第59話 乙葉との再会
◇
案内された部屋には、乙葉が一人待っていた。
しかし上座に座していない。
どうしようかな、と思ったが、構わず奥に進んで上座に腰を落ち着けた。
乙葉が望むのなら、応えてやるだけのことである。
座っているだけでもわたしの不遜な態度は伝わるのだろう。
しかしそれが証拠であるとばかりに乙葉は歓喜に震え、そのまま頭を下げたのだった。
わたしは溜息をつく。
「……せっかく再会できたんだ。もっと顔をよく見せろ」
「本当に……姉様、なんだ。あは……夢みたい……」
顔を上げた乙葉の顔は、すでに涙でくしゃくしゃになっていた。
美人が台無しである。
「らしくないぞ? いつもなら飛んできたのに、何をしてる」
「だって……妾は……」
ええい。
まどろっこしいな。
わたしは立ち上がると、一息に乙葉の腕の中目掛けて飛び込んでやった。
「っ……姉様っ……!?」
一瞬の出来事だったというのに、乙葉の反応は完璧だった。
いつの間にやら複数のもふもふが現れて、わたしを優しく抱き留めてくれたのである。
「ふむ……。いつもながら気持ちがいいぞ」
「ね、姉様、これって妾のやることであって、姉様がしちゃうなんてずるい……!」
わたしを包み込んでいるのは、複数の大きな尻尾だ。
乙葉の尻尾である。
以前は自慢げにいつも広げていたんだがな。
「言っただろう? らしくない乙葉が悪い」
「うう……。だって……だって……」
しかし気持ちがいい。
乙葉の尻尾はわたしのものと違って、天然ものだ。
まったくもって、たまらないなあ……。
「……ん?」
そこで気づいた。
乙葉の尻尾の数。
確か五つあったはず。
しかしどう見ても四つしかない。
わたしは尻尾の一つをむんずと掴むと、視線だけで乙葉へと尋ねた。
乙葉もすぐに意を察したらしい。
「えっと……その。秀吉に捕まって越前を出る時にね、一つだけ直澄に斬り落としてもらったの」
「……? なんでそんなことを」
「そのまま一乗谷に残してきたの。姉様の復活に使って欲しくて」
なるほど。
あそこに満ちていた妖気の中には、乙葉のものもあったというわけか。
「あ、あとね。秀吉、あの後もいっぱい戦をしていたから、できるだけ魂を搔き集めさせて、一乗谷に送っておいたんだけど……役に立たなかったのかな?」
どこか恐る恐るといった感じで、乙葉は尋ねてくる。
今のわたしからは、ほぼ妖気が感じられないはず。
となると、わたしが生まれ変わることに際して自分は何も貢献できなかったのではないかと、乙葉は恐れたらしい。
もちろん、そんなことはない。
十分に役立ってくれた。
「ん、ならば目をつむれ」
「え? うん」
きょとん、となる乙葉だったが、何を疑うこともなく、すぐにわたしの指示に従った。
「あけていいぞ」
「うん……」
乙葉が目を開ける。
そして顔をぱあっと明るくさせた。
「わぁ……。姉様、だ……!」
狐憑きの姿に戻ったわたしを見て、乙葉は満面の笑顔をみせた。
わたしもわたしで自分の尻尾を使い、乙葉をくすぐってやる。
髪の色も狐色に変じており、容貌は幼くはあるが、これで乙葉のよく知るわたしの姿になったことだろう。
「妾、ね……姉様から全然力を感じ取れなくて……。ううん、それでも姉様が生き返ってくれたのなら、それで十分嬉しかったんだけど……!」
感極まったように抱き着いてくる乙葉のことは、なるほど愛おしいものだった。
生前はさほどそういうことはしなかったのだけど、今は悪くない。
「ちょっと妖気が強すぎてな……。普段は制御している。あと、この姿のままで妖気を抑えるのはかなりしんどいが、慣れないといけないな」
念のために朱葉に結界を張らせているから、まず大丈夫かとは思うが、それでもこの室内に濃厚な妖気が満ち始めている。
こんな密室に長くいたら、常人ならばあの世行きだろう。
「しかも姉様……小さくなって、とっても可愛いし……こんなのずるい……!」
「小さかったのは乙葉の特権だったからな。というか、何をしようとしている」
「口づけ、していい?」
もはや自身の欲求に耐えられなくなったとばかりに顔を近づけてくる乙葉の姿は、とんでもなく妖艶であった。
同性であっても、これはまずいと思うくらいのものだ。
「そういう趣味は無いんだが」
「う~」
