第40話 遠征の知らせ
「一年生全員に関係する発表があるらしいよ」
朝の教室で、ノアがそんな話を持ってきた。
「全員?」
カイルが振り返る。
「詳しくは知らないんだ。昨日、先生たちが実技棟で野外用の道具を確認してたって」
「野外用なら、外で何かするのかな」
リリアが言う。
「学院冒険者とは別でしょうか」
「どうだろうね」
ユウも気になったが、今のところ分かることはそれだけだった。
ほどなくして教室の扉が開き、クラリスが入ってくる。
今日は教本のほかに、厚い紙束を抱えていた。
「席についてください」
ざわめきが収まると、クラリスは黒板へ大きく文字を書いた。
『一年生 学院実地遠征』
「今年度の一年生遠征について説明します」
「遠征?」
「どこまで行くんだ?」
教室のあちこちから声が上がる。
「まず日程からです。今回は四泊五日」
「五日間!?」
ノアが驚いたように声を上げた。
「四泊とも野営を行います。天幕の設営と撤収、食事の準備、荷物の管理なども実習に含まれます」
「四回も天幕張るのか?」
カイルが小さく呟く。
「同じ場所に四泊するとは限らないんじゃない?」
リリアが返した。
クラリスは黒板へ三つの言葉を書き加える。
『移動』
『野営』
『集団行動』
「学院冒険者とは違い、今回の遠征は授業の一環です」
地図と実際の地形を照らし合わせて移動すること。
数日分の荷物を管理すること。
野営地で役割を分担すること。
周囲の変化を観察し、必要な情報を共有すること。
「学院の外で数日間生活しながら、安全に行動するために必要なことを学んでもらいます」
トーマが手を上げた。
「それで、行き先はどこなんですか?」
「今回の目的地は――」
クラリスが黒板へ向き直る。
『世界樹』
その文字が書かれた瞬間、教室が大きくどよめいた。
「世界樹!?」
「本当に?」
「そんなところまで行くのか?」
誰もが声を上げる中。
「…………」
ユウだけは何も言わなかった。
黒板を見たまま、ぴたりと動きを止めている。
本で何度も読んだ。
挿絵も見た。
遥か昔から存在し、遠く離れた場所からでも樹冠が見えるほど巨大だと書かれていた大樹。
それを、自分の目で見る。
「世界樹周辺は広大な保護区域です。今回皆さんが活動するのは、学院と冒険者ギルドが事前に確認した経路と観察区域に限られます」
説明紙が前から順番に配られていく。
ユウも受け取った。
紙には巨大な世界樹を中心に、森や草原、観察路、複数の野営予定地が描かれている。
「また、世界樹には古くから『三大神秘』と呼ばれる場所や現象があります」
黒板へ三つの名前が並んだ。
『命の泉』
『星降りの樹冠』
『大地の鼓動』
「三大神秘?」
ノアが呟く。
「一つ目、《命の泉》」
地図にある小さな水の印をクラリスが示した。
「世界樹の近くに存在する泉です。周辺に広がる神秘的な緑の大地を作り上げる源の一つとも言われています」
説明紙を持つユウの指が、僅かに止まった。
「泉の周辺では植物の生育が著しく良いことが確認されていますが、その仕組みは完全には解明されていません」
「その水って持って帰れるんですか?」
別の生徒が尋ねる。
「許可なく水へ触れること、汲み上げること、持ち帰ることは禁止されています。皆さんは指定された場所から観察します」
続いて二つ目。
「《星降りの樹冠》。夜になると、世界樹の樹冠から淡い光の粒が無数に舞い落ちる現象です」
「星が降ってくるみたいに?」
「そう見えることから、この名が付きました。何の光なのかについては複数の説がありますが、現在も結論は出ていません」
今度は教室から期待に満ちた声が上がる。
「天候などに問題がなければ、遠征中に夜間観察を行います」
そして最後。
「《大地の鼓動》」
地図の別の場所が示された。
「地表へ露出した世界樹の巨大な根で、内部を流れる緑色の光が一定の周期で明滅します。その様子が鼓動のように見えるため、そう呼ばれています」
