020 ハッキングバッティング・前編
「それじゃあ、いっちょ派手に始めますか!」
廃ネットカフェのフロア。
ミサゴが背負っていた巨大な黒いアタッシュケースを展開すると、中から六層にも重なる巨大なホログラムコンソールが扇状に広がった。
一方その頃――ヒバリはすでに、TALOS本社の裏通りにある、廃棄物搬出用の巨大な地下シャフトの前に到着していた。
完成したばかりの『耐火・耐熱用の専用アンダースーツ』のジッパーを首元まで引き上げ、周囲を窺う。黒地に赤い防護ルーンのラインが刻まれた、無駄のない機能的なスーツだ。
路地の各所に設置された王都の強固な監視カメラは、ヒバリの姿を完璧に捉えているはずだった。しかし、ミサゴの事前のハッキングにより、カメラが治安部隊へ送っているのは、ヒバリを背景と完全に同化させた「誰もいない無人の路地」のループ映像だった。
『こっちは準備完了よ、ヒバリ。そっちは?』
ヒバリの耳奥のインプラント骨伝導スピーカーから、ミサゴの声が響く。
「僕もいつでもいける。お願いするよ」
ヒバリの合図を受け、ミサゴが両手の十指を鍵盤に乗せた瞬間、その空気は一変した。ただの派手なゴスロリ娘から、世界中のネットワークを蹂躙してきた『伝説のハッカー』としての絶対的な覇気が空間を支配する。
常人の動体視力では指の動きを捉えきれないほどの、神がかり的なタイピング速度。
ヒバリから受け取った『最新のナノ・アーキテクチャのアルゴリズム』を自身のコンソールに組み込んだことで、彼女の演算能力は爆発的に跳ね上がっていた。
「あはははっ! すごい、すごいわヒバリ! 私の思考速度に、コンソール側の処理が一切遅延なくついてくる! これなら王都のインフラ制御システムなんて、まるでおもちゃ箱よ!」
狂喜の声を上げながらキーを叩くミサゴ。
その直後。王都ブルジュラの街に、前代未聞の『異変』が起きた。
――プツン。
白日の下、摩天楼の壁面を埋め尽くしていた無数の巨大ホログラム広告が、一斉にブラックアウトした。
そして次の瞬間。全てのスクリーンに、悪意とポップさが入り混じった『ネオンピンクのウサギのドクロマーク』が、けたたましいノイズ音と共に映し出されたのだ。
「な、なんだあれ!?」
「変なCMが始まった!」
大通りを行き交う群衆がどよめき、足を止める。
だが、異変はそれだけでは終わらない。王都の上空を幾層にも重なって走っていたハイウェイの信号機が、全て同時に『赤』へと切り替わった。
空中で車が次々と急ブレーキを踏み、あちこちで玉突き事故の衝撃音が響き渡る。完全に麻痺した交通網。鳴り止まないクラクションの嵐。
さらには、大通りに設置されていた治安部隊の警戒用ドローンたちが、突如として制御を失い、空中でフラフラと奇妙なダンスを踊り始めた。
『緊急事態! 緊急事態! 王都のメインインフラが何者かに乗っ取られました!』
『ウサギのドクロ……間違いない、【Mr.シンギュラリティ】による大規模サイバーテロだ!』
『ゼニス本部とソラリスへ連絡! それから、ノヴァに応援要請を!』
巨大な街が、たった一人の少女の指先によって大パニックに陥り、右往左往する。
ゼニスも、ソラリスも、治安部隊も。王都の全ての警戒網の目が、ミサゴが引き起こした『地上の狂騒』へと完全に釘付けにされていた。
「ふふっ、傑作ね。エリート気取りの連中が、アリみたいに慌てふためいてるわ」
ミサゴは画面に映る王都の混乱を嘲笑いながら、通信越しにヒバリへと告げた。
「陽動は完璧よ。さあ、行ってきなさい」
『……ああ。ありがとう、ミサゴちゃん』
◆◆◆
地上が未曾有の大混乱に陥っている中。
ヒバリは人気のない搬入口のシャッターの前に立ち、左手首のインプラントを起動させた。
「――自衛機能、部分展開」
液状のナノ・ルーンが這い出し、ヒバリの左腕と両脚だけを流線型の装甲で覆っていく。今回は派手な戦闘を避けるため、パラディウムのフルパワーではなく、隠密と機動力に特化した形態だ。
『余裕余裕。TALOSの表のセキュリティは今、私が仕掛けたダミーのウイルス攻撃に対処するのに必死よ。地下の警備システムへのバックドアは確保したわ』
