なんで転生してまで社畜やってるの?
荷造りに許されたのは、鞄一つだった。
着替えと下着、櫛。それから、自分で買った針と糸。
工房のものには触れなかった。図面も試験記録も、ハミルトン家の仕事として作ったものだ。
玄関まで下りると、執事から小さな革袋を渡された。
中には銀貨が五枚入っている。
ちなみに工房の商品がどれだけ売れても、私が給金を受け取ったことはない。
衣食住を与えているのだから、家のために働くのは当然だと言われていた。
「馬車は……」
執事が廊下の奥を見た。
けれど、父から新しい指示が届くことはなかった。
「結構です。歩きます」
私は革袋を鞄へしまった。
「今まで、お世話になりました」
門を出る。
花壇の向こうには、工房の煙突が見えた。
(……親方たち、大丈夫かな)
少し気にはなった。
けれど、もう私が戻ることは許されていない。
門が閉まる音を背中で聞いて、私は街へ向かった。
大通りの宿は、一晩で銀貨二枚だった。
入口に出ていた札を見て、私は数歩戻った。
五枚あれば数日はどうにかなると思っていたけれど、食事代まで考えれば心もとない。
もっと安い宿を探して、明日からの仕事を――。
「働く場所も探さなきゃ」
口にした途端、妙な感じがした。
前にもこんなふうに、次の仕事のことを考えながら歩いたことがあった気がする。
石畳ではないアスファルトを、もっと歩きにくい踵の高い靴で。
白い明かりがやけにまぶしくて、早朝なのにひどく眠かったのを覚えている。
(……アスファルトって、なんだっけ?)
さすがにあんなことがあったばかりで、疲れているのかもしれない。
私は、額を押さえたまま顔を上げた。
街道の分かれ道に立つ標識が目に入る。
《アルディア森林》
「……アルディア?」
標識の向こうに、赤い屋根の家が見えた。
二階の出窓が大きく張り出し、その下には薪が積まれている。
──あの家。
脳裏によぎる、この世界のものではない不思議な光景。
私は、乱舞するバグ報告と戦っていた。
『おい、あそこのコリジョンが抜けてるぞ!』
『誰だモデル巻き戻したやつ!? ここだけクソ重いぞ!!』
『あのー、この家。出入りを繰り返すと落ちるみたいなんですが……』
『ふぁーーーっく!!!』
新バージョンリリースの前は、いつも戦場だった。
机の上には、大量のエナジードリンク。
周囲は死屍累々。同僚も、たくさんの翼を授かっていた。
それでもリリース間近の一体感だけは、何事にも代え難いもので。
――思い出した。
私、ゲームを作っていた。
朝から深夜まで働いて、土曜日にも呼び出されて、帰れない日は会社の椅子を並べて寝た。
帰宅途中でも会社から連絡が来れば、駅で反対側の電車に乗った。
記憶に残っている最後の日も、仕事をしていた気がする。
たしか大型アップデートのために、四徹をしていて。
指が思ったところに動かなくなって、立とうとしたら机の角が近づいてきた。
それが、最後の記憶で……。
「……嘘やん、過労死ってことぉ?」
私は標識の柱に手をついた。
同僚に「気をつけて」と、言ったことはあった。
自分は、まあ次の休みに寝溜めすればどうにかなると思っていた。
人間、睡眠時間を溜めておくことはできないらしい。
「なるほど、ここが『リノフェイン・クロニクル・オンライン』の世界だって言うなら──」
(ひゃっほい!!)
思わず人目も忘れて万歳しそうになって、慌てて腕を下ろした。
私が開発に参加していたのは、オンラインRPG──通称リノクロだ。
広大な世界を好きに旅できる自由度と、戦闘以外の遊びの豊富さで人気を集めていた。
冒険そっちのけで釣りや料理に明け暮れるプレイヤーも、珍しくなかった。
神獣との交流、精霊たちの夜市、料理のサブイベント。
私が担当していたのは、そういう寄り道が多かった。
プレイヤーが好き勝手に遊べば、こちらの想定も軽々と飛び越えていく。
おかげで、リノクロはバグの宝庫でもあった。
それでも膨大なサブイベントはユーザーから好評だったし──何より私自身が、この世界を大好きだった。
(あれ……待って? というか私、なんで転生してまで社畜やってるの?)
愕然とした。
鞄を抱え直し、自分の指に残ったインクを見た。
魔導具を作るのが大好きだった理由まで、今なら分かる。
私が魔導具を設計するときは、まず機能ごとにパーツを分け、モジュール化していた。
各モジュールを単独で十分にテストしてから丁寧に組み合わせ、大きく複雑な処理を構築していく。
不具合が出たら、個別に動かして原因を切り分ける。
さらに汎用性を持たせておけば、一度作ったものを別の魔導具でも使い回せるわけで……。
(あ~~~! これ、まんまプログラミングじゃんっ!)
そりゃ楽しいわけだ。
ゲームを作るためとはいえ、前世で夢中でやっていたことだもの。
(……あれ? コレットに、続きの設計ができる?)
無理だと思う。
今なら分かる。あの脳筋に、そんな精密な設計は無理だ。
とにかく魔力を大量に注ぎ込めば、それでどうにかなると思ってそうだ。
例えるなら動かなくなったテレビに、チョップを入れる前世のおばちゃんと同じタイプの思想の持主で……。
戻って警告するべきだろうか?
なんせ王宮に納める品なのだ。もし、間に合わなかったら──。
(……知らん、もう知らん)
未完成だとは伝えた。昨日までの試験結果も置いてきた。
それでも私は用済みだと、工房に戻ることまで禁じたのはハミルトン家だ。
前世では、過労死。
今世では、鞄一つで追放。
(あほか、私!)
社畜なんてもうごめん。そう私は──
「私しか知らない絶景ポイントを巡って、のんびり幸せスローライフを送るのよぉおおお!!!」
そう、リノクロの世界で冒険者として悠々自適な日々を送るのだ。
(さて。そうと決まれば、早速、冒険者ギルドね)
私はゲームで何度も通った道を思い出し、意気揚々と歩き出した。




