神獣様、お話が頭に入りません!
神獣様の脇腹を、私はまじまじと見つめていた。
周りはふさふさなのに、そこだけのっぺりと白い。立派な毛並みの途中に、塗り忘れた場所があるみたいだ。
(そんなバグまで再現しなくていいのよ……!)
フラグミスで、読み込むモデルを間違えたか?
『……人の子よ』
「あっ、はい!」
いかんいかん、つい前世の癖でバグの原因を考えてしまった。
今は、目の前の神獣様だ。神獣様。
でも目の前の神獣様、テクスチャがのっぺり真っ白で……。
「……こほん。この子に案内してもらったんです。好物を渡したお礼にって」
私の言葉に応えるように、子狐が神獣の足元に駆け寄った。
小さく鳴きながら、前脚に頬をすり寄せる。
神獣は顔を下げ、その頭に鼻先で触れた。
『そうか。そなたを気に入ったのだな』
金色の目が、再び私を見た。
神獣が背を伸ばすと、何本もの白い尾が大きく広がった。
『我が子に招かれし者よ。そなたを、この森の客人として迎えよう』
おお。
これで無事、守護神獣公認のお客様だ。
予定通りとはいえ、ちょっと安心した。
『この森にいる限り、何者にもそなたを害させぬ。我が名において――』
威厳のある声が、森に響いた。
でも、ゆったりと揺れた尾の向こうに、白い脇腹が見えた。
(……そこだけ、つるっつる)
…………顔を見よう。ちゃんとお顔を見て、話を聞こう。
そう思ったのに神獣が身じろぎした拍子に、また目がいってしまう。
すごく神々しい。
とっても神々しいのだけれど、脇腹がつるっつるなのだ。
視界に入るだけで、とっても気が散る。
(ありがたいお話が、全然頭に入ってこない……!)
私がぶんぶんと首を振っていると。
『……先ほどから、何を見ている?』
「すみません。あの、右の脇腹が……」
神獣は首をひねり、自分の脇腹を見た。
長い尾が、白く抜けたところを覆う。
『これか。つい先ほど、急にこうなった。痛みはないのだが』
(急に? ……あっ)
私は足元の子狐を見た。
(……もしかして、隠しクエストを通ってきたせい!?)
ちなみに正規ルートでは、途中で神獣の傷を治すクエストがある。
傷の場所は、右の脇腹だったはずだ。
そのイベントを飛ばしたのが原因で、本来読み込むはずだったモデルが読み込まれていないとしたら……。
……そういえば、この裏技を実装したのは深夜だった。
こんなの誰も踏まんやろって、動作確認すらろくにしていなかった気がする。
(これ、私のせいやんけ!?)
「あの。それ、直せると思います」
この神獣は、水に濡れたときの毛並みが別に用意されていたはずだ。
(濡れた姿に切り替えれば、毛並みも読み込み直されるはず……!)
「そこに、少しお水をかけてもいいですか?」
『水を?』
「はい。それと、ちょっとかがんでもらえると……」
神獣は私を見下ろし、それから、ゆっくりと岩場に身を伏せた。
私は鞄から水筒を取り出し、近づいていく。
こうしてそばに立つと、ますます大きい。
子狐を撫でたばかりなのに、今度は私が埋まりそうなもふもふが目の前にある。
(……いやいや。まずは脇腹。のっぺり脇腹ね!)
尾をよけてもらい、白く抜けたところに水を流しかけた。
途端、のっぺりしていた脇腹に、しっとりと濡れた白い毛が現れた。
「はい。終わりです!」
『……もうか?』
神獣が首をひねった。
鼻先を寄せ、濡れたところを一度なめる。
『おお! 戻っておる……』
神獣様、嬉しそうだ。
私を見て、水筒を見て、もう一度、自分の脇腹を見た。
『その水は、どこのものだ』
「森の手前の小川です」
『……あの川か?』
神獣は、ずいぶん不思議そうに水筒を見ていた。
(そんなに見ても、ただのお水ですよ……!)
……やらかしたのは、私です。
マッチポンプみたいで、なんかごめんなさい。
水筒を鞄にしまうと、神獣が身を起こした。
今度こそ、どこから見ても威厳あふれる立派な守護神獣だ。
『礼を言う。……では、話を続けてもよいか』
「はい! 今度はちゃんと聞きます!!」
私は慌てて背筋を伸ばした。
『客人の証に、これを授けよう』
神獣の尾から、白い光がこぼれ落ちた。
差し出した手のひらに、親指ほどの宝玉が収まる。
『我の魔力を宿しておる。森の外でも、そなたの助けになろう』
(うわ。これ、神獣の宝珠だ……!)
本来なら、ラスボスに挑む段階で使うような最高級の素材だ。
これを核にした杖なら、魔力のほとんどない私でも竜を一撃で仕留められるだろう。
のんびりできる別荘が欲しかっただけなのに、これは嬉しい副産物だ。
(ふふふ。魔道具作りも捗りそうね!)
これからは思う存分、別荘でスローライフを満喫して。
ついでに大好きな魔道具を作りながら、世界中をのんびりと旅するのだ。
『湖のほとりに、客人のための屋敷がある。自由に使うといい』
「ありがとうございます! 子狐さん、また美味しいパンを作ってあげますからね!」
『……我の分は?』
「もちろん作ります!」
威厳あふれる姿から繰り出される、情けないおねだり。
私は思わず笑いながら次は何個焼けば足りるのかと、その大きな身体を見上げた。
***
神獣に案内されて着いたのは、青い湖のほとりだった。
岸に建つ白い屋敷の窓が、夕日を受けて輝いている。
湖に面した広いテラス。
二階の大きな窓。その下には色とりどりの花畑が広がっていた。
「わあ……!」
ここだ。
画面の中を歩き回りながら、何度も住んでみたいと思った場所。
あのテラスでお茶を飲みたい。
二階の窓を開けて、花畑を眺めながら朝ごはんを食べたい。
(ふふふ。全部できちゃうのよね。今日から!)
仕事中、何度ここに逃げ込みたいと思ったことか。
ベッドでごろごろしながら窓の外を眺めて、一日が終わってもいい。
誰にも怒られることはないのだから。
「お世話になります!!」
神獣に頭を下げ、私は屋敷の扉を開けた。
子狐も、ぴょんと飛び上がり私の肩に乗る。
広間に鞄を置くのもそこそこに、裏庭に続く扉を開けた。
「本当に、あったぁ……!」
岩に囲まれた湯船から、白い湯気が立ち上っていた。
近くにしゃがんで指先を浸すと、じんわりと温かい。
(これが、今日から私のお風呂……!)
好きなときに、好きなだけ入っていい。
朝風呂だってできる。なんなら、昼間からでも。
肩がふっと軽くなり、すぐそばで水音がした。
「えっ?」
子狐が、湯船に入っていた。
縁に前足をかけ、二本の尾をお湯に浮かべている。
『我が子も、ここの湯が気に入っておる』
庭の外から、神獣の声がした。
子狐が私を見上げ、小さく鳴いた。
「きゅるっ」
まるで、早くおいでと言っているみたいだった。
私も服を脱ぎ、さっそく湯船に入った。
「ふわあ、癒される~」
色とりどりの花に囲まれて、もふもふを抱きかかえて。
私は湯船の中で足を広げたまま、鼻歌でも歌いたい気分だった。
──神獣の温泉、《天狐の霊泉》。
たしか隠された潜在能力を引き出すとかいう、パワーアップイベントも仕込まれていた気がするけれど。
そんなことより、ゆったり温泉に入るのが大切だ。




