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その最弱は力を求める  作者: コトユエロテイ
第2章【正義争奪の罪人達へ】
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30.【悪魔ノ証言】


 ミカミ・アキト率いるアタモスファータ。その主戦力であるカルバラ・グリフィルトとハーリバーの奮戦により、竜伐約二名を無力化させることに成功した、ウドガラドを襲う反逆者。

 そして、そんな主戦力と称される三人の中で、魔力を一切持たない異分子である少年、マリィ・ファンクランド。ファンクランド・ファミリアの末席からその名を授けられ、同時にこの世界での生を享受した暗殺者。

 その手腕は、白昼堂々致命傷を成し、暗がりの中で四肢を断ち、暗中、必中の死をもたらす。


 暗殺者の領分である奇襲と闇討ち、一撃必殺の無理解と意識の消失は、その暗闇では最強の一手となる。

 それこそ、竜伐内で一番厄介な相手を殺しても、釣り銭がくるほどに。


 そんな適材適所中の適材適所で、アキトはその状況下で最強の手札であったマリィを使い捨てた。

 一番最初にアキトを救い、一番最後にアキトに笑う。最大限の悪意を込めた、彼女の一矢を折るために、アキトはマリィを用意したのだ。

 そんな彼女を助けてしまったアキトは、よくよく考えれば戦犯だ。これが敗北に直結した場合、敗因を担うのは彼であり、例え勝利したとしても、そこに遺恨は確定する。

 がしかし、それが許されるのがアタモスファータであり、ただ一度きりの反逆軍に、遺恨の遺る余地はない。


「マリィ、演技は……いや、いいか。竜伐の資格がどれだけ効果があるかもわかんねえからな。」


 アキトの声は、虚空、イコールマリィを指して、要望に観測を含めて思考した。


 参謀本部、ウドガラド防衛作戦で、彼らはアキトたちを足止めし、そこから籠城戦へと移行。その全ての時間でもって対抗策を模索し、やがてアタモスファータを掃討する。これが、目下ウドガラド側が行ったアキト、アカネたちへの応急措置だ。


 しかし、ここでアキトの絶対手とウドガラドの最善手が(たが)った。


 アキトの予想したウドガラドの勝利への最短距離。それは、アキトたちの進撃に一切関与せず、王城へと誘い込み、ウドガラドの国王の喉笛を、蛮族の牙が噛み千切る寸前。歴代のウドガラドが受け継いできた王家の獣でもって抹殺すること。

 つまるところ、アキトたちが求めてやまないその魔法そのもので、アタモスファータを殺す。それが、ウドガラドの絶対手である。とアキトは決定づけた。


 もちろん、今となってはそれが予測と違ったため形無しだが、ただ己が命だけを鑑みればいいアキトと、国の存亡を背負った参謀本部とでは、選べる選択肢の幅が圧倒的に異なるというのは自明の理。その読み違いは、必然であるとも言えた。

 だから、アキトは王城に誘い込まれた時の作戦を用意していた。といっても、アカネ頼りの力任せに近いものではあったが。


 しかし、アキトたちが求められるのはウドガラド王城を戦場とした籠城戦。

 互いに決定打を欠き、ウドガラド側からすれば、時間稼ぎと敵への猶予を併せ呑む、どうにもわかりやすい諸刃の剣。


 ウドガラドが望んでいるのは、対抗策を見つけるまでの間の猶予。

 籠城戦を考えていなかったアキトたちアタモスファータが、一番ウドガラドに対して有利に立ち回れる方法。


「アカネ、月界を頼む。マリィに竜伐の徽章の価値を調べてもらう。それを確認したら、スピード勝負の強襲だ。」


 レンズが曇る。爪で拭う。


「猶予を切り詰めて、脳を切り取る。今選べるのは、最善手だけ。絶対手のための、下準備だ。」


 アカネが嗤う。マリィが頷く。


 ミカミ・アキトは(籠城戦ハ、)敵の盤上を許さない(棄却サレタ)



