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無力

とりあえず一区切り。今までの主要人物があまり出てこないのは空いた時間を思い知らされる。

 警報が鳴ってから、もうどれぐらいたったか。長く感じられ、しかし振り返ればたったの半時といったところだ。アニスは部屋の時計を見て、時間感覚の遅れから自分が緊張していることを自覚する。

 一度、クローディアから広域捜索網に加わるという文章が送られてきたが、いまだに拘束の報はない。しかし、連隊司令部という敵中の中央から逃れることなど容易いことではない。

「このままではじきに包囲される。何か、逆転の策は。それが分かれば、利用もできるだろうか」

 ふとアニスは、懐かしい感覚に包まれる。どうやって勝つか。勝てないとき、何をするべきか。それを考えているとき、かつてはとても充実している気分になったものだ。頭の中では何もかもが上手くいく気がする。現実で、それをどこまで成し遂げられるか。それを突き詰めることで、アニスは戦術を、そして戦略を練ってきた。

 ――前提として、スパイがいまだ包囲網の内側にいるとする。検問は基地内の外郭防衛線の末端、すなわち包囲網の完成よりも早期の脱出が可能と地形上は言えるが、それは予め移動手段を確保できていればの話だ。この事件が突発的なものであれば用意されていない可能性は高く、仮に何らかの移動手段の確保が可能であった可能性が高い場合、現在の広域捜査網はもっと別の指示になっているはずだ

 可能性を並べ、打ち消し、もう一人の自分と議論するようにして、考えを纏めていく。

 司令部から離れた検問ならば、移動用の車なり二輪車なりが用意されていてもおかしくはない。だが、それを使えばすぐに露見するだろう。前提条件を下地とし、スパイはどこに逃げるか。隠れるか。手配書が回っているため原隊に紛れ込むことは絶望的。

 単独犯、かつ、身一つの状態でスパイが行う行動。身を挺した破壊工作――重要施設での自爆テロなどは、ありそうだ。だが、アニスならば、軍人ならば最後まで脱出の方法を探るはず。

 混乱に紛れた、この基地からの脱出。変装して捜索網に紛れれば、あるいは。

「可能性の一つ、だな」

 あり得るが、それを許すほどファイレクシア軍が間が抜けているとは思えない。ただ、捜索網の兵士の中にスパイに協力的なものがいれば、それは成し得る。

 話を聞く限り、下級兵士は、心から望んで志願したものばかりではないようだ。心ではファイレクシアに与していないものもいるだろう。 捜索に当たっているのは、第1混成大隊――エミール・ブノワの同僚だ。エミールが計画的に潜入したスパイだとしたら、日頃からそういった目星をつけている相手がいてもおかしくはない。

「そういった連中を使ってスパイが脱出した場合――そういう人間がいると分かるだけでも、一応の拾いものか」

 いざというときに協力者となりそうな人間がいるかどうかは、有難い情報だ。上手くやれば、反乱を煽って内部から基地を攻撃することすらできるかもしれない。

「とはいえ、この件自体が、なんらかの好機につながる可能性は低いな」

 アニスは嘆息する。現状は結果待ちだ。椅子の背もたれに体重を預けると、部屋のドアがノックされた。

「どなたでしょうか」

 とっさにエリシェのトーンをつくり、誰何した。クローディア達が戻ってくるには早すぎる。

「お休みのところ、申し訳ありません。被疑者が内部へと侵入している可能性があるため、確認中です」

 聞き覚えのない若い男の声だ。巡回中の兵士のようだった。

「異常はありません。ご苦労様です」

 答えると、数秒の間があった。兵士の次の返答に、アニスは逡巡する。

「可能でしたら、一応、部屋を点検させていただきたい所存でありますが――このあたりは、重点的に捜査しろとの命令ですので」

「それは」

 兵士の言葉が、少なからず動揺をもたらす。重点的に捜査しろとは、どのような根拠があってのことだろうか。本当にスパイが逃げ込んでいる可能性があるのか――もしくは、ハミルトンあたりが、エリシェを案じ、もしくは疑って兵士を寄越したか。

「それは、どなたの命令でしょう」

「自分は、司令部からの命令としか聞いてはおりません」

 一介の兵士に、そこまでの真意がわかるわけがない。ここで断ることは可能だが、もしも本当にスパイの捜索で命令が出されているのなら、アニスは一気に不審人物だ。クローディアに指示を仰ぐべきかとも思うが、彼女は別の任務中だ。邪魔はしたくないし、臆病なところを見せすぎるのもアニス個人としては許容しがたい。さらに言えば、軍人としては上からの命令と言われれば抗いがたい。

