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異世界ゆうしゃA ~亡国の残響~  作者: 小城乃ひかり
第三章 賢者の国

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魔導国家エルナト (1)

異世界ゆうしゃA ~亡国の残響~

山を越えるのに、三日かかった。


焚き火の夜が明けて、三人は歩き始めた。雪はやんでいた。山道には薄く白が積もっていた。リアが先頭を歩いた。シュウが続いた。エルクが最後尾を歩いた。


誰も何も言わなかった。


言葉にできるものが、まだなかった。


門に触れた感覚が、まだ手のひらの奥に残っていた。東京の光が、まだ目の奥に焼きついていた。何千万という命の重さが、まだ胸の中にあった。それを言葉にしようとするたびに、言葉が追いつかなくなった。


だから三人は歩いた。

ただ、歩いた。


二日目の昼過ぎ、シュウが転んだ。斜面の凍った地面に足を取られた。盛大な音を立てて倒れ、立ち上がってから「雪のせいだからな」と言った。

「見てた」とエルクは言った。

「黙れ」

 それだけで、少し空気が戻った。


三日目の午後、尾根を越えた。

山道の先に、開けた場所があった。木々が途切れた。視界が広がった。

シュウが足を止めた。

エルクも止まった。


眼下に、都市があった。


最初に目に入ったのは、光だった。昼間だというのに、街全体が淡く発光していた。白と青が混ざったような光だった。遠目には霧の中に浮かぶ灯台の群れのように見えた。

街の中心に、塔がそびえていた。

頂が雲に届きそうなほど高かった。塔の表面を螺旋状の文様が這い上がっていた。その文様自体が光を放っていた。青みがかった白い光だった。昼の空に溶けそうで、それでも消えなかった。

空に、何かが浮いていた。

船のような形をした乗り物が、街の上空をゆっくりと横切っていた。帆も翼もなかった。ただ浮いていた。


「……でかいな」

エルクは言った。

「ゲームのラスボス城みたいだな」

シュウが目を細めた。

「いや、ラスボス城より派手か。エフェクトが多すぎる」

「城じゃない」

リアが静かに言った。

「あれ全部、街だ」


エルクはもう一度、全体を見渡した。塔は一本ではなかった。大小合わせて十本以上が、街のあちこちから突き出ていた。街路には小さな光の粒が連なっていて、それが道の輪郭を描き出していた。


街の外縁を、壁が囲んでいた。低い壁だった。防衛のためではなく、境界を示すためのものに見えた。壁の外を、何かが走っていた。地面の上を、煙も出さずに滑るように動く黒い物体。かなりの速さだった。


「あれは」

エルクが指差した。

「魔導列車だ」

リアが答えた。「レグルスには走っていない。エルナトだけにある」

「鉄の馬か」

シュウが呟いた。声のトーンが、少し変わっていた。「聞いてたけど、本物見たの初めてだ。なんか——」

シュウが言葉を止めた。

「なんか?」

「……懐かしい気がする」

エルクも同じことを思っていた。

言葉にはしなかった。


山を下りるのにさらに半日かかった。

街道に出ると、空気が変わった。

人が増えた。荷物を積んだ馬車とすれ違った。魔導装置を抱えた商人が足早に歩いていた。道の両脇に商店が並び始め、窓から魔導灯の光が漏れていた。看板が揺れていた。子供が走っていた。魚と香辛料と、何か甘いものの匂いが混ざっていた。


レグルスとは違う種類の空気だった。

レグルスの街には緊張があった。兵士がいた。監視があった。すれ違う人間の目が、どこか疲れていた。戦争が、街の奥まで染み込んでいた。


ここには、それがなかった。

人々が普通に歩いていた。笑っている者がいた。言い争っている者がいた。立ち止まって空を見上げている老人がいた。誰も剣を持っていなかった。誰も空を警戒していなかった。魔導灯の明かりが、夕方に向かって少しずつ強くなっていた。


エルクはその光景を見ながら歩いた。

この街は、戦争を知らないわけではないはずだった。魔王軍は存在する。五十年前から戦争は続いている。それでも——この街には、何かが保たれていた。日常というものが、ここには残っていた。

《残響》は静かだった。

レグルスを歩いていたときとは違った。ノイズが少なかった。断片が流れ込んでくる感覚が、ここでは薄かった。まるでこの街全体が、余計な情報を遮断するように機能しているようだった。

エルクは少しだけ、息をついた。


検問所は街道の入り口にあった。

レグルスのものより整然としていた。兵士の装備が違った。金属鎧ではなく、魔導結晶を埋め込んだ軽量の防具だった。腰に剣ではなく、魔導杖を携えていた。建物の壁に複数の魔法陣が刻まれていた。通過する人間を自動で解析しているらしかった。


「身分証明はあるか」

検問兵が三人の前に立った。三十代くらいの、目つきの鋭い男だった。


「旅人だ」

リアが一歩前に出た。

「エルナトの賢者に面会したい」

「賢者への面会には事前申請が必要だ。身分証明と、所属機関の証明書を」

「持っていない」

「では通せない」

リアが口を閉じた。強引に押し通すことも、嘘をつくことも、今の状況では得策ではなかった。エルクは後ろでそれを見ながら、次の手を考えていた。


そのとき。

後ろで、音がした。

どさり、と重い音だった。続いて、ぱらぱらとページをめくる音。そしてもう一度、どさり。


全員が振り返った。

検問所の脇の通用口の前で、一人の少女が荷物を盛大に散乱させていた。書類が全部落ちていた。魔導書が三冊、地面に開いた状態で転がっていた。小さな魔導結晶がいくつか、石畳の上を転がっていた。少女はそれを追いかけようとして、自分の荷物に足を取られ、その場に盛大に転んだ。

「いたっ……」

少女は地面に手をついたまま顔を上げた。


小柄だった。茶色がかった髪をゆるく束ねていた。大きな眼鏡をかけていた。白いローブは魔導学院の制服らしく、胸元に青い徽章がついていた。眼鏡は転んだ拍子にずれていた。


少女はエルクと目が合った。

一秒、沈黙した。

「……すみません、通れますか」

エルクは一歩横にずれた。


少女は散乱した荷物をかき集め始めた。書類を拾い、魔導書を拾い、転がっていった結晶を追いかけようとして、別の書類を踏んだ。


「手伝うか」

「大丈夫です。慣れてますので」

 慣れてどうするんだ、とエルクは思ったが口には出さなかった。


 シュウがこちらに寄ってきて、小声で言った。

「弱そう」


「聞こえてます」

少女が顔を上げた。眼鏡が、またずれた。


「失礼ですね」

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