五話「騎士、新居を知る」
フィラントは、変装したユース王子と任官予定地のアストライアを訪れた。
庶民服、眼鏡をかけた上に前髪で目元を隠し、頬には目立つ偽ほくろが二つ。その姿に加え、少し背を丸め、訛り混じりの粗野な言葉を喋るユース王子を、王族だと思う人間はいないだろう。
「色々と視察をしたいところはあるけど、まず、お前の新居を探そう」
「なんでリムが俺の家を探すんだ。家って、寮とかあるだろう」
ユース王子にはいくつもの偽名があり、リムスルム——リムはその一つ。リムは弁護士を目指している貧乏学生という設定。
「あのなぁ」
ユース王子は、ため息混じりでフィラントの肩に手を添えた。
「お前は結婚するんだぞ? お前の白天使をしょうもない家に住まわすのか?」
「あー……」
三日前に会話をしたエトワールの姿を思い出して、言葉が行方不明になった。
慈しみのある声。それだけでも緊張するのに、彼女はあまりにも美しい女性だった。偽装結婚をして、同じ屋根の下で暮らす予定だなんて、いまだに信じられない。
「お前の家という言い方が悪かった。白天使に相応しい家を探すぞ」
歩き出したユース王子の後ろを着いていく。
アストライアは商売の中心地の一つとして、年々栄えているらしい。石畳が朱色に照らされる時間でも賑やかな様子。夜市があるようで、普通なら店仕舞いの時間に準備を行っている人が何人もいる。
見たことのない魚の骨が吊るされている露店と、高級品なはずの光苔のランプが安く売っている露店が気になった。異国商人の出入りが盛んな街とは、あれのことだろう。
「リム、この街に来たことがあるのか?」
「新領主祝いで。レグルスと表で軽い喧嘩をして、裏では祝った。お前も誘ったけど、用事があるって白天使を探しに行っただろう」
「会いに行くとしか言わなかったのに、祝いだったのか」
「そう。お前は察しが悪いよな」
「言ってくれたらついて行ったのに」
「僕のついでにしか祝わないなんて、友達なのに」
そう言われても、レグルスは伯爵で雲の上の存在だ。友人ではなく、王子の従者として良くしてもらっているだけ。
二人で街を歩きながら、大きな街で人が多いなと観察する。アストライアは交易拠点として、国の思惑とは関係なく急成長している都市だと聞いているが、確かに、とても活気がある。
しばらく歩いているうちに、嫌な予感に襲われた。街灯や、大きくて立派な建物が増えている。そもそも、夕方から家探しはおかしい。そのことに今更思い至る。
「目星はつけてあるんだ」
「おい、リム。ここらは立派な家ばかりなんだが」
「あっ、あそこだ。街が大きくなっていくからと、引っ越した貴族がいて」
あそこ。そう示された屋敷は三階建ての目眩がするような高級住宅だった。
侵入者を許さないような高い柵。部屋がいくつもあると分かるデザイン性のある窓枠。屋根の上で鎮座する大きな鳥の飾りが、風でくるくると回って夕陽を乱反射させている。
「……おい、誰がこんな高級住宅を買うんだ?」
ますます、嫌な予感が押し寄せてくる。
「実はもう買った。お前の財産は僕も使えるだろう?」
「もう買った⁈」
嫌な予感の正体はこれだと、フィラントはため息を吐いた。頭が痛いとこめかみを揉む。
欲しいものなんて特に無いから使わないだけなのに、身なりがどうの、このくらい持っておけと貯金を使用されるのはいつものこと。ただ、今回の使用額は想像もつかない。家だなんて、それもこの豪邸だなんていくらだ。
「何が探そうだ。もう決めているならそう言え」
「あのなぁ。契約破棄したければまだ間に合う。抵抗しない奴は家畜だぞ」
「俺は家畜じゃなくて犬だ。上手い餌のために働く忠犬。何がどういい家なのか説明しろ。リムの選択に間違いはない」
ユース王子が肩を揺らして笑う。フィラントは肩をすくめた。
楽しげに笑うユース王子が門の鍵を開け、中へどうぞと促す。ユース王子が屋敷について語っていく。殺風景な庭は、徐々に整えればいい。門も外壁も柵もしっかりしていて、防犯面に心配はない。
この家はどう見ても仮住まいではないので、かなりの年月をユース王子と離れて過ごすのか……と気持ちが暗いところへ沈んだ。
「掃除はまだまだで、埃臭くて悪い」
「そうじゃなくて、なんで王都勤務じゃなくてここなんだ」
「初恋の女性よりも僕なんて嬉しいけどさ、無茶言うなよ。うだつの上がらない、しょうもない男に人事権なんてあるものか」
心底ごめんという目を向けられて、フィラントは慌てて謝った。
「そうだった。ここが精一杯みたいに言っていたよな」
