第207話 可能性は否定できない!
首都コペンハーゲンのオシャレなカフェの椅子に座って本郷真美子はカプチーノの泡をゆっくりと掻き混ぜた。
外は昨晩に降り積もった大雪が街路樹に綿のようにかかっている。
カフェの窓ガラスは、集まりだした地元の客たちの熱気で徐々に曇って、窓の外の景色をまるでマルク・シャガールの画のような淡い色彩に変えている。
「……」
エスプレッソを飲みながら黙っている安藤幹夫の顔を、真美子はジッと見つめた。
安藤の額には少し汗が滲んでいる。
「これから……どうするの?」
「……」
安藤は開いたノートパソコンに視線を落としたまま動かない。
「てか、イヴァン・レフチェンコに会わないと……この旅、意味ないのよね?」
「……グフッ」
真美子の視線が痛い。
安藤はひとつ咳払いした。
「と、とりあえず、テック・リカバリーの八十島さんから来たメール内容を共有しますね!」
安藤は急に話題を変えて真美子の冷たい視線を逃れようと試みる。
秋葉原のデジタルデータ復旧業者・八十島穂積には引き続き無償で解析を行ってもらっている。
無償のため、あまり急かすことは出来ないが、確実にハードディスクの中身……勘伝久仁彦の自作ゲーム解析に少しずつ取り組んでもらっているのだ。
そこでようやく、見えてきたものもあった。
「『あの世界』はつまり……このハードディスク内のゲームのみならず、勘伝久仁彦先生の創作物をごちゃ混ぜにして発展していったマルチバースだと判明しました」
「……マルチバース?」
真美子は遠慮なしに眉毛をひそめる。
「ええ。単純に関ヶ原のゲームだけではない……いわゆる勘伝久仁彦が関わった創作物全てがあの世界を形づくっているというわけです」
そう言って安藤はパソコンの画面を真美子に見せる。
そこにはAm◯zonの画面で、勘伝久仁彦名義の著作が載っている。
デビュー作『メデイヤの宴』のような文芸作品の他にも『激戦! モンスターバトル!! 南の島の大冒険』などゲームのノベライズ本の記載もある。
「たぶん……勘伝先生のこれまでの創作物を元に、『あの世界』が創られているのは間違いないようで……」
真美子がノートパソコンの画面を食い入るように見つめる。
「また、勘伝先生名義でないもの……つまりは同人作家『ぬれぬれスイッチ』時代の『夢伽草子〜決戦前夜に薔薇は咲く〜』なんかも、世界観に加わってる、というわけなんだ」
真美子は額に両手をあてて、うーん、と深く考え込むような仕草をした。
「なんで?」
「……」
「なんで、そんなことになってんの?」
安藤は質問に応える代わりに真美子にそっと微笑み返す。
そんなこと、安藤にだって分かるわけがないのだ。
「で、あの世界では、魔法ポイントと呼ばれるものが重要になってくるらしい」
はじめのパスワードを突破して、ゲームを進めだした八十島が言うには……プレイヤーはまずはモンスターなどを斃して魔法ポイントを稼ぐことが重要になってくるそうだ。
魔法ポイントはログイン時間によって少しずつ貯めることは出来るが、モンスターを斃した場合は比べものにならないほど……ポイントが稼げるらしい。
「だから、まずは関ヶ原を敵方から見つからないように脱出して、海に出てモンスターと戦いながらポイントを稼ぐ。
帰ってきてそのポイントを使って王国を創り上げる。
こんなゲームの進め方になるようなんだ」
魔法ポイントは主に物(便利グッズ)を出現させたり、過去の歴史から仲間を増やしたりできる。
仲間として招聘できる群には、聖徳太子から卑弥呼、織田信長まで、超有名な歴史上の人物を取り揃えているらしい。
「ふぅぅん」
真美子が興味なさげに頬杖をつく。
安藤もあの世界で海に乗り出して、モンスターと戦ってポイントを稼ぐ……なんてこと非現実過ぎてあまり想像できない。
なにしろ、現実世界に酷似した過酷な環境である。
自然界もほとんどそのまんまだし……生きるだけで精一杯なのだから。
「で! それとは別に、なぜかあの世界と現実を結ぶ『時空のヒビ』が伊吹山総合病院の霊安室に出現してる。
これに関しては勘伝先生の今までの著作物でも登場しないし、勘伝先生に直接お尋ねしても、全く心当たりが無いそうなんです!」
安藤の説明に熱がこもる。
真美子は瞳に困惑の色を浮かべて頷く。
確かに、真美子も『時空のヒビ』が光りながら開くのを実際に目撃している。
「それから……八十島さん曰く……ちょっと怖い話なのですが、何かを招聘したあと……何かしらのスクリプトが隠されているとのことなんです」
「もう一段階さらに上に……まだ判明してないステージが隠されているってこと?」
真美子の言葉に、安藤は二度ほど深く頷く。
「この何か、もしくはこの何者かが……『あの世界』でどんなステージを開いて、そのことがどんな作用を及ぼすかは不明なんです。
