第64話 政宗の悶々
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「うーむ」
「殿、如何なされましたか」
唸る政宗の声を耳にして、伊達成実は何事かと声をかけた。
成実は伊達一門の中では武勇に優れ、政宗からも信頼の厚い家臣である。
普段は領内の所領の一部を任されている身であったが、今日は件の豊臣の姫が来訪するということで、松山城に登城していたのだった。
政宗自らによる接待は、成実から見てもなかなかのもので順調に進んでいる、と思っていたのであるが、夕方に差し掛かった頃になって、自らの主が何やら複雑な顔で唸っていた、という次第であった。
「これは成実殿」
「景綱殿」
成実は政宗の近くにいた恰幅のいい男へと、続けて挨拶をする。
伊達家の紛うことなき重臣である、片倉景綱だ。
「いったいどうされたのか? 何か不首尾でもござったか」
「そういうわけではないのです。事はうまく進んでおりますゆえ」
「それがしにもそう見えたが……」
では何故政宗は浮かぬ顔で唸っているのか、である。
「腹痛ですかな?」
「腹痛。か……。いっそのこと、毒でも仕込むか」
何気ない成実の一言に、何気ない政宗の返答あって、成実はぎょっとなった。
「あれは、危ういぞ……」
「お、お待ちを殿。――景綱殿、どういうことか」
「成実殿もご覧になったでしょう。千姫様のことです」
「ふむ……?」
よく見れば、景綱も政宗と似たような顔になっている。
千姫は今回、政宗の娘である五郎八姫を伴ってこの伊予に来訪し、その接待を受けている人物だ。
まだ幼いが、実に聡明であることは、遠くから眺めているだけでも何となく分かった。
またずいぶん積極的な姫であり、ただ傍観するだけに留まらず、自ら参加してその才を伊達家中の者に見せつけたといっていい。
「お転婆であるとは映ったぞ。あれが女子でなく男子であったならばと思いはしたものの、今はそのような時世でもござらぬし、どちらにせよ才の使いどころなどあまり無いのではないかと、不憫にも思った程度ではあるが……」
政宗は美術品にも目は無く、特に太刀の収集にこだわりがある。
接待の最中、千姫が興味を示したのは茶器や絵画ではなく、武具や城郭そのものであった。
その流れで政宗は千姫が剣術に覚えがあることを知り、軽く試す意味でもその腕を見てみたいと所望すれば、能の時と同様に、姫はあっさりこれを承知したのである。
その相手となったのが、片倉重長で、景綱の嫡男だった。
重長は成実を烏帽子親として元服したこともあって、成実とも縁はある。
現在、ちょうど二十歳くらいの若者で、すでに知勇兼備であると周囲の評判は上々だ。
ところがそんな重長が、千姫を相手に軽く敗北してしまったのである。
千姫の護衛としてついてきている山崎景成は当代の達人であり、それに剣を習っている、とのことであったが、尋常ではないと言っていい。
「……まさか、重長が敗れたからといって、毒殺などという報復を考えておられるわけでもありますまい」
「あれは重長の不徳の致すところです。されど、あの才は尋常とは言えぬでしょう。殿はそれを憂いておいでなのです」
「ははは。何を言われる。どれだけ剣の腕がたとうと、それだけでは何にもならぬ。武芸者が、武芸だけでは天下を取れぬことと同じではないか」
成実の言はもっともであったが、それは千姫が一部の才に秀でているに留まるのであれば、の話である。
「殿。それがしは殿が何を心配されておるのか分かりませぬ。どれだけ才があろうと相手は女子。何ができようはずもございますまい。それを毒をもって害すとなれば、伊達の評判は地に落ちましょう。ついでに申し上げれば、豊臣や徳川を敵に回すことになりますぞ」
「そんなことは分かっておる。相手は少人数。証拠など残しはせぬ」
ともすれば全く分かっていない政宗の返答に、成実は戸惑うばかりだ。
「殿、いったい何を憂いておいでなのですか。景綱殿、貴殿も同様のお考えなのか?」
成実に問われ、景綱は眉間に皺を寄せた。
難しい命題であるらしい。
「……殿は、この伊予一国で伊達家を終わらせるつもりはないのです」
