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第55話 質量は変わらない!

 二時間ほどの取り調べを終えたところで、喜重郎を牢に戻すと、曲直瀬が怒りを伝えてきた。


「死んだらどうするんですか? この野蛮人!」


 三成は南京錠を懐に仕舞いながら、それには応えず曲直瀬に問うた。


「茶々様のお身体のご様子はどうですか?」


 曲直瀬は口を曲げた。


「知りません」


「知らないってことは無いでしょう?」


 曲直瀬とは秀吉が病に伏した頃からの長い付き合いもある。


 今は良好な関係とは言えないが、以前は豊家ほうけ側としてもある程度話ができるという認識であった。


 専門家であるから出来れば味方につけておきたい。


「お身体も見せてもらえません。脈に触ることも」


「左様で……」


 茶々が今は家康(そば)付きのこの男を警戒するのも分かる。


 三成は牢の佐久川喜重郎に聞かれないよう小声で話す。


「……東軍では、死んだ者はおりませんか?」


「はぁ?」


「いや、東軍で死人が出たことがあるのかなぁと思って」


 曲直瀬が質問の意図を探るように口元に指を当てて考える。


「そりゃ、たくさんいますよ」


「え?」


「まずは労務災害。これは多い。 みんな職務に忠実だから無理して川を渡ったり、石垣改修の折に石の下敷きになったり。

 訓練時に銃の暴発で亡くなった者もおりました」


 曲直瀬はウットリとしながら続ける。


「その度に上様はひとりひとりの遺族の元にすぐさま駆け寄り、遺族がいない者にはそれは手厚く葬儀を自ら執り行い……あんなご主君見たことがありません。お優しく、慈悲深く……」


「ま、そのご主君様から西軍に行くよう追ん出された人がいるのですけどね」


 曲直瀬は釣り上がった目で三成を睨む。


「あとは本当に少ないですが刑死も」


「刑死ですか?」


 盗みを働いた者、暴力沙汰を起こした者、殺人を犯した者。


 特に目上の者に向かって不義を働いた者への裁きは厳しいという。


「あとは、間者かんじゃとか……」


 曲直瀬の言葉に三成が牢に目線を移し、ニッコリ微笑んだ。


「そうですか! では西軍は寛大だなぁ! なにしろ三食昼寝付きですから。誠に慈悲深い」


 曲直瀬が嫌な顔でため息をつく。

 三成は小声で質問を続けた。


「それはさておき人は……その……増えるのですか?」


「……」


 曲直瀬は思いっきり不審げな顔だ。


「いや、東軍は増えるのかなー? って疑問に思って」


「増えるわけないでしょ。男しかいないんだから。男が妊娠しますか?」


 何言ってんだコイツ――という目を露骨にして曲直瀬はもう、いいですか? と言って去っていった。



  ◇



「それじゃ、間諜スパイはただ屋根裏を這ってただけってことですか? 捕まえるのにこんなに時間かかったのに?」


 執務室で長宗我部盛親が腕を組んで小首を傾げる。


「分かりそうなものだけど。なんでそんな古典的な忍者みたいなのに治部は気が付かなかったのかなぁ。もっと早めに対応できれば」


 長束正家が頬を掻きながら言った。


「治部は上層部に近いところばかり探してたから。可哀想だが、過去に人に裏切られすぎて疑心暗鬼になっていたのだな。

 もっと単純な時代劇みたいな結末だったのにのぅ」


 宇喜多秀家がフムフムとひとり納得している。


 三成は黙って聞いていたが、なんだか無性に頭に来た。


「ちょっと! あんたがた! なんで単純なことに気が付かなかったのか、とか言うなら俺に忠告してくれても良かったじゃないですか! 俺だけの責任にしないでくださいよ!」


