どうぞ、お風呂上りにでも
綾乃は1人で駅前で佇んでいた。そばに郁杜の影は無かった。
「気になっているヒトがいます」
そう告げると郁杜はしばらく考え込み、仕方ないねと微笑んだ。
映画に誘われて安易にOKした事が招いたこの結果に綾乃は深く反省していた。
電車に乗り家へと着いた頃には時計の針はもう22時を指そうとしていた。余りの出来事に奏矢にメールをする事さえも忘れてしまっていた。
綾乃の部屋の明かりはついていなかった。不思議に思いつつ玄関の鍵を回した。
やはり部屋の中は暗い。奏矢を呼んで見たが返事は帰ってこなかった。
買い物にでも行ったのかな?そう思いつつ部屋の電気を付けるとテーブルの上にメモが置いてあった。
「突然周防さんに呼ばれました。申し訳ありませんが今日は帰れないかと思います。冷蔵庫にデザートがありますので、どうぞお風呂上りにでも食べて下さい」
冷蔵庫を見に行くと確かにプリンが入っていた。冷蔵庫の扉を閉めて視線をメモに戻す。
「追伸 あの子供は反則ですよねぇ。あそこであんな目をされたら」
何の事だか訳がわからずにいた。子供?どこの子供よ。首をかしげながらメモをテーブルの上に戻し、お風呂場のドアを開けて蛇口をひねった。そしてドアを閉めようとノブに手をかけたその瞬間、綾乃は硬直して動けなくなった。
子供--先ほど見た映画を思い出す。主人公の男性が愛した女性のお墓の前に子供を連れてきたシーン。子供の顔がアップになりその眼差しをズームしたあのラストシーンを。
金縛りから解放された綾乃はその場にペタンと座り込んだ。思うように力が入らない。微かに体が震えているのを感じる。
見てた。奏矢は多分、一緒にあの空間で同じ映画を見ていたんだ。そうでなければ辻褄が合わない。
そこまで考えてもう1つの不思議に辿り着いた。デザートが用意してあるのにご飯が用意してない。奏矢には友達と映画に行くといって出掛けたきりメールをしていない。私が食事をした事などわからないはずである。なのに食事はなくデザートだけが用意されている。
きっと奏矢は私が君島先輩と一緒にいるのを見て、後をつけて映画を見て、食事に行ったのを確認して家に帰ってきたのだ。
慌ててポケットの中から携帯を取り出し奏矢に電話した。1回、2回、3回。コール音が鳴り続ける。10回ほど待ってみたが奏矢が電話に出る事は無かった。
すかさずメールを送ろうとした。
でも何て言えば……
いざメールを打とうとしたが何て書こうか思いとどまる。
連絡しないでごめん。
あれはただのサークルの先輩で。
全部が言い訳に思えてきた。果たして奏矢は言い訳される事を望むのだろうか。
いや、ましてそれ以前に私の事をどう思っているかもわからない。私だってついさっき気になると感じたばかりだ。
手が止まったまま、ただ時間だけが過ぎていく。
蛇口から出る水の音だけがその場に響いていた。
違う、違うのよ……
絶望して魔女にな(maze後書きのデジャビュ)
やっちまいましたね綾乃さん。




