第114話 白き天使と金色の竜眼
王国とヴァルグレア帝国を隔てる国境。
そこに広がっていた光景を前に、三人は足を止めていた。
ヴァレオン。
ラティス。
そして、フィオ。
昨日まで帝国軍が埋め尽くしていたはずの土地には、すでに生きた兵士の姿がない。
黒く変色した地面。
枯れ果てた草木。
腐食した武具。
途中で止まった車列。
無数に横たわる帝国兵。
「……これが」
ラティスの声が低くなる。
「全部……昨日の?」
「ああ」
ヴァレオンが短く答えた。
王国側の兵士たちは、離れた場所から現場を封鎖している。
何が起きたのか分からない以上、不用意に近づく者はいない。
三人もまた、人の目が届かない場所からその光景を見つめていた。
フィオは何も言わなかった。
あの羽根を通して見た過去が、まだ頭から離れていない。
椅子へ拘束されたシェル。
涙を流しながら帰りたいと願う声。
失われた左目。
闇を流し込まれた《神核》。
そして。
純白から赤黒へ変わっていった翼。
「フィオ」
ラティスが呼ぶ。
「……うん」
返事をしながら、フィオは目を閉じた。
何かを探ろうとしたわけではない。
ただ、この場所へ足を踏み入れた時から感じているものがあった。
空気の奥。
大地に薄く残る、異質な魔力。
「……同じだ」
「何が?」
フィオはゆっくり目を開けた。
「あの羽根と」
ラティスの表情が変わる。
「……あの羽根?」
「うん」
フィオは足元を見る。
地面に残された魔力は、すでに薄れている。
それでも、間違えるはずがなかった。
研究施設で触れた、あの一枚の羽根。
そこに宿っていた異質な魔力と、ここに残る気配はよく似ていた。
「じゃあ……」
ラティスが国境の惨状へ視線を戻す。
「これをやったのは……」
「断定はするな」
ヴァレオンの声が遮った。
ラティスが振り向く。
「でも!」
「似た魔力が残っている。それだけだ」
「……」
「今ここで、見ていないものまで事実にする必要はない」
ラティスは何も返せなかった。
フィオも黙っている。
ヴァレオンの言葉は正しい。
この地で何が起こったのか。
誰が帝国軍を壊滅させたのか。
三人も直接見たわけではない。
それでも、フィオの中には一つの思いが強く浮かんでいた。
「……生きてる」
二人がフィオを見る。
その声が、僅かに震えていた。
「シェル……生きてるよ」
研究施設で泣き崩れた時とは違う。
そこにあったのは、悲しみだけではなかった。
「あんなことがあっても……まだ、どこかにいる」
ラティスが拳を握る。
「……当たり前だ」
フィオが顔を上げた。
「俺は、あいつが死んだなんて一度も認めてない」
「ラティス……」
「姿が変わったって、何だっていい」
ラティスは眼前の惨状を見据える。
「シェルはシェルだ」
声に迷いはなかった。
「俺は見つける」
フィオが目を見開く。
「もう一度、ちゃんと会う」
「……僕も」
フィオが小さく頷いた。
「僕も、会いたい」
ラティスの言葉に続くように言ったものの、その表情には不安が残っている。
あの羽根を通して見た、最後の姿。
黒い髪。
黄金の竜瞳。
そして、純白を失った翼。
そこにいたのは間違いなくシェルだった。
同時に、自分たちの知るシェルとは何かが決定的に変わっていた。
「覚えておけ」
ヴァレオンが二人へ向き直る。
「もし見つけたとしても、以前と同じように接してくれるとは限らない」
「……分かってる」
ラティスが答えた。
「分かってても行く」
フィオも頷く。
「僕も」
ヴァレオンはしばらく二人を見ていた。
止めても意味がないことは、最初から分かっていた。
やがて、国境に広がる惨状へ目を戻す。
「一度、天界へ戻る」
ラティスが顔を上げた。
「……今?」
「ああ」
ヴァレオンの返答に迷いはない。
「ここまでに分かったことを、エルシェリア様へ報告する」
研究施設で見たもの。
シェルに起きた変化。
国境に残されていた魔力。
そして、帝国侵攻軍の壊滅。
どれも、三人だけで抱えたままにしていい情報ではなかった。
「何も伝えず、このまま人間界に留まり続けるわけにはいかない」
「じゃあ、シェルは……」
フィオが不安そうに尋ねる。
「報告を終えてからだ」
ヴァレオンは静かに答えた。
「戻って、改めて探す」
ラティスはヴァレオンをじっと見た。
「……絶対だぞ」
「ああ」
「途中でやめるとか言うなよ」
「言わん」
その答えを聞いて、ラティスはようやく僅かに肩の力を抜いた。
フィオも小さく息を吐く。
「……今度こそ」
二人がフィオを見る。
「ちゃんと、会いに行こう」
ラティスが頷いた。
「ああ」
フィオはもう一度、荒れ果てた大地を見る。
まだ、分からないことは多い。
それでも、ここには確かな手掛かりが残されていた。
三人は、その場をあとにした。
まずは天界へ。
待っている者たちへ、知ったすべてを伝えるために。
◇
同じ頃。
王国から遠く離れた、名も知らぬ土地。
そこを、一つの人影が歩いていた。
周囲に人の姿はない。
道と呼べるものすら曖昧な荒野を、その人影だけが静かに進んでいる。
風が吹いた。
黒い髪が揺れる。
身体に沿う黒衣。
首元から肩、胸元を覆う深い暗赤色の布。
歩みは一定だった。
急ぐ様子もない。
辺りを気にする素振りもない。
ただ、前へと進んでいく。
やがて。
その足が止まった。
風だけが荒野を抜けていく。
ゆっくりと顔が上がる。
空色だった瞳は、もうない。
そこにあるのは、黄金の竜眼。
縦に細い瞳孔が、遥か遠くを見据えていた。
何を見ているのか。
どこへ向かおうとしているのか。
その表情から読み取れるものは何もない。
しばらくの静寂。
やがて、再び歩みが始まった。
振り返ることもなく。
誰の名を呼ぶこともなく。
ただ静かに、どこかへと進んでいく。
その先に何があるのか。
まだ、誰も知らない。
黄金の竜眼が、ただ静かに遥か先を見据えていた。
ここまで読んでくださった方、ありがとうございました!!
ようやく最終回まで書ききれたのも皆様のおかげです。。
しかし、実はここでは終わりません。
物語はまだ始まったばかり。
次回「白き天使と金色の竜眼Ⅱ」




