第66章 留学の準備(ルビア視点)
ついに王妃殿下の悲願が達成された。王室典範が改正されて、女性王族にも王位継承権が認められることになったのだ。
これを足がかりにして、少しずつ女性の権利も認められていくはずだわ。
この一年近く、国王陛下や王妃殿下だけでなく、ブルーノ王太子殿下は本当に頑張ったと思う。
学園の授業に政務、王室典範の改正の草案のまとめ、保守派の懐柔、そしてメンタルトレーニング。
最初はハード過ぎてイライラを周りにぶつけたり、怒鳴り声を上げたりしていたが、段々と落ち着いてきて、淡々と仕事を進めるようになった。
私もずっと側にいて彼を補佐してきたが、笑顔を一切見せず、仕事以外の話はほとんどしなかった。
彼はそれを自分への罰だと思ったのか、それに対して何も言ってこなかった。
ただ、私が文官や騎士達と和やかに話をしていると、さすがに気になるようで、じっと見つめていた。
それでも、以前のように激しく嫉妬して邪魔に入るような真似はしなかったが。
例の薬が効いたのだろう。
もともと私に関することがなければ、ブルーノ殿下の評判は悪くなかったのだ。クリスやエルリック様にしたことを皆は知らなかったので。
それ故に今回の働きで殿下の評判はさらに高まった。
法に対する深い知識と造詣、それを人々に理解、納得させたその説得力に皆が感心するようになったのだ。そしてそれは、彼が臣下に信頼され、好意を持たれている証にもなった。
ただし「殿下はコミュニケーション能力が高いですな」という称賛の声を聞く度に、私は心の中で苦笑いをしていたけれど。
結局ブルーノ殿下が王太子であることに異議を唱える者がいなかったので、彼は当然王位継承権第一位となった。
そしてブライトン次期公爵夫人であるパルル様と、ギラバス次期侯爵夫人のシャルディア様が王位継承権を持ったことで、いざという時の予備ができた。
そのため、政争の具にされないようにと、第二王子のルディン殿下は、コックヨーク伯爵家へ養子に入る事が決定した。
これで王妃殿下の最低限の目標は達成されたのだ。元王女殿下方やクリスと共に、私もほっと胸をなで下ろした。
そして卒業まであと半月に迫ったある日、王妃殿下のサロンで恒例のお茶会が設けられた。
「大学の入学準備は順調に進んでいるの?」
そう王妃殿下に問われて、私は「はい」と頷いた。
「クリスがエルリック様と二人分まとめて手続きをしてくれて、入学許可も無事に下りました」
「住まいはどうなったのかしら? クリスが任せて欲しいと言ったので、口を挟まなかったのだけれど」
「ありがたいことに、マリウス様の叔母上様にあたる、マリエール様が嫁がれたシルベルスタ侯爵家でお世話になることになりました。
なんでも、以前クリスが侯爵夫人を暴漢から守って差し上げたことがあるそうで、部屋探しをしているとマリウス様からお聞きになって、是非我が家にと、おっしゃって下さったそうです」
「つまり、クリスが住めばご自分達も安全だと考えられたということね」
王妃殿下は苦笑いをされた。
するとパルル様がこう口を挟んだ。
「マリエール様は元王妹でいらして、マリウス様を幼い頃からとてもかわいがって下さっていたらしいの。
だから、かわいい甥っ子の親友のために一肌脱ごうと、善意で言って下さったのよ。
その証拠にエルリック様のお住まいまで見つけて下さったのですから」
「どんなところなの?」
「シルベルスタ侯爵家のお隣のブローク伯爵家よ。代々オイルスト帝国で騎士団長を輩出している武の名家なんですって。
とてもお固い家だから、安全だってマリウス様がおっしゃっていたわ。
侯爵家とも目と鼻の先だから、忙しくてもクリスとエルリック様はいつでも会えるだろうし」
「たしかに騎士団長のお屋敷なら安全でしょうね」
「ええ、安全だと思うわ。でもそれは、お母様の考えている安全という意味だけじゃないの。
