Afterwards
あれから一カ月ちょっとが経った。
私と奈緒はやっと時間をつくる事が出来て、表参道のカフェでお茶をしていた。
「言葉が出ない。」
奈緒はそう言って、冷めきったココアに手を伸ばそうともしなかった。
大騒動から3日程経ってやっと彼女には電話で連絡をしたのだけれど(三日間、私は死んでいた。食事トイレ以外でベッドから起き上がれなかった、あまりの疲労で。)、事後処理とか大学とか就職活動とか色々あって中々会えなかった。しかもこの話はやけに込み入っているものだから、会って話をしない事にはどうにもならない。結局、彼女に詳細を殆んど話せずに今日まできた。
だから今、初めて明かされるショッキングな内容に、奈緒は衝撃を受けていた。
「あの人が、そうだったとは。根っからの役者じゃない。CM撮りしている時なんて全然普通だったよ?むしろ、撮影中はオーラをバシバシ出していたわよ。」
信じられない、と言う様に首を振る。
「なのに実は、殺人犯でストーカーで頭がおかしくて生きる意志の無い人だったとは。人間って本当に解らないものなのね。」
私は藤田さんの言葉を思い出した。
「健一は多分、生まれつき、他人とのコミュニケーション能力、というか相手の心情を推察するといった分野の能力が、一般人と比べて著しく欠けているのではないか、と思う。そしてそれは多分、『性格』という域を超えている様な気がする。今思えば、幼い頃はそれで随分苦労していたようだった。同じ年齢の子供達と上手く遊ぶ事が出来なかったり、トラブル続きだったり。」
瀕死の人間を物の様に表現したり。
周囲の悲しみを推し量らなかったり。
気になる私を追い続けたり。
確かに、常識レベルの「加減」と言うものを知らない様な気はする。
「一度医者に連れて行くのも一つの道かもしれないが。」
今更、何もかもが手遅れだな、と彼が呟く。
「診断を貰う事で、誰かの心が、・・・一つでも落ち着くのであれば。」
それも手かもしれませんね、と私が呟く。
「兄の知能はむしろ良い方だから、余計に誰も、あいつの心の闇に気づかなかったのだろう。」
藤田さんは静かに言ったのだけれど、それは多分、独り言の様な気がした。
「で、実際、河島健が中野光治を殺したの?」
奈緒が身を乗り出して聞いてきた。
「・・・それは、まあ。」
私は何となく、自分の冷めたココアの表面を見つめてしまう。
「彼が刺さなくても中野さんは亡くなってしまったかも分からないけど、今となっては、それを確かめる事も出来ないでしょ?分かる事は、河島が中野さんを刺して、それで中野さんが死んだ、って事。」
「ふーん。どうするの?それで。」
「うん。警察には、言ったんだけど、ね。」
16年近く経って、しかも解決済みの少年犯罪。しかも管轄が全く違う。相手にもされなかった。
せめて地元の警察に連絡して、せめて遺族が河島を起訴する、でないと。
それも刑事事件としては時効成立だから、民事としてなら。
「でも私は、遺族でも何でもないし、伝える事は出来ても、それ以上は・・・。」
初めから誰もが解っていた事だったけど。
「じゃあ綾香は、中野光治の遺族に言うの?」
「・・・出来れば。近いうちに。」
彼を殺したのは、別の生徒でした。
残された人達の心を乱す事は容易に想像できるけど、だからと言って、私の判断で情報を遮断する訳にはいかない。
何故今更、と責められる事を思うと辛い。あの時怖くて逃げかえって、今日まで黙っていた事は事実だから。
「祐介さんと塚本さんを連れていきなさいよ。」
奈緒が言った。
「もともとそれに気付いて綾香を巻き込んだのは彼らなんだから。あの人達と一緒に行動して、キチンと責任を果たしてもらうのよ、最後まで。」
「・・・うん。」
「バカ正直に、一人で真正面から突っ込んで行かないのよ?彼らの後ろにいなさい?わかった?」
「・・・うん。」
あの人達ならきっと、君は来なくていい、って言いそうだな。
というよりもう私抜きで既に、中野さんのご遺族や葉山さんの所まで行っているかもな。
だってあの人達は、真実を知りたいと願う関係者の、辛い気持ちを理解している。
特に碧さんは。痛いほど。
「賠償、とかなって世間に明るみに出たら、藤田家はおしまいね。代議士なんて続けられないだろうし、祐介さん、これからどうするんだろう?」
奈緒が私の顔を見ながら聞いてきた。
私は少し驚いた。だって奈緒は言うなれば被害者とも言える第三者で、私の友人と言うだけで、今回の騒動に巻き込まれた子。
気付かなかったとは言え、危険で下心のある河島に目を付けられデートまでしたし、奈緒を守ってくれていた藤田さんも本当の事は何一つ彼女に明かさずに来た。
普通だったら彼らに対して傷ついたり怒ったりするものを、藤田さんの今後を気にかけるなんて、
奈緒ってなんて良い人なんだろう。
思わず笑みがこぼれちゃう。好きだな、やっぱり。
