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ヘテロクロミアの魔眼騎士  作者: 礼(ゆき)


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44/50

44:兄と弟

「兄貴!」


 打ち込んできた相手をはっきりと目視したデュレクは、弾かれて、後方へ飛ぶ。地を踏みきり、兄は無言でデュレクに向け剣をふるう。


「待ってくれよ、兄貴! どういうことだよ」


 子どもを抱えたまま、動揺するデュレクは剣を振り切れない。追撃は辛うじて避ける。子どもを抱いたままでは、身軽に対処できなかった。


(どうして、ここに兄貴がいるんだ)


 混乱するデュレクは、背を向けるわけにも、戦うわけにもいかない。逃げて、どこかに子どもを隠してから対峙できないかと考えても、詰められる間合いと振り下ろされる剣に押されるばかりだった。

 なにより、兄が剣を向けてくる目の前の事象に意識がついて来ない。


「兄貴! どういうことだよ。なんで、ここに兄貴がいるんだ」


 叫んでも返答はない。

 無言の兄に、デュレクは奥歯を噛む。

 背後に飛んだ拍子に、幹に背がぶつかる。振り上げられた白刃が落ちてきた。幹に沿って転がるように逃れ、今度は背を向けて、走り出す。


 霧が晴れ、日が差し込む水場に躍り出る。照り返す水面がキラキラと輝く浅瀬を踏んだ。水しぶきが跳ねる。反対側の林を目指す。

 背後から追う者に配慮する余裕はなかった。真横から回り込んでくる剣の切っ先が視界の端に映りこむ。


(早い!)


 背負う子どもをかばいながら、片手で掴んでいる剣を用いて、払う。剣と剣がかち合った。デュレクが持つ剣は弾かれ、兄が薙ぎ払った剣は軌道を逸らされる。


 浅瀬を越えて、砂利に立つ。振り向き、デュレクは剣を構えた。


 ゆったりと向かってくる無表情な兄の心底が見えない。

 兄がなぜ、このような愚行を犯しているのか、デュレクは見当もつかなかった。


(兄貴は近衛騎士団長だろ。そんな立場の者が、殿下の暗殺に加担しているってことになるだろ。そんなことになったら、公爵家だって敵に回すし、侯爵家だってただじゃすまないだろ)


 動揺するデュレクの剣は震えている。


「兄貴! なにをしているんだ。こんなこと、正気の沙汰じゃない!!」


 浅瀬を出た兄は迷いなく、綺麗に構える。その立ち姿に動揺の影も見られない。


「俺はお前の兄ではない」


 デュレクは兄の言葉の意味が分からず、脳内で反芻する。


「俺は、お前の兄ではない」


 二度、紡がれた言葉に、唇を震わせながらデュレクは薄笑いを浮かべた。


「何を言っているんだよ。兄貴は、兄貴だろ。子どもの頃は、同じ屋敷に暮らしていたじゃないか。そりゃあ、ある程度成長したら、俺は家を追い出されたよ。それでもさ、兄貴は、ずっと俺のことを弟として扱ってくれていたじゃないか」


 にじり寄る兄に、デュレクは後ずさる。退けられる気はしなかった。子どもを抱え、意味も分からず

剣を向けてくる兄に、迷いを含む心情のままでは、防戦も辛い。


「兄貴、剣を収めろよ。俺は殿下の意向で子どもを助けたんだ。近衛騎士団長の兄貴がこんなことしていたら、シャレにならないだろ」


 必至でなだめすかそうとするデュレクに、兄は唇を噛む。


「言っただろ。俺は、お前の兄ではない」

「そもそも、その意味が分からないんだ! 兄貴は侯爵家の長男で、後継ぎで、俺は半端者の片目しか貴族の証を持たない、出来損ないな弟だろ」

「そうじゃない。違う! 違うんだ!!」


 聞いたこともない兄の怒声にデュレクは声を失った。

 すぐさま兄は無表情になる。憔悴したかのような影が頬に落ちる。


「俺はお前の兄じゃない。お前の兄は……すでに亡い。俺が、殺した。俺が殺したんだ」

「意味わかんねえよ。俺には、兄が二人いたのか? 物心つく頃には、俺の兄は一人しかいなかったぞ」


 近衛騎士団長の兄は冷ややかに自嘲する。その顔はデュレクにとって、いまだかつて見たこともないものであった。


「そうだ、すべてはお前が生まれる前にさかのぼる。お前の実の兄は、両眼とも褐色。平民の色だった。分かるだろ、両眼とも褐色の子どもがどうなるか、腐った思想に毒された家で隠れて何が行われていたか」