ほら、エルリック様の美しさって、世界共通でしょ。ということは、帝国でも多くの女性に狙われる可能性が高いってことなのよ。
大学では専門科目がルビア様と同じで一緒にいることが多いと思うから、むやみに近づいてはこないかもしれないわ。
けれど、家には押しかけてくるかも知れないでしょ。
でも、ブローク伯爵家ならそんな人達を全て排除しもらえそうなの。
袖の下やお色気作戦なんていう罠には絶対に引っ掛からない、厳格な家で有名だそうだから」
パルル様の言葉に王妃殿下は目を見開いた。そして、ふっと笑みを浮かべてクリスに向かって
「そう。それなら本当に安心ね」
と言った。すると、クリスは嬉しそうに頷いた。彼女は婚約者のファンのせいでこれまで散々な目に遭ってきたのだ。
学園創立記念パーティーの事件以降、さすがにエルリック様にまとわりついたり、クリスに嫌がらせをする者はほとんどいなくなったけれど、帝国へ行けばまた同じような事態になりかねない。
たしかに、できるだけ予防線を張ったおいた方が安心よね。
「私もエルリック様に女性を近付けないように頑張りますわ。これまで彼には散々嫌な役回りをさせてきてしまったのですから」
私がそう言うと、クリスは困ったような顔をしてこう言った。
「これは焼きもちで言うわけではないのですが、ルビア様が他のご令嬢方を追い払うような真似をなさったら、お二人が恋仲だと勘違いされてしまいますよ。
妙な噂を立てられたら大変ですからお止めください。
最初からエルリック様は、大学ではルビア様の護衛役を兼ねるつもりでいたそうなので、そういうスタンスでお願いします」
「公爵令息に侯爵令嬢である私が護衛してもらうなんておかしくないですか?」
「ルビア様、エルリック様は臣下として貴女を護衛するのではなく、大切な幼なじみだからお守りしたいのですよ。
本当は私がお守りしたかったのですが、それは休日だけでいいと言われてしまったのです。無理せずに二人で協力し合おうと」
「まあ! 結婚前から二人で共同作業をしようというのね。二人の愛の絆の強さを感じるわ」
シャンディア様がからかうようにはしゃぐと、パルル様が真面目にこうおっしゃった。
「ルビア様は王太子の婚約者なのだから別におかしくはないでしょ。いずれ彼は貴女に仕える身なんだし。
それに王家からも護衛と侍女を付けるそうだから、公子様も無理はしないでしょう。彼のことはそう気にしなくてもいいのではないかしら」
でもその言葉は却って私の気を重くした。
だって、そもそも王太子殿下の婚約者でい続けるか、それとも解消するか、それを決めるために留学することにしたのだから。
もし、留学して今までとは全く違う環境に身を置いたら、これまでとはまるで考え方が変わってしまって、違う生き方をしたくなってしまうかもしれない。
その結果婚約解消することになったら、私はただの侯爵令嬢に過ぎなくなくなる。
いいえ、両親の怒りを買って除籍されて平民になってしまうかもしれない。
そんな可能性だってあるのに、図々しくエルリック様に護衛なんてしてもらうわけにはいかないわ。
彼はこれから国の役に立てるように、ただでさえ勉学に励まなくてはいけないのだから。
それに、シルベルスタ侯爵家に私までお世話になるのさえ申し訳ないのに、護衛や侍女まで付けて下さるとは。
私が居た堪れない気持ちになっていると、王妃殿下がこうおっしゃった。
「ルビア嬢、貴女は、ブルーノと婚約解消する可能性があるのに、准王族としての扱いを受けることに抵抗があるのね?
でも、そんなことを気にすることはないのよ。貴女に留学の援助をするのは、これまでのお礼と謝罪のためなのだから。
恩を着せて無理やりに婚約を続けさせようというわけじゃないのよ」
王妃殿下の言葉に驚いた私は、思わず目を見開いて、殿下のお顔を凝視してしまったのだった。




