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最終話

 任期の尽きる夜。それも随分と深夜に、しばらくの間は王子の居室を訪れることもなかった娘は、これまでに見たことのないような焦りと興奮も露わに、突然やってきた。

 そして揉めるような声が聞こえる間があったかどうか。次に出てきた彼女は、あろうことか第一王子を引き摺って再び駆けだしていった。

「あの田舎娘っ」

 普通なら、拳か、より悪ければ白刃か、振り下ろされていたことだろう。大胆過ぎて一瞬は呆気にとられたことは認めねばなるまいが、捕えることのできぬ速さでは断じてなかった。彼らは、護衛として帯剣を許されている。

 悪態を吐き自らも追おうとしたルドヴィクを、エルウィンは軽く服を引っ張り留めた。軽く。

「それは野暮ってもんだよルド。だから君はモテない」

「うるせえ、軽口叩いてる場合か」

「ルド、彼女は魔女じゃない(・・・・・・・・・)よ」

 鼻を鳴らしエルウィンの手を振り払うと、ルドヴィクは渋々といった様子で腕を組む。

「……何かあったら、今度こそ俺らはアルジズに殺られんぞ」

 いつも通りさらりと受け流し、エルウィンは相方の言葉におどけたように肩をすくめて見せる。ウィアドの前では決して口にすることのできない冗談だ。

「大丈夫さ。彼は仲間の命を奪う事なんて、優しすぎて出来やしない」

「知ってらあ」

 不謹慎と言われようが、彼らの間ではこのくらいが丁度良い。王子とて理解はしている、とエルウィンは思う。あの憎めない剣士は王子を守ることを身上としてきたろうが、その地位を目指したのは人間を辞めるためではないのだから。

 ルドヴィクは開きっぱなしの扉を、相変わらずしかめ面のままで、しかし響かないよう静かに閉めた。そして元の位置で護衛を再開する。それはもちろん、彼が本当に疑っていたのなら、息せき切って駆けてきた少女をうっかり(・・・・)見逃したりはしなかっただろう。

「どうやらお前の眼も悪くなったもんだなあ、エル」

「ふふ、君もね」



「無礼なっ」

 緊張と押し潰されそうなほどの不安と、何より眼前の少女の行く末を憂いていた静かな夜長だったというのに。突如の慌ただしい足音を引き連れて飛び込んできた彼女が、なんとも大それたことに自分の腕を引っ張り外へ飛び出し。そうして連れてこられたのは剣士の墓の前。大切な晩を盛大に邪魔された挙句、それ以上に意味のわからない事態に、珍しくウィアドは不機嫌を露わにした。

 道化師は正しかったのかもしれない。自覚するのは腹立たしいものだが。

 平静を装おうと息を整え、周囲を見渡す。月明かりのもとで黒々と映し出されている、整然と並んだ石達。あまりに必死な様子にとにかく黙って連れられてきたものの、墓地には何の異常もないではないか。ここまで来てから改めて非難を口にしたのは、何事かを確かめるためと、城内で騒いではまた要らぬ面倒を起こすのみと思ったからだ。とはいえ、護衛二人を罰するつもりもまるでないが。

 煌々と月の輝く夜。少し肌寒くはあったが、走った体には風が心地よいほどだった。


 と、唐突に少女は頭を下げた。それは最敬礼ではなかったが、栗色の髪がこれでもかという勢いで跳ねる。

「お許しいただけるとは思っておりませんが、とんでもない無礼を働きましたことをお詫び申し上げます! わたくしはウィアド様に隠し事をしておりました! 信じていただけないことは承知しています、しかしわたくしは父の命へ背くつもりであったのです! たいへん、たいへん申し訳御座いませんでしたっ!」

 一気にまくしたてたベルカナは、「もう、そのことはよい」と言われてさえもずっと頭をあげなかった。

 しかしウィアドとしては想像以上に己が安堵していることに驚いていた。許すと言ったのは本心からだ。せめて――せめて彼女が地下牢に入るまでに、憎しみを引き摺らなくてよかった。

「救われた気がするのは私の方だ。君が最後に正直であったことは、幸福を呼ぶだろう」

「御言葉、ですが……わたしは、地下牢に入る気はございません」

「……知っていたのだな、やはり」

 実際のところ、こんなにも慌てて“今夜”を選んだのだ。ウィアドにはわかっていたことだったが、それを当人から聞かされるのはなんとも惨いことだった。幸福を呼ぶ、という言葉がどれだけ軽薄な響きかも理解していたが、それでも哀れな娘のために祈らずにはいられなかった。

 ベルカナはようやく顔をあげ、そして自分より背の高い王子を見上げた。その眼差しは初めてウィアドに会った時に見せたものと酷似していると、本人はきっと気付いていないだろうが。