「何?」
「ううん。」
訝しげな奈緒をやり過ごして、私は言った。
「それは無理よ。立件出来ない。証拠がないもの。引き受ける弁護士さんもいないだろうし、河島や藤田家が姿勢を変えて一転、否定を始めたら、どうしようもないもの。水面下で処理するわよ、お互い。」
「え?だって塚本さんの持っていた証拠があるじゃない?コイン?だっけ。」
奈緒が驚いたように聞く。
私は、一週間前に碧さんと二人で会った時の事を、今度は思い出していた。
その日は土曜日で、私が彼と、他人を交えず、事務処理も関係なく会うのは久しぶりだった。
どうしても話をしたいから、と頼まれて夕方過ぎに出向いたお店は、赤坂の、ちょっとお洒落なダイニングバーだった。
「こんな所で、ごめん。」
普段着の碧さんを見るのは夏休み以来。サラサラで長めの前髪を降ろしてカジュアルな格好をした彼は、私と同い年くらいに若く見える。
割と雑多な雰囲気のする店内の少し奥に、小さめの個室がいくつか並んでいた。
込った話をするのには落ち着ける場所で、ここよりマシな所が無かったんだ、と彼が言い訳をした。
本当に申し訳なさそうにして、それがなんだか可笑しくなった。
「俺達がお互いの事情を知ったのは、去年の3月。大学のサークルの先輩の結婚式、2次会の時だった。俺のコレ、これをみて、藤田さんが言ったんだ。兄貴のだって。」
コーナーソファーの角に二人で腰をかけての食事中。
彼がポケットから、例のコインを取り出してテーブルの上に置いた。
派手派手しい豹の顔が描かれたそれを、私は改めてマジマジと眺めた。
「それまで先輩は、自分の兄貴に薄々疑いを持っていたし、色々推理もしていたらしいんだ。兄貴が君に異常な執着を示しているのに気づいて、君の事を調べたらしい。」
「・・・調べるって?」
「君の家とか、あと、事件の翌日、風邪で休んだんだって?それとか。」
「えー!!どうやって?!」
「そりゃ、色々あるんじゃないか?」
何それー!怖すぎない?気味悪すぎるわよ。探偵を使ったとかって事?
それともドラマや映画みたいに、そういう専門人を常に置いているの?お金持って。
日本の個人情報保護法とは何なのよ?法律がお金には負けるなんてひどいっ。
「だけど結局、先輩は動けないでいたんだ。身内の犯罪を積極的に暴きたい奴がどこにいる。おまけに我が家の家業が家業だ、ってね。」
私が一人で怖がって、唖然として、不思議に思って、憤っている間に、碧さんは話を続ける。
この人、私をスルーする事が上手くなったわよね・・・。
「とにかく、お互いの話とコレが決め手で、俺達の中ではほぼ固まった。後は、・・・君が本当に何かを見たのか。そしてそれが、使える証言となるのか。」
彼は私と視線を絡めた後、フッとコインに目を向けた。
「事件はもう終わっている。おまけにその時点で、15年はほぼ過ぎたも同然だった。」
そう言って、テーブルの上のそれを指でピンっと弾く。
「あれって、確か4月でしたっけ?」
「そう。4月15日。」
「去年の4月下旬に、殺人の時効は撤廃されていますよね。確かゴールデンウィーク前。惜しかったな。」
「よく知ってるね、綾ちゃん。」
「就活中ですから。」
「でもどっちに転んでも、もう無理だよ。」
無理、とは、もう事態を変えられない、と言う意味。
一瞬、二人の間に沈黙が生じた。
彼は苦笑して私を見た。
「俺ね、実は私生児なんだ。河野健一と同じ。」
「えっ・・・?」
私は思わず絶句してしまった。
彼は暖かみのある綺麗な瞳で私を見つめると、柔らかな笑顔で話し始めた。
「母親は、一度も父親の名を明かすことなく逝っちまった。だけど、その母親の両親、俺の祖父母がね。母が死んだ後、俺を引き取ってくれたんだ。これまた、エライ良い人達なんだよ。ありゃ多分、母はかなりのはねっかえり娘だったに違いない。生きている時は、あまり実家に寄りつかなかったからな。」
語っている碧さんの表情に、切なさや悲壮感、と言うものが全然無い。むしろ、幸せな過去を幸せな気分で懐かしんでいるよう。
だから私の心に、同情と言うものが湧きおこらなかった。それくらい、目の前にいる彼は嬉しそうな表情だ。
そして、こんなに私の胸に入り込んだ碧さんの姿は今まで無かった。
彼はビールの入ったグラスを上から軽く掴んで、揺らしながら楽しそうに話しを続けた。
「狭いアパートで母と二人暮らしの時、働いている母親の代わりに色々と面倒を見てくれたのが、4歳年上の中野光治だったんだ。」
彼の大切な思い出を共有させてもらえる事が嬉しくって、私も思わず身を乗り出して話を聞いた。
最終章です。
それぞれの決着をつけます。
やっと少しラブラブもします。やっと恋愛小説・・・。
沢山の方々に読んで頂いて、ありがとうございます。
この小説が、少しでも皆様のお暇つぶしに役立ちますように・・・。
戸理 葵