 アカネ・アーバリシア、疑似月界『葬喰の聖域エルダー・サンクチュアリ』月界領域内部。

 真っ暗な世界の中心、曇天を千切って造形したような不穏なソファが、尊大に安置されていた。

 闇に紛れるはマリィ。闇を生み出すはアカネ、そして、その闇に呑まれるのがアキトだ。暗雲で形作られたソファの上で、アカネの長い腕で拘束されたアキトは、慣れた様子でそれを黙認した。

 体全部でしなだれかかり、五人は座れるであろうソファをアキトとの逢瀬に使い果たすアカネは、アキトの胸に顔をうずめて「んふふ……」と情けなく鳴き声を漏らした。


「取り敢えずの方針を話したいんだけど……アカネ……?」

「うん……」


 惚けるように、うわ言のように呟かれた承認は、悪魔の子であるアカネの相槌。彼女が作戦に関しての声を聞き漏らすことは、その相槌の通り無いだろう。

 絶対匂い嗅がれてる……、と苦笑しながら、アキトはそれを意識から排除した。


「それじゃ……。相手は、籠城戦の準備をしてる。俺たちの侵攻を遅らせたいってのはエンテンシャーを壊した時点で察することができるから……。目指すべきは、敵が用意してる()()()()()()で、籠城戦以外の方法で立ち回ること。」

「……うぅ~ん……じゃあ、私の月界でさっさと移動して、籠城戦に移行される前に最初の作戦通り魔法を狙う。それが、ミカミくんの考えていること、で合っているかい?」

「ああ。まぁ、多分作戦通りとはいかないだろうけど、要はそういう事だ。」


 いかに相手の盤上で、自分たちらしく暴れられるか。その盤上の主を、奪い取れるか。

 アキトたちがウドガラドの籠城戦の盤上で、強襲作戦を実行できた時、戦場はアキトたちアタモスファータに流れる。


「マリィに対する反応を見るに、ウドガラド側の兵士も、竜伐の徽章には敏感にならざるを得ない。」

「ミカミくんがさっき確認させたのは、そのことか……」


 数分前。アカネの月界による高速移動を開始する前、アキトはマリィにリディアの徽章を託し、エンテンシャーのトンネルで臨時の検問を行っていた兵士にそれを提示させた。アキトたちは、少なくともウドガラド騎士団に所属するアニマ・アルサーを戦闘不能に至らしめている。

 月界を悟られている、とまではいかないが、アキトたちに対するウドガラドの警戒度は心底高い。つまり、検問と称して配置された彼らは、敵の大将を相手取るに足る兵士たちだったはずだ。

 そんな彼らが、リディアの竜伐の徽章を見せた途端、戦意を解いて意図も容易くその道を拓いてくれた。もちろん、マリィという無垢な子供一人だけだったのだから、リディアが助けた子供が襲撃者の脅威から逃れてきた、と考えるのが自然だ。彼らの判断はなにもおかしくない。

 しかし、それと同時。その徽章は、それほどの意味を持つ、と。アキトに、確信させてしまった。


「竜伐がウドラガドの中でどこまでも腫れもの扱いってのは、存外本当だったみたいだな。」


 竜伐。突如の災害を、たった三人の少女に担わせた血みどろの徽章。

 栄誉も責任も関心も、なにもかもを彼女たちに背負わせて手打ちとなった黒竜討伐戦。本来ならば、その突如の階級番狂わせに大々的な動きがあるものだ。

 しかし、それを授与したのが、騎士団であり王剣の一族であるアンスタクト家の当主であったり、これまた王剣の名を拝謁したウドガラド最強の結界述師であったり、目麗しいか弱い少女であったりしたことで、そこへの風当たりは表向きでの存在を許されなかった。

 仄暗い裏側の雑踏で、嵐の如く席巻する嫉妬と怨嗟は、そのガス抜きの難しさも含めて、竜伐への扱いにくさを助長する。

 故、竜伐の名を出された兵士たちは、剣の切っ先を下ろすしかない。


「彼女たちは、下手をすれば騎士団序列を駆けあがれる可能性すらあるからね。というか、一人は駆けあがってしまったわけだからね……戦闘狂揃いの騎士団はともかく、それ以外の王城直属の人間は、常に背に刃先を突きつけられているような気分だろうね。」