「わかりました。今、開けます」

 どうせ見とがめられるものもない。とっとと終わらせて帰らせようと扉により、ロックを解除する。

「失礼します」

 そう言って入ってきた兵士は、あまりにも自然な動作から、間髪入れずにアニスの額に銃口を突きつけた。








「何の真似だ、軍曹」

 突きつけられた銃口など視線もくれず、アニスの目は相手の階級章と顔だけに注がれる。兵士は口の端を挙げていた。引きつった笑いは、顔に色濃く残る火傷によるものだ。髪は短く刈り込まれ、特徴のない顔は火傷によって一気に変貌している。

「貴様、エミール・ブノワだな。よくも短時間で、そこまで顔を変えたものだ」

「少女のような外見で、案外動じないな」

 エミールは、心底意外そうな声を上げる。それでも銃口にぶれはなく、すでに指は引き金にかかっている。

「それが貴族の貴族たる所以、というわけか?」

「銃口程度で怖気づいて、軍人が務まるか」

 それはアニスの本音だ。身を包む少女のパイロットスーツの防弾性能など、あてにはしていない。

「女が、一丁前の口をききやがって。悲鳴をあげないのはいいが、面倒くさそうなのを引いたな」

「顔を変えて包囲を逃れ、さらに人質を取って脱出する気か」

「話すたびに、残り少ない寿命を縮めることになるぞ。撃てないとでも思っているのか?」

「必要とあらば自分の顔を焼く奴が、そんな甘いはずがない。それよりもこれからの計画を聞かせてもらおうか」

 一兵士の反乱などではない。エミールは間違いなく訓練された工作員だった。顔を焼く覚悟ほどの覚悟、隙の無い身のこなし。あえて敵中で人質を取る大胆さ。ともに逃げる仲間として、これ以上の人材はない。千載一遇の機会としか言いようがなかった。

 しかし、この場で正体を明かすことは危険だ。逃亡が確実にならなければ、アニスの正体を誰かに知られるのは致命的だからだ。

「私を人質に取り、一時的に難を逃れる。それは可能かもしれん。しかし、その後はどうする。そのまま逃がすほどファイレクシアは甘くはないぞ」

「俺の心配をしている場合か?」

 アニスの問いを、時間稼ぎと判断したのだろう。しっかりと銃口を突きつけたまま、エミールはアニスの背後に回り込み、腕をつかむ。少しでも抵抗するそぶりを見せれば、彼は即座に銃弾を放つだろう。パイロットスーツに多少の防弾性能があっても、至近距離からの銃弾に耐えうる防御力は期待できない。こんなところで死ぬわけにはいかない。

 腕を捻られる苦痛に耐えながら、アニスは言葉を紡ぎ続ける。

「ここに駐屯するフレーム隊は精鋭だ。そう長くは持たない。援軍のあてがあるのか?」

「士官は、携帯端末を持っているはずだな。どこにある……いや、面倒だ。そのままでいろ」

 エミールはアニスの言葉に耳を貸さない。乱雑に前のボタンを外され、上衣を脱がされた。投げ捨てられた上着が立てる硬い音は、入りっぱなしの端末が立てたものだ。腰のホルスターからロックが外され、銃も引き抜かれる。弾倉を抜かれた拳銃が丸まった上着の上に落ちる。

「腕を後ろにまわせ」

 従うと、彼は器用に片手で紐か何かを操り、アニスの手背同士を合わせて後ろ手に縛りあげる。

「よし、大人しくしていろ。ゆっくりと外に出るんだ」

 再び銃を取り出してから、エミールはそう命じた。たとえ廊下で誰かに遭遇しても、そのままではアニスが盾となる形だ。

「厳戒態勢の中をこのままいくつもりか? 外には狙撃兵もいるはずだ。後ろから撃たれるぞ」

「ここから、一番近い格納庫までは狙撃に適したポイントがない。お前はフレームを手に入れるための道具だ――下手なマネをするなよ。大人しくしていれば、命は助けてやる」

「フレームを手に入れてどうする?」

「確かにお前の言う通り、逃げることは出来なさそうだ。だが、それならそれで果たすべき任務はある」

 廊下を進みながら、ちっとアニスは舌を打った。工作員としては、この男は優秀だ。優秀すぎる。おそらくはフレームを奪った後の計画は脱出ではない。フレームによる破壊活動を企てているのだ。

