第34話 犬伏の別れ(後編)
「信じられん……信じられんが、あの色葉様ならばとも思うのだ。確かに人の子ではなかったが、そのようなことが……ううむ。いかん、いかん。これは一つ間違えれば身を滅ぼすぞ」
ぶつぶつと言い出した父親を前に、信幸ら三人は顔を見合わせる。
どうもここしばらく、昌幸の様子が変なのである。
特に上田を出てからの様子が、一段とおかしい。
一方の昌幸にしても、このようなことをにわかに話す気にもなれなかった。
景頼曰く、あの色葉が生まれ変わったと言うのだ。
そのようなお伽噺と思う一方で、同時に手渡された書状を目にして戦慄した。
内容は、あの色葉でなければ知り得ないような、あんなことやこんなことが書き連ねていたのである。
呪われた手紙を受け取った気分になった昌幸は、即座に焼き捨てようとして、できなかった。
聞けば色葉直筆の手紙。そんなものを軽々しく焼いてしまっては、後でそれを知られたならばどんな折檻を受けるやらと、戦慄したからでもある。
仕方が無いので厳重に封をした上で、城の床下の土の中に埋めておいたが、それでも不安なことには違いない。
いや、まあ、それはどうでもいい。
問題は色葉の意図である。
この時点で半ば以上に、昌幸は色葉の復活を信じてしまっていた。
そしてその色葉はあろうことか、徳川家康の嫡男・秀忠の娘として存在しているらしい。
そういえば秀忠の正室には、色葉の妹である雪葉が嫁いでいたはず。
そのことからも、何か因縁めいたものを感じずにはおれない。
少なくとも荒唐無稽である、と笑うことはできなかったのだ。
何ということだ、である。
あの色葉は昌幸の人生において、常に味方であった。
味方といっても酷いこき使われ方をしたのであるが、それでも味方は味方である。
それが今回、下手をすれば敵に回ることになる。
あの色葉が、敵。
ぞっとした。
「父上……如何なされたのです?」
脂汗を浮かべ始めた昌幸に、三人は何事かと声をかけた。
信幸にしても父親がこのように何か恐れを見せる姿は、一つの例外を除いて経験が無い。
その例外も、今となっては失われて久しいはずであったのだが……。
「このように抱え込んでいては、この身に堪えるわ。というわけで話すぞ、息子たちよ」
結局一人で抱え込むことに堪り兼ねた昌幸は、景幸から伝えられたことを包み隠さず三人に伝えたのであった。
話し終わり、このことを最も信じなかったのは信幸であった。
信幸は三人の息子の中で、最も色葉との縁が薄い。
無理からぬことではある。
逆に最も信じたのが、景幸であった。
景幸はこの中ではある意味、色葉との縁が一番深い。
なんとなれば、景幸は色葉の義弟であり、早くに朝倉家を出た兄の景頼などとは違ってずっと色葉の手元にあり、その教育を一身に受けた存在だったからだ。
そのためかなり頭が切れることは、昌幸も認めていたほどである。
そして幸村。
これも信幸などに比べれば、むしろその復活を信じた方である。
幸村は昌幸が色葉の元に人質を兼ねて小姓として送り込んでいた存在で、これもまた縁が深かった。
だが幸村はどちらかといえば、色葉よりもその義妹であった乙葉との縁の方が深い。
朝倉家臣時代は乙葉に武術を学び、滅亡後は大坂にあって馬廻衆として秀吉に仕えていたこともあって、乙葉の身近にいたからである。
「そうそう信じられるものではありませんが」
「いや、景頼兄上が自ら使者となって義父上に事の次第を話した、ということは、景頼兄上も信じたから、ということでしょう。ならば信じるべきかと思いますが」
「しかしなあ……」
「まあまあ兄上。色葉様の復活云々はこの際置いておきましょう。その真偽はともかくとして、他に考えねばならぬことがあるように心得ますが」
そう口を挟んだのは、幸村であった。
「というと?」
「父上が浮かない顔をされているのは、その千姫様のおっしゃられたことが、あまりにも的を射ているからでしょう」
幸村の言いたいことは、つまりこうである。
色葉らしき千姫は、昌幸に対して景頼を通じ、こんな要請をしてきた。
好きにすればいいが、間違えてはいけないところは間違えるな、と。
つまり昌幸の行動を何ら掣肘するつもりは無いが、何かしら考えて動け、という意図であると思われる。