「しかも、その原因が自分たちよりもはるかに若くて可愛い女の子ってか……」

「……、……」

「いや……なんでそんな目で見るんだよ……」


 竜伐の厄介さと共に、アカネの厄介さも突いたアキトは、自分の腕の中からジト目を向けられ、目を逸らしつつ冷や汗を垂らす。

 安っぽい抱擁でアカネの機嫌を取って、想像以上の表情の蕩け振りに冷や汗の軌跡を後悔しつつ、アキトはマリィから預かった徽章を闇に透かしてみた。


「……王城までは、アカネの月界でほぼ誰にも見つからずに直行できる。使うとしたら……」

「ミカミくんの作戦で考えられてる通り、王城に到着すれば、なにかしらの戦力が私たちを待ち構えている。それを加味すれば、手は一つでも多い方がいいんじゃないのかい?」

「……そうだな……これは、俺が持っててもいいか?」

「もちろんだとも。ミカミくん」


 ずっしりと重い、リディアが、アンスタクト家の当主が、ウドガラド最強の結界術師が、その胸に煌めかせ続けてきた、その背に背負い続けてきた重荷が、意図も容易く、アキトの指先で光っている。


「着くよ、ミカミくん。」

「ああ。」


 刹那、指先。月界因子が揺らめき立つ。

 あの一年前の惨劇から、ただの一度も使ってこなかったミカミ・アキトの唯一が。


「行こう。」


 きっとその時に、終息する。



 王城地下、シェルターを置いたその場所への一途は、アキトたちの眼前、不自然な地盤湾曲。つまるところ、魔力的な干渉によって、完全に塞がれていた。亀裂一つないそれが、ただの一瞬で作り出されたことを示すように一切の魔力の充満を感じさせない。

 流石は王城の守りと言ったところだろうか。特級レベルの魔術一発、ただそれだけで、その巨大なトンネルを塞いで見せたのだから。


 岩盤ごと歪ませたのだろう。歪んだエンテンシャー用感応灯と壁面塗装が、醜くひしゃげて地面を打っている。ゴミのように放置されたそれらは、アキトたちの未来を暗示させるように、自分たちの崩壊の腹いせを体いっぱいに張り巡らせた亀裂と陥没で存在を主張する。

 踏み砕いたアカネは、それに気付く足裏の感触すら煩わせることなくアキトをじとり、と視界に入れて、滾る内心の劣情を心根で反芻した。


「ミカミくん……作戦の懸念点。これは本当に私の我儘なのだが、少しだけ、念を押させてはくれないかい?」


 努めて、アカネは瞳から流出する感情に劣情を催した。単なる愛情では悟られる。その純粋無垢で透明の、キラキラと輝く愛情の中は、彼に透かされて然るべきだ。だから、彼が感情を読み取っても、中を覗き見れないほどに粘性で、ドロドロで、堪え切れないほど甘ったるい欲情でもって、アカネは想いを覆い隠そう。

 純粋無垢な劣情に忍ばせた、純粋無垢な愛情を、ただ、青年に弾き出す。


「闇魔術の精神干渉、つまるところ洗脳だ。」


 アカネの口から甘やかに語られる、カルト的な魔術。

 しかしその実、彼女のそれはどこまでも実戦的だ。先刻、アニマ・アルサーを吹き飛ばした攻撃。それなりの鍛錬の果て、身体的に習熟した彼を吹き飛ばしたのは、アカネの体術によって繰り出された力と、その刹那に垂らされた、闇魔術の精神干渉。

 実際はアカネから格闘技レベルの攻撃を受けただけなのにも関わらず、『自分は首が吹き飛ぶほどの衝撃を受けた』と春刹に誤解させる精神干渉。

 想像と現実のギャップは、肉体の感覚を誤認させ、精神の余裕を摩耗させ、眼前、敵への恐怖を再燃させる。それほどまでに、アカネ・アーバリシアという探求者の闇魔術はおぞましいものだ。

