27話「プロポーズと刻告の塔」
今夜、エトワールはフィラントにプロポーズされる。芝居だと分かっていても落ち着かない。
朝食を共にしたフィラントを見送ったあとに、ミレーに『プロポーズされる用』の魔法の化粧をしてもらった。アンナにも、凝った髪型にしてとお願いした。サシャにはコルセットを思いっきり締めてもらった。
結果、苦しくて気持ちが悪くなり、ヴィクトリアに呆れられた。寝巻き姿でソファに横になり、氷嚢を額に乗っけてもらい、天井を眺めている。
「少しは良くなりましたか?」
「はい。お騒がせしてすみません」
「あまりにも高いテンションで察して、止めるべきでした」
ヴィクトリアはレース編みをしながら微笑んでいる。母と離れ離れなので、つい母親のように頼ってしまっている。
「お芝居なのに浮かれて。そう、呆れますよね」
「婚姻は本物ですので、ゆっくり夫婦になればよろしいかと。偽装なのは、お嬢様のお気持ちのためです」
気分が良くなってきたので、エトワールはゆっくりと体を起こした。今のはどういう意味だろうと、ヴィクトリアを見つめる。
「私の気持ちとは、どういうことですか?」
「フェンリスは、お嬢様のお母上を自陣営に入れるために、お嬢様を部下であるフィラントの報奨妻にしました。そのことはご存知ですよね」
「説明が異なります。例の軍医さんが喜ぶのでそうして、睦まじい夫婦だと見せて悔しがらせると聞いています」
父親である国王に部下の婚姻を頼める——王命を出してもらえたのなら、政敵もどうにかなりそうだけどそうでもない様子。エトワールはまだ社交場に一度しか出席していないので政治の情報がほぼ無い。
「そうですね。そちらに都合の良い話としてはそれです。どちらにせよ、お嬢様は報奨妻です。不名誉ですから、せめて中身だけでも自由にということで偽装結婚です」
ヴィクトリアはレースを編み続けながら、何かを考えるように手を止めた。
「ですから、私個人としては、お嬢様がフィラントを慕ったのであれば、偽装は取っ払って良いと思っております。必要ありませんので」
「偽装を取り払う……」
それはつまり、フィラントと普通に結婚するという意味だ。
「フェンリスがどう言うか分かりませんけれど、進言することは可能です。お嬢様からは言いにくいでしょう?」
「私から……フィラントさんと普通に結婚したいですと言うのですか⁈ そんなの無理です!」
素っ頓狂な声が出て、むせてしまった。胸を撫でていると、ヴィクトリアは愉快そうに笑った。優しい眼差しの彼女と目が合う。
「ですから、私がご進言しようかと」
「断られたら悲しいので……勝算はありますか? フィラントさんは私に興味がありません。母の娘として、人としては敬っていただいているようですが」
「本人に聞いていませんよね。お嬢様のお気に入りの空色のドレスはフィラントが指定した色です。瑞々しい若草色が滲む瞳に似合う空色と」
フィラントに聞く勇気がなくそのままだった疑問の答えを、ヴィクトリアに教えてもらえるとは。
「私の目はくすんでいますけど、フィラントさんはそのように?」
「くすんでいません。それで、フィラントもそう思ったようです」
鏡を見たい。今なら自分の瞳の色を好きになれると立ち上がる。鏡台の前に座って自分の目を観察して、悪くないかもしれないと頬に手を当てた。
「他のドレスはヴィクトリアの見立てでしたよね? 今夜はあのドレスにします」
「コルセットは緩くしますからね。細いのですから、キツく締める必要はありません」
「でも、アストライアへ来てから太りました」
「細身を好むのは女性だけ。殿方は豊満を好みますよ」
鏡を見て、視線を落とす。視界を極端に遮るものはない。
「コルセットは緩くするので、胸元にタオルを……」
「つめません。体調が良くなってきたようなので、レッスンを行います」
冷ややかな視線でピシャリと言い放たれた。
「はい。ヴィクトリア」
レッスンをして、孤児院と聖堂に顔を出して、支度をしたらフィラントを待つ。今から緊張すると、エトワールは手に汗を握った。
☆ ★
フィラントは任務のために可能な限り男爵令嬢相当へのプロポーズについて調べた。フォンからもある程度教えられた。
だから——
「フィラントさん。素敵なレストランですね。ありがとうございます」
大丈夫だという感覚が砂になって消える。目の前にいるエトワールの輝きで目が潰れた。光苔を使用した凝った灯の数々が霞むほど眩しい。
花を使った髪型のせいなのか、社交場の夜とは異なり緊張で顔が強張っていないからか。どちらもかもしれない。
「いえ」
