祈りの凶器と雨合羽の真
1繋がる記憶と消えた調査料
広場から少し離れた場所、高層ビルの陰で恐怖に震えていた中年の地縛霊から事情を聞き出した後、馨はさらに別の若い地縛霊から声をかけられた。スマホやネットの知識に強いその若い霊は、「消滅の瞬間、広場でダンスの撮影をしていた若者のスマホが回しっぱなしだった」と馨に教えた。
馨はすぐさま、広場の端で機材の片付けをしていたダンサーの若者を探し出し、半ば強引にその動画を確認させてもらった。
映像には、ダンス動画の端に広場の真ん中に立つ雨合羽の男と制服姿の少女の背中がわずかに映っていた。
動画の前半では、ダンサーたちの持ち込んだ大型スピーカーから重低音の効いたヒップホップの音楽が爆音で鳴り響いていた。 普通なら、周囲の音など全て掻き消されてしまうほどのノイズだ。だが、ちょうど曲が終わり、次のトラックへと切り替わる数秒間、スピーカーの重低音がフッと途切れた。 その一瞬のぽっかりと空いた静寂を縫うようにして、画面の中の少女の、「神々しい祝詞を唱える澄んだ声」だけがスマートフォンのマイクにはっきりと録音されていたのだ。
(……聞き覚えがある。どこかで会っていたような気がする……)
しかし、どれだけ記憶を探っても、その声の主の顔がどうしても思い出せない。馨はその若者に頼み込み、動画データを自分のスマホに共有してもらった。
その日はそれ以上の情報を掴むことはできず、馨は苛立ちを抱えたまま事務所へと戻るしかなかった。
数日後。相馬探偵事務所の古びたデスクで、馨は若者から共有された動画を穴の開くほど見返していた。ここ数日、何十回となく再生しているが、やはり聞き覚えがあるという感覚だけで、どこで会った誰なのかが思い出せない。
そこに、事務所のドアが乱暴に開け放たれ、騒々しい足音と共に一人の男が乗り込んできた。派手な柄シャツに金のネックレスを揺らした九頭龍会のチンピラ、辰巳だ。
「おい相馬! 雨合羽の男の調べはまだつかねぇのか」
突然騒々しく現れ、勝手な事を喚き散らす辰巳に、馨は面倒くさそうに反論する。
「そんな調査を受けた覚えはないぜ。店に雨合羽の男が現れたら対応するって言っただけだ。店に現れたのか?」
「現れてはねぇ、だけど……」辰巳の言葉を遮り、馨は勝ち誇った顔で辰巳を睨みつける。「だろ!」その態度に、辰巳は青筋を立てて凄んだ。
「馨てめー、いい度胸じゃねーか。ヤクザから金をだまし取るつもりか?」
「なんの話だ」
「調査料だよ!」
「はぁ?」
「まだ白を切るつもりか?」
二人が険悪な雰囲気でののしり合っている後ろで、不意に「ポロロン」というパソコンがシャットダウンする軽快な音が響いた。馨が視線を向けると、事務員のチアキがパソコンの電源を落とし、帰り支度を始めている。普段、定時退社に関しては誰よりも厳格な彼女だが、今はまだその時間には程遠かった。
「チアキ、どうした?」馨が心配そうに尋ねる。
「今日は早退するけど、いいか?」普段なら事後報告すらしないチアキが、珍しく自分に許可を求めてきたことに馨は驚いた。
「ああ、いいけど……」
足早に事務所を出ていくチアキの背中を、馨は呆然と見送った。
「おい! 無視してんじゃねーぞ!」そんな馨に、辰巳が再びキャンキャンと噛みつく。「組に調査料30万の請求書送っただろーが! こっちは数日前にキッチリ払ったぞ!」叫ぶ辰巳を無視して、馨はゆっくりと振り返り、数分前までチアキが座っていた事務机を見た。
そこには、月に1、2件の依頼しかない貧乏探偵事務所の会計や事務には到底不似合いな、超高画質の大型モニターと、巨大なタワー型パソコンが鎮座していた。
(あのパソコン起動していたとき、七色に光ってたよな……)馨は呆然と立ち尽くした。
「調査料もらってねーなんていわせねーぞ!」辰巳の口撃はなおも続く。
「……振り込まれた。でももうない。たぶん、ゲーミングPCに変わってる……」馨は辰巳に向かってではなく、魂が抜けたように独り言をつぶやいた。
「……使い込みか? まあ……俺たちには関係ねぇ。それより雨合羽の男の手がかりだ!」以外に察しの良い辰巳ではあったが強引に話を戻す。
「手がかり? ……ああ……雨合羽の男……数日前、西新宿の空地に現れた。その時の動画がある」
「なに!? さっさと見せろ!」
馨はスマホの画面を辰巳に向け、例の動画を再生して見せた。
「ここに制服の少女が写ってるだろ。どこかで……」馨が言いかけるよりも早く、画面を覗き込んだ辰巳があっさりと口を挟んだ。
「この女、天照大神社の巫女じゃねーか。何やってんだ? 独り言か?」
ガタッ!!馨は勢いよく椅子を蹴り、立ち上がった。馨の脳裏に、氷雨の降る早朝の天照大神社で、番傘をさし竹箒を持っていた巫女の姿が鮮明にフラッシュバックする。彼女は確かにあの時、「うちの神社に、何かご用ですか?」と馨と辰巳に声をかけてきた少女だった。
「そうか、あの時の巫女か!!」馨は叫ぶなり、ハンガーにかけてあったジャケットを勢いよく羽織り、事務所の出口へと向かった。
「行くぞ辰巳!!」
「どこに?」
「天照大神社に決まってんだろ」
