↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
白き天使と金色の竜眼Ⅰ  作者: 蒼空れっど
第一章 人里へ続く道
PR
1/116

プロローグ 森に住む白い少年

 森の朝は、やさしい音から始まる。


 葉先から落ちる雫。


 枝の上で羽を震わせる小鳥の声。


 遠くを流れる川のせせらぎ。


 人里から離れた森の奥に、一軒の家があった。


 木の板を組み合わせた壁。


 わずかに傾いた屋根。


 石を積んだだけの簡素なかまど。


 立派とは言えないが、不思議と荒れた印象はない。


 誰かがここで暮らすため、毎日手をかけていることが伝わってくる家だった。


 ぎい、と扉が鳴る。


 中から一人の少年が顔を出した。


 白いフード付きの服に、朝の光を受けて淡く輝く金髪。


 年は十五ほど。


 細身で、どこか頼りなく見える。


 その前髪の向こうには、晴れた空を閉じ込めたような澄んだ瞳があった。


 少年――ユウは空を見上げ、ぱっと顔を明るくする。


「わあ、今日は晴れそう!」


 その声に反応したように、近くの枝へ一羽の小鳥が降り立った。


「おはよう。今日も来てくれたんだ」


 ユウは家の前にしゃがみ、昨日拾って乾かした木の実を手のひらへ乗せる。


「これ、食べられるよ。ちゃんと本で調べたんだ」


 小鳥が首を傾げた。


「たぶん……じゃなくて、本当に大丈夫。苦いやつじゃないよ」


 やがて鳥が枝から降りてくる。


 ユウは手を伸ばさず、向こうから近づいてくるのを静かに待った。


 木の実を一つついばむ。


「ふふ。おいしい?」


 小鳥が短く鳴く。


「よかった」


 その声は、本当に安心したように柔らかかった。


     ◇


 ユウがこの森で暮らし始めてから、まだそれほど長くはない。


 初めの頃は、分からないことばかりだった。


 雨が降れば屋根から水が落ち、風の強い夜には壁の隙間から冷気が入った。


 火を起こすのにも時間がかかり、食べられる木の実の見分け方も本を開きながら覚えた。


 家も自分で直した。


 木材を拾い、石を運び、穴を塞ぐ。


 屋根で足を滑らせかけたことも、釘ではなく指を叩いたこともある。


 それでも、昨日できなかったことが今日はできる。


 今日分からなかったことも、本を開けば明日は分かるかもしれない。


「今日は壁を直して、畑に水をあげて……あと、人里にも行かないと」


 指を折りながら予定を数える。


「紙とインクがないし……塩も切れてる」


 そこで眉が下がった。


「塩がないと、スープが寂しいんだよね」


 枝の上で小鳥が鳴く。


「鳥さんもそう思う?」


 返事の意味など分からない。


 それでも、ユウは鳥に話しかけるのが好きだった。


 家へ戻ると、森の植物について書かれた本を開く。


 昨日見つけた青い花を挿絵と見比べた。


「食べられない。触るとかゆくなる……うわ、昨日触らなくてよかった」


 机の上には買い物のメモがある。


 紙。インク。塩。針。糸。


 丁寧な文字は、今の人里で使われるものよりどこか古めかしい。


 だが、それをおかしいと思う者はこの家にはいなかった。


 ユウはメモをポケットへしまい、白いフード付きの上着を整える。


「いってきます」


 誰もいない家へそう告げ、扉を閉めた。


     ◇


 森の道には朝日が差し込み、木漏れ日が地面をまだらに照らしていた。


 ユウはこの森が好きだった。


 静かで、急かされることもない。


 分からないことがあれば、立ち止まって考えられる。


 けれど、森の外にも知りたいものがたくさんあった。


 本。


 知らない言葉。


 食べたことのない料理。


 森では出会えない人たちと、その人たちが営む暮らし。


 まだ知らないことばかりだ。


 だからこそ、知りたかった。


「もっと覚えたら、誰かの役に立てるかもしれないし」


 そう呟き、ユウは森の出口へ向かった。


     ◇


 木々が途切れると、その先に人里が見えた。


 煙突から白い煙が昇り、道には荷車が行き交っている。


 人の声も、車輪の音も、森よりずっと大きい。


 ユウは一度だけ足を止めた。


 こういう場所には、まだ慣れていない。


「大丈夫。今日は買うもの、ちゃんと決めてきたし」


 ポケットのメモを確かめた、その時だった。


「わっ……!」


 道の端で子どもが転んだ。


 籠からリンゴが転がり、膝には血が滲んでいる。


 ユウは考えるより先に駆け出していた。


「大丈夫!? ひざ、見せてもらっていい?」


「……すりむいた」


「痛かったね」


 そっと手をかざす。


「全部治すのは無理かもしれないけど……痛いの、ちょっとでもなくなるようにするね」


 指先に淡い光が灯った。


 弱く、まぶしくもない光。


 ただ、手のひらから伝わるような温かさがあった。


 光が膝を包む。


 傷は残ったままだ。


 それでも血は止まり、強張っていた子どもの顔が和らいだ。


「……あれ? あんまり痛くない」


「ほんと? よかった!」


「お兄ちゃん、魔法使えるの?」


「うん。でも、ほんのちょっとだけ」


 ユウは照れくさそうに答えると、散らばったリンゴを拾い始めた。


「ぼくも――」


「ひざ、まだ痛いでしょ。座ってて大丈夫だよ」


 一つずつ籠へ戻し、最後のリンゴを渡す。


「ありがとう、お兄ちゃん」


 子どもの頬が緩んだ。


 それを見て、ユウの表情もほころぶ。


「帰る時は気をつけてね」


「うん!」


 子どもを見送ったあと、ユウは自分の手を見つめた。


 今の自分にできることは、まだ多くない。


 大きな傷を治せるわけでもない。


 強い魔物を退けられるわけでもない。


 誰かを必ず守れると胸を張れるほどの力もない。


 それでも。


 あれほど強張っていた子どもの顔が、最後にはほころんだ。


 今のユウには、それだけで十分だった。


「もっと……もっと、できるようになりたいな」


 誰かを傷つけるためではない。


 俯いている人のそばにいられるように。


 不安そうな人に、大丈夫だと言えるように。


 困っている人を、ただ見ているだけで終わらないように。


 そのために、もっと強くなりたい。


 ユウは顔を上げた。


 人里の上に広がる空は、森で見る空よりも大きく感じられた。


「よし。まずは塩を買わないと」


 白い服の少年は、まだ知らない。


 これから誰と出会い、何を経験し、どこへ辿り着くことになるのか。


 今の彼にあるのは、ただ一つ。


 誰かを守れるくらい、強くなりたい。


 そんな、まっすぐな願いだけだった。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。