「今でも言おう。あの時……私が去れと言った時に、君は拒むべきではなかった。私のために他者がすべてを失う必要など、ないのだ」

「ウィアド様はとてもお優しい方です。アルジズ様に対しても、そう思っていらっしゃる」

 ぴくりと柳眉が跳ねた。わずか逡巡した後、ウィアドは夜空の眼差しを大地へ落とす。

「……馬鹿馬鹿しい。優しさなどではない、自分が責任を負わされるのを恐れているだけの弱虫だ」

 ベルカナはウィアドの強さなど充分に知っている、つもりだ。間近で過ごした期間は短かったけれど、噂に違わぬ、否、噂以上の名君の器であることは誰に対しても断言できよう。自分自身の醜さを冷静に捉えることがどれだけ難しいことか、その上で淡々と生きるしかない道を歩かされる苦痛に、彼は死にたいと零しながらも、結局ずっと耐えてきたのだ。

 そこにこれ以上の責め苦を与えることはベルカナにとっても遥かな苦行だった。だが、不可欠な過程だった。この“残酷な”事実を伝えなければ王子の呪いは解けず、ベルカナ自身は軟禁されることとなる。

「ウィアド様。出過ぎたこととは承知で申し上げます。命を懸けて守りたいと思える方がいたことは、剣士の道を志したアルジズ様にとってこの上ない幸福だったのではないでしょうか。割り切った言い方をしてしまえば――どんな相手を守ろうとするかは個人の自由です。そこに王子様の存在は、これっぽっちも、関与していない」

「酷いことを言う」

 剣士が己を守りたかったと、そう思いたいのなら。何故彼は、剣士が己を呪詛で縛ったと信じているのか。

 それはきっと、そうでもしなければ彼の心は壊れてしまったからだ。

 いつしか沈着であったはずの王子は苦い顔で、白い両の拳を握りしめている。

 間に合うか――ベルカナの内心はウィアドに劣らず猛烈な嵐のようであった。もうすぐ陽が上る。ハティの尾は地平線に消え、対の空から黄金の新たな馬車が駆け出でてくる。

「貴方があの時、いいえ、ずっと望んでいたことは何か? 自分が死んでアルジズ様が生き返ればよい? それともあのとき自分だけが死んだらよかったと?」

 だから言葉が乱暴になってしまおうが、いちいち選んでいる余裕はなかった。

 響け。ただ願いをのせ、凍りついた部屋の扉を叩く、叩く。

「それは」

 事件などない、元の日々に戻ればよいと……

 そこでウィアドも気付いたのだろう。口から零れ落ちた奥底の本心。だが二年にわたり苛んできた幻想から抜け出ることは容易ではない。

「だが……だがアルジズは、確かに私に凶星を降らせると言ったではないか!」

「貴方を呪ったのは、魔女でも、アルジズ様でもありません」


 賭けだった。それを伝えてしまえばどうなるかなど、考えることもできない。

 ふと、あの巫女は知っていたのではないかという想像をした。本当はわかっていただろうに、王子の身を案じるあまり、ずっと続いてきた薄暗い平穏を壊すことなどできなかったのではないだろうか。

 それでもいい、というのはあまりに無責任かもしれない。認めてしまえば彼の心は少なからず傷つく、けれども。

 このまま誰もが哀しく笑い続けたとしても、彼らはやがて緩やかに沈んでしまうから。

 意を決し、息を吸い込む。


「もうウィアド様をゆるして差し上げてください……“ウィアド・アルスヴィズ様”」


 ――陽が上る。白い光が視界を奪うように刺す。満月の日が終わり、少女は王子を見下ろさぬよう膝を着いた。

 ベルカナの任は終わった。そしてどうやら、本当の最後にベルカナの出した答えは、間違っていなかったらしい。

「天狼の星はハティの象徴。ウィアド様に心許せる友をと願ったアルジズ様は、きっと、後悔などしていないと思います」

 不器用な親友に、自らの赴くであろう空から。どんなにか傍についていたかったろう、しかしそれは叶わないと知ってしまった。だから本懐を遂げてさえ、残される周りへ、精一杯の愛を注ぐのだと――。

 ウィアドも気付こうとしたのかもしれない。でなければあの奇妙な呪縛――自分を見守るであろう存在が最も強くなるその夜にだけ、現実を、本来の時間を、彼の心身が歩むことはしなかったはずだ。


『なら、狼の友達はいっぱいだなっ』


 災いの獣と遠巻きに見られていた自分の、押し込めてきた願いを零してしまった、たった一度の会話ですら。

 青年はただ悲嘆に暮れる。なんと優しい友を喪ったのか。そして己は、それを受け入れなかっただけでなく、最後に彼を信じることができなかった。

 その涙が自分のためのものであっても、罪悪感を感じることはなかった。今、真に伝えるべきは贖罪の言葉ではないように思われた。心がばらばらに打ち砕かれた。その通りだ。だが、それならば。

 もう一度、何度でも、組み立てれば良い。焦らずとも目を開いていれば、友は幾らでも傍にいると知る。

「……ありがとう……っ」

 誰へ向けてか呟く。嗚咽を漏らす背をベルカナは静かに擦り、そっと目を伏せた。

 剣士の墓を濡らした夜露は銀に輝き、一日の始まりを告げる小鳥達が彼らの頭上を飛び去っていった。





 やがてこれはずっと後の世に語られる、マーニアの銀狼王とその右腕となる賢者の、神話の一節となる。

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