馨のただならぬ気迫に押され、辰巳も慌ててダウンジャケットを掴み、馨の後を追って事務所を飛び出していった。
2盲目の浄化者と雨合羽の影
馨と辰巳は、天照大神社の大鳥居の手前に車を停め、例の少女が帰ってくるのをじっと待ち伏せていた。
「おい相馬、本当にあんなガキが雨合羽の男の仲間なのか?」 助手席で退屈そうにあくびをする辰巳。派手な柄シャツに金のネックレスを揺らすその姿は、神聖な神社の前にはどうにも不似合いだ。運転席の馨もまた、無精髭が伸びたくたびれたジャケット姿で、お世辞にもカタギの善人には見えない風体をしていた。
「間違いない。……来たぞ」
数十分後。夕暮れ時の参道に、指定カバンを持った制服姿の少女が歩いてきた。動画に映っていた後ろ姿と完全に一致する。 馨は車を降り、辰巳と共に少女の行く手を遮るように立ち塞がった。
「ちょっといいか。あんたに聞きたいことがある」
馨が声をかけると、少女はビクッと肩を震わせた。そして、目の前に立つ薄汚れた探偵と、見るからにヤクザなチンピラの二人組を交互に見て、あからさまな警戒感と恐怖を露わにした。
「な、なんですか……あなたたち」
「怪しいもんじゃない。先日、西新宿の高層ビルの下にある広場に……」
馨が身分を明かすより早く、身の危険を感じた少女はクルリと踵を返し、大鳥居をくぐって神社の敷地内へと猛ダッシュで逃げ出した。
「あっ、おい待て!」
「チッ、逃げ足の速いガキだな!」
馨と辰巳は慌てて少女の後を追った。玉砂利の敷き詰められた長い参道を、少女は必死に駆け抜けていく。
「待てって! なぜ西新宿の広場にいた地縛霊たちを消したんだ!」
馨は逃げる少女の背中へ向かって、境内中に響き渡る声で叫んだ。 その「地縛霊」という言葉を聞いた瞬間、少女の足がピタリと止まった。彼女は息を切らしながら振り返り、馨を強い眼差しで睨みつけた。
「……悪霊だから浄化しただけです」
「悪霊だと? 冗談じゃない!」 馨は少女に詰め寄り、荒げた声で反論した。
「あそこにはな、夢に破れても他人の夢を応援していた、希望を持った霊もいたんだぞ! それを問答無用で消し去りやがって!」
馨の悲痛な叫びに、少女の表情が少しだけ揺らいだ。彼女は逃げるのをやめ、馨の言葉に耳を傾ける姿勢を見せた。
「本当にそんな霊がいたんですか?……まるで見えるような言い方ですね……私には、霊なんて見えませんでした」
少女は息を切らせながら静かに、しかし冷酷な事実を口にした。
「私はただ、あの場所で悪霊が悪さをして困っているからと『除霊の依頼』を受けただけです。だから、指示された通りに広場の真ん中で除霊の祝詞を唱えた。……そこにどんな霊がいて、私の祝詞で本当に霊が浄化されたのかなんて、私自身には見えないから実感なんてありません」
その言葉に馨は愕然とした。 この少女は、自分を中心とした半径100メートルの地縛霊を消滅させるという恐るべき力を持っていながら、自分自身には彼らの姿が見えていないのだ。見えないからこそ、そこにいるのが人畜無害な老婆の霊なのか、希望を持った若い霊なのか、それとも人に害をなす悪霊なのか、彼女自身には全く判断できない。
「見えもしないのに、他人の依頼を鵜呑みにして消したのか!? その依頼主ってのは、黒い雨合羽を着た男だろ!」
馨が詰め寄ると、少女は毅然とした態度で言い返した。
「男ではありません。依頼主は『女性』です。私は直接お会いして依頼を受けましたから、間違いありません」
「……女、だと?」
馨と辰巳は顔を見合わせた。 天照大神社に逃げ込み、馨たちから逃げおおせたあの『雨合羽の男』。ダボダボの雨合羽で体型を隠し、深く被ったフードで顔を見せなかったあの不気味な存在は、男ではなく女性だったというのか。
「少なくとも、急に待ち伏せして怒鳴りつけてくるあなたたちみたいな怪しい人より、依頼主の女性の方がずっと信用できました。……これ以上しつこくするなら、警察を呼びますよ!」
少女はカバンの中からスマートフォンを取り出し、防犯ブザーに手をかけながら馨たちを威嚇した。
馨は無言で少女を睨み返し、少女もまた、防犯ブザーを握りしめたまま一歩も引かずに馨の目を真っ直ぐに見据え返している。両者の間に、ピンと張り詰めたような緊迫した空気が流れた。
ふと周囲を見渡すと、夕暮れ時の境内はすっかり暗さを増し、鬱蒼と茂る木々が黒い影となって彼らを飲み込もうとしていた。新宿のど真ん中でありながら、大通りの喧騒は分厚い森に遮られ、ここには馨がいつも頼りにしている「地縛霊たちの気配」すら一切存在しない。ただ冷たい夜風が木々の葉を揺らす音だけが響く、底知れない不気味なほどの静寂が広がっていた。
無数の死者たちに見守られた外の街とは違う。この聖域の闇の中で馨はいつもと違う無力さを実感していた。
「……チッ。行くぞ、辰巳」
これ以上騒ぎを起こせば、本当に警察沙汰になりかねない。何より、この少女を問い詰めたところで、彼女は霊が見えない「ただの強力な兵器」として利用されたに過ぎないのだ。 馨は舌打ちをし、忌々しげに神社の本殿を睨みつけると、辰巳と共に大人しくその場を立ち去るしかなかった。