「まあ別にいいが」
「本当?」
「好きにしろ」
というわけで、好きにさせてやった。
……生前もそうだったが、わたしは相手が男だろうが女だろうが、性的な意味での興味関心とはほぼ無縁だったといっていい。
恐らくこの身体になってしまった副作用なのだろうと、勝手に思っている。
逆に乙葉などは、そういうことに積極的だったな。
「……はぁ。絶対姉様が本気出したら、国なんてすぐに滅んじゃうよね……」
名残惜しそうに離れていった乙葉が、ぽつりとそんな感想を漏らす。
「そうなのか?」
「うん。妾が言うんだから、間違いないよ」
九尾の狐として傾国の美女の代名詞たる乙葉が言うのだから、きっとそうなのだろう。
「でも姉様って殿方にも興味無いものね」
「ないな」
「完璧すぎるとそういうものなのかなあ……」
「その辺りは朱葉に聞いてくれ」
わたしの身体を創ったのは朱葉である。
あれの理想を体現した姿がこれ、らしいからな。
「さて、そろそろ話をしようか」
わたしとしても再会の感動とやらはそれなりに消化できたので、乙葉から離れようとしたのだが、その乙葉にいやいやされてしまった。
「今日は、嫌。離したくない」
「……話しずらいし、気持ちが良すぎて眠くなるぞ?」
「寝かさないし」
「……まあ、いいが」
「♪」
……今日のところは前言通り、乙葉の好きにさせるか。
というわけで、わたしは乙葉の尻尾による揺り籠の中で、これまでの話をし、また乙葉からも話を聞いた。
内容は、だいたいが事前に把握していたことと同じだったといえる。
乙葉は朝倉家のために雪葉らと分かれ、滅亡後はわたしの遺した小太郎のために、秀吉に従ったのだ。
そしてその間に、魂を搔き集めては一乗谷に送っていたらしい。
あれほど膨大な魂を集めようとするならば、なるほど天下人の近くにいる乙葉の方が、雪葉らよりも適任であった、ということだろう。
秀吉は天下統一を果たしたが、その過程で徳川家が生き残れたのも、実は乙葉の配慮があったからである。
秀吉が家康を積極的に滅ぼさなかった陰には、乙葉の意思が介在していたというわけだ。
当然これは、雪葉を守るためでもある。
そしてそれは、間接的にわたしをも守ることに繋がった。
つまるところ、乙葉の功は大きい。
そんな乙葉だったが、一方で秀吉のことを恨んでもいたようだ。
晩年の秀吉の暴走はこの世界でもあったらしいが、そのほとんど全てに乙葉が関与していたことも、この場で告白された。
乙葉は間接的に、秀吉に対して恨みを晴らそうとしていたらしい。
直接しようとしなかったのは、一重にわたしの子である小太郎や、そして自身が産んだ秀頼がいたからだろう。
他にもわたしに関わった家臣どもらのことも気にかけていたようで、そのためには秀吉に最も寵愛されている側室、という地位を守らざるを得なかったのである。
健気なことだ。
「……でも姉様、どうして大坂に来てくれたの……?」
「おかしなことを聞く。秀吉がそうしろと言ったからじゃないのか?」
「それはそうだけど。でも今の徳川なら、そんなの無視できたはずでしょ?」
乙葉の言う通り、無視しようと思えばできただろうし、わたしが嫌だと言えば、家康は考え直したことだろう。
何といっても秀忠には他にも娘がいるからな。
しかしそうであったとしても、今この瞬間において、家康は豊臣家との縁づくりを重要であると考えたはずだ。
何と言っても関東以北の情勢が、あまりに危ういからである。
東北を支配する上杉家が完全に敵性の存在であるし、それが豊臣家と結ばれてはかなり厄介なことになりかねないからである。
関ヶ原の戦いでは辛うじて勝利し、西国の諸大名はとりあえず家康に靡いた。
だが西国には豊臣恩顧の大名だらけである。
時がたてば、考えも変わるというものだ。
家康としては時を稼ぐ内に、何とかこぎ着けた江戸幕府の体制を盤石にしておきたい、という思いもあるのだろう。
とにもかくにも秀吉はもう死んで、この世にはいない。
こちらも同様に、時がたてばその恩を忘れる諸大名も出てくるはずであるし、現在を守ろうと考える者も出てくるだろう。
「理由はいろいろあったんだろうが、答えは単純だぞ?」
「え? そうなの?」
「わたしが大坂に行きたかったからだ」
「あ……」