 兄の心痛が伝ってくるようで、デュレクの胸が痛くなる。

 

「……消したのか」

「そうだ。あれは儀式だ。俺は、前当主が隠居後、晩年に平民の妾との間に生まれた子だ。両方、紅を備え、前当主だった父は、その色を見て喜んだ。

 魔がさしたのが、前当主の父か、当主の異母兄あにか。俺は知らない。

 あれは儀式だ。大人が手を汚さず、何も知らない子どもに、罪を背負わせ、呪縛とするための、あれは儀式だ」

「……儀式ってなんだよ」


 聞きたくはなかった。

 聞くに堪えない答えしか出てこないと分かり切った問いである。

 だが、デュレクは問うしかなかった。


 兄はずっと優しかった。

 侯爵家の長男、跡取りとして、完璧な存在に見えていた。片目しかまともな色をしていない弟にも分け隔てなく接する、良識ある兄。弟の心配を常にし、いつも気遣い、支援を惜しまない。兄がいるから、デュレクは自分がいなくてもいいと判断でき、そんな兄の足枷にならないように前線に出たのだ。


 デュレクも兄もすでに大人だ。体だけは立派になった。地位だってひとかどのものを手に入れている。


 なのに、どこか歪だ。大人であって、大人じゃない。どこかに、未成熟な残骸を抱えて生きている。


 肚の底が凍結する。

 兄が何を語ろうとも、それを聞こうと、受け入れようと、デュレクは決意する。

 

 憤ることもできない。

 嘆くこともできない。

 横たわる事柄を、ただ分かち合うためだけに、デュレクはここに立っているのだと自覚した。


「幼児の俺の手で、大人は、赤子を、水につけさせた」


 冷え切った静寂の隙間を流水音が絶え間なく流れる。鳥のさえずりが、無意味につんざく。葉音のざわめきが風に乗せられ、消えていく。

 自然は無感情に二人を包む。


「その行為の意味を、幼児の俺は理解していない。仄暗く、陰鬱な部屋のなかで、深い桶に張られた冷え切った水に赤子を沈めた意味を理解したのは……。

 デュレク、お前が生まれた時だ。

 生まれたばかりのお前を抱いた時、俺はこの感触を知っていると思った。記憶に刻まれ、何度も思い出すなかで消えかけた記憶に雷が落ちたよ」


(子どもに、子どもを、殺させるか)

 気持ち悪い。胸糞悪い。そんな単語がよぎる。そして、納得もする。俄かに信じがたいことであっても、あの家ならばやりかねない。それは身をもってデュレクは理解している。


 家を追い出され、平民のなかで暮らす。恵まれてはいないが、不自由ではない。勝手にしろと言わんばかりに放置され、前線に行くことさえも簡単なことであった。


 存在しない自由を得たデュレクとは対照的に、本来は妾の子であり、平民の非嫡出子である兄が、かくあるべきと呪詛のような、呪いのような生き方を強要された。


 兄だけが、デュレクを人間として見ていた。

 あの家では、兄こそが異常なのだ。

 子どもであればこそ、大人たちと同じ価値観を共有し、染まることこそ必然。


 大人達と一緒に、デュレクを見下げることこそ、本来の兄のあるべき立ち位置だったはずなのだ。

 兄の優しさが当然として受けてきたデュレクはそんな些細なことさえ気づかなかった。


 どれだけの歪みを抱え、言い知れない罪と孤独を抱えて兄が生きてきたか、デュレクは初めて知った。




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