 それこそ、味方にすら恐れられるほど。


「ミカミくんに、精神干渉を掛ける。もちろん、認識に影響を及ぼすには至らないさ。ただ、魔力的な干渉の跡と、()()()()()()()()()()()()を引き起こせるだけ、さ。」

「……!無意識か……」


 思い当たるのは、これから切られる火蓋の、その砲身が向いている方向。それが撃ち放たれる戦場の予想。そして、その戦場を誰よりもシュミレートしたのは、作ろうと画策したのは、ミカミ・アキトだ。

 彼以上にそれを感じることのできる人物は、触れられる人物は、アタモスファータの中であったとしても一人もいない。

 ただ、彼一人だ。


「お前が言うなら、多分それがいい。頼んでいいか?アカネ。」


 刹那、痛痒。乙女は云う。


「ミカミくんに洗脳なんて……へへ……なんだかドキドキしてしまうな……」

「台無しだよバカ」

「いてっ……むぅ~、場を和ませるためのジョークじゃないか……私がこの場で欲情する程節操なしに見えるのかい?ミカミくんは……!」

「割と見えるよ……」


 一瞬で瓦解した真面目なムード。亀裂に触れたのは、黒の彼女だ。

 深く、突き立てられた指先が、アキトの脳髄リソースをほんの少しでも逼迫することを期待して。その不自然から、目を逸らさせるように誘導して。


「行こうか、ミカミくん。()()を呼ぼう。」


 アカネの瞳から、表情が絶える。



 竜と龍の違い。

 竜とは。かつてウドガラドを襲い、そのあまりの被害の大きさから、竜伐という生贄を作らざるを得なくなったほどの怪物。魔獣の王と呼ばれる、魔力保有知的生命体で、現存しているうち人間の次に発達している種である。

 つまりは、人間に次ぐほどの知能と、魔力的な行動力を持ち、単騎戦力でぶつかり合った場合は、人間を遥かに凌ぐ戦闘力を持った存在。


 では、龍はどうだろうか。

 端的に言えば。確定した存在の中で最も強いのが竜だとするのなら、龍は。


 神話にも近しい、存在を疑われるもののなかで最強だと言えよう。


 こんな話がある。

 世界の果て、果ての果て。グランティアを取り囲む果ての山脈、聳え立つ世界試練と称される山脈、アンティラウンドの更に果て。あまりの魔獣の量と魔力濃度によって死域となった外界の更に果てには、几帳面にそそり立つ、真っ直ぐな壁がある。

 その上に何があるのか、そして、その上に何が()()()()

 それは、彼の初代賢者、メデル・テンプルですら知らず、かつての暗き世界の賢者も尊んだとされる人類原初の探求心。誰も知らないがゆえに、誰かが言ったそれが、正しいのかすらわからない。

 けれど、それに縋りつくことが、その存在が、今のこの自分たちの生活こそが、その証明であると。


 曰く、果ての壁の上の世界には、人智の及ばない存在が蠢ている。

 故に、彼らから私たちの世界を守る守護者が、果ての壁には漂っている。


 境界の守護者たる龍、四大守護龍が、立ち塞がっている。


 子供用の児童書から、大人用の学術書のさわりまで。様々な文献に顔を出し、脈々と憶測の中で生き続け、続々と畏怖を増し続けるそれらが、果たして存在しているのか。

 もちろんわかるはずがない。なぜならば、誰も見たことがないから。

 誰も遭遇したことのない存在の証明は、できない。悪魔の証明に、知能の良し悪しはもはや関係ないのだ。

 だから、誰もそれを知ることはない。

 それほどまでに彼らは、


「龍はいるよ?」


 ガタン、と装丁が机を揺らして、中身を溢しそうだったマグカップを急いで掴んだ。

 少しでもウドガラド攻略の糸口になれば、と。魔力学の学術書を息抜きの言い訳として読んでいたアキトは、アカネの口から何の気なしに零れたその言葉を上手く掴み取ることができなかった。それを簡単に把握できるほど、アキトはファンタジーに毒されていなかった。異世界という超ファンタジーに転移して尚。