子爵である総隊長が今年の結婚記念日を祝ったレストラン。自分には場違いで気後れする。ただでさえ、エトワールと二人だから緊張しているのに。
給仕に、飲み物をどうするか問われた。
「エトワール様は、お酒を嗜みますか? 苦手でしたら紅茶など、アルコールの入っていないものを注文します」
「母が、お酒は毒だと言うので飲んだことがありません。挑戦してみたいのですが、家でそうします。外で何かあったら困りますもの」
「彼女には前菜に合う、アルコールの入っていないものをお願いします。自分には、メインまでの料理に合う白ワインを」
「かしこまりました」
レストランで女性をエスコートなんてしたことはないが、護衛として見学はしたことがある。粗相はないはず。
エトワールが話し始めた。直視できない眩しさのせいで集中できず、せっかくの彼女の話が右から左へ流れていく。
前菜はエトワールと同じものだったのに、次のスープは異なったので困惑した。同じコースを頼んだのに、フィラントのスープは澄み切っていて、細かい数種類の野菜がふんだんに入っている。
一方、エトワールのスープは脳みそが混じった血の色。彼女に対して行われた料理の説明で、自分の思考や視界が狂っていると改めて自覚した。エビやクリーム、きのこなどを使ったスープを、食べもの以外のものに例えるなんて。
給仕が去ったので、エトワールに問いかけた。料理の内容について、事前に店と相談したのかと。
「差し出がましいと思いつつ、ご無理されるかもと思いまして。お互いが美味しくないと楽しめません」
満面の笑みを向けられて、潰れたと思った目がますますチカチカしたので視線を落とした。
「すみ……ありがとうございます。自分で手配するべきでした」
「ご自分を守らないことに、慣れてはいけませんよ」
この言葉で、ユース王子のことを思い出した。少し悲しげな表情や眼差しも重なる。
「疲れていてつい。気をつけます」
胸がグッと締めつけられた。エトワールは誰にでも親切な慈愛溢れる女性だ。自己管理不足で、彼女の手を煩わせてしまった。社交場で判断を誤ったので、今夜こそ失敗しないと決意していたのに。
特製のスープは、白天使が作ったスープと異なり、味がほとんどしない。わずかに土の味がして、その中に微かに旨みがある。
「エトワール様は、薬の勉強もされているのですね」
「いえ。あの、なぜですか?」
「違うなら……薬の知識がなくても、治療になるスープを作れるのですね。スープを作っていただくようになってから、たまに食事が美味しいです」
ここまで治れば、あとはどうにかなるだろう。エトワールの手を煩わせてはいけない。明日こそ「手作りはもう必要ありません」と言わねば。
フィラントは再びスープを口へ運んだ。二口目は人の食事とはほど遠い味だった。
☆ ★
エトワールは胸がいっぱいで食欲を失いかけている。フィラントとの会話で、彼の味覚障害を自分が少しずつ治せていると分かり、心底嬉しい。
食事は進み、ついにデザートの時間が訪れた。きっとそろそろプロポーズの芝居が始まる。
ふわふわして落ち着かなかったのに、デザート皿を目の前に置かれた瞬間、意識がそっちに向いた。
社交場で聞いた噂のアイスクリームにチョコレートだと、思わず感嘆の声を漏らす。
「フィラントさん、噂のアイスクリームにチョコ……」
顔を上げると、フィラントに睨みつけられた。高揚の熱が引いていく。目を背けられた。
「すみません。こちらのデザートを彼女へお願いします。私にはコーヒーを」
睨まれたのではなさそう。フィラントも緊張しているのだろう。お礼を告げて、一人で二皿も食べられると、未知のアイスクリームにスプーンを近づける。
アイスクリームはとても甘くて舌の上で溶けた。このような味も食感も初めて。
「エトワール様、アイスクリームは噂の通り、冷たいですか?」
「はい。フィラント様も……」
いかがですか——その言葉は行方不明になった。コーヒーを飲んでいるだけなのに、絵になるような品の良さ。思わず見惚れる。
「ん?」
柔らかな微笑みにトキトキと胸が弾む。
部下を軽く蹴った時も、強盗逮捕の時も荒々しかった。しかし、今はまるで貴公子のようだ。
デザートを食べ終えて紅茶が運ばれてくると、フィラントが席を立った。いよいよだと、エトワールは膝の上で両手を握りしめた。アイスクリームで体が冷えていたのに、もう顔が熱い。熱くてならない。
フィラントはエトワールのすぐ隣に移動して、片膝をついた。エスコートのように片手を差し出されたので、そっと右手を伸ばす。
「エトワールお嬢様、ご両親がアストライアへいらしたらすぐに結婚のお許しをいただこうと考えています。どうか、私と共に生きて下さい」
