32:安心感
デュレクは心持ち、緊張していた。セシルの顔色をうかがいながらも、気にしないで食べているふりをする。
(俺の料理とも言えない品を、貴族のお嬢様が食べれるのか)
屋敷を出たという祝いも兼ねて、いつもより大きな生肉を買った。ただ焼くしかできないが、塩と胡椒を振りかければそれ相応に食べれる。そう思っているのは、男のデュレクだけかもしれない。貴族のお嬢様の口に合うかどうかは別である。
セシルが肉を食べた時、デュレクはほっとした。
うつむき気味でもぐもぐと食べている。一応、皿にはナイフも添えていたが、彼女はフォークだけで肉を刺し、噛みちぎった。
(大丈夫か……)
変な心配をしてそわそわしてしまう。
一口食べて、肉を皿に戻したセシルに、デュレクはドキリとする。
(やっぱり、口に合わないかな……)
眉をひそめ、デュレクはそのまま食べ続けた。
うつむくセシルの顎がきらっと光る。ぽたりとテーブルに雫が落ちた。
これには、デュレクがぎょっとする。
「セシル?」
そんなに、不味いか、とまで言えなかった。言ったら、デュレク自身が傷ついてしまう。
「セシル?」
もう一度、名を呼ぶと、顔を上げた。
見開かれた菫色の瞳が潤んでいる。
デュレクはたじろぐ。息を大きく吸い、慎重に問う。
「セシル……、どうした」
「どうって……」
呟いたセシルが口を真一文字に結ぶ。
(なんで、泣くの? もしかして、泣くほど不味かったか)
デュレクも食べる手を止めた。
「肉、不味かったか?」
ふるふるとセシルは頭をふる。
「済まない、デュレク。料理のせいじゃない」
「なら、どうした」
「……子爵家を出たのだなと。ずっと、出たかったんだ。父にも疎まれている。息が詰まるような家だった。この瞳からは逃れられなくても、家からはずっと逃げたかったんだ。
きっかけがきっかけだが、本当に、出れて良かった」
料理じゃなかったとデュレクは内心ほっとする。
あげたセシルの顔には、目じりから伝う涙線が頬の輪郭をなぞる。
生まれた家によって不遇を背負う境遇はデュレクも同じだ。自分の過去と重ねてしまう。
物心ついた時には、軽んじられ、粗末に扱われていた。兄だけが、目をかけ、手を差し伸べてくれた。平民に落とされ、兄とも距離を取らされた。拠り所はなかった。
前線に行くと決め、志願し、輸送用の幌馬車に膝を抱えて乗った。自分さえいなければいいと思っていたし、どこかで自分ほど不幸な人間はいないと誇っていた。
(そんな過剰な自意識は、前線の厳しさにふっ飛ばされたなあ)
口元が歪む。
セシルが食べ始める。
かける言葉は思いつかなかった。
デュレクも黙って、食べ続けた。
(一人でなくて良かった)
セシルはそう思いながら、食べている。
デュレクといる安心感が心地よかった。
褐色の瞳と紅の瞳を持つ歪さ。侯爵家によって貶められ、前線に志願したという経歴。
貴族の家に生まれて、恵まれない過去を持つ者は少なくない。が、多くもない。順当に両眼に色があり、社交界に出て、領地を治め、地位のある仕事をこなしている人も多い。デュレクの兄のような人生が普通なのだ。
子爵家だとて、母が早世しなければ、父は母の影に隠れる存在であり、セシルに害をなすことはない。屋敷内に同色の瞳を持つ妹を見かけても、セシルの環境は整っていただろう。デュレクの兄のように、妹を慮る余裕すらあったかもしれない。母であればあの婚約者は選ばれず、代わりに領地の分家から瞳の色が綺麗な菫色の男が選ばれたに違いない。
その境遇はあまりに母と似通っており、まるで生き写しのように母の人生をなぞる生き方だ。本来生きていたであろう人生は、疑問を持ちえない人生であったのだ。
歯車が狂ったのは、母の死。幼い私では家を継げず、父が実権を握ったことに端を欲する。
二人は食べ終えた。
お腹が減っていたセシルは、すべて平らげていた。
「美味しかった。ありがとう」
「いえ、どういたしまして」
デュレクは柔らかく笑う。
「今日はもう寝よう。俺も長旅で疲れている。ゆっくり休みたい」
「そうだな。私も昨日、家を飛び出してきたばかりだ。今夜はやっと人心地つくよ」
「先にシャワーを使うと良い。俺は食器を洗って片づけるよ」
「そうか、使った食器も自分で洗うのだな。一人で暮らすのは、細かなことが色々あるのだな」
しみじみと呟くセシルが、デュレクは面白い。
「慣れだよ、慣れ。明日からゆっくり覚えて行けばいいよ」
「掃除も含めてだな」
「そうだね。ゴミも自分でまとめてだすんだよ」
「ごみ?」
「そのうち、分かるよ。風呂掃除、トイレ掃除、掃き掃除、洗濯、干して片づけて……、細かいだろ」
うっとセシルは眉を潜めて、硬直する。
「明日から、頑張ろうな。今日はまず、ゆっくり寝よう」




