3-6 帝国騎士団式職務執行法
(たぶん四人……いや、五人かな。嫌だなぁ、もう)
追跡者のおおよその数を把握したビリーは、頭の中で現在地周辺の地図を広げる。頭が働かないなどと腑抜けたことは言っていられない。
今までに騎士団制服を着ていて誰かに襲われたことはない。夜間に一人で出歩いていも、だ。
皇帝の尖兵として国内外から畏怖の念をいだかれていた最盛期よりは衰退したとはいえ、帝国騎士団の権威はいまだ健在だった。
(帝国騎士と知った上で追ってくるということは、人間嫌いのならず者か、私に個人的な恨みがある者か。はたまたアズール様の変装が見破られたのか)
アズールの手を引き、ビリーは人通りの少ない路地の方へと足を向けた。
取り囲まれるのが一番まずい。せまい道で一対一に持ち込みたいところだ。もちろんアズールは戦力に入れていない。
夜間巡視中の騎士や憲兵に応援を求める、というもの考えたが現在位置は商業地区周辺の巡回ルートから外れている。大きな物音を立てれば駆けつけてくれるかもしれないが期待はできない。
「なあ、俺も手伝おうか」
「ア――アルは絶対何もしないでください。私が責任をもってお守りします。不心得者ごとき無傷で処理するつもりではありますが万が一の場合はお手数ですが治療をお願いいたします!」
ビリーは食い気味にまくし立てた。
アズールは勢いに負けて押し黙る。
もっと穏便な言い方もできたはずだが、騎士としての実力を疑われているようで癪に障った。皇帝の手をわずらわせるなど、なんのための近衛騎士か。
「市場を出たあたりからついて来ているようですが、何かご用でしょうか」
袋小路とアズールを背にし、ビリーは追跡者たちに声をかけた。
暗がりから、頭全体を布で覆い隠し襤褸をまとった者たちが現れる。全部で四人。体格から見ておそらく全員男性。
リーダー格と思しき者が先頭に立ち、威嚇をするように棍棒を手に打ちつけている。他の三人も粗末な木切れや小さなナイフなどを持って武装していた。
「あんたをちっと痛めつけるだけで、俺たちの食い扶持をひと月分もまかなってくれるって酔狂な御仁がいてねえ」
答えたのはリーダー格の男だ。背筋はまっすぐと伸びていて若々しい印象があるが、声は老人のようにしわがれていた。
「つまり敵対行動を取るつもりなのですね」
面倒くさいなと思いつつ、ビリーは確認した。
自国の民間人――ならず者にしか見えないとしても――に対し、緊急時やその他例外を除いて先に手を出してはいけないという決まりが帝国騎士団にはある。
皇帝直属の近衛騎士になりはしたが、今ビリーが身につけているのは騎士団の制服だ。騎士団員としての外形を備えた状態で事件を起こせば、当然騎士団からクレームが来る。その方が厄介だ。
「お、おう。あんた追いつめられてるくせに、いやに冷静だな」
ビリーの態度が予想外だったのか、リーダー格の男はわずかにたじろぐ。うしろの三人は「どうでもいいからさっさと終わらせろよ」などと野次を飛ばしている。
「ありがとうございます。では、どうぞ」
ビリーは会釈をした。「こっちからは手を出せないんだからさっさとしろよ」という獰猛な本音を懸命に飲み込む。
「……馬鹿にしてんのかてめぇ!」
逆上したリーダー格の男が棍棒を振りかざして襲いかかってきた。他の三人は混戦を避けてか、様子を見ている。下手に近寄ると棍棒が当たってしまうほど路地はせまい。
「敵対行動を確認しました。ただちに武器を捨てて投降してください」
お決まりの文言を言い切るのと同時に、風で加速したビリーは飛びつくように男の首に左腕を巻きつけた。そのまま自分の身体を背面に倒し、その勢いと体重を利用して相手の身体を地面へと叩きつける。
背中と後頭部を激しく打ちつけた男はそれだけで動かなくなり、力なく開いた手から棍棒が転がった。
ビリーは棍棒を拾い、素早く立ちあがる。
首折り落としをやると自分も身体を地面に打ちつけてしまうため、硬い地面でやるとかなり痛い。しかし、そんな内心は露ほども出さず、棍棒を残りの三人に向かって突きつける。
「ただちに武器を捨てて投降してください」
小柄で線の細い青年だと思って侮っていた相手に文字通り仲間が倒され、三人は動揺しているようだった。
