補完の怪人
「有門! 見ろよ、このアプリ!」
登校して早々、目の前にスマートフォンを突きつけられた。
「昨日配信されたばっかのベータ版なんだけどさ!? 配信元不明、頭のおかしい紹介文、おまけにレビューは星一つだらけ! ところが、その中に星五つをつけてる奴がいるんだよ……!」
そこで友人は、もったいぶるように一拍置いた。
「そして、その一人が俺ってわけ!」
得意げに胸を張ったのは、山田ケビン。
自称、学内一の情報通である。
始業前の教室はいつも通り騒がしく、窓際では数人が机を寄せて談笑し、廊下からは文化祭の準備について話す声が聞こえてくる。
そんな喧騒の中でも、ケビンの声はやたらとよく通った。
「よく見つけてきたよな、そんなアプリ。俺はそういうのやらないって」
「その上でも、これは熱いぜ! 見ろよ、このカウントダウン。正式サービスまで一週間切ってる。乗り遅れたら後悔するぞ!?」
ケビンが指さした画面の上部には、奇妙な文字が表示されていた。
『世界の変質まで、あと6日と9時間54分23秒』
数字は一秒ごとに減り続けている。
「……世界の変質?」
「そう! 何が変わるんだろうな!? こういう意味深なの、たまんねえだろ!」
「いや、普通に怪しいだろ」
「一週間経って、そのときに判断したっていいんだ! な? 悪いことは言わねえ!」
「だから、やらないって。お前のを見せてくれたらいいからさ」
「かぁぁぁぁぁ! 頭固いなぁ!」
ケビンは大げさに天を仰ぐと、再びスマートフォンを操作し始めた。
「だったら見ろよ、これ! 悪魔マッチングアプリ!」
「悪魔……?」
画面が切り替わる。
そこに映し出されたのは、妖艶な雰囲気をまとった一人の女性だった。
「あら、ケビン。お友達かしら?」
長い髪を肩に流し、形のいい唇に薄い笑みを浮かべている。
その瞳だけが妙に生々しく、画面越しだというのに、こちらの表情を探られているような気がした。
「……へぇ。変わったお友達ね?」
「……おい、これ!」
「な!? やべえだろ!?」
俺は思わずスマートフォンを覗き込んだ。
女の目が、こちらを追っている。
偶然かと思って少し身体をずらしてみたが、その視線はぴたりとついてきた。
あり得ない。
うちの学校では撮影が禁止されているため、生徒のスマートフォンはカメラ部分に封印用のシールを貼られている。
もちろん、ケビンのスマートフォンも例外ではない。
「これ、どうやって……? 監視カメラ……学校のセキュリティをリアルタイムで突破してるってことか?」
「さすが俺のカサブランカさんだぜ!」
ケビンは自慢げだが、俺はそれどころではなかった。
画面の女――カサブランカは、そんなこちらの戸惑いまで楽しんでいるように見える。
「ふふふ……無理に勧めなくてもいいのよ」
彼女はケビンに語りかけながら、もう一度俺を見た。
「でも、貴方はするでしょうね。必ず」
その声音には、妙な確信があった。
予想でも、期待でもない。
まるで、すでに決まっていることを告げるような。
「……軍事AIか?」
思わず呟く。
「どうかしら?」
カサブランカは意味ありげに微笑んだ。
「そろそろ行くわね、ケビン」
それだけ言い残して、彼女の姿は画面から消えた。
俺はしばらく、暗くなった画面を見つめていた。
「起立ぅーーーっ! 礼!」
教室に号令が響いた。
数学の授業が始まる。
教壇に立つのは、人気数学教師の佐藤絢音先生だ。
「はい、じゃあ349ページー」
教科書を開く音が、あちこちから聞こえてくる。
俺も机の上に教科書を広げた。
黒板を走るチョークの音を聞きながら、ぼんやりとページを眺める。
けれど、頭の中はさっきのアプリのことでいっぱいだった。
(軍のAIが、一週間後の正式運用に向けて試験公開されている……?)
あり得なくはない。
しかし、それならなぜ配信元を隠す必要がある?
(俺が必ずインストールする……? なぜ、そんなことを言わせた?)
利用者の興味を引くための演出だろうか。
あるいは、AIが勝手に判断して発言した?
(いや、そもそもカメラが使えないのに、どうして俺がそこにいると分かったんだ?)
音声だけで判断したにしては、反応が正確すぎる。
民間企業が軍の技術を流用した?
