第45話 一乗谷での儀式①
◇
その日の夜。
わたしは早速、城を抜け出していた。
僅かな供を連れて、一路東を目指していたのである。
供の者といってもわたし以外に二人しかおらず、雪葉と朱葉である。
見た目、護衛としてはいかにも心もとない。
だがどちらも人ではありえず、雑兵程度では束になっても敵うものではない。
今の雪葉はいささかならず力が衰えているものの、それでも十分に強い。
「……姫様。足元にお気をつけ下さい」
雪葉がとてとてと先頭を歩くわたしへと、気遣うような声をかけてきた。
真っ暗な闇の中でも、その怜悧な容貌は美しく、良く映える。わたしの母親としては申し分が無いし、秀忠にはちょっともったいないくらいだ。
「心配無い。慣れた道だぞ?」
身内の前ということもあって、秀康の前にいた時とは打って変わり、ぞんざいな口調に戻ってわたしは自信満々にそう言い放ち、先を進んだ。
とはいえ今のわたしの見た目は七歳児。
わたし自身は問題無いとばかりに闊歩しているのだが、左右から見れば実に覚束ない足取りに見えたことだろう。
「あ」
事実、蔦に引っかかってひっくり返ってしまった。
地面にぶつかる寸前に、朱葉がさっと腕を伸ばして抱き留めてくれていなかったら、ちょっと怪我でもしていたことだろう。
「主様。道は荒れていますから、何も直接歩かずとも……」
やや表情を曇らせて、そんな風に言われてしまう。
「うるさい。久しぶりなんだから歩かせろ」
早くも転んでしまい、気恥ずかしくなったのを隠しつつ、わたしは手を振り解くと懲りずに前進を続けた。
ずっと江戸城に篭っていたのだ。
外を歩くのは気持ちがいい。
だが歩くのであれば、後塵を拝するなどありえない。
わたしが先頭で当然である。
しかし……夜道とはいえ、確かに歩きにくい街道だ。
以前はこんなことも無かったんだがなあ……。
「……この街道は現在、ほとんど使われていないとのことです。地元の者ですら、谷には近寄らないとのことですから」
さもありなん、といったところか。
わたしがいた時ですら、必要な者が必要な時すら訪れないような、そんな静かな場所だったのだ。
まさに引きこもるには最適な所だったといえるだろう。
ともあれわたしたち三人は、目的地に向かって道中を歩んだ。
月明かりすら無い真っ暗な道を、灯りすらなく進むのである。
見ようによっては幽鬼の類に見えなくもない。
まあ当たらずも遠からず、ではあるかな。
そうしてようやっと、わたしたちは目的の地にたどり着いていた。
一乗谷、と呼ばれる地である。
「――お待ちいたしておりました」
そこには下城戸と呼ばれる巨大な門が健在で、谷の入口を完全に封鎖していた。
その開かずの門の前に、二人の人物が膝を折って待ち構えていたのである。
見覚えのある二人だった。
「ん、久しいな。直澄と隆基か」
「ははっ! お懐かしゅうございます!」
鷹揚にわたしがそう口を開くと、二人は感極まったようにそんな挨拶を寄越してくれた。
どちらも屈強な若武者、といった感じの出で立ちである。
一人は真柄直澄。
もう一人は真柄隆基という。
どちらも生前のわたしの最古参の配下だった者だ。
紆余曲折があって、現在ではこの二人を支配している者は、すでにわたしではなくなっているが。
どういう手段を用いたのかは知らないけれど、わたしが赴くことは承知していたらしい。
そんな二人をまじまじと見返して、わたしは首をひねった。
「ん……? 直澄もこっちにいるのか。てっきり大坂だと思っていたぞ?」
「この谷を守るよう、乙葉様に申し付けられましたゆえ」
「そうか」
直澄を支配しているのは乙葉である。
だから配下として大坂にいるものばかりと思っていたけど……あれも律儀だな、本当に。
「どうせこれから大坂に行くのだから、その際に労ってやるか。それよりも例のものはあるのか?」
「もちろんでございます」
答えるのは隆基。
わたしがあれを託したのは隆基なのだから、様子からして強く責任を感じていたのだろう。
ちなみに隆基を支配しているのは、雪葉である。
「では返してもらおうか」
「はっ! ではこちらへ」
開門され、わたしたち一行は一乗谷へと入っていく。
入ってすぐに気づいたが、なかなかの霊気だった。
「……これは、ひどいな?」
素直な感想である。
「只人が入ったら、すぐにもあの世行きじゃないのか?」
それくらい濃厚な霊気というか、妖気だ。
今のわたしには霊感の類もほぼ無いに等しいが、それでも分かってしまうほどのねっとりした雰囲気に、やや苦笑する思いである。
「この地に迷い込む愚か者が、ちょうど主様の糧となることができて、むしろ好都合かと」
などと血も涙も無いことを平然と言う朱葉は、まあいつものことだ。
さほど気にせずに、てくてくと歩いていく。
「むぅ……」
しばらく川沿いに歩んだわたしは、あるべきものが無くなっていて、少し仏頂面になってしまった。
記憶が確かならば、そこにはそれなりに立派な建物があったはずである。
「わたしの屋敷が無くなっている……」
「も、申し訳ありません!」
わたしの不機嫌を感じた隆基と直澄が、反射的に平服してしまう。
「天正十三年の大地震で損壊し、その後倒壊してしまったのです……。それを放置し、まことに申し訳ございませぬ!」
天正十三年?
はて、と小首を傾げたわたしは、すぐに思い至った。
「ああ。天正地震のことか」
これは史実において、歴史上、例の無い大地震であったという。
天正十三年十一月二十九日に起きたこの地震により、わたしが本拠としていた越前や加賀、越中といった北陸はもちろんのこと、飛騨や美濃、尾張、伊勢、近江、さらには山城や大和といった畿内の一部まで甚大な被害を及ぼしたとか。
わたしも史実でこれが起きたことは知っていたので、北ノ庄城などは地震対策万全で普請させたのだけど、その前に燃えてしまったらしいからな。
世の中そんなものである。
というかやはりこの世界でも、ちゃんと発生してしまったのか。
「ならば仕方ないな」
「姫様が支配されていた領域の大半が壊滅しましたからね。秀吉様などは、姫様の祟りではないかと大層恐れたそうですよ」
「祟り?」
雪葉の言葉に何を馬鹿な、と言い返そうとしたところで、ふと気になって朱葉の方をつい見返してしまう。
「まさかとは思うが。何かしたんじゃないだろうな?」
「何のことでしょう」
どこかそらとぼけているような雰囲気に、わたしの疑惑は増したものの、だからといってどうというものでもない。
まあいいか、と思考を切り替えることにした。
「それよりも」
「はっ!」
かつてわたしの屋敷があった場所には小さな祠があって、隆基がそこから何やら恭しく取り出し、眼前へと運んでくる。
それはしゃれこうべ。
いわゆる頭蓋骨、である。
「ふうん……。こんなものか」
それをまじまじと見返したわたしは、大した感慨も覚えることなく、そんな風に洩らした。
もちろん見覚えなどないが、これがかつてのわたしの髑髏であるらしい。
見事に白骨化したものだ。
ただし、これが妖気の発生源であることには違い無い。
またずいぶん溜め込んだものである。
「寄越せ」
髑髏を受け取ったわたしは、妙に手に馴染む感触に苦く笑う。
自身の頭蓋骨を抱きかかえる経験など、普通は無いのだろうけど。
「ああ……。なるほど。これはいい、な」
流れ込んでくる膨大な妖気に、わたしはどこか恍惚とした表情を浮かべた。