「ま、待て待て!それ、それ、お前それは……いや、えぇ……」

「なにをそんなに動揺しているんだい?別に、そこまで驚くべきことを話したつもりはないんだが。」


 さもありなんと首を傾げるアカネの口腔、果たして、彼女の口から出てくる言葉は、こんな雑談で浪費していいものなのだろうか。アキトはそれが甚だ疑問でならない。

 傍聴者が傍聴者なら、彼女は稀代の登壇者だ。詰めかけた知識人たちによって、開かれた講義の席は瞬く間に埋まってしまうだろう。


「いや、仮に!仮にお前がそれを知っていたとして、……それを証明することができるのか?悪魔の証明みたいなことなら、世間は信じないぞ……!」

「悪魔の、証明……?ミカミくんは、なににそんなに追い立てられているんだい?」


 アキトの想像以上の剣幕に、どこか困惑しながらも、アカネはその表情をさっさと我が物にして、この議論の発端となったその口で少年へと問いかける。


「君の言う悪魔の証明ではないが、私にも、証明の手立てくらいはあるさ。」


 聞きたいか?と。聴くまでもない問いかけを、常識外の彼女が、まだ常識の内にこもっていたいと叫ぶ少年に、投げかける。差し伸べられた手は、酷く恐ろしく、少年の何もかもを変えてしまうものだろう。

 自分の常識が崩れ落ちる瞬間は、自分という存在の信じたものが瓦解する瞬間というのは、存外ショッキングなものだ。アキトからすれば、実は神という存在が物理的に存在する、と証明されるが如き所業なのだから。それから逃れたいと思うのは、実に正常な反応だ。

 しかし、その鮮烈な体験故に、またそれに捕らわれる者もいる。

 それこそ、一度、常識を崩されて。瓦解させた手を取ったことのある者なら尚更。


 あの日、アカネという常識外の手を取ったアキトからすれば、尚更。


 ぐっと歯噛みしたアキトは、マグカップの中身を一気に飲み干して、これから自分に入ってくるであろうそのおぞましい情報を呑み込めるように瞳を閉じた。閉じた瞼の裏で、信じたアカネの手を取った。


「悪魔の証明ならぬ、悪魔の証言、という趣向はどうだい?ミカミくん。」


 悪魔の証明。悪魔という架空生命体が、()()()()()とする主張に、では()()()()()()()()()()をしろ、と迫る比喩表現だ。

 つまり、存在の証明が困難である悪魔に、不在の証明という無理難題を押し付けることで存在の余地を生み出す大掛かりな揚げ足取り。登場すれば話がこじれること請け合いの厄介な論法である。


 アキトは、アカネにそんな悪魔の証明のような論法で『では龍がいないと証明できるかい?』と聞かれるのではないか、と危惧していた、というかそうであればいいな、と楽観していたのだ。

 ここまで焦っている時点で、アキトがその可能性に対して期待していないのは、アカネには筒抜けなのだが。

 そんなアキトの悪魔の証明を容易に覆し、『悪魔の証言』と題したアカネは、怪しく口角を歪ませて瞼を閉じた隻眼を光らせる。


「悪魔は言ったのさ。刺激を求めて、欲望をその手に、退屈に飽いて、命を縛られて、自分たちは来た、と。」


 アカネから立ち上る空気感が、あまりにも自然に凶悪な気色を見せていたから、アキトは思わず生唾を呑み込んだ。アカネとともに暮らし始めてから数か月。彼女のただならない気配も、何の気なしに国崩しに手を貸す倫理観も、それなのに自分を救ってくれたギャップも、知り尽くしたつもりだった。

 深淵を、過信していた。

 自分はまだ何も、見えていなかった。


「私たちが生きる世界、グランティアを求めて、悪魔の皆々様はわざわざ境界を超えて、山脈を越えて、この世界に踏み込んできた。それこそ、魔力の薄い、息苦しい世界なのに、ね。」