「この部屋はもう完璧なはずだ。これを受け取ってくれ」
三階にある、一際、大きな扉をゆっくり開くと、ユース王子は軽く頭を下げた。
他の部屋とは異なり、掃除されたとても綺麗な空間で、今からでも住めるというくらい整えられている。
配置されている家具を見て、フィラントは目が落ちそうになるくらい驚愕した。心臓が一気に激しく鳴り出す。
「ちょっ、これ」
一番、近い家具のソファに近寄って振り返る。ユース王子は壁にもたれて、にこやかに笑った。
「おいユース!」
「誰もいないけど、今はリムと呼べ」
十数年経っていても、見るまで忘れていたけど、鮮やかに記憶が蘇る。
『大丈夫ですか?』
ユース王子の母メテオーラ妃は奴隷少年を心配し、笑いかけ、蔑むどころか触れ、手作りのパイを与えるような、慈しみが具現化したような人だった。
「このソファも、あの箪笥も、メテオーラ様のものだろう!」
目頭が熱い。メテオーラ妃は、フィラントがユース王子とこっそり遊んでいるところを目撃しても怒ることはなかった。むしろ、頬や頭を撫でてくれた。懐かしさで胸が張り裂けそうだ。
「そう。倉庫にしまわれ続けていた母上の形見だ。白天使にちなんで、白で塗り直した」
「なんで……」
涙で視界がぼやける。ユース王子はお喋りなのに、黙って微笑んでいる。
断れば悲しまれるから、何も言えない。しかし、恩人の母親——王妃の私物なんて畏れ多くてならない。
「ユース、これはダメだ」
「僕は結婚なんてしないから、女物の家具を使う機会がない。ずっと倉庫の中だなんて、母上が不憫だ」
「それなら結婚しろ」
「僕はこの世で一番、裏切りが嫌いだ。絶対に不倫するような性格だから、結婚なんてできるわけがない。女は遊びがちょうどいい」
嫌そうな表情で、ユース王子はソファに腰掛けた。そうしてから、ニコッと笑い、フィラントに着席を促した。
彼は言っても聞かない男なので、フィラントは早々に諦めて深く頭を下げた。
「僕と君の仲だからやめろ。これからさ、天蓋とカーテンを買いに行くぞ。それは自分で買ってくれ」
顔を上げながら、目尻の涙を拭った。ユース王子はメテオーラ妃とそっくりな温かな目をして笑っている。
「……カーテンはともかく、天蓋は必要か?」
「伯爵夫人が眠る場所を魔除けしなくてどうする」
「……ああ、そうか。エトワール様が眠るんだった。実感がなくて。家具も……。彼女ならきっと大切にしてくれる」
この家具はフィラントへの贈り物ではなく、協力者のエトワールへの贈り物。そのことに気づいて、気持ちが軽くなった。ユースにはこういう、回りくどいところがある。
「まっ、君も寝るんだけどな。夫婦でいちゃいちゃ、楽しんでくれ」
「げほげほっ! げほっ! そんなこと、するわけないだろう!」
「あはは。しろよ」
咳き込みは続き、近寄ってきたユースに背中をバシバシ叩かれた。
「何もしない! できるわけがない! 俺と彼女は偽装結婚するんだ。俺は……俺に相応しい部屋はあるか?」
「さぁ。どんな部屋?」
「強盗や敵が侵入してもすぐに分かる……玄関ホール近くだな。狭くて暗くて落ち着くところがいい。階段下の空間はなんだ?」
「さぁ。なんだろう。見に行くか?」
「行く」
玄関ホールへ戻り、階段の下を確認すると、もう使えなさそうな古びた掃除道具がしまわれていた。
「さすが大きな屋敷の倉庫の一つだ。俺の部屋はここにしよう」
「おい、フィラント。本気か?」
「最高の立地だ。ここがいい」
「お前がそうしたいならそうしろ。でも、ここで眠れるか?」
ユース王子が狭い倉庫を覗こうとしたので、埃で汚れるからやめろと止めた。
「俺はどこだって眠れる。ここの代わりに、掃除道具をしまう場所を確認しないと」
「分かった。それは僕が雇用するお前の秘書官にさせておく。買い物へ行こう」
「秘書官? 秘書ってなんだ」
「日が暮れる前に街を出るから行くぞ」
確かに、帰宅が優先だとフィラントは従った。
言われるまま歩き、入ったことのないような店へ足を踏み入れたので大緊張。天蓋はどれ。そう尋ねられても思考が止まって答えられない。
「お前の白天使を守る天蓋だぞ。彼女に相応しいものはどれだ?」
そう囁かれて、教わった予算ギリギリ、なるべく高いものの中から、夜空のようなものを選択した。
エトワールは古語で『星』だ。暗闇で人々を照らし、希望を与える星とはまさに彼女のこと。
次はカーテンを買いに行き、「彼女のもの……」と考えたら、すぐに決まった。
「服は流行りや好みがあるから麗司と相談して買ってくれ」