個人を消したり、最悪……全体を消すなんてことも。
ハッキリ判明してないんですけど、いずれにせよ、プレイヤーが呼び出した物、あるいは人間が『あの世界』に壊滅的な打撃を与える可能性は否定できない、と」
八十島もまだ手探りである。
しかしながら、招聘された人間は予め莫大な魔法ポイントを持っているので、何かしらの魔法のような能力が具わっているはずである、との見立てだ。
「じゃ、じゃあ……過去から呼び出された瀬名姫はけっこう力を持っちゃってるってこと? それってかなりマズいのでは?」
真美子も瀬名姫の危険性は把握している。
「いや……瀬名姫は誰かが死んで、その代わりに来た人だから、そういった人には予めのポイント付与は無いんだよ」
「……そっか」
瀬名姫は関ヶ原時点で過去の人間だったとは言え、魔法ポイントを使って呼び出されたわけではない。
ステータス的には大坂城から飛ばされて来た増田長盛や初と同じである。
ガヤガヤと数名の若者たちが入ってきた。
昼間から酒でも入っているのか、話し声が大きい。
常連らしく、彼らは安藤たちの席の近くのカウンターに陣取った。
真美子は少し大きな声で安藤に話しかける。
「魔法ポイントが貯まったりしても、あまり誰かを呼び出したりしないほうが無難ね。
あの世界の秩序を乱しそうで怖いわ。今でも不安定な情勢なのに」
確かに。
これ以上、誰しもが不測の事態を招きたくはないだろう。
安藤も同意する。
若者グループの赤毛の男がチラチラと安藤と真美子を興味深げに見つめている。
口元に笑みを浮かべているが……なんと言うか……感じの良い笑みではない。
赤毛の男は、まだ少年といってもいいくらい、若い。
酒を飲んでいるから成人はしているのだろう。
隣の友達の肩を揺さぶって安藤たちに視線を送る。
何かを耳元で言って、隣の大男が仰け反って笑った。
「……出ようか?」
安藤は真美子を気遣って、促す。
「え? なんでよ? まだ飲んでるんだけど」
真美子は男たちに気が付いているものの、動じていないようだ。
「てか……レフチェンコ氏に帰国までに会えるのか、それだけが心配だわ!」
真美子が嘆く。
――今朝。
安藤と真美子は久世弓子と外務省の長谷川吉彦の紹介状を携えて、意気揚々とコペンハーゲン修学院大学の門をくぐった。
そして、あえなく受付の警備員に門前払いを食らったところである。
警備員は何も聞いていないから、通すわけにはいかない、の一点張り。
仕方なく、職員通用口で教職員らしき女性を捕まえて話しを訊くと……イヴァン・レフチェンコは長期休みでそもそも国外だそうである。
弓子からはレフチェンコ氏はだいたい年末年始は静かな環境に身をおきたいため、大学の研究室にいる、といった話を聞いていたが完全にアテが外れてしまった……。
安藤はエスプレッソを飲み干して、パソコンを閉じる。
振り返ると……赤毛の若い男は所謂「釣り目ポーズ」をして、舌を出した。
安藤は驚いた。
初めての海外旅行で初めての人種差別の洗礼である。
真美子が腕を組んでガンを飛ばす。
その様子もおかしいのか……若者たちが一斉に笑い転げた。
真美子が何か言おうと口を開いたその時だった。
「Shut Up!!」
ホットドッグバンズを運んでいた若い女性が赤毛の男を睨見つけた。
「If you keep acting like an idiot, you're out of my cafe!
(これ以上、バカな真似を続けるようだったら、私の店から出てって!)」
途端に若者たちの一団は視線を落として真顔になる。
モジモジと若者たちはその金髪のロングヘアーの若い女性に目線を送っている。
安藤は女性の顔の造形の美しさに目を奪われる。
もしかしたら、若者たちはこのカフェの飲み物が目当て、というよりかは彼女に会いたいのではないか。
それくらいの美人である。
「……Sorry」
女性はスッと青い瞳の視線を真美子に移す。
「Oh! There is no problem!」
真美子が慌てて金髪の女性に言った。
会計を済ませて、二人は凍えるような外へ出た。
これから……アテもなく、ホテルに戻るしかない。
カラン、と音がして、先ほどのカフェの女性が走って出てきた。
手にはクッキーを持っている。
「A small gift.(さっきのお詫び)」
彼女は真美子にクッキーを渡しながら、彼女の背中に手を遣る。
「Follow me.(付いてきて)」
安藤と真美子は驚いて彼女の後ろを慌ててついて行く。
「あなた達、日本人? ワタシ、トモダチ、知ってる。ワタシ、サラ」
名前はサラ。
辿々《たどたど》しい日本語だ。
サラは、白い息を吐きながら……舗道の雪を器用に避けながら進んだ。
彼女のズンズンと進む黒いスニーカーに導かれるまま……安藤と真美子は細い路地の奥深くに迷い込んで行った。