 あくまでも任務を全うする姿勢は尊敬に値するものだが、それではアニスには何の意味もない。せめて、目の前で犬死はしてほしくなかった。

「ここは見逃してやる、私を捨てて逃げろ。足手まといがいなければ、今なら捜索をする兵士に紛れて脱出が叶うかもしれん。命を粗末にするな」

「今更怖気づいたか? もともと死んだような命だ。ファイレクシアに一矢報いることが出来るならそれで十分だ」

 その言葉に、さらにアニスは舌打ちをする。軍人としての使命感以上に、個人としての復讐の念に駆られているようだ。

「生き延びれば機会はある。ここで感情に任せて犬死しても、誰の得にもならないぞ」

「俺一人が生き残って、後に何が為せるかなどたかが知れている。今、絶好の好機が目の前に転がっているんだから、拾わない手はない」

「なにがお前をそこまでさせる。ファイレクシアへの怨念か」

「そうだ。お前たちは俺たちから故郷と生き方を奪い、奴隷にしている。俺一人が行動を起こせば、それは同じ思いを持つ百人に伝播する」

 お前たち、という言葉に胸を刺されながら、アニスは説得を続ける。

「反乱の狼煙にでもなるつもりか。お前の反乱で、被支配地民に対する締め付けはさらに厳しくなるだけだ」

「その締め付けが、最終的には自分の首をも絞めることになる。力による押し付けはフラストレーションの蓄積を生み、それはいつか抑えきれない反発になる。世界を変えるのは誰かの行動だ。俺はそれを示して死ぬ」

「テロリストが――」

 軍人とテロリストは、武力を持って目的を成すと言えば似たような境遇ながら全くの反対だ。軍人は、そんなヒロイックな考え方などしない。信念を全うして死ぬよりも、次の作戦に備えて生き延びることを選ぶ。ここにきて、アニスは彼の説得を放棄した。しかし、縛られているのは変わらない。縛り方か紐の素材のせいか、アニスがどんなに力を入れても縛めはほどけそうになかった。

 階段を下り、営舎を出る。当然というか、すぐに警戒中の兵士の一団に出くわした。

「貴様、そこで何をしている!」

 緊張中の兵士たちは、引き金に指をかけて一斉に銃を構えた。その後ろには、巨大な『マイア』が控えている。それを見て、エミールは引きつった笑いでもって答える。

「そこを通してもらおうか。それとちょうどいい、そこのフレームも頂こう。キーを差したまま降りてこい」

 これ見よがしと、アニスは銃を突きつけられる。はっきりとして動揺が兵士たちの顔に浮かんだ。彼らの動揺は、一士官が人質に捕らえられていることに対してではなく、貴族を人質に取られているものからだと、今のアニスには分かる。

「撃つなら気を付けろよ? 貴族様に弾が当たったら、お前らだってただじゃすまないんだからな」

 エミールも、ファイレクシアという軍隊をよく知っていた。被支配地民出身の兵士は、貴族を傷つけることができない。そんなことになれば、場合によっては責任を取らされるのは兵士本人だけではすまないからだ。軍人としては任務を全うすべきだが、彼らは誇りある軍人ではなく、食うために志願した奴隷に過ぎない。

 フレームパイロットならば騎士か貴族だろうが、今のアニスの容姿は伊達な下級貴族のものではない。それを傷つけてまで任務を遂行できるほどに忠実でも愚かでもなければ、圧倒的な攻撃能力を持つフレームですら手出しができない。

 精強にして忠実なファイレクシア軍の、もう一つの顔をアニスは垣間見た。軍隊としての指揮系統以上に力を持つ貴族の階級が、大きな力と共に枷にもなっているのだ。

 私に構わず撃てとは、アニスは言えなかった。そういっても、彼らに引き金を引かせることが出来ないことを理解していたからだ。エミールが脱出する気がないことをもっと早く見抜いていれば、無抵抗で縛られることもなかっただろう。自らの不明に奥歯で苦虫を噛みしめるアニスの目の前で、フレームが膝をついて、パイロットが機体の背部から降り立った。フレームのカメラアイが光っていることで、起動状態にあることが分かった。

「聞き分けが良くて助かる」

 機体に背を向け、アニスを胸の前に引き寄せて、前後の盾としながら後ろ足でフレームに近づいていくエミール。その片腕が、フレームの脚部にかかった。

「あばよ、お嬢さん」

 屈辱的な言葉が囁かれると同時、アニスの身体は勢いよく蹴り飛ばされて地面に転がった。兵士のうちの数人が駆け寄ってくる。その間にエミールは軽々とフレームによじ登り、コクピットに姿を消す。