「陸奥に返り咲くと? されど四国から陸奥はあまりに遠い。それに奥羽は今や上杉にその一帯を支配され、幕府ですら手が出せぬ有様と聞く。なかなか難しかろう」
「それでも必ずこの先、戦乱は起きましょう」
「戦乱、とは」
「幕府がこのまま豊臣や上杉を放っておくはずがないからです」
豊臣秀吉によって果たされた天下統一は、今や徳川家康がそれを強引に引き継ごうとしている。
だが当然豊臣家は残っているし、勢力を拡大させた上杉家はますます盛んで、他にも真田家といった幕府に服さない勢力も一定数存在する。
これでは幕府が安泰とは言い難い。
それは成実にも分かる。
「放っておかないとして、それと千姫様とどんな関係があるというのだ?」
「その時に、伊達家はどう動くべきか。どの旗に集うべきか。そういうことですよ」
これまた妙な話であった。
すでに伊達家は豊臣ではなく、徳川と誼を通じるべく動いてきたのである。
近く予定されている五郎八姫と松平忠輝との婚姻も、まさにその政略の一環ではなかったのか。
「……つまり、豊臣家が息を吹き返すとお考えですか。かの、姫の存在で」
「……うむ」
政宗はこの先、豊臣家は没落するなり何なりして、その力を失うと考えていた。
場合によっては幕府が力づくでこれを滅ぼすとも。
その戦乱にて功を挙げ、所領を少しでも拡大する。
これが伊達家の基本戦略である。
これは得られるものは少ないが、安全かつ万全の策といえるだろう。
時がたてばたつほど徳川と豊臣の力には差がついていく。
全国の大半の大名が幕府に従う。
これでは勝つのは当然であるし、であれば旨味も少ないというものだ。
だがもし逆を選んだ場合、どうなるのか。
秀吉恩顧の大名ですら幕府に従う現状において、豊臣が徳川に勝利する可能性は限りなく低い。
だがもし何かしらの奇跡が起こって幕府方が敗れるような事態になったならば、どういう結果になるか。
あの関ヶ原の戦いの逆のことが起きるだろう。
倒幕の動きが活発になり幕府が滅亡すれば、それに従った諸大名の大半は、改易の憂き目に遭うことになる。
大坂方についた場合、戦功により得られる所領は桁違いになるだろう。
政宗にしてみれば、例え天下には手が届かないとしても、せめて四国全土くらいは治めてみたいと考えていなかったといえば、嘘になる。
そしてそれを実現させるためには、徳川についていては駄目なのだ。
そういった意味で、千姫の存在は政宗への強烈な誘惑だった。
僅か半日接しただけで、何が分かるというものではないが、しかし人を見る目はあるつもりである。
あれは、危うい。
政宗にお家存続を第一に考えさせ、ただひたすらに堅実な道を進むしかないと思わせていた自身の足を踏み外させかねない程度には、千姫は魅力的で、危うい存在に映っていたのだった。
だからこそその誘惑を断ち切るべく、毒殺などという暴挙を思考したりもしたのである。
「幕府がかの姫を豊臣にやったのは、最大の失策ではないのか……? 逆に太閤にしてみれば、何とも妙手であったとしか。ううむ、しかし……」
政宗は考える。
大坂城の主である豊臣秀頼については未知数だ。
しかしその隣にあの姫があったならば、例え秀頼が凡将であったとしても化けるのではないか。
それに現在の大坂城の実質的な主は秀頼ではなく、その生母である淀の方だ。
つまり、大坂にとって女子が主になったとしてもそれを忌避し、家臣が離れるという事態にはなりにくい下地がすでに用意されていると言っていい。
千姫に本当に才があるのであれば、家臣はそれを主と見做すだろう。
第一歴史を振り返ってみても、例こそ少ないが、女が国家を運営してその頂点に君臨した例はあるのだ。
海を隔てた大国である明朝を遡ること数百年、唐王朝の時代では、唐の高宗の皇后となった武則天が武周王朝を打ち立てもいる。
この日ノ本において似たようなことが起こったとしても、不思議ではない。
仮に一人では無理だとしても、支える者がいれば。
そう、例えば――……。
「……いかん。いかん。女子供を見て何を思ってしまっているのか」
再び呻き始めた主を前に、成実と景綱は顔を見合わせる。
「どうやら殿は、乱世が終わることを潔しとはされていないようであるな」
「然様。臣下としては、それにどう応えるかが悩みどころ、というわけですな」






