番外編「成り上がり鉄拳侍女の日記」
サシャは、上司のヴィクトリアに日記をつけて文字を書く練習をするようにと命じられた。
庶民はまず手にすることのない固い表紙に、可愛らしい花柄の刺繍が縫われている本に、下手な字で何か書くなんて気後れする。
けれども、働かないとクビになる。クビになったら、今のような幸運な仕事に就くことは極めて難しい。
よし、とサシャは羽根ペンを握った。羽根ペンとインクもこの屋敷で働くようになって初めて触ったものの一つ。
エトワール様は、今日も朝から髪を鳥の巣のようにした、ミレーに髪を溶かしてもらった。詩集もみょうちくりんで、アンナがていねにぬいかたを教えた。
オットーの母親が住み込みになって、エトワール様を奥様と呼び、「若奥様たるもの」と教えている。ヴィクトリア様はおかげて少し楽だと笑う。
サー・フィラントに、今日も花とお菓子を持ってエトワール様を口説きに来て、話せないからとフォン様に相談をしといる。
マルクと調べたけど、エトワール様にしか会わない熱々ぶり。女性にきゃあきゃあ言われているのにまるで無視。
朝と夜は、エトワール様と食事をできるようになったとはかなり前進。
サー・フィラントに持ってくるお菓子は、エトワール様が「太るから」と私たち侍女に贈ってくれる。毎日の礼拝、福祉活動は貴族のギムとしてしているわけではないと分かる。下々にまで優しくて、本当に天使のようなお嬢様。昨日も汚いコジキ少年と熱心に話して、司教様のところへ連れて行った。しかも抱きしめた。
下街を視察するエトワール様を痴漢しようとした酔っ払いを殴ったら鼻血が出て、エトワール様が酔っ払いを手当をする羽目になった。次はもう少し手加減しよう。
美味しかったフィナンシェを半分残して、机の引き出しにいれていたら緑色のカビが生えて悲しい。カビを除いて食べた。
明日もエトワール様がサー・フィラントと会えて幸せで、面白い行動をしますように。
日記とはこんなものだろうか。翌日、ヴィクトリアに提出した。目の前で、文や単語を直された。
「この調子でどんどん練習なさい。それにしても、あなた、あれこれ良く見ているのね」
「そうですか? ヴィクトリア様も知っていることしか書いてないと思います」
「カビは根を張るから、見えるところだけ除いてはいけません。お腹を壊すだけではなく、運が悪いと命を落とします」
「そうなんですか⁈ 気をつけます」
ヴィクトリアはなぜか頭を撫でてきた。殴られると警戒して、もしもの時は鉄拳制裁で応戦して逃亡と思ったけど違った。
「明日も早いですからゆっくりお休みなさい。日記提出は今後、朝にしましょう」
「たまわりました!」
「かしこまりましたって、今朝も教えましたよ。覚えられるように、日記に書いておきなさい」
「かしこまりました」
促されたので、一礼してヴィクトリアの部屋から退室した。
雨風を凌げるどころか立派なお屋敷。エトワール様が、部屋が余っているからと立派な部屋を無料で貸してくれている。
泥水を飲んだり、ゴミを漁っていた頃はもう夢だったみたいな生活だ。
部屋に戻り、日記にヴィクトリアからの注意を書き、窓を開いた。昼間拾っておいた小石をポケットから出して、門番目掛けて投げる。
狙い的中。今夜の門番の一人、マルクがこちらに気づく。大きく手を振った。手というか腕。
空を見上げると、昨日の曇り空とは異なり、とても綺麗な星空だった。エトワール様が星座の話をしてくれるから、最近、星が好き。
流れ星は綺麗な願いを叶える。流れても、また空に帰れるように。そうらしいので、流れ星を見つけたら、エトワール様の幸せを祈る予定。
「早く流れないかなぁ」
今夜も星は流れない。明日こそ、流れますように。