 彼女がつらつらと語るそれが、やけに具体的で、それでいて、主観的で、その上で、誰かの言葉を借りるような第三者的だったのが、とても気になった。

 いや、もしかしたら、この時点で若干気付いていたのかもしれない。

 なにせアキトには、既に悪魔の証言というタイトルが告げられているのだから。ラブソングというタイトルを聞いて、ドゥームメタルを幻聴するやつはいない。ただのバカかカテゴリーエラーだ。

 だが、ミカミ・アキトは無能であれどバカではないし、アカネという探求者の真髄はカテゴリーエラーから乖離しすぎている。

 続く言葉は、アキトの予想を外れることがない。だからこそ、アキトの背を撫でる恐怖は、際限がない。


「私は聞いてみた。ここまでの旅路は、快適だったかい?とね。そしたら彼、というか彼女かもしれないが、まぁともかく、何と言ったと思う?」

「うぐ……」


 ここまで答えたくない質問も、中々久しぶりだったろう。

 だが、まあなくもない答えたくなさだ。

 樹林を幻視して、アキトはさっさとサビを聞いてしまうことにした。波乱のギターソロが入り混じるのであろう悪魔の証言のサビを。


「でっかいトカゲと戦うことになった、ってオチか?」

「残念っ!惜しいねミカミくん。正解は、でっかい鯨さ。」

「鯨……?」


 アキトの想像したそれ、つまり、アカネが悪魔から証言された龍の存在こそ、悪魔の証言だ、という想像。それが、アカネ自身の言葉によって否定される。

 そして同時、アカネが悪魔と言葉を交わしたことが確定した上、悪魔の存在までもが証明される。

 が、アキトの興味は既にそこになかった。耳朶に引っかかったのは、アカネから飛び出した世界最大級の巨大哺乳類の名前。

 鯨である。


 異世界、というかグランティアには海が存在しない。巨大な湖や、海と同じレベルの水は存在するが、塩を含有し、数多の生命の生みの親となるほどのクリエイティビティに満ちた海原は、残念ながらない。よって、そこに息づく海洋生物も、鯨も、このグランティアには存在しない。

 アカネたちグランティアの人々が言う鯨というのは、所謂魔獣のことだ。

 アキトの知る鯨とは、規模も被害も凶暴さも桁違い。水中で活動し、陸上でも生存することができるほどに生命力が高く、魔獣の中でも知能が高い、凶悪なフォルムの海洋魔獣である。

 アキトの想像する龍とは似ても似つかないものの、それは確かにこの世界に存在するものだ。


「彼が言うには、その龍は自らをこう名乗ったらしい。」


 アカネが抑えられない知的好奇心を露呈させながら語る。悪魔の証言。


「境界を守護する四柱の龍の内の一柱。越境の悪魔たるお前たちを屠る断罪機構。」


 告げる。


「その名を、廻龍『ユルカナミシス』とね。」


 存在が限りなく確定し、気安く肩を叩くように現れる新常識。

 だがしかし、アキトは知っている。これから背中をどつくように現れる新常識は、もっと頭の痛いものである、と。

 彼女が悪魔の証言だなんて題した時点で。自分が、悪魔の証明、だなんて洒落た言い回しに酔ったせいで。いや、どうせこうなるのは決まっていたような気もする。と、廻る思考に陥って、ぐちゃぐちゃのアキトは諦めるように聞いた。


「それで、アカネはその話をいったい誰から?」


 きょとん、としてアカネは小さく噴き出して「そういえば、言っていなかったね」と、まるで伝え忘れていた小さな言伝を現すみたいな気軽さで言い放った。


「もちろん、私が契約した悪魔からさ。」


 悪魔の子。

 のちに、龍と同じレベルで浸透する伝承であると知るその概念が、なによりも輝かしくそこに屹立している。

 にっこりと微笑みながら。


「どうしたんだい?ミカミくん」


 なんて、無垢に自分の名前を呼びながら。


 確かに、存在している。


 不在の証明を求めた悪魔の証明は、どうにも。この世界では、存在の証明を根拠として否定されるらしい。

 それも、悪魔の証言によって。


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