 フレームがゆっくりと立ち上がる。兵士の放つ銃弾は、装甲に傷すらつけず弾かれた。返礼とばかりに、頭部に埋め込まれたチェインガンが、地面に向けられた。













 吐き出した唾液に、埃と石の味が混ざっていた。両耳が痛むが、誰かの足音が聞こえる。鼓膜は無事なようだ。

「衛生兵!こっちだ!」

「負傷者の確保を最優先! 手の空いているものは回収に回れ!」

 肘を立ててゆっくりと上体を起こし、足に力を込める。打ち身のような熱が各所に走ったが、折れてはいない。白いシャツには埃が纏わりつき、ところどころが割けて白い肌が露出している。

 足元にこぶし大のコンクリートの破片が転がり、あちこちに爆ぜた穴が開いている。周囲はまだ白っぽい空気が渦巻いているが、どうにか視界は開けている。道に転がるのは破片と武器、人の身体。

 はっとして、アニスは視線を巡らせる。そして、見つけた。市街地を走るフレームが、立ちはだかったフレームをナイフ一本で解体する瞬間を。

 凍り付く身体を無視し、脳は状況を整理していた。フレームを奪われ、チェインガンで撃たれた。人の上腕ほどもある弾丸に直撃されれば跡形もなくなるだろうから、直撃はしていなかったのだろう――アニスには。

 自分がエミールに協力的だったせいで、余計な被害が出ている。被害を受けたのはアニスの敵であるファイレクシアだが、それを素直に喜べはしなかった。敵であろうと、本来は必要のなかった犠牲である。

「おい、あんた、無事か」

 誰かが声を掛けてくる。アニスが振り返ると、その兵士ははっとして姿勢を正した。

「失礼いたしました。ご無事ですか」

「私は大丈夫です。負傷者の収容を、はやく」

 視線で倒れて動かない人間たちを示すと、兵士は敬礼と共に去る。その顔が、怒りと緊張で赤く染まっていることに、アニスは心が痛むのを自覚した。彼らにしてみれば、仲間が殺されているのだ。それに対する償いをすることは、立場的にも能力的にもアニスには不可能だった。

 失態は、すぐにクローディアやハミルトンにもしれることだろう。自分の処遇がいったいどうなるのかは分からないが、それを左右するだけの力がないことだけは分かっている。

 『エリシェ』となってから、それまでで最も無力をおぼえた瞬間だった。ファイレクシアの敵のアニス・コスとして起こした行動は、最悪の結果を生み出した。自分は無力ではないと言い聞かせ、どうにかして流されまいと抗った結果だ。数少ない手札の中でアニスが切った札は、エミールという災害を招き、多くの被害をばら撒いた。

「私のせい、というのは容易い。だが、言ってどうなる」

 自分が自分であるために、囚われの身から抜け出すために、必要な犠牲ではなかった。アニスがアニスでなければ――臆病な『エリシェ』という少女であれば、あるいは逆にエミールに抵抗して逃げ出すこともできたかもしれない。

 遠くで、二機のフレームが格闘戦を演じている。だが、技量が違う。数度の交錯で、片方の腕が飛ぶ。押されている方には僚機がいるが、格闘戦を演じながら牽制の射撃を放たれ、近づくことも支援することも出来ていない。ファイレクシアのパイロットが弱いのではない。エミールが鬼神のごとき強さを発揮しているのだ。

 どこかでフレームさえ調達できれば、アニスならばエミールを止められる。しかし、それも『エリシェ』の身では叶わないことだった。混乱に乗じて、偽の貴族の威光でフレームを強奪して、それでエミールを止めたとしても、その先はない。アニスの素性への嫌疑が強まるだけだ。

 アニスであるために引き起こされた事態に、エリシェであるがゆえに対処できない。本当に無力な少女よりも、さらに何もできない。

 ただ、それを自覚させられた。

 遠くで、無力をあざ笑うように、二機目のフレームが沈黙させられている。

 頬に一筋の露がはしる。

 ようやく降り出した雨が、辺りの白煙を洗い流していく。









 

「フレームを奪われたぁ!?」

 ニコラスは信じられない情報に思わず大声をあげた。想定外の事態に、通信先のエスキベルも少しだけ声が上ずっている。

『目下、司令部の護衛隊と交戦中だ。お前たちも急行しろ』

「クソ、なんてこった――リューシャ!」

『お先ニ』

 ニコラスが見れば、リューシャの機体はすでに宙を舞い、司令部へと走り去っている。数秒遅れて、ニコラスも機体を駆った。

 









――これだから、名前だけの貴族共は!


