エピローグ
オルロフ侯領、中心地ベルタの天鷲城は天空城とも言われ、国で最も美しい城として知られている。
私は、黒い馬車の中から、雪にそびえるその城を見つめた。純白の雪を纏った城は蒼い天を突く高い氷山のように見える。この美しい城で自分の結婚式が行われるとはとても信じられない。
「あれが我が居城、天鷲城だ。招待客を呼べる春を待って式を執り行おうと思う」
隣のオルロフ侯が、そっと耳元で囁く。胸元の銀鎖のネックレスが擦れる音まで聞こえる。いつも思うのだが、この馬車はずいぶん狭くないだろうか。彼は私のすぐ隣に体を寄せ、手を重ね合わせつづけている。この距離では、彼の熱から逃げられず、心臓が休まる暇がなかった。
「は……春ですか……」
次の季節にはもう結婚式。そのことに実感が湧かないまま、言葉を漏らす。
「すまない。私としてはすぐにでも式をあげたいのだが。貴族の婚姻とは厄介なものだな」
彼が私の言葉を取り違えて詫び、指を絡めてきた。
「は……春なんてすぐですよ」
指の感触にドキドキしながら答える。
「ベルタの冬は長いからな……私には遠い未来に思えるよ……だが、君がいてくれるのだから、いくらでも待てるさ」
逃さないと言わんばかりに、より強く手を握りしめてきた。
ドキドキしながらも、彼が『君』というのを聞いて、お互いの『宿題』があったことに気づく。
「そう言えば……『閣下』に代わる呼び名を考えなければいけないんでしたね……」
「そうだな……二人きりの時に『閣下』ではな……何かいい案は思いついたかい?」
「えっと……それでは『アレク』とお呼びしても?」
彼の姉、オルガが口にして、それが心に残っていたのだ。
「もちろんだ」
「それでは……あの……『アレク』は私をどう呼ぶんですか?」
アレクと呼ばれ、微笑んでから答えた。
「そうだな……『ミリミリ』はターニャ嬢専用だしな……」
『ミリミリ』と呼ばれるたびに、ターニャの顔がよぎるのでそれは勘弁してほしい。
彼はしばらく考えて、一つの言葉を口にした。
「『アメリ』はどうだろう?」
意外な呼び名にドキリとした。それは、ベスタス公爵家の晩餐会に潜入した際に、たった一度だけ口にした偽名。アメジストをもじった名前だった。
「ふふっ。そんなことまで覚えててくださったんですね……ありがとうございます」
「決まりだ。では二人きりの時は『アレク』と『アメリ』で」
「……はい」
最初の占い通りの呼び名――アレクサンドライトとアメジスト――に胸が暖かくなる。
馬車がガタリと音を立てて揺れる。彼のネックレスもまた揺れ、先端のアレクサンドライトがきらめく。天鷲城の城門がすぐそこまで見えてきた。王都とは異なる建物と風景が新鮮に目に映る。
「ここで新しい生活が始まるんですね……よろしくお願いします。アレク」
手をほどいて、腰につけた宝石袋を握りしめてから、あらためて彼に挨拶をする。
「よろしく、アメリ」
彼はにこやかに返した後、優しく聞いてくれた。
「不安はないかい?」
「えぇ大丈夫です」
「君は占い師だからね。自分の未来くらい、とっくに占って知っているのかな?」
彼はいたずらっぽく聞いてきた。
「いいえ――その必要はありません」
私は彼のネックレスの銀鎖をそっと掴んで引き寄せ――顔を近づけて、キスをした。
占い師ミリヤ・ミリヤッドは自分の占いを信じない。
今、彼女には占いより確かなものがあるのだから。
(終)