政略など、実のところわたしにとってはどうでもいい話だった。
大坂には乙葉がいる。
これに会うための名分として成り立つのであれば、政略結婚などさほどどう思うことでもない。
「……うん。嬉しい……。でも、姉様? 結婚っていうのはけっこう大事なことなんだから。姉様ってばこういうことでも、物凄く淡泊なんだもの」
「む? そうか?」
そうなのかもしれないが、やはり気になることでもない。
わたしの夫になる以上、ある程度は立ててはやるが、あまりにあまりな性格の持ち主であれば、叩き直すだけのことである。
「ああ……もしかして秀頼のことを心配しているのか? 嫁がわたしでは、確かに安心はできないかもな。しかしちゃんと優しくはするぞ?」
「秀頼のことは……別に……」
「自分の子のことを心配するのは、当然の心理だ。わたしに対するそれよりも勝っていたとしても、気に病む必要はない」
世間一般では、まあそうなのだろう。
もちろんわたしは例外であり、自分の子に対してもあまり愛情を注いでいなかったと思う。
あくまで比較の話ではあるが、当時にしても乙葉や雪葉の方が大切だったからな。
「妾に会いに来てくれたのは嬉しいし、秀頼のことは置いておくとしても、その後のことはどうお考えなの? 天下を取るのなら、豊臣よりも徳川にいた方がいいと思うし、姉様が望むのならば、いくらでも徳川に臣従していいと思ってるの」
どうやら乙葉もまた、わたしが未だに天下統一を狙っていると考えているらしい。
そしてだからこそ、関ヶ原の戦いの後に家康が好き勝手に豊臣の所領をはぎ取ったことに対して、乙葉は何も文句を言わなかったのだろう。
最終的に、わたしのものになればいいと、そう思ったというわけだ。
「今のところ、天下のことなど考えていない」
「そ、そうなの?」
びっくり、という表情になる乙葉。
「わたしが天下統一を目指していたのは、単に誰にも邪魔されない居場所が欲しかっただけだからな。……まあ、多少は鈴鹿の挑発に乗ってしまったところもあるが、少なくともわたしは負けたんだ。それは認めるし、今さらしゃしゃり出るつもりもない。それにお前達のおかげもあって、徳川だろうが豊臣だろうが、それなりの地位と居場所はすでに用意してくれてあった。わたしが豊臣に来て徳川と仲良くできるのなら、お前も雪葉も守れるし、それで十分だろう。平和が一番、だからな」
「……そう、なんだ」
「ん、なんだ。それではつまらんか?」
「ううんっ。ちょっと、ほっとしちゃっただけ。何でも姉様の望む通りにするつもりだったけど、これなら……秀頼にも秀景にもちゃんと居場所が残ることになるわけだから、もう妾のすることは無いんだなあって……」
肩の荷が下りたかのように、乙葉は微笑んだ。
実際、秀吉死後の大坂城は乙葉が担ってきたわけであり、なかなか骨の折れることだっただろう。
「といっても乙葉、秀頼が元服するまでは当面、お前が大坂の顔だからな」
「え、そうなの?」
「わたしも秀頼もまだ子供だぞ?」
「うーん……。なら、姉様が妾に化けて、妾が姉様に化けるっていうのは?」
「む?」
また面白いことを考えるものだ。
「お前は人の姿に化けている身の上だろうから、容姿は思いのままだろうけど、わたしはそうはいかないぞ?」
「そうなの?」
「知っているだろう? わたしは元々この世のものではないからな」
「あ……」
わたしは未来から転がり落ちてきた存在である。
もっともこの世界がわたしのいた世界の過去であるのか、それとも近似した世界なのかは知らないが、どちらにせよすでにわたしの知る世界ではなくなってしまっている。
そういう意味では、この世界をわたしの世界に変えてやった、とも言えるかもしれないな。
まあどうでもいいことだが。
「そういうわけだから、もうしばらくは頑張れ。秀頼が大人になって、盤石の体制と安定が得られたら、どこか田舎に引っ込もう。もちろん、雪葉も呼んでな」
「また、一乗谷?」
「いいな。悪くない」
「それ、待ち遠しいね」
「まったくだ」
この時は、本気でその程度にしか、未来の展望を描いていなかったものである。
ともあれわたしはこのようにして、豊臣家に入った。
乙葉とも再会できた。
そしてしばしの間、ささやかな平和が継続することになったのである。