「根が光るのか……」
カイルまで説明紙を覗き込んだ。
「今回の遠征では、この三大神秘すべてを観察予定に含めています」
リリアが小さく息を漏らす。
「全部見られるんだ」
その隣では、ユウがまだ一言も発していなかった。
◇
「次に、遠征中の班編成について説明します」
クラリスが黒板へ四人ずつの枠を三つ描いた。
「普段の四人班は基本単位として維持します。ただし、遠征では三つの班をまとめ、十二人で一つの合同班を編成します」
「十二人……」
「今までよりかなり多いですね」
エステルが言う。
ノアが手を上げた。
「同じクラスの班だけで組むんですか?」
「いいえ。今回は一年生全体で編成します」
教室が少しざわついた。
「別のクラスに所属する四人班と同じ合同班になる場合もあります。それも今回の『集団行動』で学んでもらうことの一つです」
「じゃあ、ほとんど話したことない人と五日間一緒になることもあるんだ」
「その通りです」
合同班ごとに学院教師が同行すること。
さらに遠征全体の護衛として、冒険者ギルドから複数の冒険者が参加することも説明された。
「護衛にはAランク冒険者も含まれます」
「Aランク……」
小さなどよめきが起きる。
「ただし、強い護衛がいるから危険な場所へ入ってよい、という意味ではありません」
クラリスは黒板の『集団行動』を指した。
「先日の灰牙狼の件を知り、不安に思っている人もいるでしょう。ですが遠征は危険を探すためのものではありません」
少し間を置く。
「危険を避けながら、外で行動する方法を学ぶための遠征です」
そして黒板の端へ、もう一つ文字が加えられた。
『学年別対抗戦』
「それから、遠征終了後には一年生による学年別対抗戦が予定されています」
「対抗戦?」
カイルがすぐに反応する。
「詳しい規則は遠征終了後に説明します。ただし、個人の力だけを見るものではありません」
クラリスは生徒たちを見渡した。
「遠征中も、自分の班で誰が何を得意としているのか。どのように役割を分ければ動きやすいのか。よく見て、よく話してください」
「遠征は対抗戦のためだけに行うものではありません。しかし五日間一緒に行動すれば、自分たちの得意なことも、足りないことも今まで以上に見えてくるでしょう」
合同班の編成は、明日発表される。
「説明は以上です。詳しい準備については、合同班の発表後に行います」
クラリスが教本を開いた。
「十二人か。誰と一緒になるんだろうな」
カイルが周囲を見る。
「別のクラスの人もいるんだよね」
リリアも考える。
「アレンと一緒になる可能性もあるってことか」
「ノアもどの班と組むか分かりませんしね」
エステルが言ったところで、リリアが隣を見た。
「……あれ?」
「どうした?」
「ユウ」
「…………」
説明紙を両手で持ったまま、地図を見つめている。
「おい、ユウ?」
カイルが顔を覗き込んだ。
「…………世界樹」
「うん?」
「本当に……行けるんだ」
三人が顔を見合わせた。
「もしかして、ずっと固まってたの?」
「え?」
ようやく顔を上げる。
空色の瞳が、いつになく輝いていた。
「だって、世界樹だよ?」
「うん」
「しかも、三大神秘も全部見られるんだよね?」
「ちゃんと聞いてたんだ」
「聞いてたよ!」
説明紙を見て、また三人を見る。
「すごすぎて、何を言えばいいのか分からなかったんだ」
カイルが吹き出した。
「静かだから、興味ないのかと思ったぞ」
「逆だよ!」
それまで出なかった声が、一気に弾んだ。
「楽しみすぎて何も言えなかったんだよ!」
「ああ、戻ってきた」
「僕ずっとここにいたよ?」
「そういう意味じゃないって」
リリアが笑い、エステルも口元を緩める。
「そろそろ授業を始めますよ」
クラリスの声に、四人は前を向いた。
「はい!」
ユウも説明紙を丁寧に教本の横へ置く。
その前にもう一度だけ、
『命の泉』
『星降りの樹冠』
『大地の鼓動』
三つの名前へ目を落とした。