 コクピットの中で、リューシャは母国語で毒づいた。聞けば、スパイは非番の貴族を捕らえて人質にし、フレームを奪ったらしい。軍人としてはあり得ない体たらくだ。

 だが、それ以上に許せないのは、スパイの行動だった。逃げるならともかく、死を覚悟した司令部への吶喊など、リューシャからしてみればありえない。

「そこまでデス。武器を捨てて、トーコウしなサイ」

 戦場に着いたとき、スパイの操っていると思わしき『マイア』が、同じ型の機体の頭部にライフルを突きつけているところだった。返答は、フレームに叩き込まれる銃弾だ。

『リューシャ、油断するな。ヤツはすでに三機のフレームを撃破している』

 ニコラスの声に、リューシャは両手に力を込める。

「コイツは、私の相手デス」

 睨み付けると、相手のフレームから声が飛んだ。

『その声、あの将校だな。新貴族の――ファイレクシアに媚を売る裏切者が』

「それはコチラの言い分。このようなコトをシテ、ナンの意味がある? どこのスパイですカ?」

 互いに、怒気を込めた言い方だった。

『これは、俺の戦いだ。――俺の後ろには、ファイレクシアに弾圧される無数の同士が続く! その流れを理解するなら、俺の前から退け、裏切者!』

『弾圧を強くスル、それだけデス! 勝手な私怨で動くとは……裏切者は、そちらデス!』

 放たれた銃弾を身を捻ってかわし、リューシャは一気に距離を詰めた。腰からナイフを抜き、コクピットに近い右わきを狙って切り上げる。相手は後退して回避。しかし、そのバランスが崩れた。リューシャの背後から放たれたニコラスの援護射撃が、肩部を撃ち抜いたのだ。たった一発の弾丸が装甲を砕き、内部の関節を破壊している。

 一撃で銃を握る左手を潰された相手は、それでもあきらめてはいない。右手一本で機体の正面、コクピットを守るようにナイフを構える。敵が刃を立てたのを見て、リューシャの機体は刃の先を敵に向けて腰だめに構える。

 先に仕掛けたのはリューシャ。全身を使ったすばやい刺突でコクピットを狙うが、敵の小さな刃で受け流される。反撃に対して、ナイフを肘の関節で弾き防御。その流れで放った刺突は回避される。

 金属同士がかき鳴らす耳障りな音の連鎖。互いの得物が攻撃と防御を繰り返すが、牽制に混じった必殺となりえる一撃が決まらない。エミールの方は連戦かつ片腕を失っているのに対し、リューシャも先の爆発で受けたダメージが抜けていない。互いに全力が出せていないのだ。

『距離を取れ、これでは撃てん』

「結構デス。コイツは、私が!」

 苦々しいニコラスに、白い肌を緊張と興奮で染めてリューシャは吐き捨てる。生身で戦う以上に、フレームでの格闘戦は身体と脳に負担をかける。敵の攻撃は勢いが衰えず、体力の消耗が感じられない。

 だが、だからといって、負けるわけにはいかない。軍人として、おなじ被支配地民として。

 敵の攻撃を、刃の上で滑らせるようにして逸らす。防がれたと見た敵は、すぐに腕を引き、次の連撃を放ってくる。

 コクピット狙いの刺突。

 上体を回し、脇腹を見せるようにしてかわし、さらに空手の右手を伸ばす。

「コレで――!」

 カウンターを決めるように、敵の『マイア』の胸部、コクピットの直上に指をかけた。息をのみ、ぐいと右のレバーを押し込んだ。

 瞬間、襲った衝撃に敵が感電でもしたかのように跳ねる。右の手のひらから放たれたのは、そこに仕込まれた射出槍だ。

 装甲の欠片が飛び、黒々とした煙が上がり、それで敵の動きは完全に止まった。

 『マイア』の背中から白煙が吹きあがり、座席が射出される。雨粒を受けながら、そこにしがみつくのは、脱出したエミールだ。リューシャは舌打ちをして機体を動かそうとするが、装甲と内部の機構に挟まれたのか、射出槍の食い込む右手を離すことができない。