それとも、発信元不明という設定自体が宣伝の一環なのか。
(……あからさますぎるんだよな)
「ルカ……!」
どこかで声がした。
(自我を持ったAI? いや、さすがに飛躍しすぎか……)
「おい、有門!」
「ん? ……はい!」
反射的に返事をして、勢いよく席を立った。
教室が静まり返る。
先生も、クラスメイトたちも、なぜかこちらを見ていた。
「……ちげーよ! 後ろからプリント回せよ!」
ケビンの声だった。
一瞬の沈黙。
次の瞬間、教室中がどっと笑いに包まれた。
「いい度胸だな、有門……」
佐藤先生が、教壇からこちらを見据えている。
笑い声が少しずつ収まっていった。
「珍しいな。どうした?」
「あ、いえ! すみませんでした!」
慌てて頭を下げ、椅子に座り直す。
後ろから回ってきたプリントを受け取り、何事もなかったように前へ送った。
ケビンが肩を震わせて笑っている。
あとで覚えてろよ。
そう思いながら教科書に視線を戻した。
けれど、文字はまるで頭に入ってこない。
どうしても、あの女の言葉が離れなかった。
『でも、貴方はするでしょうね。必ず』
……何なんだよ、あのアプリ。
昼休みだ。
母さんが持たせてくれた弁当には、冷凍の唐揚げとブロッコリー、プチトマト、それから昨日の残りのきんぴらが詰められていた。
唐揚げを一つ頬張りながら、机の上のスマートフォンに目を落とす。
「重っ。インストール、時間かかるな」
結局、ケビンの口車に乗せられてしまった。
危険性は理解している。警戒もしている。
それなのに、事件に発展しかねないこのアプリに、柄にもなく当事者として関わりたいと望む自分がいた。
俺だけじゃない。周囲のクラスメイトたちも、揃って例のアプリをインストールしている。
「ケビンくん、スマホのない子にまで声かけてるよぉ」
自作のサンドイッチを頬張りながら、玉響ララが呆れたように言った。
視線の先では、ケビンが別の生徒を捕まえて、例のアプリについて熱弁を振るっている。
どうやら、まだまだ勧誘するつもりらしい。
「うーん。ウイルスだとか、情報を抜かれるだとか言ってもさ」
向かいの席から声がした。
船橋ボンドだ。
昼休み前に弁当を食べ終えたらしく、今は椅子の背もたれに寄りかかっている。
「ルカートの言う通り、相手が軍事AIなら、そもそも警戒したところで無駄じゃね?」
「いや、プライバシーもセキュリティも平気で突破してくるんだから、軍事AIか秘匿AIか、そんな類いの代物かなって?」
「警戒したところで無駄ならインストールしてみるしかないだろ?」
「やめた方が良いのに、なんか気になるんだよな……」
俺はため息をついて、スマートフォンを持ち直した。
インストールを示すバーは、まだ途中で止まっている。
ケビンの声だけが、今日も教室中によく響いていた。
放課後。
文化祭を目前に控えた尾張ミヤズ高校二年N組の教室には、出し物に使うMRゴーグルや、工具の入った箱が積み上げられていた。
壁には校舎の見取り図が貼られ、あちこちにチェックマークが書き込まれている。
今年の出し物は、MRゴーグルを使った校内周遊型のリアル脱出ゲームだ。
現実の風景に仮想映像を重ね、校舎そのものを巨大なゲーム空間に変えるという、なかなか大掛かりな企画だった。
とはいえ、準備にはある程度の目処が立っている。
そんなわけで、俺たちは文化祭の作業をそっちのけにして、例の怪しいアプリの登録に勤しんでいた。
「何これ……個人情報、勝手に覗かれてない?」
小鳥遊ニコが、スマートフォンを覗き込みながら顔をしかめた。
「そうなんだよ! 閲覧履歴に交友関係、チャットログ、画像データまで調べるらしいぜ!」
得意げに答えたのは、もちろんケビンだ。
「しかもな、今みんなが答えてる設問! これ、適当に入力しても診断結果には大して影響しないらしい!」
「そんな……! 私、アンインストールする!」
「あっ! ニコ、悪い! 言ってなかったけど、そのアプリ消せないんだわ!」
「……は?」
ニコの指が止まった。
「そんなはずないでしょ!」
「いや、マジマジ! ほれ、ちょうどニュースでもやってるぜ!」
ケビンがスマートフォンの画面をこちらへ向ける。
『――SNSや動画配信などを通じて拡散しており、すでに中高生を中心に被害が広がっています。問題のアプリは通常の操作では削除できないとの報告もあり、関係機関が調査を進めています。安易にインストールしないよう、十分にご注意ください』
「な?」
「『な?』じゃないでしょ!」
ニコが声を上げる。
「どうするの、これ……。ルカくんは? まだ設問に答えてるの?」
「うん。かなり長いな、これ」
「よく続けられるね……」
「いや、もうインストールしちゃったし。消せないなら、何ができるのか確かめておきたいだろ」
そう言いながらも、気味が悪いことに変わりはない。
閲覧履歴に交友関係、チャットログまで勝手に読み取られている。おまけに削除もできない。
いったい、何のためにそこまで調べる必要があるんだ?
俺はスマートフォンに視線を戻した。
画面には、次の質問が表示されている。
『あなたの好きな季節を選んでください』
《春》 《夏》 《秋》 《冬》
俺は《秋》を選んだ。
「……終わった」
ようやく最後の設問を送信した。
画面が暗転し、中央に小さな文字が浮かび上がる。
『適性診断が完了しました』
続いて、七つのアプリ名と星の数が表示された。
その中で、ひとつだけ異様に目立つ項目がある。
『怪人変身 ★★★★★』
「……五つ?」
「おいおい、マジかよ!?」
横から覗き込んでいたケビンが声を上げる。
「有門! お前、最高適性じゃねえか!」
「だから何なんだよ、これ……」
怪人変身アプリ。
その名前を指で押す。
画面が切り替わった。
黒い背景の中央に、一枚の顔写真が浮かび上がる。
人間のものとは思えない、異様な顔。
それなのに、なぜか目が離せなかった。
写真の下に、白い文字が表示された。
――補完の怪人:有門ルカート――
――06日03時間54分23秒




