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だけど自分はそんなに太宰が好きじゃないし、どちらかといえば白樺派のほうが読んでてしっくりくるし、しっくりくると言っても作風がしっくりくるというだけで、その辺のカテゴライズは自分にはよく分からないし、ロマン主義だって写実主義的な作品を書くこともあれば、その逆もまたしかりで、わざわざカテゴライズする意味が、教養のない自分には珍紛漢紛で、例えば村上春樹の作風はマジックリアリズムかという話になったとき、あれはシュールレアリズムではあるけどマジックリアリズムじゃないよとという人間がいて、だけど他ジャンルから作風を文学に持ってくるスリップストリームは、広義の意味じゃマジックリアリズムに含まれるといういし、そうなると村上春樹の作風はマジックリアリズムであり尚且つシュールレアリズムでありスリップストリームでありその他自分が知らないだけでその手の属性を付与しようと思えばいくらでも出来るわけで、そうなるとますます作家をカテゴライズする何て作業を、どうしてわざわざするのか、考えれば考えるほどわからなくなって、自分からしたら作家の単純化だとしか思えなくて、こんがらがった頭を抱えたまま、狐狸庵に逃げ込んだ自分は、そこで誇張という名の脚色を施した、愉快な生活を送る狐狸庵先生と出会い、獅子と狼とはどう対峙しらよろしいのですかと聞いてみて、知らんと一喝されて、エレベーターは四階を通り過ぎて、庭に降りてみた僕は、みすぼらしい木の植わった庭に、悪態をついてみようと思ったが、読者から送られてきた私小説に苦しむ先生が、気の毒になった自分は、そのまま狐狸庵を後にして、今ではすっかり整地され、左右どこを見渡しても屋根ばかりのこの風景が、半世紀前には狐狸も出る自然豊かな地だったとは到底思えず、見事にベッドタウンと化した玉川に別れを告げた自分は、そのまま電車に揺られて、空想の中で昔をしのび、神田に降り立った自分は、ここでも何かが変わり続けていると、その何かは分からないまま、確かに音を立てて回るその何かに、自身の無力を突き付けられ、ふらふらと入ったランボオでお茶をして、女中と遊ぶ梅崎春夫や椎名麟蔵や武田泰淳の影を探してみたが、ほぼ一世紀という歳月は彼らの影をどこかに隠し、今では生身の彼らを窺い知ることすら叶わず、白黒の写真の中で煙草を吸い続け、タバコの吸えない自分は紫煙の臭いも想像する事が出来ず、ただ、羨ましく写真を見つめ、