ヴィクトリアから、プロポーズの脚本はフィラントだと聞いている。これが彼の考えたプロポーズ。芝居だと分かっているのに、真実だと錯覚してしまいそう。
「……ぜひ。お願い致します」
プロポーズは嘘なのに、嬉しくて手が震える。フィラントに喜びが伝われと手に力を込めた。レストラン中で拍手が巻き起こる。
給仕が近寄ってきた。腕に花束を持っている。給仕はお祝いの言葉を述べて、フィラントに花束を渡した。
「あなた様の髪や瞳に似合う花束を作ってもらいました」
どうぞと差し出された花束を、そっと受け取って抱きしめる。彩り豊かでなんて可愛らしい花束なのだろう。
「うわあ。ありがとうございます」
幸せに酔いしれて店を出ると、新たな刻を告げる鐘の音が響き渡った。まるで、新しい人生をお祝いするかのように。
フィラントはゆっくりと刻告げの塔を見上げた。
「フィラントさん。どうされました?」
「いえ。前にあの塔へ上ったことを思い出しまして」
「絶景でしょうね。一度くらい行ってみたいです」
できれば貴方と。そこまで言うか悩み、勇気を出そうと決意する。
「一度くらい……それなら行ってみますか? 今ならきっと、この空に近づけます」
予想外の誘いに喜び、二つ返事で答えた。馬車で騎士署へ行き、そこからは二人で馬に乗った。二人きりになると、フィラントは話があると告げた。
「屋敷だと、従者がいつ聞くか分かりませんので、誰も来ないところでと考えていました」
「その場所が……あの塔ですか?」
「さっき絶景を見てみたいとおっしゃったので、あそこにしようかと」
フィラントの中で何かが変わり、エトワールへの遠慮が減ったようだ。なぜなのか思い至ることはないけれど、喜ばしい変化だ。
刻告げの塔の下へ到着して馬から降りると、フィラントは鍵で封鎖されている扉を細い棒で開いた。
「秘密ですよ」
「ええ」
真面目な人だと感じていたけど、このような一面があるとは。塔の中へ侵入すると、最上階までは階段が多過ぎるので、上るのは少しだけにしようと言われた。
「いえ、上まで行ってみたいので励みます」
「上まで行ってみたい……ですか」
フィラントは考えるようにしてから、エトワールを見つめた。
「許していただけるなら抱き上げて運びます。馬に乗せるよりも長くなり、申し訳ありませんが」
まさか、と目を見開く。あまりにも魅力的な誘いに、返事をする前に頷いていた。
「……お願いしたいです」
重いと思われたらどうしようと悩んだが、こんな甘美な誘いには勝てない。
「では、失礼致します」
恋愛小説みたいだと、エトワールの心臓の音はますます大きくなった。フィラントは、軽々とエトワールを抱き上げた。おまけに、とても軽快な足取りで階段を上っていく。
「重くないですか?」
「羽のようで驚いています」
手の置き場所が分からず、胸の前で合わせる。首に腕を回したら、まさに恋人同士だ。
フィラントは息一つ切らさない。エトワールはずっと、自分の胸の音に耳を傾けた。お喋りなんてとてもできない。
いくつかの扉を通り過ぎ、やがて広間に出た。大きな鐘が吊るされている。フィラントは「失礼します」と言ってから、エトワールを床に下ろした。
「窓から見るのが安全なので、こちらへどうぞ」
「ありがとうございます」
フィラントはエトワールを手招きしてから、窓の扉を押し開いた。満天の星空が目に飛び込んできたので、感嘆の息を漏らす。
冷えた空気でどこまでも空は高く、今にも星が流れ落ちてきそう。
「綺麗……」
ため息のように声が漏れた。
「エトワール様、ここなら誰も居ないので話せることがあります」
隣に立つフィラントは、エトワールを見ずに夜空を眺めている。星を映して煌めく瞳の美しさに吸い込まれる。精悍な横顔にも。
「はい。あの、なんでしょうか」
「まずはこちらを」
差し出されたのは封筒だった。手紙を貰えるなんて思ってもみなかった。
「読んでも良いですか?」
「銀行口座を管理するための書類です」
「どういうことでしょうか」
夫婦の家計はエトワールに任せるということだろうか。偽夫婦になるのに。遠回しに『偽装夫婦はやめましょう』と言われたのだろうか。それなら最高だ。
「新しい生活に追われて契約の話し合いが遅くなったことをお詫びします。我が主に協力していただきありがとうございます。それに手料理で治療まで」
神妙な面持ちで深々と頭を下げられたので戸惑う。
「給与方式ではなく、私の資産を自由に使って下さい」
思わず耳を疑う。ロマンチックなことを期待していたのに、まるで違った。