「中尉、ウて!」

『駄目だ、殺さずにとらえて尋問する必要がある!』

 あくまで冷静なニコラスに、リューシャはコクピットの前面になる胸部装甲を解放。搭載されたロープを滑り、全身の痛みを無視して駆け出した。










 シートが地面に落ちる前に、エミールは飛び降りてそのまま走り出す。今まで隠し通してきた常人離れした体力も、すでに尽きつつある。濡れた地面に足を取られかけた。それでも、すでに司令部まではかなり近づいている。武器も、フレームの中にあったライフルを持ち出してきた。

 エミールが目指すのは、司令部の壁の一角。隙をついて、流れ弾に見せかけて破壊した箇所がある。そこから侵入し、司令部を攻撃するのが最後の作戦だ。

 それが上手くいくとなど、思ってはいない。それでもエミールは戦い続ける必要がある。個人でもこれだけのことが出来ると示すことで、独力での蜂起を促し、大きな反乱へと潮流を作るためだ。

 エミールは諜報員としての訓練を受け、この基地に赴任してから各所から集った被支配地民と語り合ってきた。そのほとんどは生きるため、食うために志願した者たちで、ファイレクシアへの忠誠を持たないものだった。しかし、彼らは集って戦おうとはしなかった。強大なファイレクシアからの併合を受けた彼らにはその強さが刻み込まれ、食わされて生かされる奴隷と化していたのだ。

 挙句の果てに、ファイレクシアに媚を売り、騎士や貴族としての地位を得るものまで出る始末。これでは、世界はすべてがファイレクシアに染まってしまう。

 誰かが、皆の目を覚まさなければならなかった。エミールの任務はファイレクシア前線における変化を逐次報告することだったが、次第に彼は兵士たちを先導して反乱を起こすことを考え始めていた。

 それを成すべき時が来た。突発的な事態だが、だからこそ、エミールはそれを機会として受け取った。自分一人では、皆の目は覚めないだろう。しかし、自分に感化された者が一人二人と同じことを起こせば、ファイレクシアの地盤はゆがむ。歪みはいつか蓄積された力を解放し、全体を大きく揺るがすのだ。

「いたぞ!」

 甲高い笛の音に、敵が集まってくる。ライフルやマシンガンを構えるのは、いまだ目の覚めない下級兵士たち。だが、撃つのをためらっては流れを引き起こせない。物陰に身体の大半を隠しながら、ライフルを単射で打ち込み牽制する。銃声のたびに数人が道に転がった。命中精度に、敵の攻勢が鈍くなる。

「退きなサイ! 私が行く!」

 聞き覚えのある声が走った。若い女の声。舌打ちし、ライフルを構える。あのリューシャとかいう女士官が、拳銃を構えてこちらに向かってくるところだった。バカが、と引き金を引こうとした瞬間、銃声が来た。

「馬鹿な!?」

 銃弾は、ライフルに当たって弾かれる。エミールが狙って弾いたわけではなく、リューシャが狙って当てたのだ。エミールの放った弾は逸れ、曇り空に吸い込まれるように消える。神業としか言いようのない行為にエミールはひるみ、その間にリューシャは接近を果たしている。

 とっさの判断でエミールは武器を捨て、腰からナイフを引き抜こうとした。しかし、リューシャの射撃の方が早い。太ももを撃ち抜かれ、崩れ落ちる。

「お前、なんてことをシタ」

 怒りに染まった口調。興奮のあまり顔は赤らみ、目には涙すら浮かべているが、その視線は氷柱のようだ。傷口を庇うエミールを見下ろし、逆の太ももも撃ち抜いた。動きを封じられ、痛みを耐えるエミールの脇腹を蹴り、地面に置いたライフルから遠ざける。

「お前の反乱で、被支配地民への弾圧は強まる」

「その弾圧が……最後はファイレクシアを襲うのさ」

 痛みに視界が赤く染まるのを感じながら、エミールはリューシャを睨み付けた。リューシャは何語かで悪態をつく。

「人が死ぬ――たくさんノ。ファイレクシアが殺す。それが嫌なら、ファイレクシアになれ」

「それが出来るのは、お前のようなごく一部だ。皆を救うためには、皆が立ち上がらなければならない」

「負け犬を助ければ、自分まで負け犬にナル」

「自分を曲げてファイレクシアに屈するなら、自分としてファイレクシアに抵抗して死ぬ。お前のような、ファイレクシアに媚を売る奴が負け犬だ」

 返答は、静かな銃声だった。二発の弾丸が、エミールの肩を撃ち抜いた。四肢を封じられて横たわる男を、武装した下級兵士が取り囲んでいく。



ここまで、主人公の転機。次回はまた書き終えたら。

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