ミサゴが軽快に答えると同時に、目の前の頑強なシャッターの電子ロックが、カチン、と小気味良い音を立てて緑色に点灯した。
「助かるよ。さすがだね」
『お世辞はいいから。中に入ったら油断しないでよ。いくら陽動が効いてるとはいえ、地下施設の物理的な防衛ラインまでは私が全部オフにするわけにはいかないの。不自然すぎてバレるからね』
「了解。ここからは、僕の仕事だ」
ヒバリはシャッターを素早く押し上げ、TALOSの地下空間へと滑り込んだ。
冷たく無機質なコンクリートの通路が、地底の闇へと続いている。
『前方、三十メートル先の曲がり角。巡回用の重装甲ドローンが二機来てるわ』
「パターンは?」
『規則的な八の字巡回。あと五秒でアンタの視界に入る』
ヒバリは脚部の装甲のスラスター出力を極限まで絞り、無音で天井のパイプへと跳躍した。
左腕の装甲から展開したワイヤーをパイプに引っかけ、コウモリのようにぶら下がる。
直後、真下の通路を、二機の巨大な警備ドローンが赤いセンサー光を放ちながら通り過ぎていった。
「……やり過ごした。次のルートは?」
『そのまま直進して、第三ブロックの隔壁を抜けて。ロックは私が解除する』
ヒバリは音もなく着地し、迷いのない足取りで地下施設を奥へと進んでいく。
行く手を阻む分厚い防爆扉は、ヒバリが近づく直前にミサゴが次々とハッキングでこじ開け、ヒバリが通り抜けた瞬間に再びロックを掛ける。
通路に仕掛けられたレーザーセンサーは、ミサゴが一時的にハッキングで機能停止している間に、パラディウムの脚力でスライディングしてくぐり抜ける。
『いい動きじゃない。あのボサボサ頭の引きこもりアーキテクトとは到底思えない身のこなしね』
「……引きこもりは君も同じだろう。君のサポートが正確だから、動けるだけだよ」
『フフッ、言うじゃない。この調子なら、目的のメインフレームがある深層エリアまであっという間――』
二人の小気味良いやり取りが続いていた、その時だった。
『――っ!?』
「ミサゴちゃん? どうした」
不意に、骨伝導スピーカーの奥で、ミサゴの息を呑む音が響いた。
同時に、ヒバリの目の前にあった第四ブロックの防爆扉のランプが、緑色から突如として『赤色』へと切り替わったのだ。
『な、何これ……! 私のハッキングが……弾かれた!?』
ミサゴの焦燥に満ちた声が響く。
その直後、冷たく無機質なコンクリートの通路に、耳を劈くような警報音が鳴り響く。
ヒバリの目の前で防爆扉のロックが、完全な封鎖状態へと移行した。
「ミサゴちゃん! 何が起きた!?」
ヒバリはパラディウムの脚部装甲を接地させ、警戒態勢を取りながら骨伝導スピーカーに叫んだ。
『わ、わかんない! 王都の表のインフラをジャックしてた私の陽動プログラムが、今、猛烈な速度で駆除されてる! ダミーのウイルスも、地下のバックドアも、一瞬で全部塞がれたわ!』
「TALOSの防壁システムが自己進化したって言うのか? そんな馬鹿な、君の今の処理速度を上回るAIなんて……」
『AIなんかじゃない! これ……誰か、いるのよ! ネットワークの向こう側に、信じられないバケモノが!』
ミサゴの悲痛な叫び声が通信越しに響く。
廃ネットカフェのフロア。ミサゴの目の前に展開された六層のホログラムコンソールは、今まで見たこともないような真紅のエラーメッセージで埋め尽くされていた。
彼女は額から冷や汗を流し、十指から血が滲むほどの速度でキーを叩き続けている。しかし、彼女が防壁を突破するためのコードを一行書き込む間に、相手は百行のカウンターコードを書き上げて完全にシャットアウトしてくるのだ。
「くそっ、このっ……! どんだけマルチタスク回してんのよ! 処理速度が、次元違いすぎる……っ!」
ミサゴがギリッと歯を食いしばった、その時だった。
『――深刻なセキュリティ侵害を検知。これより、全防衛プロトコルのマスター権限を一時的にAdministratorへと移行します』
突如として――
ミサゴのホログラムコンソールの中心に、緑色のソースコードの奔流が渦を巻き、『瞳』のような無機質なシンボルが浮かび上がった。
同時に、ヒバリとミサゴが繋いでいた暗号化通信の回線に、全く別の音声が強制的に割り込んできた。
