた歓待にもみえた。
「……先程ハ、マコトニ御無礼ヲ致シタ」
御簾の手前に座した、実質的に、この場でもっとも身分が高いであろう人物が、まずそう口火を切った。
迷うことなく頭を下げ、他の者どももそれに追従する。
「知盛か。大義だぞ」
見れば教経の姿もあるし、海御前の姿もある。
この場で唯一頭を下げなかったのは、御簾の向こうに見え隠れする、小柄な影だ。
恐らく別格の存在であり、何者かは察しがついたものの、言及はせずにおく。
……子供相手に酒を酌み交わすわけにもいかないし、この者どもは一応、わたしに礼を示して丁重にもてなす努力をみせてくれているが、それでも譲れない一線というものはあるはずで、それが御簾の向こうの人物だろう。
触らぬ神に祟りなし、である。
「今宵ハ隣ノ阿弥陀寺ヨリ、琵琶の弾キ手ヲ招イテオリマスル。名手故、ヨモヤ御耳汚シニハナリマスマイ」
「ほう。琵琶法師か。気が利いているな?」
ということは、語られるのはまさに平家物語なのだろう。
実際、この場において、一人の法師が座して待ち構えていた。
まだ若い僧。
その両目は閉じられている。
盲目なのだ。
「拝聴しよう」
「デハ。……芳一ヨ、今宵ハ思ワヌマレビトヲ遇スル事ト相成ッタ。心シテ語リ聞カセヨ」
「畏まりました」
静かに承るその法師は、恐らくあの琵琶法師なのだろう。
一見ひとに見えるが、もはやひとではあり得ない。
しかし耳はある。
となると、この世界においてこの僧の師である和尚は、平家の怨霊から芳一を救い損なった、ということか。
もしくは同名の別人かは知らないが、まあわたしにとってはどうでもいいことである。
ともあれそうやって、平家の物語が語られた。
長き物語の中で、語れる時間は限られている。
そんな中で語るはやはり、壇ノ浦のくだりだ。
静まり返る中、琵琶の音と、法師の語りが響く。
なるほど。
こういうのも悪くない、か。






