3-7 帝国騎士団副団長ジーン・フリン
逃げた獣人のあとを追った先で、最初にビリーの目に飛び込んできたのは冴え冴えときらめく白刃だった。
刀身は血に濡れ、赤い液体を滴らせた切っ先が、地面に仰向けに倒れた獣人に向けられている。
「あなた、は……何を……何をしているんですか!」
獣人の胸部を踏みつけ、剣を突きつけている赤髪の男――帝国騎士団副団長ジーン・フリンに向かって、ビリーは震える声で叫んだ。最悪の事態を想定し、剣の柄に手を添える。
副団長であろうと、市中でみだりに剣を抜くこと、その刃で人を傷付けることは禁じられている。むしろ規範として、率先して遵守しなければならない立場だ。
ジーンは顔を上げ、ビリーと、そのすぐ後ろにいるアズールの姿を確認した。
「義兄上か。後ろの方は見覚えがある気がするが、まさかこんな所にいるはずもない。他人の空似、というやつかな」
感情のない声でとぼけると、ジーンは靴の踵を獣人の肩に押し当てた。そのままえぐるように踏みにじる。何故かぐちゃぐちゃと湿り気のある音がした。
よく見てみると、獣人の身体には肩から腰にかけて斜めに切られた形跡がある。
「っ、がっ、ぎゃああああああっ!!」
獣人の口からほとばしる絶叫と、無表情でいたぶり続けるジーンの姿に、ビリーは足がすくんでしまう。やめさせなければいけないのに、踏み出すことも剣を抜くこともできない。
「やめよ、ジーン・フリン。俺の前で狼藉を続けるつもりか」
ビリーをかばうようにアズールが前に出た。ターバンを外し、軽く頭を振る。長い髪と長い耳が重く揺れる。
ジーンは足を動かすのをやめると、改めてアズールに視線を向けた。
「やはりよく似ている。だが、ここに皇帝陛下いらっしゃるはずもない。似ているだけの別人だな」
どういった思惑か、ジーンは頑としてアズールのことを認めない。
「ま、義兄上も知りたがっているようだし、面倒だが教えてやろう。これは狼藉ではない。正当な処罰だ。このドブネズミにも劣る獣人は窃盗や傷害を幾度となく繰り返し、騎士団で指名手配していた者だ。たまたま奥から走ってくるところに出くわし、捕縛しようとしたところ抵抗され、やむなく剣を抜いたまでだ」
「……ジーン・フリン副団長。やむなく剣を抜き切り伏せたのち、この者をいたずらに傷付けたことについて、一片たりとも正当性が見受けられませんが」
ようやくビリーは口を開くことができた。アズールの隣に並ぶ。
婚約者だった頃からジーンのことは好きでも嫌いでもなかったが、薄気味悪さは感じていた。顔立ちは整っているのに、声音や言い回し、目の動き、表情などに纏わりつくような何かがあった。
「騎士団内に、獣人族に対してのみ苛烈な取り締まりをしている者、反獣人主義と疑わしき者がいるとの報告があがってきています。よもや副団長のことではありませんよね」
剣の柄を握るビリーの手に力が入る。
こんな形でジーンを問い詰める機会が訪れるとは思わなかった。
言動から鑑みて、ジーンが反獣人主義である可能性は高い。それだけで皇帝暗殺未遂の犯人であると断定はできないが、疑惑は強まる。
「反獣人主義、ね。こういうことかな」
ジーンは鼻で笑い、日常の動作と同じ容易さで剣を振るった。
獣人の耳が根元から削ぎ落される。いびつな三角形の肉片が地面にぽとりと落ち、断面から勢いよく血が噴き出る。
獣人は耳があった場所に手を伸ばし、血で手が濡れた瞬間に発狂した。先ほどの比ではない声量の咆哮を轟かせ、頭を抱えてのたうち回る。髪や顔が血にまみれ、それに比例して瞳から精気と正気が失われていく。
その様子を見て、ジーンは面白くなさそうに笑い声を上げた。
「ああ、死にかけの虫けらみたいだ」
「――頭イカレてんのかジーン・フリン!!」
クベリア辺境州時代の荒い口調に戻ったビリーは体当たりする勢いでジーンに組み付いた。ジーンの背が路地脇の塀に強く打ちつけられる。
ジーンは抵抗するでもなく、嘲るように笑っていた。
頭に血がのぼったビリーは感情の赴くままジーンの胸倉を掴み、首を絞めあげる。
「そういえば義兄上は意外と口が悪かったね。いや、口が悪かったのは我が元婚約者か。片割れを亡くしたショックで口調を引きずってるのか」
「黙れよジーン! 余計なことを!」
ジーンの言動はことごとくビリーの地雷を踏み抜いていく。
ビリーは絞め落とすつもりで気道を圧迫する。見る見るうちにジーンの顔色が変わり、次第に笑みと余裕が失われていく。
ようやく状況を察したジーンは、ビリーの腕をタップして両手を顔の高さに上げた。
ビリーは仕方なく会話ができる程度に力を緩める。
「ぅぐっ……ごほっ……まったく、そんなに怒ることないだろう。んんっ、犯罪者を罰しただけだ。何が悪い」
ジーンの口振りに、ビリーは力を緩めたことをすぐさま後悔した。
「あんたには何が悪いのかもわからないのか!」
「不真面目な末席が急に正義感なんか出してどうした?」
「別に正義感なんてご大層なものを掲げてるわけじゃない。少なくともあんたよりは真っ当な感覚を持っているつもりなだけだ。こんな屑だとわかっていたなら、フィオナを嫁がせなどしなかった」
こんな男の隣で、フィオナは何を思って暮らしているのだろう。
それを考えるとビリーの心は鈍く痛んだ。
「獣人にだとて俺たちを虫以下だと思っている輩はいる。お互い様だ」
「ジーン、あんたが腹の中でどう思っていようがそれは自由だ。だが実際に獣人を虫けら以下として扱うのは違う。あんたがやったことは傷害であり殺人未遂。騎士団の名を汚し、人道にもとる行為だ」
「はっ、居丈高に人に説教してさぞ気持ちがいいだろう。騎士団の名を汚しているのはお互いさまじゃないか。色仕掛けなんぞで近衛騎士に引き立てられて自分が偉くなったおつもりですか、義兄上」
ジーンの手がビリーの銀の髪をひと房すくい上げた。いやらしく口の端を吊りあげ、いかにも恭しく髪の毛にくちづける。
「本当にお前たち双子はそっくりだな」
言動のおぞましさに、ビリーは強烈な吐き気を覚えた。胃から何かがせりあがってくるのがわかる。