ここで現状を振り返る。
仮に徳川勢が転進するとして、二つの進路から行軍する可能性が高い。
その一つが中山道。
そしてここを進軍する可能性が最も高いのは、すでに別動隊の指揮を任されている徳川秀忠である。
その娘が、千姫。
つまり昌幸は、千姫の父親と信州で戦う可能性がある、ということなのだ。
「これはあれだ。色葉様は戦うのはいいが、手心を加えろと言っているようにしか聞こえん。仮に討ち取りでもしたら、破滅は免れぬな……」
昌幸はそう解釈した。
それに少し慌てたのは幸村である。
「ち、父上。そうかもしれませぬが、問題はそこではなく……」
「む? そこではなくどこだと言うのだ」
「千姫様は若干三歳のお歳であられたはず。ですが、このような使者を遣わされたということは、以前から事の推移を見通されていた、ということになります。その慧眼こそ戦慄すべきことではないかと思うのですが」
つまり、千姫が色葉であろうが無かろうが、侮れない存在である、ということである。
そしてそんな人物が、徳川家中にいる。
となれば、家康とて同じく事を見通しているのではないか、という危惧をこそを、幸村は問題であると告げたのだ。
が、昌幸の反応は少々思わぬものであったといっていい。
それどころか、
「何を言う。千姫様が色葉様であられるのならば、この程度の戦局、軽く見通されるであろう。驚くに値せぬ。そなたは長く色葉様に仕えながら、そのようなことも分からぬのか。そういえば以前、色葉様がおっしゃっておったな。そなたは少々武に偏り過ぎている、と。その時は次男坊などそれで良いとお答えしたが、そうでも無かったか」
逆に叱られる始末である。
「父上、思うのですが」
次に声を上げたのは信幸である。
「何だ?」
「それほど御迷いならば、いっそのことこのまま、内府殿にお味方されればよろしいではありませぬか」
信幸などはそう思うのだ。
そもそも真田家は徳川家とさほど仲はよろしくない。
あくまで豊臣家の傘下の元で、同じくしているに過ぎないのだ。
だが家康にしてみれば、それなりの勢力を誇る真田家を見過ごすはずもなく、懐柔する手を打ってもいた。
それが信幸の正室に、徳川家重臣である本多忠勝の娘を家康の養女とした上で、これを送り込んだことである。
そのため真田家中にあって、信幸はどちらかといえば徳川寄りの存在であったと言っていい。
それでも父の決定に従うことはやぶさかではなく、これも戦国の運命であると覚悟を定めていたものの、こうして雲行きが怪しくなってきたのであれば、改めて説得する気も起きようというものであったのだ。
「むう……。それも一つの手か。ここで家康に恩を売って、所領を拡大しておくのも悪い手ではない」
「お待ちを」
揺らぐ昌幸を留めたのは、景幸であった。
「それはそれで、危のうございましょう」
「それは如何なる存念にてそう思うのか」
「本当に千姫様が我が姉であった人物であるのならば、そのような選択をする義父上に対し、幻滅されるのではないかと」
「ぬう」
それも一理あった。
以前から色葉は昌幸に対し、謀略の類が大好きな輩であると思い込んでいる節がある。
そんなものは好きでも何でもござらんと答える昌幸に対し、色葉が胡乱な目を向けるのはいつものことであった。
つまり今回の動乱に対し、ただただ道理で動くだけなどありえないと、色葉が考えている可能性は大きい。
実際その通りだったのであるが、その期待だか妄想だかを裏切った場合、なるほど景幸の言うように幻滅されるかもしれない。
それはそれで、確かに危険である。
価値無しとでも判断されれば、かつての親交など無に帰すような気がしたからだ。
そもそもにして、好きにせよと言っている時点で怪しいのだ。
もはや面白がっているとしか思えないほどである。
これらはまあ、昌幸たちの考えすぎなところも多々あったのであるが、少なくとも未だにその程度に影響を与えてしまう存在、それが色葉であったと言っていい。
「何とも難しいことを要求されるものだな……」
困惑し、考えに考え抜いた昌幸は、最終的に一つの決断をすることになる。
徳川と縁の深かった信幸を徳川方につかせ、昌幸や幸村、景幸は国許へと軍勢を引き揚げて反徳川を鮮明にした。
世にいう、犬伏の別れ、である。