三人で一気に攻撃できるほど道幅はない。次に誰が立ち向かうか押し合い譲り合っている。
「投降するつもりがないのなら、一列に並んで順番をお待ちください」
ビリーは立ち上がる時に掴んだ砂利を前方にまき、風に乗せた。
風に運ばれた砂利によって、一番前にいたナイフ男の視界が奪われる。ナイフ男は砂利まみれの顔をかきむしり、涙と唾をまき散らす。
ビリーはすかさず、ナイフ男の腹部目がけて蹴りを放った。綺麗に鳩尾に入り、男の身体がたたまれたように折れる。とどめに、下がった頭に棍棒を叩きつけた。嫌な感触が手に伝わってくる。運が良ければ死んでいないだろう。
続けてビリーは地面に倒れ伏した男のナイフを回収した。呆然とこちらを見ている方の男を狙って投擲する。もう一人の男は木切れを投げ捨て、逃げようと背を向けていた。
ビリーは追い風を吹かせ、ナイフの軌道を補正をする。ナイフは吸い込まれるように、逃げる男の背に突き刺さった。男は顔から地面に滑りこみ、そのまま動かなくなる。
最後に残った男は完全に戦意を喪失し、その場に崩れ落ちた。棍棒で頭部を殴打すると、あっけなく昏倒する。
しょせんは数を恃みにした連中だった。
「見事なものだな、ビリー・グレイ」
感心したように拍手をしながらアズールが近寄ってくる。
素直に褒められ、ビリーは自分の顔が緩むのを感じた。
「しかしまさか素手で制圧するとは。その剣は何故使わなかったんだ?」
アズールは、ビリーが腰に帯びている剣を指さす。
規則で帯剣しているが滅多に市中で抜くことはない。騎士団では刃傷沙汰もご法度だ。凶悪な犯罪者に遭遇するか、命の危機が迫った時、貴族以上の者が危険に晒された時など緊急性がある場合以外は、基本的に徒手空拳やその場にある物で対応する。
今回は貴族以上の者の危機ではあるが、抜刀した理由からアズールのお忍びが露見するのはまずい。
「騎士団の規則です。治安を維持する者が無闇に刃物を振り回すわけにもいきません。帯剣しているだけで充分抑止力になります。今回は私的な襲撃だったようで、抑止も何もないですが」
ビリーは真実の一部を話し、倒れているならず者たちに目をやった。まだ全員気絶しているようだ。
念のため縛りあげておきたいが縄の持ちあわせがない。脱がせた服で拘束してもいいのだが、アズールの目の前でやるのは流石にはばかられる。
「ガルシア家の手の者か」
アズールは目元を険しくし、断定するように言った。
「棍棒の男が『あんたをちっと痛めつけるだけで』とビリー・グレイを見て言っていた。それについては言葉のあやかもしれん。だが俺のことを気にする素振りすらなかった。こいつらの狙いは確実にお前だ」
アズールの発言にビリーは少し驚いた。アズールは意外と目端が利く。
「狙いが私であったとして、誰の差し金かまでは特定できないでしょう。食い扶持に釣られるような方々の所に、本人もしくはその近しい人物が直接頼みに行くとは思えません。間に人が入ると、大元を突きとめるのが難しくなります」
ビリーは一番近くに倒れている男のかたわらにしゃがみ込んだ。携帯しているナイフで、男の頭を覆う布を切り裂き素顔を暴く。
「獣人……」
アズールは驚いたような声をあげたが、ビリーにとっては予想の範疇だった。
顔を知られたくないだけなら、人間は口元だけを隠す。わざわざ頭頂にまで布を巻くようなことはめったにしない。頭全体を隠すにしても、袋状の物を被って目と口の所に穴を開ければいい。
だが獣人は違う。耳でバレる。アズールのように耳介が人間と同じ位置から生えているなら別だが、たいていは頭頂部だ。布で押さえつけなければシルエットで獣人であることが特定されてしまう。
「確実にわかるのは、襲撃者が獣人である、ということくらいですね。他の三人もおそらく獣人でしょう」
三人、と口にした時、ビリーは違和感を覚えた。
地面に倒れているのは三人。ビリーが打ち倒した襲撃者は四人。一人いなくなっている。
ほとんど同時にアズールも気付いたのか、やや焦ったようにビリーの顔を見た。
次の瞬間、近くから男の悲鳴――苦痛に満ちた断末魔が聞こえてきた。