それは、感情の起伏が一切ない、透き通るような少年の声だった。
『対象並びに、外部から干渉を試みているハッカー。……当施設からの即時排除、および対象の生け捕りプロセスを開始します』
「誰!? どこからこの回線に割り込んだの!?」
ミサゴが吠えるが、少年の声は彼女の問いには一切答えず、ただ淡々と、機械的に排除の宣告だけを繰り返す。
『ミサゴちゃん、相手の正体は分かるか!?』
「待って、今パケットの送信元を逆探知……嘘でしょ!?」
ミサゴが信じられないものを見るように、ホログラムスクリーンを凝視した。
『TALOSのサーバーじゃないわ……こいつ、ネットワークの向こう側、バビロンを経由して、遠隔でTALOSの防壁システム全体を間借りして操作してる! それにこの異常な処理速度と自己増殖するアルゴリズムの癖……ただのAIじゃない。人間の脳髄そのものをクラウドで並列化させたような……得体の知れないバケモノよ!』
「バビロンからだと!?」
ヒバリは思わず息を呑んだ。
バビロンといえば、世界最高の魔導細胞技術を誇るバルカン社などが本拠地を置く極東のメガロポリスだ。TALOS社にとってはライバル企業がひしめく地であるはず。
(なぜ、バビロンにいる得体の知れないハッカーがTALOSのネットワークを我が物顔で操っている? いや、それだけじゃない)
ヒバリの脳内で、いくつかの点と点が冷たい線となって結びついた。
(オーラムでルキオラさんを襲った暗殺者シガヌスは、TALOSのパーツを使っていた。そして今、バビロンの『誰か』がTALOSの防衛網を代行し、僕を狙っている。……メーカーの垣根すら越えて、彼らは完全に裏で繋がっているのか!?)
点と点が繋がり、ヒバリの目の前に、底知れない巨大な『闇のネットワーク』の輪郭が初めてその姿を現した瞬間だった。
『――王都におけるインフラ機能の混乱、鎮圧完了』
少年の無機質な声が響く。
その言葉通り、地上でミサゴが引き起こしていた交通網の麻痺やホログラム広告のハイジャックは、正体不明の敵の無限とも言える並列処理によって、わずか数十秒で完全に通常状態へと復旧させられていた。
「う、嘘でしょ……」
ミサゴが絶望的な声を漏らす。ヒバリから貰った『最新のナノ・アーキテクチャ』を組み込み、処理速度が爆発的に向上していた天才ハッカーの全力の陽動が、まるで子供のイタズラを片付けるかのように一掃されてしまったのだ。
『陽動に対処していた治安部隊の警戒網が、正常に機能し始めました。……これより、地下施設の防衛レベルを最大に引き上げます。対象、ヒバリ。貴方を確保します』
「っ……ミサゴちゃん、そこから逃げろ! 君の現在地が逆探知されるぞ!」
ヒバリが叫んだ。だが、ミサゴはコンソールから手を離そうとしない。
『馬鹿言わないで! 私がここでリンクを切ったら、アンタは完全に地下に閉じ込められてハチの巣よ!』
「だけど、相手の演算能力は異常だ! 生身の人間が捌ききれる処理量じゃないんだろう!?」
『人間じゃないわよ、こいつ!』
ミサゴは鼻からツゥッと一筋の鼻血を流しながら、狂ったようにキーボードを叩き続ける。
脳の処理限界を超えたことによる、魔力負荷のオーバーヒートだ。
『顔も見えないバケモノごときに、私の矜持をバキバキに折られたまま逃げ帰るなんて、絶対に嫌!』
ミサゴの叫びと共に、通信越しのタイピング音がさらに激しさを増す。
ヒバリは奥歯を噛み締めた。彼女が命がけで繋ぎ止めてくれているこの細い糸を、無駄にするわけにはいかない。
ガシャァァァンッ!!
直後、ヒバリの行く手を阻んでいた第四ブロックの防爆扉が、内側から暴力的な手段でこじ開けられた。
土煙の中から現れたのは、TALOS社が誇る重装甲の自律メック部隊だった。全長三メートルを超える人型の殺戮機械が、両腕に装備された高熱の高周波ブレードを展開し、ヒバリへと向けている。その数、およそ十機。
『――対象の抵抗を予測。四肢の切断を許可します』
少年の無機質な命令が地下通路に響き渡ると同時に、十機の自律メックが、一斉に鼓膜を震わせる駆動音を上げ、殺戮の刃を振りかざして突進を開始した。