街を歩いていると、麗司はヴィクトリア・バロンだという話をされた。
「まさか。アドの教育係だぞ。バロン夫人は、アドの我儘っぷりに嫌気がさして辞めて、田舎に引っ込んだよな?」
外で人が大勢いるので、フィラントはユース王子の妹——レティア姫のことを隠語で呼んだ。
「縁とは時に愉快で、ヴィクトリアとシュテルン家に繋がりがあった。だから快く引き受けてくれた」
悪戯っぽい笑みが浮かんだ横顔を見て、フィラントは「快諾していないかもな」と心の中で呟いた。真実は、バロン夫人の自分への態度で分かるだろうから、今は特に突っ込まないことに。
買い物後、王都へ向かうと思ったのに「徹夜で帰るのは嫌だ」と言うので宿を手配した。そんな予感はしていた。
市民の様子を視察すると言うので酒場へ繰り出し、その後は、刻告げの塔の高い所へ昇った。夜空を眺めながら、改めて今後の予定を改めて聞かされた。
戦場の天使——シュテルン夫人を家族ごと護衛して、ユースとレグルスの派閥へ取り込む。フィラントはその一端を任された訳だから励まないと。
「シュテルン家を守る人材確保。君の白天使が快適に暮らせるように真面目に働く従者や、君の側近たちの選定。かなり疲れた」
横になったら星空が見えなくなるのに、ユース王子は仰向けになった。
フィラントも真似をして、この街の刻を告げる大きな鐘の中を眺めた。何も楽しくない、面白味のない景色だ。
「ユース、君が全部しなくても、俺だって何かしたのに」
「君もしたさ。私は君に政務を押しつけていただろう?」
「ああ、あれ。いつものにしては多いと思っていた」
「時間を見つけて遊びに来る。その時は君の兄、フェンリスってことでよろしく」
「生き別れの兄、奇跡的に再会した兄、料理人のフェンリス。合っているよな?」
ユース王子の偽名と設定は多いので、たまに分からなくなる。記憶力が抜群にいい本人は混同せず、縁起や変装までこなしているから凄い。
「そっ。久々の登場。あーあ。せっかく生きて帰ってきてくれたのにまた離れ離れ。半年だなんて、短かかった」
「……俺も寂しい」
軽口を叩くかと思ったが、ユース王子は微笑みながら無言で上を見ているだけ。
フィラントがもう一度「俺も寂しい」と言うと、ユース王子は小さく頷き、「これで戦場行きはもう終わりだ」と呟いた。とても嬉しそうに。
「それが……一番の目的か?」
「一番は難しいな。男爵と王子なら堂々と友人だと言える。日陰の友情は終わり。君の初恋を叶えられる。全部乗せで最高だ」
「ユース、エトワール令嬢は解放しろ」
「君が彼女を口説けるならそうする。できないだろう? 偽装結婚を盾に励め。で、政治家として私の援護をよろしく」
「おい。やっぱり一番の目的はそれだろう。フィオール夫人の義息として働けって」
「馬車馬のように働け。君は私の犬なんだろう? よろしく頼む」
「餌が白天使を眺められる生活ってこと。ありがたく働く。馬車馬のようにな」
「眺めるねぇ。君は欲が小さ過ぎる」
鐘の中を見るのはつまらないので、ユース王子にそう言い、街を見渡せるところへ移動した。
家という家に灯りがともっている。まるで星のように。自分や部下が死ぬのが嫌で戦った。ユース王子のところに帰りたかったし、彼が守るこの国を守りたかった。あの砦を奪還できなかったら、その想像に背筋が冷えていく。
「アストライアで眺める星空も最高だな」
隣にユース王子が立ち、肩に上着を掛けられた。風邪を引くのはユースだと返却する。
「君は私の親か? 違うからやめろ。フィラント、知っているか? 古では、エトワール・フィラントで"流れ星"だ。口説きに使え」
動く気配で分かるけど止めないでいたら、上着を頭に乗せられた。応酬になるからそのままにする。
「流星? ああ、素早い星で流星か。へぇ」
「おお、ちょうど良く流れ星だ。星よ、私の願いを叶えろ」
ユース王子は目を閉じて両手を握り、しばらく祈った。その隣で、フィラントは「この国の数多の幸せのために、彼に幸あれ」と流れ星に頼んだ。
『フィラント、好きに自由に生きろ。僕には——』
続きはなんだっただろうか。数年前、スヴェト山脈で凍死しかけたことと、頭部外傷で記憶が曖昧になってしまったことが悔しくてならない。だが、完全には忘れていない。
過去を失っても、この忠義心は決して消えない。誰にも奪うことはできない。引き離されてばかりなので、身体護衛は彼の近衛兵たちを信じるしかない。
一生をユース・アルタイルへ捧げる。それがフィラント・セルウスの何よりの幸福だ。