 三人は顔を見合わせる。


「まあ……まさか忍者とは思わなかったな。忍者とは。水戸◯門の世界だな。フフ」


 長束正家は笑ってしまっている。


 三成の眉間にシワが寄る。全く笑えない。


「でも良かったではないか! これで安心してこの場でいろいろ議論できるというもの。してその間諜はどんな男なのだ?」


 宇喜多秀家が明るく話題を変えた。


 佐久川喜重郎は恵瓊の推察通り伊賀出身の忍びである。


 関ヶ原の直前に身分を偽り島津義弘の軍に足軽として紛れ込んだ。


 幼い頃より修業を積み、どんな屋敷の屋根裏でも、移動の際に音を聞かれたことは一度も無かったという。


 村田新左衛門の耳が異常にさとかったのである。


 喜重郎は揖斐川の番屋に詰めて警備を行う仕事に就いていて、休日や仕事終わりに大垣城の屋根裏に忍び込み、情報を収集していたという。


 夜間、揖斐川を目立たぬよう泳いで渡って来る東軍の仲間に文を渡すことで情報を流していた。


「泳ぐんだ! 東軍の忍びは……この寒空の中を?」


 秀家が大袈裟に目を回す。


「その佐久川とやらは、どこの家中の者だ?」


 正家の問いに三成は目を瞑った。


「それが、まだ言わないのだ……」


 脅してもなだめても、喜重郎はそれだけは頑として言わない。


 彼なりの忍びとしての矜持きょうじがあるのだろう。


「逆手に取って違う情報を流すのはどうだろう……?」


「毎回暗号を変えていたそうだから、ヤツに嘘をつかれたら意味ないだろう」


 正家の提案だったが、簡単にはなびかない喜重郎を利用するのは難しそうだった。


 三成は軽く手を叩いて、話題を変えた。


「そういえば、みんなに是非紹介したいメンバーがいて……」


 執務室から三成が声を掛けると一人の男がおずおずと入ってくる。


 下を向いている。


木下木兵衛きのしたもくべえ君だ」


「木下木兵衛です。宜しくお願いします」


 長束正家は唖然として湯呑みの湯を零した。 長盛を指差す。


「いやいや、どう見ても増田ました長盛だろう」


 宇喜多秀家も指を差して早口でまくし立てる。


「見間違えるはずない! これは増田殿だぞ。治部」


 長宗我部盛親だけがキョトンとした顔をする。


「増田、じゃなかった木兵衛君。自己紹介をどうぞ」


「みなさんの足でまといにならないよう、頑張ります!」


 ガッツポーズが昭和っぽい。


「いやいや、増田殿! 何の冗談か分からないけど! どういうことなの?」


 正家が叫んだ。


「じゃあ、木兵衛君。これからヨロシクね」

 三成が長盛に退席を促す。


「ヨロシクね、じゃねえだろ!」


 正家が吠えた。



  ◇



 長束正家は執務室に残って頭を抱えている。


「増田殿って地味だから、あんまり気がつかれないんじゃないかな?」


 三成は急須で正家の茶を入れ直す。


 ぶっちゃけ猫の手も借りたい状況の中で、増田長盛ほどの人材を人目につかないように閉じ込めておくのは勿体ない。


 別人と偽るのは苦肉の策である。


「うーん、まぁそれもそうなんだけど」


 正家は首の後ろで手を組んで仰け反る。


「質量保存の法則、だな」


 正家も気がついたらしい。


 西軍陣地で誰かが死ねば、代わりに大坂城内から誰かが来る。


 質量保存の法則とは、化学変化や物理変化の前後で、物質全体の質量は変わらないという法則である。


 これは反応の前後で原子の種類と数が変わらないため、原子の重さも変わらないことに基づいている。


 この場合原子ではなく魂、だが。


「東軍はどうなのかな?」


「曲直瀬にそれとなく確認したが、この法則は起こらないようだ」


「こちら側だけか……」


 マズイな……と正家は呟く。


 西軍の誰かをほふれば女が高確率で手に入るというボーナスを意味する。


 東軍の男たちにとって、いわば狩り場となってしまう。


 以前、宇喜多秀家が東軍の連中を「狩りを楽しんでいる」と表現したことがあったが、現実味を帯びてきた。


 ノックの音がして、戸田内記が顔を出す。


「治部様、左近殿が……」


「どうした?」


 三成は身体ごと振り返る。


「高熱です。すぐにいらしてください」

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